三樹書房
トップページヘ
catalog
第116回 アメリカンモーターズ(AMC)のコンセプト/ショーカー
2022. 3.29

 今回は、1954年5月にナッシュとハドソンが合併して誕生したアメリカンモーターズのコンセプトカーとショーモデルについて紹介する。ただし、「M-BASE」第109回 AMC グレムリンで紹介した「AMX-GT」については省略する。

◆ ピンファリーナの作品

 ナッシュモーターズ社は1952年型ナッシュヒーレーとフルサイズナッシュにピニンファリーナのデザインを採用したが、1954年にハドソンモーターカー社と合併してAMCとなった後にも2台のコンセプトカーが提案されている。

 1956年ナッシュ・プロトタイプ。ピニンファリーナが量産車に採用される可能性のある、新しいナッシュ・アンバサダーのデザイン制作を依頼され完成したのがこのクルマ。量産には至らず、1台だけ製作された、この個性的なモデルは、やがてアイオワ州のアメリカンモーターズのディーラーに買い取られることになる。

 1956年ランブラー・パームビーチ(Palm Beach)。ホイールベース101.5in(2578mm)のシャシーに3.2L直列6気筒90馬力エンジンを積む。米国や欧州で開催されたモーターショーに出展されたが量産には至らなかった。

◆ ディック・ティーグ(Dick Teague=Richard Arthur Teague)の時代

 ディック・ティーグは1959年にAMCのエドマンド・アンダーソン(Edmund E. Anderson)のデザインチームに参加、1961年にアンダーソンの後任としてスタイリング・ディレクターとなり、1964年にデザイン担当副社長に就任、1983年にリタイアするまで24年間勤めている。

 ディック・ティーグはフォードを除くほとんどのアメリカ車メーカーと関りを持ったと言われる。1923年にロサンゼルスで生まれ、戦後すぐにヘンリー・カイザー(Henry Kaiser)の下でヘンリー J以前の小型車のデザインに参画したのを皮切りに、1948~1951年にGM、1952~1956年にパッカード、1956~1958年にクライスラー、そして1959年にリタイアまで関わることになるAMCに移籍している。

 AMCでのデザインに当たっては、金型予算の厳しさから、主要部品の共用化を図らなければならず、ティーグたちを悩ませ続けることになる。「The Wall Street Journal」紙は「ティーグの得意とするのは、少ない予算でできるスタイリングだ」と称していた。厳しい環境の中で、ビッグ3に押しつぶされないよう制作したコンセプトカーのいくつかを紹介する。

 上の2点は1964年1月、デトロイトのコボホールで開催されたSAE(Society of Automotive Engineers)の全国大会会場で初公開された「ランブラー・ターポン(Tarpon)」。1964年型ランブラー・アメリカンと同じホイールベース106in(2692mm)のプラットフォームに、全長180in(4572mm)、全高52.5in(1334mm)の2ドアハードトップ・ファーストバックボディーを架装した、スタイリングスタディーモデル。修正を加え、1965年型「ランブラー・マーリン(Marlin)」として発売された。

 1965~1967年型として販売されたランブラー・マーリン。これは1966年型のカタログ。「ターポン」は106inホイールベースのランブラー・アメリカンがベースであったが、AMCのセールス、マーケッティング部門は「マーリン」に、一回り大きな112in(2845mm)ホイールベースのランブラー・クラシックをベースにしたため、大きすぎて「ターポン」のデザインを台無しにしてしまった。しかも、あろうことか1967年型には、さらに大きな118in(2997mm)ホイールベースのアンバサダーをベースにしたため、生産台数は1965年型1万台+、1966年型約4500台に対し、1967年型は約2500台と激減し、生産を中止した。

 1966年1月、デトロイトで開催されたSAE全国大会会場で公開された、最初の「AMX プロトタイプ」。基本的には2シーターだが、昔のクルマによく見かけたランブルシートに似たユニークな「ランブルシート」を採用している。特徴はリアウインドーを上下に開閉して風防とし、ドライバーと会話ができるようにしている。

