三樹書房
トップページヘ
syahyo
第123回 日本自動車殿堂(JAHFA)
2021.1.27

今回は2001年11月に活動を開始した日本自動車殿堂(JAHFA)に関するご報告として、特定非営利法人としての「理念」、2020年に殿堂入りされた方々、歴史遺産車に登録された車に加えて、初代ロードスターの開発責任者、平井敏彦氏の足跡をご紹介したい。
現在自動車産業は2050年のカーボンニュートラル対応をはじめ、100年に一度といってもよい大きな転換点に直面しており、日本の自動車産業が世界におけるこれまでのようなポジションを維持してゆくことは決して容易ではなく、次世代を担う方たちにも先人達の足跡を伝承してゆくことが大切だ。これまでに殿堂入りされた方々、歴代の歴史遺産車などに関しては、以下のオフィシャルサイトをご覧いただければ幸いである。

http://www.jahfa.jp

04-dai12301.jpg

JAHFAの理念
日本自動車殿堂は、日本における自動車産業・学術・文化などの発展に寄与し、豊かな自動車社会の構築に貢献した人々の偉業を讃え、殿堂入りとして顕彰し、永く後世に伝承してゆくことを主な活動とする。
現在、日本の自動車産業は、その生産量や性能・品質など世界の水準を凌駕するに至り、わが国の産業の範としてその地位を得ているが、当初は欧米の自動車技術や産業を学ぶところからの出発であった。周辺の関連産業分野を含め、自動車は高度な工業製品であるが、これを先人たちは様々な工夫と叡智によって切り拓いてきた。
しかし、こうした努力の足跡は時の経過とともに埋もれ、その多くが忘れ去られようとしている。優れた自動車の産業・学術・文化などに情熱を傾けた人々と、その偉業を永く後世に伝承してゆくことは、この時期にめぐり合わせた我々の務めであるといえよう。
技術立国と呼ばれるわが国にあって、その未来を担う青少年たちが、有用な技術の成果に目を向け、技術力や創造性の大切さ、発明や工夫の面白さを認識するためにも、この活動は意義あるものと考える。これこそが日本自動車殿堂が目指すところである。

2020年に殿堂入りされた方々

岡 並木(おか なみき) 氏  交通文化とその新たな価値観の道を拓く

04-dai12302.jpg

04-dai12303.jpg

04-dai12304.jpg


平井 敏彦(ひらい としひこ) 氏  自動車文化に貢献した初代ロードスターの開発責任者

04-dai12305.jpg

04-dai12306.jpg

04-dai12307.jpg


伊藤 修令(いとう ながのり) 氏  日本を代表する高性能スポーツカーの礎を築く

04-dai12308.jpg

04-dai12309.jpg

04-dai12310.jpg


2020 日本自動車殿堂 歴史遺産車 3車

トヨペット ライトトラック SKB(1954年)

04-dai12311.jpg

04-dai12312.jpg


ホンダ RA272 (1965年)

04-dai12313.jpg

04-dai12314.jpg


スズキ ジムニー LJ10型 (1970年)

04-dai12315.jpg

04-dai12316.jpg


平井敏彦氏の足跡

04-dai12317.jpg

04-dai12318.jpg

04-dai12319.jpg


平井敏彦氏は1961年マツダに入社、以来基礎設計 一筋で設計のプロ中のプロだったが、1986年 2 月の経営会議で承認されたライトウェイトスポーツ(LWS)の 担当主査に任命され、初代マツダロードスターの開発リーダーとなった。初代ロードスターは1989年 3 月に生産を開始、1997年10月までのライフサイクル中の累 計生産台数は43万台を超えた。1997年10月に2 代目にバトンタッチ、2000年には 2 人乗り小型オープンスポ ーツカーとして生産台数がギネス記録に認定され、2005 年 8 月に3 代目、2015年5 月に4 代目へと続き、2016 年 4 月には累計生産台数が100万台を突破した。今日までにアメリカでは約50万台、欧州では約36万台、国内では約20万台が販売され、世界市場でカーマニアの心を捉えて離さない存在になっている。

