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第116回 私の自動車史 その2 幼少~大学時代の二輪、四輪とのつながり
2020.6.27

今回は私の幼少時代から大学卒業までの間に縁のあった二輪、四輪と、大学3年のときに行った「長距離ドライブの疲労測定」をテーマにした鹿児島往復ドライブのご紹介をしたい。1941年に東京で生まれ、幼少時代に父親からクルマへの関心を育まれたことは間違いないが、東京が空襲にさらされ、一家で疎開したのが昭和20年3月、疎開先は人里離れた栃木県奥那須だった。疎開2週間後に東京の家周辺一帯が焼夷弾で全焼したため終戦後も帰京できず、小学5年まで那須の山奥で暮らし、毎日1時間ほど山道を歩いて通学した。もし疎開があと2週間遅れていたらと思うとぞっとする。奥那須ではクルマとの接触はゼロに等しかったが、一方で当時の奥那須は冬季にはかなりの積雪があり、登山とスキーマニアでもあった父のお陰で、5,6歳から「わら靴」を履いてスキーを始めたことが、80歳が目前の今日までスキーと離れられない人生を送ることになった大きな要因であることは間違いない。

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左が私で右が弟

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小学校5年後期にようやく東京の仮住まいに帰ったが、14歳から原動機付き自転車の免許が取得できたため、中学生時代に入手したのが写真のホンダ・カブで、このカブでは都内はもちろん、箱根越えなどのトリップも行った。高校生になってからはまずホンダドリームE型のシャシーに父が縁のあった他社のエンジンを搭載(改造は父の依頼で知り合いのメカニックが行ってくれたもの)、同級生たちと各地へのロングドライブも楽しんだ。写真は那須高原まで出向いた時のものだ。那須高原は幼少期の思い出の多いところでもあり、その後乗り換えたトーハツPA57でも友人たちと訪れている。ホンダドリームCB72は、私が愛用したの最後の二輪で、大学時代に家庭教師をしていた高校生から譲り受け、マツダ入社後も広島でしばらく楽しむことができた。中学、高校時代に複数の同級生のバイクマニアがいたことも私がバイクにはまり込む大きな要因で、幸い一度もバイクで事故に遭遇したことはなく、私のクルマ人生にとって一連のバイクの経験が大きなインパクトを与えてくれたことは間違いない。

ここで免許取得年齢についてひとこと触れておきたい。私の時代には14歳で取得できた50㏄以下の原動機付きバイクの免許は、昭和30年代半ばには16歳にひきあげられるとともに、3ない運動(免許を取らない、乗らない、買わない)も拡大、高校卒業後でないと免許がとりにくくなった。この3ない運動は一時より落ちついてきていると聞いているが、それでも現在高校生でバイクを楽しむ人たちは非常に限られるのでないだろうか?一方ヨーロッパ諸国では今も14歳でモペットの免許が取得でき、アメリカやカナダの一部地区では14歳で自動車の仮免許、サウジアラビアでは12歳で原付バイクの免許の取得ができるなど日本とはかなり異なる。二輪車、四輪車の開発、生産、販売が日本経済に与える影響がまだ決して小さくない今日、免許取得年齢に関する制約は、技術者の育成という観点からもかなり気になるところだ。

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大学では応用物理を専攻、クルマへの造詣の深かった指導教授のもとで研究テーマとして内燃機関の燃焼研究を選んだが、同級生のクルマ・マニアの影響も受けて二輪から四輪に転換、経済的に余裕のない家計だったため、クルマにかかわる金銭はすべて家庭教師というアルバイトに頼ることになった。バイトで稼いだお金でまず入手したのが5万円のタクシーあがりのルノー4CV、その次に10万円で入手したのがオースチンA50だった。クルマ好きの友人たちもいろいろなクルマを所有していたため、彼らとコンボイを組んで関東甲信越を中心にドライブ旅行を行ったことが懐かしい。

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このあとは大学3年時代(1962年)に行った「東京―鹿児島ドライブ旅行」を簡単にご紹介したい。クルマ好きの同窓、同級の4名と私の研究室の先輩1名の5名で実施したドライブ旅行だが、トリップの大義名分を求めて訪ねたのが警察庁科学警察研究所で、テーマは「長距離ドライブの疲労測定」だった。当時の交通安全室長宇留野藤雄氏から「近距離の疲労測定の実績はあるが、長距離の測定実績ははない」と我々のアイディアをサポートいただき、疲労測定器を借用、万が一の時は私の名前を使いなさいと名刺も頂戴した。単なる観光ドライブではないこともあり、トヨタ自販から「トヨペット・マスターライン」を無償で借りだすことができ、丸善石油からガソリンの割引券も受け取ることができた。一方で学生の身分故、資金に余裕は全くなかったので、宿泊は知人、友人、親戚宅、テントなどを基本にし、お米はもちろん、人気の出始めた即席ラーメンも持参した。

