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第91回 名車 R32スカイラインGT-Rの開発
2018.5.27

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清水猛彦さんの開始宣言

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左からMCの竹岡圭さんと米村太刀雄さん、右のテーブルが、伊藤修令さん、渡邉衡三さん、清水和夫さん

永年にわたり自動車の発展と人々の生活との関りをつぶさに見つめてこられたた自動車ジャーナリストを中心に構成された非営利組織『クルマ塾実行委員会』主催の「レジェンドに学ぶ モノづくりの真髄セミナー」第2回目が5月17日新宿文化センターで、ニッサンOBで元R32スカイライン GT-R開発主管伊藤修令さん、元R33スカイライン開発主管渡邉衡三さん、そして往年のレーシングドライバーで現チームクニミツ総監督高橋国光さんによるトークショーが行われた。お三方の衰えることのないクルマへの情熱に心をうたれたが、今回は1980年代の終わりごろ3代目RX-7の開発時に私も大変心をひかれたR32スカイラインGT-Rの開発に関わる伊藤修令さんのお話を過去のインタビュー記事の内容も一部織り込みながらご紹介したい。、

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会場での伊藤修令さんと小生とのツーショット

伊藤修令さんは1937年広島県竹原の生まれ、1959年広島大学工学部機械工学科を卒業後富士精密工業(プリンス自動車の前進)に入社、桜井眞一郎さんのもとでシャシー設計を担当、2代目S54GT、3代目のハコスカ>-Rサスペンションを設計、1966年の日産との合併後も歴代のスカイラインの設計、開発に従事するとともに、プレーリー、初代マーチの開発主管、G32ローレル、F31レパードなども担当された。1985年桜井眞一郎さんのあとを受けて7代目R31スカイラインの開発主管となり、1985年11月から8代目のスカイライン(R32)の開発に着手、色々な苦難を克服しながら1989年5月にR32、8月にGT-Rが発売された。31年間の日産での設計・開発を通じて「仲間の意見を集めながら、安心して任せられる技術者」を目指されたとのことだが、加えて「運にも恵まれた」という。1990年からはオーテックジャパン常務、2000年に退職後は現在も岡谷市の「プリンス&スカイラインミュウジアム」の名誉館長をされている。

1985年8月に発売されたR31スカイラインは、「大きく、重くて、マークⅡの後追い」、「スカイラインらしくない」、「スポーティーな2ドアがない」、「直6が期待したほどではない」、「昔のスカイランの方が良かった」などの声が大きかったという。「スカイラインらしいスカイラインに特化したい」との思いをベースに86年3月にR32の基本プランを提示、その後GT-Rも加えて7月の常務会で承認を得た。R32スカイラインが目指したのは、
(1) かっこいいスタイル(デザインが最も大切)
(2) 「走りが一番」とみんなに言われるクルマ
(3) 高性能を裏付ける最新技術
(4) 個性、特徴が明確でつくり手の意気込みが感じられるクルマ
商品コンセプトは『スポーティーなスタイルと欧州車を凌駕する走りを追求したスポーツセダン&クーペ』、デザインのキーワードは、
(1) ダイナミック
(2) オリジナリティー
(3) ニュー
(4) おしゃれ
だったとのこと、クルマにとってデザインは最も大切な要素といわれる伊藤修令さんだけにデザインにも注力されたようだ。

メリハリのある分かりやすいクルマを目指し目的を絞ってそこに資源を集中、メインターゲットは若い世代にしたという。具体的にはR31のホイールベースは変えず、前後を短くし全長を約10cm短縮、重量も140kgの減量を目指した。GT-Rを最初から企画書に含めていたわけではなく、86年夏の経営会議でスカイラインの基本構想をオーソライズする直前に開発役員に「低迷している日産のイメージを回復するため」提案し、開発役員の合意が得られたので急遽1車種追加したという。GT-Rのコンセプトは「究極のロードゴーイングカーでR32のイメージリーダーにするとともに、グループAツーリングカーレースで世界制覇をめざす」というものだった。

当初は2WD、エンジンは2.4Lでスタートしたが、開発過程で2.6Lに拡大、その出力では4WDが必須と言われたが、4WDは重くトラブルも増えることが予想され、レースで勝った4WDは過去に無かったので迷ったという。しかし試作の電子制御4WDシステムを栃木のテストコースで評価した結果、ドリフトはFRのようにスムーズ、カウンターステアを当てて走ることも可能、濡れた路面でもしっかりと路面をつかんだので、単にレースに勝つためだけではなく、オールウェザーでの安全性も含めて、「究極のロードゴーイングカー」実現のために採用に踏み切ったという。重くて長い6気筒エンジンを搭載するので重量配分は6:4ぐらいになったが、それをカバーするためにいろいろな工夫もした。サスペンションを新しくつくり、4輪操舵のHICASやETSの採用、更にはそれらをドライバーに感じさせないところにも苦労、クラッチは当初はビスカスカップリングと多版クラッチの併用を考えたが、最終的には湿式多版クラッチのみにしたという。