ロードスター誕生前夜
LWSの発想の原点はアメリカ人ボブ・ホール氏と山本健一氏の出会いにあった。1978年4月の来社時には山本常務(当時)のオフィスを訪問、その際ボブ・ホール氏は「マツダこそ昔の英国型小型スポーツカーを生産すべきだ」と熱弁をふるったとのこと、山本氏は更にボブ・ホール氏に推奨されたトライアンフ スピットファイヤーに後日試乗、「陽光を浴び、風を顔に受け、箱根の山中では緑の香りを体一杯に嗅いで、馬を御しているようなきびきびとした運転を楽しんだ」と書かれている。

プロジェクトのスタート
マツダでは1983年後半、将来の商品群を模索する「オフライン55」プロジェクトがスタートしその中の1台がLWSだった。 1986年2 月の経営会議で、すでに社長になられていた山本氏は、技術研究所から発意されたLWSプロジェクトに対して、「皆さんどう思いまか?このクルマには文化の香りがする。私はこれをすすめたいと思います。」と言われ、先行開発の開始が決定、平井敏彦氏が主査に任命された。

いばらの道
しかし、その開発には"いばらの道"が平井氏を待ち構えていた。新型車のプロジェクトが軒を連ね、人的資源の確保は至難の業で、海外の開発委託会社を活用して開発するという条件付きプロジェクトだった。プロトタイプの設計図を見た平井氏は、開発業務を社内に切り替えないと取り返しがつかないことになると主張、この会社との契約打ち切りが最初の仕事となった。 次なる難問はマンパワーの確保だった。企画設計や、本来なら商品企画を全面的にサポートするはずのグループが、「今時LWSの市場は存在せず、商品戦略上も、採算性からもマツダには必要のないクルマだ」と主張、代わりに技術研究所のメンバーに協力してもらうことになった。 一方で平井氏は「三次元CAD」を導入して基本レイアウトをコンピューターに画かせることにしたが、結果的にはスーパー コンピューター導入のきっかけともなった。 その次は場所の問題だった。与えられた場所は、川沿いのデザイン棟の窓のない倉庫だったが、皆「リバーサイドホテル」と呼んだ。「リバーサイドホテル」には意気込みに燃えたメンバーが集結、中には担当設計で自分の仕事を放り投げて まで志願してプロジェクトに参画する者もいた。

人馬一体
初代ロードスターの開発にあたり平井氏が提唱されたのが、「人馬一体」と「感性」だった。「一体感」、「緊張感」、「走り感」、「ダイレクト感」、「爽快感」を統合したものが「人馬一体」で、その一つ一つが人々の心に訴える「感性」の問題だと考えられたからだ。「人馬一体」を実現するために貴島孝雄氏が提案したのがPPF(パワープラントフレーム)と 前後のダブルウィッシュボーンサスペンションだった。 PPFとこのサスペンションシステムも大きく貢献して、素直で運転しやすく、「人馬一体」感の豊かな、運転することが楽しいクルマが実現した。

一方で「軽量化」と「割り切り」も非常に重要なテ ーマとなった。コンパクトな基本レイアウトを推進、徹底的な軽量化も追求、車両重量は最終的に940kgに収まった。円高が進みコスト低減も非常に重要な課題となり、「割り切り」の精神をいかんなく発揮した設計が行われた。 エンジンはFFファミリア用の1.6Lに決定、1トン近くのクルマを1.6Lエ ンジンで引っ張るのではスポーツカーとは言えないのではという声もあったが、「速く走ることだけがスポー ツカーではない。操ることがこの上なく楽しいクルマ 」を目指した。

外観の初期のデザインは北米マツダによるものだが、プロジェクトが正式にスタートした後は本社デザイン部門が責任を担い、古典芸能の能面をイメージした微妙な面構成の中に、輝き、張り、緊張感をかもし出しながら、キュートさと同時に力強さも表現、さらに内装デザインに関しても不要なものは全て排した茶室の機能美など日本の感性を取り込んだ魅力的なものに仕上がり、「日本の伝統文化も包み込む」ことを大切にされてきた平井氏も非常に満足されるものに仕上がった。

平井氏は「日本の自動車文化をこのクルマに託して伝えたいと思い開発してきた」と述べられており、30年以上にわたり、好感をもって世界市場で受け入れられてきたことは、マツダはもちろん、日本の誇りといっても過言ではない。