宿泊先の一部をご紹介すると、初日の浜松は学友の自宅、京都は私の祖母の家、岡山はお寺、岩国は河原でテント、福岡はメンバーの一人の実家、雲仙はバンガロー、鹿児島は気象台官舎などなど、旅館やホテルにほとんど投宿せずの旅となった。

今でも鮮明に覚えているのは往路の姫路付近の路上におけるヒッチハイク中のアメリカ人女性二人との出会いだった。マスターラインは6人乗り(前席、後席に3人ずつ)で、二人を加えると7人になってしまうので一旦彼女らの前を通り過ぎたものの、「旅は思い出が多いほうが良い」という意見があり、Uターンしてもどってみると彼女たちの行き先は広島からは船で九州に行くとのこと、我々を信用してくれ、そこから後席に4人を詰め込んでの旅となった。岡山では私の先祖とご縁のあるお寺に外人女性ともども泊めてもらい、翌日は広島市内を見学後、港まで送って別れ、岩国近郊の河原まで移動したが、アメリカ人女性との出会いは良い思い出となった。また、大村湾の西海橋の下で渦潮の恐ろしさを知らずに泳いだことも忘れられない。流れがかなり早いと感じたが、岸にたどり着くなりお巡りさんが駆け付け「ここで泳いだら一週間は海底旅行をしてもらうことになる」と大目玉を食らった。熊本、宮崎の県境で工事中のくぎを拾って2本のタイヤが同時にパンク、近くの村まで歩いたところで偶然タクシーを見つけ、宇留野氏からいただいた名刺をもって人吉警察を訪ねたところ、非常に親切に対応してくれ、、タイヤの修理先や旅館も紹介してくれた。クルマに戻ったのは夜中の3時近く、紹介してもらった旅館でようやく眠りにつくことができ、このパンクも良い思い出となった。

8月16日に出発した「東京―鹿児島ドライブ旅行」は8月30日に約2,800㎞の走行を無事に終了したが、疲労測定で行ったのは運転姿勢の変化、カラーネーミングテスト、フリッカーテストで、疲労度が重なると、運転姿勢は前方向に10度ぐらい傾き、横方向は右側に傾く、カラーネーミングテストでは読み時間が延びて誤りが多くなる、フリッカーテストでは光がまばたきした際にスイッチを押す反応時間が延びるなどであった。トリップの概要と、疲労度の調査結果は、もちろん宇留野氏にご報告するとともに、大学の文化祭でも発表し、それなりの評価を得ることができた。50年後には旅行を共にした5名で再会することができたが、その後同級生二人は帰らぬ人になってしまったのが残念だ。

最後にマツダ入社後のことにも一言だけ触れておこう。入社後しばらくして先ほどのホンダドリームCB72を手放して四輪にシフト、キャロル600を皮切りにいろいろなモデルを所有することになるが、まず楽しんだのがローカルラリーだった。当時のラリーはすべてのセクションが一般車も走る公道上のラリーであったため、対向車などとの「危機一髪」を何度か経験、結婚後はジムカーナに転向、ローカル・ジムカーナを楽しむとともに、社内大会の開催などにも注力した。1996~2000年の最後の任地だったアメリカでは通勤に使っていたMX-5で何度もSCCAのオートクロス(ハイスピードジムカーナ)に参加、大いに楽しんだ。当時はアメリカの底辺モータースポーツ領域におけるマツダ車のシェアーは50% を超えていたが、今でもそれなりのシェアーを維持しているものと思う。ジムカーナはトップを狙うのでない限り日常に使用してるクルマで十分に楽しむことができ、車両へのダメージが少なく、参加コストも低く、運転技量の向上にも非常に有効だ。現在日本におけるジムカーナは、JAFのオートテストが入門編だが、あまりポピュラーではなく、それ以外のイベントも非常に限られるので、是非もっともっと活性化すべき領域だと思う。

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執筆者プロフィール

1941年(昭和16年)東京生まれ。東洋工業(現マツダ)入社後、8年間ロータリーエンジンの開発に携わる。1970年代は米国に駐在し、輸出を開始したロータリー車の技術課題の解決にあたる。帰国後は海外広報、RX-7担当主査として2代目RX-7の育成と3代目の開発を担当する傍らモータースポーツ業務を兼務し、1991年のルマン優勝を達成。その後、広報、デザイン部門統括を経て、北米マツダ デザイン・商品開発担当副社長を務める。退職後はモータージャーナリストに。共著に『マツダRX-7』『車評50』『車評 軽自動車編』、編者として『マツダ/ユーノスロードスター』、『ポルシェ911 空冷ナローボディーの時代 1963-1973』(いずれも三樹書房)では翻訳と監修を担当。そのほか寄稿多数。また2008年より三樹書房ホームページ上で「車評オンライン」を執筆。

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