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シャシー設計の当時のキャッチフレーズは「意のままにコントロールできる」で、R32 スカイラインGT-Rではその最高峰を目指した。アテーサE-TSの基本概念は中央研究所でほぼ完成していたが、ドライ路面だけではなく雨/雪/氷など様々な路面状態に適合して最適な駆動力を制御することが大きな課題で、そのためGセンサーを採用、最終的なセッティングはテストドライバーの加藤博義さんにゆだねたが、机上で予測できたのは80%ぐらいで、加藤さんの試乗に基づくコメントをふまえて走行データを分析、開発段階ではニュルブルクリンクサーキットを大いに活用したという。

R32 スカイラインGT-Rの開発過程で1990年に世界一を目指した「901活動」が動き出したが、その骨子は
(1) 組織の垣根を越えて他部門にも口出しをする本音のクルマづくり
(2) 職場、現場から学ぶ(テストドライバーの声は神の声と思え)
(3) 職位の階級を超えた技術路論争と目標を明確にした達成活動
というもので以下のようなことが行われたという。

(1) インターナショナルテストコース作戦(ニュルブルクリンクサーキットを含む世界各地の厳しい評価コースでの存分な評価)
(2) エクセレントドライバー作戦
(3) 信頼できる社外審査者作戦
(4) 市場信用回復作戦
(5) 特許・論文倍増作戦

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組織の垣根を超えた本音のクルマづくり、外部の声に耳を傾けたこと、テストドライバーの声を非常に大切にしたこと、エクセレントドライバーの育成、開発の段階でニュルブルクリンクサーキットを存分に活用したことなど大変共鳴できるものであり、R32スカイラインGT-Rが突出した商品になった大きな要因だと思う。ちなみにこれらは3代目RX-7の開発に際してもまさに重視したポイントだった。

又グループAツーリングで世界を制覇をめざしたR32スカイラインGT-Rはデビュー戦1990年3月の美祢サーキットでの全日本ツーリングカー選手権でワンツーフィニッシュをかざり、以後4年間グループAで勝ち続け、29戦29勝の完全勝利を達成するとともに、ニュルブルクリンクのレースでも圧倒的な強さを発揮したという。

伊藤修令さんによると、R32スカイラインならびにGT-Rの開発を通じて得た教訓は
(1) ブランドの期待に応えることの大切さ
(2) 企画が勝負
(3) 創造と挑戦
(4) 継続は力
だったという。

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伊藤さんにサインをいただいた2009年発行の「GT-R BROS」

このようにして16年ぶりに復活したGT-Rは発売されると大きな話題を巻き起こし、マツダでも3代目RX-7の参考車両として早速購入し、私自身も一般道、高速道、サーキットなど多岐にわたる走行条件で存分に評価、RX-7の目標・方向性とは異なるものの、剛性の高い車体、コーナリング時の安定感、あらゆるロードコンディションのもとで安心して、思い切って踏み込めたことなど素晴らしい走行性能に感激するとともに、そのオリジナリティーあふれたダイナミックなスタイリングも私にとって大変大きな刺激になった。今回伊藤修令さんのお話をうかがい、現在大きな転換点を迎えつつある日本のクルマづくりに対する参考になることが非常に多いと感じたのは私だけではないだろう。その意味からも『クルマ塾実行委員会』主催の「レジェンドに学ぶ モノづくりの真髄セミナー」は非常に意義のある活動であり、尽力されている方々に心から御礼を申し上げたい。

今回の「クルマ塾第2回目」におけるお三方のお話は間もなくClicccarやyoutubeなどでご覧になれるようになると思うので是非ご覧になることをおすすめするとともに、第1回目のマツダは、3月16日に横浜のマツダR&Dセンターで行われ、元取締役デザイン本部長の福田成徳さん、元ロードスター&RX-7担当主査の貴島孝雄さんに加えて、私もRE開発の歴史、3代目RX-7開の開発、ルマンへの挑戦の短いお話をさせていただいたので、ご興味ある方は、以下のプレゼンテーションをご覧いただければ幸いである。

https://www.youtube.com/watch?v=RzMRAoWnSus

伊藤修令氏の著作を紹介する。
http://grandprix-book.jp/2016/07/15/_r32gt-r/

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執筆者プロフィール

1941年(昭和16年)東京生まれ。東洋工業(現マツダ)入社後、8年間ロータリーエンジンの開発に携わる。1970年代は米国に駐在し、輸出を開始したロータリー車の技術課題の解決にあたる。帰国後は海外広報、RX-7担当主査として2代目RX-7の育成と3代目の開発を担当する傍らモータースポーツ業務を兼務し、1991年のルマン優勝を達成。その後、広報、デザイン部門統括を経て、北米マツダ デザイン・商品開発担当副社長を務める。退職後はモータージャーナリストに。共著に『マツダRX-7』『車評50』『車評 軽自動車編』、編者として『マツダ/ユーノスロードスター』、『ポルシェ911 空冷ナローボディーの時代 1963-1973』(いずれも三樹書房)では翻訳と監修を担当。そのほか寄稿多数。また2008年より三樹書房ホームページ上で「車評オンライン」を執筆。

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