◆ 1966年6月に公開された「プロジェクト Ⅳ」

 6月20日にニューヨークで「プロジェクト Ⅳ」と称して、4台のコンセプトカーが公開された。その後、ワシントン DC、ロサンゼルス、サンフランシスコ、シカゴ、デトロイトで順次公開され、スポーティカーや小型車の新しいデザインコンセプトに対する市場の反応が確認された。

 上の2点は走行可能な「AMX(American Motors Experimental)」。新開発の290cid(4752cc)V8エンジンを積み、ボディーはイタリアのカロッツェリア・ヴィニャーレ(Carrozzeria Alfredo Vignale)で架装された。ルーフパネルはロールバーを内蔵したカンチレバー方式のため、Aピラーは極端に細い。1月に発表された「AMX プロトタイプ」同様ランブルシートが装着されている。サイズはホイールベース98in(2489mm)、全長179in(4547mm)、全幅72in(1829mm)、全高48in(1219mm)。

「プロジェクト Ⅳ」の1台である「キャバリエ(Cavalier)」。キャバリエは前後左右のボディーパネルの共用化を狙ったコンセプトカー。右前と左後ろのフェンダーを一つのプレス型で打ち、同様に右前ドアと左後ろドア、ボンネットとトランクリッド、前後のバンパーもそれぞれ同じプレス型で打つことで、ボディーのツーリングコストを25%以上節減できるという、ディック・ティーグの最も得意とするデザインスタディーであった。サービス面でもかさばるボディーパネルの在庫を低減することが可能であろう。

 ルーフパネルはAMX同様ロールバーを内蔵したカンチレバー方式のため、Aピラーは極端に細い。トランクリッドはデュアルアクション・シザー(はさみ)式ヒンジで支持されており、通常の開閉に加え、背の高い荷物を積むときにはトランクリッドをルーフの上に跳ね上げることができた。テールライトは3色に分かれており、アクセルペダルを踏んで走行中はグリーンライト、アクセルから足を離すとオレンジ、そしてブレーキを踏むとレッドライトが点灯する。サイズはホイールベース108in(2743mm)、全長175in(4445mm)、全幅65.5in(1664mm)、全高50in(1270mm)。

「プロジェクト Ⅳ」の1台である「AMX Ⅱ」。AMXプログラムの1台でノッチバックボディーをまとう。リトラクタブルヘッドランプ、コンシールドワイパーを採用し、「キャバリエ」と同様、3色のレンズを持つテールライトを装着している。サイズはホイールベース110in(2794mm)、全長187in(4750mm)、全幅72in(1829mm)、全高51in(1295mm)。

「プロジェクト Ⅳ」の1台である「ビクセン(Vixen)」。スポーティーなセミファーストバックボディーをまとい、多くの部品を「キャバリエ」と共用する。サイズは「キャバリエ」とほぼ同じだが、ウインドシールドを後退させており、ボンネットは12in(305mm)ほど長くなっている。

◆ AMXプログラム最後のコンセプトカー「AMX Ⅲ」

 1967年2月に開催されたシカゴ・オートショーで公開された「AMX Ⅲ」。ファーストバック・スポーツステーションワゴンで、テールゲートはリフトアップしたあと前方にスライドしてルーフ上に納まる。フロントデザインは1968年型として新発売された「ジャベリン(Javelin)」と「AMX」に採用された。

◆ 1968年型ジャベリンとAMX

 1967年9月に新発売された1968年型ジャベリン。1964年に1965年型として発売されたフォード・マスタングに対抗すべく立ち上げた4シーターのポニーカーで、1968年型は2482~2587ドルで、約5万5000台生産された。ちなみに1968年型マスタングは2602~2814ドルで約31万7000台生産されている。

 ジャベリンの標準エンジンは232cid(3802cc)直列6気筒145馬力で、オプションで290cid(4752cc)V型8気筒225馬力と343cid(5621cc)V型8気筒280馬力、さらに390cid(6391cc)V型8気筒315馬力が選択可能であった。サイズはホイールベース109in(2769mm)、全長189.2in(4806mm)、全幅71.9in(1826mm)。

