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第113回 マツダ欧州レースの記録 1968-1970 その1
2020.3.27

ロータリーエンジン(RE)車による1968 ~1970年の欧州レースへの挑戦はその後のマツダモータースポーツ活動の大きな原動力となったが、これまでそれらのレースの歴史をカバーした書籍は皆無に等しかった。数年前三樹書房の小林謙一社長と兵庫県丹波にお住いの山本紘氏宅をお訪ねしたおり、山本さんに当時の貴重な資料を見せていただくとともに、「いずれこれらの資料は単なる紙くずになってしまうだろう」というお話を聞き、小林さんともども是非とも後世に語り継いでゆかねばならないと感じたことが本書の出版の引き金となった。幸い津山市にお住いの元コスモスポーツオーナーズクラブ会長松田信也氏と、コスモスポーツのハンドルを握ることがこの上なくお好きな香里夫人が編集作業全般を引き受けて下さることになった。加えてマツダからは400点を超える当時の写真を提供いただき、数年間に及んだ編集作業、印刷・製本が完了、書店への配本が開始されたので、今回は1968年のニュルブルクリンク84時間レース、次回は1969、1970年の欧州レースと2回に分けて本書をご紹介したい。

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アップダウンが激しいニュルブルクリンクサーキットを走行中の19号車

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盛装での集合写真の左端はアドバイザーのテレン氏、外国人ドライバーは前列左からY.ドゥプレ、ジペア、エルデの各氏、蝶ネクタイのエルデ氏の右後ろが山本さん

冒頭にまずこの資料の価値を認めて下さっていた国立科学博物館 産業技術史資料情報センター長鈴木一義先生の「本書推薦の言葉」の一部を以下引用させていただいた。

『本書は、ル・マン24時間レース以前の1968年から1970年にかけて、初めてマツダがロータリーエンジンで国際レースに参加した際の詳細な記録である。新興自動車メーカーとして臨んだ欧州での諸レース、その結果ばかりに関心が行くが、本資料中の臨場感に満ちた一行一行からは、その裏で勝敗に関係なく人と車の様々なドラマがあったことが伝わってくる。得難い記録である。本書の出版と貴重な資料を残されていた山本紘氏には心から敬意を表したい。』

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本書は、山本さんがお持ちになっていた資料の中から適切なものを選択、ほぼそのまま掲載しているため、やや細部にわたり過ぎるきらいがあるかもしれず、またエンジン関係の詳細な情報が山本さんの資料にはあまり含まれていないが、半世紀前に国際レースに挑戦した当事者がどのような苦労をされたかを知る上では鈴木先生もおっしゃっているように非常に貴重な史料であり、本書のために山本さんが『マツダのモータースポーツを振り返る』、松田さんがそれぞれの年次の要約をお書きいただけたことで大変わかりやすくなった。

また、当時東洋工業には写真室という部署があり、社内フォトグラファー今田保誠氏がこれらのレースの多岐にわたる写真を撮影、その画像が今日までマツダに大切に保管されており、今回の出版に際してマツダ広報部門の協力が得られたため、これまでほとんど世に出ていない多くの貴重な写真も本書に加えることが出来た。写真はいずれも小判だが、カラー:76カット、白黒:326カットの合計約400カット以上に及び、上記写真ページはその中のほんの数頁だ。

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以下は、マツダにおいて、モータースポーツ担当、ユーノスコスモ主査、商品主査室長、マツダ理事などを務められ、2001年に退職後は丹波でお過ごしの山本紘さんにお書きいただいた『マツダのモータースポーツを振り返る』の一部(小早川が選択と細部修正)だ。

『1962年に東洋工業株式会社に入社、実験研究部に配属され、先ずはキャロル360エンジンの燃焼・給排気、性能改善に取り組んだ。1963年春鈴鹿サーキットがオープン"第1回日本GP"が開かれ、マツダ車はR360クーペが個人参加、スズキスズライトにおくれをとった。この結果を受けて、社内で議論が起こり「4気筒キャロルで"受けて立とう"」ということなり、これがマツダのモータースポーツ活動の始まりとなった。「実験研究部で対応せよ」との命により私のグループがモータースポーツ担当となったのが1963年秋だが、1964年第2回日本GPではキャロル360は145㎏も軽いスバル360に敗れた。

雪辱の志を立て、1964年発売のファミリア800に駒を進め、100ps/ℓ近くまで出力をアップ、1965年第3回日本GPに備えたが大会中止の事態に。それならばと、マカオGPツーリングカーレースを目指し準備に入り、先発隊が現地に到着したものの、デュアルエキゾースト(出力向上のための排気系の出口の2分割:小早川注)のFIAホモロゲーションが数日の差で間に合わず出走不可となり、国際レースの厳しさを思い知らされた。翌1966年4月のシンガポールGPがマツダの海外レース初戦となった。

1963年に立ち上がったRE研究部の志士達は艱難辛苦の下、REの開発に日夜努力、1967年5月30日、待ちに待ったマツダ10Aロータリーエンジン搭載のコスモスポーツ(L10A)が発表、発売となった。NSU社からREのライセンスを受けた多くの企業の開発が挫折する中での発表だっただけに、世界中が注目、とりわけ自動車用エンジンとしての適合性、信頼耐久性に強い関心が集まることとなった。それに応えるため各種のキャンペーンが計画されたが、RE育ての親・山本健一部長から大英断が降りた。「大衆の面前で、ライバルがいる同じ土俵で・・・すなわち実践レースで、この新エンジンの信頼、耐久性を立証することが、REを本物に育て上げることになる。これまでレシプロでレースをやってきた連中とその実現手法を相談せよ」との強い要請が出されたのだ。

