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第72回 戦後から1950年代初頭のジャガー
2018.7.27

 今回は1940年代の終わりから1950年代初頭にかけて、アメリカに輸出されていた欧州車の中から、ジャガーについて紹介する。

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これは「TIME」誌1949年4月18日号に載ったジャガーの広告。この広告にはジャガーの戦後初の新型車であった「Mark V」の3.5ℓ 125hpセダン(4600ドル)とコンバーティブル(4700ドル)、およびスーパースポーツ3.5ℓ 160hp(XK 120、4745ドル)、2ℓ 105hp(XK 100、4745ドル)が紹介されている。Mark Vの2.5ℓ車は輸入されておらず、またスーパースポーツは6気筒のXK 120と4気筒のXK 100が全く同じ価格設定となってるのは興味深い。実際にはXK 100の生産は見送られた。前回フォルクスワーゲンで紹介したホフマン・モーターカー社が東部地区のディストリビューターとして記載されている。

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上の3点は、1948年10月に戦後初めて再開されたブリティッシュ国際モーターショーで発表された、ジャガーの新しいスポーツカー「Jaguar Type XK 100 and 120 Super Sports Models」のプレカタログ。1995cc直列4気筒DOHC 105hpエンジン+4速MT(1速ノンシンクロ)を積むXK 100、および3442cc直列6気筒DOHC 160hpエンジン+4速MT(1速ノンシンクロ)を積むXK 120の2モデルが設定されていた。しかし、4気筒のXK 100は市販されず、製作されたのは1台だけと言われる。サスペンションはフロントがウイッシュボーン+トーションバーで、リアは半楕円リーフ+リジッドアクスル。ブレーキは前後ともドラムであった。サイズは全長4270mm、全幅1550mm、全高1270mm、ホイールベース2590mm。

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上の3点は1948年に発行されたと推定されるMark Vを含んだ総合カラーカタログに記載された「XK Super Sports」。この時点ではまだ4気筒のXK 100と6気筒のXK 120が併記されていた。XK 120の初期の240台ほどにはアルミボディーが架装され、その後、量産し易いスチールボディーに変更されている。

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上の2点は1948年10月に発表された「Mark V」のサルーン(セダン)で、2664cc直列6気筒OHV 102hpおよび3485cc直列6気筒OHV 125hpの2種類のエンジンが選択可能であった。トランスミッションは4速MTが積まれていた。サスペンションはフロントがウイッシュボーン+トーションバーで、リアは半楕円リーフ+リジッドアクスル。ブレーキは前後ともドラムであった。サイズは全長4760mm、全幅1770mm、全高1590mm、ホイールベース3050mm。「Mark V」の名前については、従来の2.5または3.5リッターサルーンでは、旧型のフロントがリジッドアクスルのモデルと混同してしまうので、フロント独立懸架の開発において、5番目のプロトタイプが量産仕様に採用されたことから「Mark V」と命名された。ベントレーに同じMark Vがあったが、1946年にMark VIに進化しており問題なしと判断したようだ。しかし、1950年10月にジャガーから近代的なサルーンが発表されるが、さすがに「Mark VI」は使えず、「Mark VII」と命名された。従ってジャガーにはMark VIは存在しない。

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Mark Vの姿かたちは戦前からの伝統を引き継いでいるが、内装もしかりで、ウォルナット材のダッシュボードやトランクリッド裏に整然と納められた車載工具など、所有者がステータスを味わうことができる仕掛けがちりばめられていた。

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上の3点はMark Vのドロップヘッドクーペ(コンバーティブル)で、上から幌をあげた状態、クーペドヴィル状態、全開にした状態を紹介している。

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これは1949年に発行されたXK 120のカタログの一頁で、1949年5月30日、英国および海外のプレスを、サベナ航空のDC-3をチャーターしてヒースロー空港からベルギーに招待し、ヤッベケ(Jabbeke)ハイウエイでスピードトライアルを実施したときのシーン。記者たちが見守るなか、フライングマイルで132.596m.p.h.(213.394km/h)のスーパーチャージャーなしのカタログモデルで世界最速の公認記録を達成した。この記録は1953年にペガソによって破られている。XK 120のエンジンは高速性能だけにとどまらず、トップギアで16km/hの低速走行が可能なほどのフレキシビリティーを持ち合わせていた。

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これはジャガーカーズ社が米国市場用に発行した「Jaguar Advertising Plan 1954」と題した、紙媒体用の広告用版下のサンプルを多数収めたもので、これはその中の1枚。イラストは1950年10月に発表されたMark VIIサルーン(4255ドルで、ボルグワーナーAT付きは4450ドルとある)。そしてコピーは「あなたの旅行の仕方に豪華な何か ~ あなたの生き方についてエキサイティングな何か ~ 両方がジャガーによって明らかにされます!」。XK 120の港渡し価格は、ロードスター3345ドル、クーペ3875ドル、コンバーティブル3975ドル。そして、ミシシッピー川の東側インポーターはホフマン・モーターカー社で、西側はチャールス H. ホーンバーグ Jr.社となっている。

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1951年3月に追加発表されたXK 120 フィックスドヘッドクーペ(クーペ)。

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1953年4月に追加発表されたXK 120 ドロップヘッドクーペ(コンバーティブル)。

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1950年10月に発表されたMark VIIサルーン。XK 120と同じ3.5ℓ 160hpエンジン+4速MT(1速はノンシンクロ)またはボルグワーナー製3速ATを積む。サスペンションはフロントがウイッシュボーン+トーションバーで、リアは半楕円リーフ+リジッドアクスル。ブレーキは前後ともドラムであった。サイズは全長4990mm、全幅1850mm、全高1600mm、ホイールベース3050mm。上の3点は1953年に発行されたカタログ(ポートフォリオ)のもの。

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1950年頃のジャガーカーズ社の工場の様子。右側がボディー組み立てラインで、左側がアッセンブリーライン。XK 120、Mark Vに加えて左側の高いところにMark VIIが1台確認できる。(Photo:Jaguar Cars)

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輸出のため船積みを待つXK 120たち。およそ80%は米国向けであったという。米国で最初にXK 120を手にしたのはハリウッドスターのクラーク・ゲーブルであった。そして彼はインプレッションを「My Favorite Car」と題して「Road & Track」誌1950年3月号に寄稿している。(Photo:Jaguar Cars)

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XK 120はレースやラリーで活躍したが、ジャガーカーズ社広報から送られてきた写真で、筆者が最も気に入っているのがこのショット。1950年のアルパインラリーに著名なラリードライバーであったイアン & パトリシア・アップルヤード夫妻が、SS100から乗り換えたXK 120で参加し、見事に優勝したときのシーンで、場所はスイスのフルカ峠。パトリシアの父親はジャガーカーズ社の創業者Sirウイリアム・ライオンズである。(Photo:Jaguar Cars)

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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