平井敏彦氏のメッセージ
『この度は日本自動車殿堂に選出していただき、ありがとうございます。開発主査を拝命した時脳裏をかすめたのは、"本当にオープン2シーターのライトウェイトスポーツを作れるのだろうか"ということでした。厳しいコスト制約の中で、まずは助けてくれる仲間達を一か所に集めました。与えられた場所は、川沿いのデザイン棟の窓のない倉庫で、皆リバーサイドホテルと呼んでいました。表向きは強気の姿勢を貫きましたが、本当は不安で家族や仲間に助けてもらったことが多々ありました。妻に、"このプログラムが失敗したらクビになるかもと言ったら、"辞めてもいいから自分の意思を貫いて"、と。メンバーからは、"売れなかったらみんなで売りに行こうよ。平井さんも我々もセールス出向経験者だから"、と笑いながら励ましてくれました。商品化への基本スタンスは、お客様にお求めやすい価格で、運転の楽しい人馬一体感のあるクルマを提供することでした。昨年ロードスターは30周年を迎えましたが、現行の4代目まで繋いでくれたマツダの後輩達に敬意と感謝を、また松田恒次さん、山本健一さんと同じ殿堂に入れていただいたこと、そして昨年は初代ロードスターを日本自動車殿堂歴史遺産車に選んでいただいたこともあわせ、心から感謝を申し上げます。』

このページのトップヘ
BACK NUMBER

【編集部より】 車評オンライン休載のお知らせ

第128回 私のクルマ人生における忘れがたき人々 ポール・フレールさん

第127回 私のクルマ人生における忘れがたき人々 大橋孝至さん

第126回 コンシューマーレポート「最良のクルマをつくるブランドランキング」

第125回 三樹書房ファンブック創刊号FD RX-7

第124回 日本自動車殿堂入りされた伊藤修令氏とR32スカイラインGT-R

第123回 日本自動車殿堂(JAHFA)

第122回 コンシューマーレポート信頼性ランキング

第121回 マツダ MX-30

第120回 新型スズキハスラー

第119回 急速に拡大するクロスオーバーSUV市場

第118回 ダイハツTAFT

第117回 私の自動車史 その3 コスモスポーツの思い出

第116回 私の自動車史 その2 幼少~大学時代の二輪、四輪とのつながり

第115回 私の自動車史 その1 父の心を虜にしたMGK3マグネット

第114回 マツダ欧州レースの記録 (1968-1970) その2

第113回 マツダ欧州レースの記録 1968-1970 その1

第112回 私の心を捉えた輸入車(2020年JAIA試乗会)

第111回 東京オートサロンの魅力

第110回 RJC カーオブザイヤー

第109回 私の2019カーオブザイヤーマツダCX-30

第108回 大きな転換期を迎えた東京モーターショー

第107回 世界初の先進運転支援技術を搭載した新型スカイライン

第106回 新型ダイハツタントの商品開発

第105回 躍進するボルボ

第104回 伝記 ポール・フレール

第103回 BMW M850i xDrive Coupe

第102回 日産DAYZ

第101回 Consumer Reports

第100回 2019年JAIA試乗会

第99回 東京モーターショーの再興を願う

第98回 2019年次 RJCカーオブザイヤー

第97回 ニッサン セレナ e-POWER

第96回 クロスオーバーSUV

第95回 大幅改良版 マツダアテンザ

第94回 新型スズキジムニー(その2)

第93回 新型スズキジムニー

第92回 おめでとうトヨタさん! & RINKU 7 DAYレポート

第91回 名車 R32スカイラインGT-Rの開発

第90回 やすらかにおやすみ下さい 山本健一様(最終回)

第89回 安らかにおやすみ下さい 山本健一様(その3)

第88回 やすらかにおやすみください。山本健一様(その2)

第87回 ”やすらかにおやすみください。山本健一様”

【編集部より】 車評オンライン休載のお知らせ

第86回 ルノールーテシア R.S.