早速検討を開始、先ず頭に浮かんだのが世界に名高いル・マン24時間レースだったが、出場するためには大幅改造が必要で、"お客様に届ける市販車姿で参戦する"ポリシーが崩れることからル・マン参戦は断念した。ラリーの場合は、エンジントラブルよりも、アクシデントでのリタイヤの確率が高く、RE信頼耐久性立証の意図にそぐわないと敬遠し、ベルギーのリエージュ・ロイヤルオートモビルクラブ主催の"Marathon De La Route"という84時間レースにターゲットを絞った。ベルギーのリエージュをスタート、一般道でアイフェル山地を越えてニュルブルクリングサーキットに入り、そこで84時間の連続走行距離を競い、再びリエージュまで自力走破して"完走"が認められるというイベントだ。サーキット内は全力走行だが排気音圧は83dbに厳しく規制され、走行距離と言いスピードと言い・・・壮大なイベントで、発売から1年後の1968年8月のこのレースへの参戦が決定された。

"初陣でREを絶対に壊すわけにはいかない"と強く決意した私は先ず二つの試みを仕掛けた。一つはマツダ得意のコンピューターを活用して走行シミュレーション情報を得るべく標高を含むコース図を入手し、L10Aでのニュルブルクリンク全力走行エンジン回転履歴を想定すること。二つ目はホンダS500で参戦体験のある古我信生氏(マツダスピードの生みの親ともいえる方:小早川注)の存在を知り、1967年もS500で参戦予定のところをマツダファミリア1000クーペへの乗り換えをお願いし、トランクルームに84時間のエンジン回転記録可能なレコーダーを装着、このデータからL10Aへの換算により走行シミュレーションの精度向上を試みた。こうして得られた情報から、1967年秋から84時間レース用10Aエンジンの性能・信頼耐久性向上の「エンジン育成」が始まったが、この時のエンジン開発担当が小早川隆治さんと松浦国夫さんだった。

厳しいベンチ耐久テストと三次テストコースでの84時間のプログラム走行を重ね10Aエンジンを鍛え上げ(松浦国夫さんのコメント:サイドポートとペリフェラルポートを組み合わせたコンビ吸気ポートを選択したが、長距離耐久レースのため出力は128psに抑えた。装着を決めた冷却ファンが14ps消費したため実質出力は142psだったが)シャシーも鈴鹿テスト等から走行安定性向上のため発売1年も経たぬ車両のホイールベースを150㎜伸ばすという大改造を施したL10Bが導入され、万全の準備を整えることが出来た。

こうして1968年8月20日、ベルギー・リエージュのスタート位置に2台のL10Bがその雄姿を見せ、13:00にスタート、ニュルブルクリンクサーキットへの公道セッションを終え、翌早朝1:00に84時間連続走行のスタートが切られた。三日半後の24日13:00に1台のL10Bが9760㎞を走破して4位でゴールに飛び込み、リエージュへの公道走行も難なくクリア、ショーフォンテーヌ王宮広場で祝福を受けた。世界中の名だたるつわものが72台も参加した中での成績であり、REによる挑戦の第一歩の足跡を残すことが出来た。一方で、本番84時間中82時間半を走破し5位だった他の1台が左リヤスタブシャフトの折損というトラブルでリタイヤしたが、ニュルブルクリンクサーキットで名高いジャンピングスポット直後の左手土手上に、片山義美選手の巧みなテクニックで進行方向に向かいキチンと停車、4位入賞と同時に"Most Safety Car賞"も獲得した。帰国後分解された10Aエンジンは新品同様だったことを付記しておきたい。』

以下は松田さんの要約からの抜粋だ。

マツダワークスチームの出場車とドライバー
No. 18:古我信生、片山義美、片倉正美
No. 19 : エルデ(Dernier)、ジペア(Ackermans)、Y.ドゥプレ(Deprez) (カッコ内は小早川注)

レース経過(8月20日~24日)
第1日目
01:00: レーススタート
11:00: 10時間目。19号車8位、18号車11位
第2日目
17:00: 40時間目。19号車5位、18号車7位
第3日目
20:00: 67時間目。19号車4位、18号車6位
第4日目
11:18: 18号車左後輪スタブシャフト折損リタイヤ
13:00: 19号車4位で完走、その後リエージュまで自走4位完走

松田さんの原稿には、より詳細な「1968年出場レースの記録」、「1968年レース準備計画、活動計画資料について」、「1968年レース出張報告資料について」、「当時の状況やレースのエピソード」なども含まれているので是非お読みいただきたい。

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最後の写真はコスモスポーツのミニカーである。(一番上が目下私が制作中のディアゴスティーニの非常に精密な1/8モデル) 今でもこのように注目を集めることからもわかるように コスモスポーツの登場がインパクトを与えたことは理解できよう。この写真をご覧いただいて新刊本「マツダ欧州レースの記録(1968~1970)」のご紹介「その1」を締めくくりたい。

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執筆者プロフィール

1941年(昭和16年)東京生まれ。東洋工業(現マツダ)入社後、8年間ロータリーエンジンの開発に携わる。1970年代は米国に駐在し、輸出を開始したロータリー車の技術課題の解決にあたる。帰国後は海外広報、RX-7担当主査として2代目RX-7の育成と3代目の開発を担当する傍らモータースポーツ業務を兼務し、1991年のルマン優勝を達成。その後、広報、デザイン部門統括を経て、北米マツダ デザイン・商品開発担当副社長を務める。退職後はモータージャーナリストに。共著に『マツダRX-7』『車評50』『車評 軽自動車編』、編者として『マツダ/ユーノスロードスター』、『ポルシェ911 空冷ナローボディーの時代 1963-1973』(いずれも三樹書房)では翻訳と監修を担当。そのほか寄稿多数。また2008年より三樹書房ホームページ上で「車評オンライン」を執筆。

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