 上の3点は1968年2月に新発売された1968年型AMX。ジャベリンのホイールベースを12in(305mm)短くして造られた2シータースポーツ。AMXの標準エンジンは290cid(4752cc)V型8気筒225馬力。オプションで343cid(5621cc)V型8気筒280馬力または390cid(6391cc)V型8気筒315馬力が選択可能であった。サイズはホイールベース97in(2464mm)、全長177.22in(4501mm)、全幅71.57in(1818mm)、全高51.73in(1314mm)。1968年型の価格は3245ドルで約6700台生産されている。

◆ 電気自動車(EV)「アミトロン(Amitron)」「エレクトロン(Electron)」

 1967年12月、AMCはガルトンインダストリーズ社(Gulton Industries)と合弁でEVの3人乗り小型コミューターの開発を始め、1年以内に実車によるロードテストを開始すると発表した。搭載するバッテリーはガルトン社が新開発した軽量でロングライフのリチューム-ニッケル電池。

 そして、1977年9月にAMCから送られてきた「Concept 80」と称する広報資料には、350台がUSポスタルサービスで評価テスト中であり、さらに電力会社でもテスト中とあった。生産はAMCの子会社であるAMゼネラル(AM General Corp.)が行い、名前は「エレクトロン」に変更されていた。

 上の2点は1967年12月に発表されたEV「アミトロン」。サイズはホイールベース60in(1524mm)、全長85in(2159mm)、全幅69.5in(1765mm)、全高46in(1168mm)。上段の写真にあるリチューム電池ユニット(13in×12.5in×23.5in、重量75lb=330mm×318mm×597mm、重量34kg)2個をシート後方に積み、フル充電で150mile(241km)走行可能。当時は他社の実験EVが1充電で走れる距離は40~80mile(64~129km)であったから「アミトロン」は画期的なEVであった。フル充電までの所要時間は4時間で、3年間で約1,000回のフル充電が可能だという。クルマへの乗り降りは、ボディー後方にヒンジがあり、ルーフ、ウインドシールド、ドアが一体で二枚貝のようにガバッと開いた。

 1977年にAMCから送られてきた「エレクトロン」の写真。1967年に発表された「アミトロン」とほとんど変わらないが、サイドミラーが追加されている。いまやクルマの動力はエンジンから電気モーターに変わろうとする大変換期にあるが、これは半世紀前のEVであった。

◆ AMCのミッドシップエンジン・スポーツカー「AMX/3」

 アメリカ初のミッドシップエンジン・スポーツカーであった「AMX/3」は1970年3月23日にイタリアのローマで初公開された。1週間後の4月1日、ニューヨーク国際オートショーでアメリカでのお披露目となった。アメリカとヨーロッパの合作であり、デザインはAMC、エンジンはAMCのV型8気筒、シャシーの開発はイタリアのジオット・ビッザリーニ(Giotto Bizzarrini)、開発とテストにはBMWが協力して完成している。

 1971年にはフォード・モーター社のリンカーン・マーキュリー部門が、イタリアのデ・トマソ・パンテーラの輸入販売を始めたこともあり、これに対抗するため、AMCは毎月数台の限定生産を考え、ディック・ティーグはリーズナブルなコストで生産に移せるよう尽力した。しかし、米国でのバンパー規制などがあり、価格も高騰するなど、環境も厳しさを増していたため、量産には至らなかった。

 上の4点は広報資料に添えられていたAMX/3の写真、イラストと透視図。AMCの390cid(6391cc)V型8気筒340馬力エンジン+イタリアのオート・メラーラ(Oto Melara)製4速トランスアクスルを積み、サイズはホイールベース105.3in(2675mm)、全長175.6in(4460mm)、全幅74.9in(1903mm)、全高43.5in(1105mm)。0 – 60mph(97km/h)加速5.5秒、¼マイル加速13.5秒、最高速度160mph(258km/h)。燃費は街中14.3mpg(6.08km/L)、郊外17.5mpg(7.44km/L)。製作台数は8台(6台の説もある)で、このうち2台をディック・ティーグが所有していた。