第85回 光岡自動車

第84回 アウディQ2 1.4 TFSI

第83回 アバルト124スパイダー(ロードスターとの同時比較)

第82回 スズキワゴンRスティングレイ(ターボ)

第81回 最近の輸入車試乗記

第80回 マツダRX-7(ロータリーエンジンスポーツカーの開発物語)の再版によせて (後半その2)

第79回 RX-7開発物語再版に寄せて(後編その1)

第78回 RX-7開発物語の再版によせて(前編)

第77回 ダイハツムーヴキャンバス

第76回 ニッサン セレナ

第75回 PSAグループのクリーンディーゼルと308 SW Allure Blue HDi

第74回 マツダCX-5

第73回 多摩川スピードウェイ

第72回 ダイハツブーン CILQ (シルク)

第71回 アウディA4 セダン(2.0 TFSI)

第70回 マツダデミオ15MB

第69回 輸入車試乗会で印象に残った3台(BMW X1シリーズ、テスラモデルS P85D、VWゴルフオールトラック)

第68回 新型VW ゴルフトゥーラン

第67回 心を動かされた最近の輸入車3台

第66回 第44回東京モーターショー短評

第65回 ジャガーXE

第64回 スパ・ヒストリックカーレース

第63回 マツダロードスター

第62回 日産ヘリテージコレクション

第61回  りんくう7 DAY 2015

第60回 新型スズキアルト

第59 回 マツダCX-3

第58回 マツダアテンザワゴン、BMW 2シリーズ、シトロエングランドC4ピカソ

第57回 スバルレヴォーグ&キャデラックCTSプレミアム

第56回 ホンダ グレイス&ルノー ルーテシア ゼン

第55回 車評コースのご紹介とマツダデミオXD Touring

第54回 RJCカーオブザイヤー

第53回 スバルWRX S4

第52回 メルセデスベンツC200

第51回 スズキスイフトRS-DJE

第50回 ダイハツコペン

第49回 マツダアクセラスポーツXD

第48回 ホンダヴェゼルハイブリッド4WD

第47回 ふくらむ軽スポーツへの期待

第46回 マツダアクセラスポーツ15S

第45回  最近の輸入車試乗記

第44回 スズキハスラー

論評29 東京モーターショーへの苦言

第43回 ルノールーテシアR.S.

論評28 圧巻フランクフルトショー

論評27 ルマン90周年イベント

第42回 ボルボV40

第41回 ゴルフⅦ

第40回 三菱eKワゴン

論評26 コンシューマーレポート(2)

論評25  コンシューマーレポート(1)

第39回  ダイハツムーヴ

第38回 第33回輸入車試乗会

第37回 マツダアテンザセダン

第36回 ホンダN-ONE

第35回 スズキワゴンR

第34回 フォルクスワーゲン「up!」

第33回 アウディA1スポーツバック

第32回 BRZ、ロードスター、スイフトスポーツ比較試乗記

第31回 シトロエンDS5

第30回 スバルBRZ

第29回 スズキスイフトスポーツ

第28回 SKYACTIV-D搭載のマツダCX-5

論評24   新世代ディーゼル SKYACTIV-D

第27回 輸入車試乗会 

論評23 モーターショーで興味を抱いた5台

論評22 これでいいのか東京モーターショー

論評21 日本車の生き残りをかけて

執筆者プロフィール

1941年(昭和16年)東京生まれ。東洋工業(現マツダ)入社後、8年間ロータリーエンジンの開発に携わる。1970年代は米国に駐在し、輸出を開始したロータリー車の技術課題の解決にあたる。帰国後は海外広報、RX-7担当主査として2代目RX-7の育成と3代目の開発を担当する傍らモータースポーツ業務を兼務し、1991年のルマン優勝を達成。その後、広報、デザイン部門統括を経て、北米マツダ デザイン・商品開発担当副社長を務める。退職後はモータージャーナリストに。共著に『マツダRX-7』『車評50』『車評 軽自動車編』、編者として『マツダ/ユーノスロードスター』、『ポルシェ911 空冷ナローボディーの時代 1963-1973』(いずれも三樹書房)では翻訳と監修を担当。そのほか寄稿多数。また2008年より三樹書房ホームページ上で「車評オンライン」を執筆。

関連書籍
ポルシェ911 空冷・ナローボディーの時代 1963-1973
車評 軽自動車編
トップページヘ