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論評27 ルマン90周年イベント
2013.9.27

今年はルマン24時間レースが始まって90年になる。これを記念して1920年代から10年毎の代表ルマン・カーがインターネットによる投票、ならびに有識者によって選ばれ、6月下旬、今年のルマン24時間レースとリンクして、金曜日にはコース上に、それ以外は展示ブースに展示されるとともに、土曜日のレーススタート直前に隊列を組んでフルコースでデモ走行するなどの記念イベントが行われた。マツダ787Bが1990年代の代表車として再びルマンに姿を現すことになり、幸いにも現地に出向くことが出来たので、やや古いニュースで恐縮だが、今回の車評オンラインでは以下写真を中心にご報告したい。

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表彰式に集結した大群衆、表彰台の下に置かれたクルマが優勝車アウディR18(V6 3.7Lディーゼルのハイブリッド)

ここでルマン24時間レースの歴史を簡単に振り返っておきたい。世界で初めての自動車レースは1895年パリ~ボルドー間で行われ、その実行委員会がやがてACO(西部自動車クラブ)に発展、1923年の第1回ルマン24時間レース開催へとつながってゆく。開催地はフランス中部にあるルマン市のサルト・サーキット。コースはこの90年間に一部変更はされたものの、基本的にはルマン市内の一般公道を周回するもので、現在のコースは1周約13.6kmだ。24時間レースはルマン以外にもデイトナ、スパフランコルシャンなどがあるが、知名度と歴史はルマンがナンバー1で、今回も24.5万人もの観客が集まった。

90年の間にレースが中止されたのは1936年と、第2次大戦に関連した1940年から1948年までのみで、この間に勝利を手にしたメーカーやレーシングチームは、ポルシェ、アウディ、フェラーリ、ベントレー、アルファロメオ、フォード、マトラ、プジョーなど23にも及ぶ。今年はトヨタとアウディのハイブリッド対決となったが、トヨタが2位にとどまったため、マツダが90年の歴史の中で優勝した唯一の日本車であり続けている。

以下今回は写真を中心にその模様をご報告したい。

90周年を記念したデモ走行

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コースに入る歴代の代表車。このように古いクルマがデモラン可能な状態に維持されているのはうれしい。

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コース入りを待つ787B。ドライバーはルマン出場29回を誇るMr. ルマンこと寺田陽次郎さん。

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スタート準備が始まる直前、歴代の代表モデルが1列に並んでフルコースでデモラン。

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第81回ルマン24時間レースのスタート直前に、25万人近い観客を前に行われた二度目のデモランのゴール。

歴代の代表モデル(カッコ内は優勝年次とオフィシャルプログラムの解説文の一部)

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1920年代代表車:ベントレースピード6(1929年優勝車。このクルマがこの年の総合優勝とエネルギー効率賞も受賞、この年は英国車がトップ4を独占。)

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1930年代:アルファロメオ8C (1933年優勝車。この年このクルマはわずか401mの差で同じくアルファロメオをかわして優勝、イタリア車が上位3位を独占。)

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1940年代:フェラーリ166MM (1949年優勝車。第2次大戦に起因した10年間のブランク後の初めてのレースで、初参戦のフェラーリが勝利を手にした。)

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1950年代:ジャガーDタイプ (1957年優勝車。3.7L直6エンジンを搭載したジャガーDタイプが上位4位を独占し、フェラーリやアストンマーチンに打ち勝った。)

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1960年代:フォードGT40 (1969年優勝車。J.イクスがルマン式スタートに異議をとなえ歩いてフォードGT40に搭乗、ポルシェ908と激戦の末わずか120mの差で優勝。)

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1970年代:ポルシェ917K (1970年優勝車。600馬力の水平対向12気筒エンジンのポルシェ917Kが強力なフェラーリ512Sを振り切りポルシェに初優勝をもたらした。)

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1980年代:ポルシェ956 (1982年優勝車。J.イクスとD.ベルの繰る959を筆頭に表彰台を956が占拠、更にポルシェは全てのクラスの勝利を総なめにした。)

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1990年代:マツダ787B (1991年優勝車。この年のルマンは日本のメーカーにとって初めての、かつ今日まで唯一の勝利をもたらすとともに、ロータリーエンジンの初勝利ともなった。)

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1990年代:プジョー905 (1992優勝車。戦後のルマンの歴史上最少の28台がスタート、トヨタのみがライバルとなったこの年のレースを制したのがプジョー905。) 

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2000年代:アウディR10 TDI (2006年優勝車。650馬力を発生したV12 R10により、アウディが史上初めてディーゼルエンジンによる国際レースで勝利。)

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2010年代:アウディR18 E-トロンクアトロ (2012優勝車。アウディがV6ディーゼルに減速エネルギー回収システムを組み合わせたハイブリッドで史上初の勝利。)

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今回は東日本大震災で被災した子供たちの自立支援活動 "Support Our Kids"の一環として行われている「海外ホームステープログラム」のフランスホームステーが、ルマン24時間レースとリンクして行われた。これはフランス大使館、ACO(ルマン24時間レース主催者)、ミシュランタイヤ、マツダなどの協力に加え、ACO理事でルマン挑戦が29回にも及ぶMr. ルマンこと寺田陽次郎さんのご尽力によるものである。10名の中高校生が参加、これまでモータースポーツとはほとんど無縁だった彼らが目を輝かす姿に我々の方が感動した。

欧州におけるクルマ文化、中でもモータースポーツの定着ぶりは目を見張るものがあり、日本との落差はあまりにも大きい。ルマンはその一例だ。日本の若者のクルマ離れはますます進み、これからのクルマづくりを背負ってもらう若者のクルマへの情熱の醸成は憂慮すべき状態にある。日本にはモータースポーツ、更にはクルマ文化の定着、拡大を阻む多くの制約、経済的バリアー、メディアカバーの少なさなどがあり、決して容易ではないが、出来ることから少しでも前に進むことが必須だ。為政者はもちろん、自動車工業会、各メーカー、更にはメディアにもぜひ頑張ってほしいし、我々も微力ではあるが、その方向に注力してゆきたい。

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執筆者プロフィール

1941年(昭和16年)東京生まれ。東洋工業(現マツダ)入社後、8年間ロータリーエンジンの開発に携わる。1970年代は米国に駐在し、輸出を開始したロータリー車の技術課題の解決にあたる。帰国後は海外広報、RX-7担当主査として2代目RX-7の育成と3代目の開発を担当する傍らモータースポーツ業務を兼務し、1991年のルマン優勝を達成。その後、広報、デザイン部門統括を経て、北米マツダ デザイン・商品開発担当副社長を務める。退職後はモータージャーナリストに。共著に『マツダRX-7』『車評50』『車評 軽自動車編』、編者として『マツダ/ユーノスロードスター』、『ポルシェ911 空冷ナローボディーの時代 1963-1973』(いずれも三樹書房)では翻訳と監修を担当。そのほか寄稿多数。また2008年より三樹書房ホームページ上で「車評オンライン」を執筆。

関連書籍
ポルシェ911 空冷・ナローボディーの時代 1963-1973
車評 軽自動車編
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