 上の2点はAMX/3のコンペティターとなるはずだった、イタリアの「デ・トマソ・パンテーラ(deTomaso Pantēra)」。ボディーはカロッツェリア・ギア社(Carrozzeria Ghia SpA)のトム・ジャーダ(Tom Tjaarda)のデザインによる。フォード製 「クリーブランド(Cleveland:生産工場名)」 351cid(5752cc)V型8気筒330馬力エンジン+5速トランスアクスルを積む。サイズはホイールベース98.4in(2499mm)、全長167in(4242mm)、全幅71.3in(1811mm)、全高44in(1118mm)。

このページのトップヘ
BACK NUMBER

第116回 アメリカンモーターズ(AMC)のコンセプト/ショーカー

第115回 1973年、Can-Amを席巻したポルシェ917/30

第114回 新型フェアレディZ

第113回 戦後のラゴンダ、2½ LITRE~RAPIDE

第112回 戦後のアストンマーティンのロードカー、DB1~DB MarkIII

第111回 ミカサ – わが国初の前輪駆動AT車

第110回 BMWアート・カー

第109回 AMC グレムリン(Gremlin)

第108回 1963年型ビュイック リビエラ(Riviera)

第107回 キャディラック エルドラドブローアム

第106回 日産自動車創立25周年記念冊子

第105回 Automobile Council 2021

第104回 ランチア デルタS4

第103回 アバルト(ABARTH)

第102回 日野コンテッサ

第101回 鉄道が趣味だった時代

第100回 コレクションの紹介

第99回 Supercar ランボルギーニ

第98回 チェッカー

第97回 Automobile Council 2020

第96回 スズキジムニー誕生50周年(第3世代)

第95回 スズキジムニー誕生50周年(第2世代)

第94回 スズキジムニー誕生50周年(第1世代)

第93回 アメリカでコレクターズアイテムとなるR32 GT-R?

第92回 戦後のアメリカンコンパクトカー(3)

第91回 戦後のアメリカンコンパクトカー(2)

第90回 東京オートサロン 2020

第89回 戦後のアメリカンコンパクトカー(1)

第88回 シトロエンのロータリーエンジン車

第87回 シトロエン トラクシオンアヴァン

第86回 シトロエン創立100周年記念イベント

第85回 「モーターファン」誌1952年1月号に載った広告

第84回 英国人のハートをつかんだフィガロ

第83回 サクラ・オートヒストリーフォーラム2019

第82回 ジャパン・クラシック・オートモービル 2019

第81回 Automobile Council 2019

第80回 MINIの60周年記念

第79回 日産自動車初の大型トラック&バス(80型/90型)

第78回 東京オートサロン 2019

第77回 新町暮らシックCarまちなか博物館

第76回 2018トヨタ博物館クラシックカー・フェスティバルin神宮外苑

第75回 三菱500

第74回 空飛ぶクルマ

第73回 Automobile Council 2018

第72回 戦後から1950年代初頭のジャガー

第71回 フォルクスワーゲンのアメリカ進出

第70回 ACC・JAPANの東京交歓会

第69回 1949年型アメリカ車 – フォード編

第68回 1949年型アメリカ車 –クライスラー編

第67回 サーブ 92

第66回 東京オートサロン2018

第65回 ボルボ・カー・ジャパン、1959年式PV544をトヨタ博物館へ寄贈

第64回 2017トヨタ博物館クラシックカー・フェスティバルin神宮外苑

番外編 2017トヨタ博物館クラシックカー・フェスティバルin神宮外苑

第63回 1948年型アメリカ車 – インデペンデント編

第62回 1948年型アメリカ車 – ビッグ3編

第61回 Automobile Council 2017

第60回 1947年型アメリカ車 – インデペンデント編

第59回 1947年型アメリカ車 - ビッグ3編

第58回 戦時下に発行されたアメリカ車メーカーのポスター

第57回 AC & Shelby AC Cobra - 2

第56回 AC & Shelby AC Cobra - 1

第55回 ナッシュヒーレー&ハドソンイタリア

第54回 東京オートサロン2017

第53回 リンカーン コンチネンタル

第52回 2016トヨタ博物館 クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑

第51回 クライスラー300 レターシリーズ – その2

第50回 Automobile Council 2016 – そのⅡ

第49回 Automobile Council 2016

第48回 クライスラー300 レターシリーズ – Ⅰ

第47回 フォードランチェロ

第46回 1954年カイザー・ダーリン161

第45回 1950年代ポンティアックのドリームカー

第44回 1950年代オールズモビルのドリームカー

第43回 1950年代ビュイックのドリームカー

第42回 1950年代キャディラックのドリームカー

第41回 クラシックカー・フェスティバル

第40回 アメリカの初期SUV/MPV

第39回 メトロポリタン

第38回 フォード サンダーバード

第37回 シボレーコルベット(第1世代 – 2/2)

第36回 シボレーコルベット(第1世代 – 1/2)

第35回 1950年代のアメリカンドリームカー(4)

第34回 1950年代のアメリカンドリームカー(3)

第33回 1950年代のアメリカンドリームカー(2)

第32回 1950年代のアメリカンドリームカー(1)

第31回 1940年代のアメリカンドリームカー

第30回 戦後のアメリカ車 - 11 :1940年代の新型車(フォード)

第29回 戦後のアメリカ車 - 10 :1940年代の新型車(GM)

第28回 戦後のアメリカ車 - 9 :1940年代の新型車(パッカード)

第27回 戦後のアメリカ車 - 8 :1940年代の新型車(タッカー)

第26回 戦後のアメリカ車 - 7 :1940年代の新型車(ナッシュ)

第25回 戦後のアメリカ車 - 7 :1940年代の新型車(ハドソン)

第24回 戦後のアメリカ車 - 6 :1940年代の新型車(クライスラー・タウン&カントリー)

第23回 戦後のアメリカ車 - 5 :1940年代の新型車(クロスレイ)

第22回 戦後のアメリカ車 - 4 :1940年代の新型車(カイザー/フレーザー)

第21回 戦後のアメリカ車 - 3 :1940年代の新型車(スチュードベーカー)

第20回 戦後のアメリカ車 - 2 :1940年代の新型車(ウイリス/ジープ)

第19回 戦後のアメリカ車 - 1 :1946年型の登場(乗用車の生産再開)

第18回 アメリカ車 :序章(6)1929~1937年コード・フロントドライブ

第17回 アメリカ車 :序章(5)1934~37年クライスラー・エアフロー

第16回 アメリカ車:序章(4)1924~1929年

第15回 アメリカ車 :序章(3)1917~1923年

第14回 アメリカ車 :序章(2)フォード モデルT(1908年~1927年)

第13回 アメリカ車 :序章(1) 登場~1919年

第12回 AF+VKの世界:1959~1971年型ポンティアックのカタログ

第11回 コペンの屋根:リトラクタブルハードトップ

第10回 スクリーンで演技するクルマたち

第9回 シトロエンDSのこと

第8回 よみがえった『力道山のロールスロイス』

第7回 メルセデス・ベンツ300SL - SLクラスの60周年を祝して

第6回 近代的国産乗用車のタネ:外車のKD生産(その2)

第5回 近代的国産乗用車のタネ:外車のKD生産(その1)

第4回 短命だった1942年型アメリカ車のカタログ

第3回 「ラビット」から「スバル」へ - スバル最初の軽乗用車と小型乗用車

第2回 「キ77」と電気自動車「たま」。そして「日産リーフ」

第1回 自動車カタログ収集ことはじめ

執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

関連書籍
ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜
三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー
トップページヘ