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第37回 シボレーコルベット(第1世代 – 2/2)
2015.8.27

 今回は、前回に引き続きコルベット第1世代(C1)のビッグマイナーチェンジを実施した1956年型以降を紹介する。

◆1956年型
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上の4点は1956年型のカタログ。フェンダー内に埋め込まれていたヘッドランプは前面に飛び出し、飛び出していたテールランプはフェンダー内に収められた。外側のドアハンドルも装備され、1953年に発表された最初のプロトタイプにあった左右フロントフェンダー上部後端の小さなエアスクープが復活している。ボディーサイドにはクロームでふちどりされた特徴的な凹面のアクセントが加えられ、これは第1世代の最終型である1962年型まで継続する。
 運転席周りでは、ステアリングホイールがよりスポーティーなものとなり、シフトレバーがトランスミッションのサイドから上部へと移されている。そして、注目すべき変化はサイドウインドーが脱着式から巻き上げ式に変更されたことであろう。更に、1954年のGMモトラマに出展された脱着可能なFRP製ハードトップが200ドルでオプション設定され、60%ほどの顧客が選択している。これによって耐候性と居住性が著しく向上した。
 エンジンは265cid(4343cc)、ボア3.75in(95.25mm)×ストローク3.0in(76.2mm)、V型8気筒OHVカーター4バレルキャブレター210馬力が標準設定され、オプションでツイン4バレルキャブレター225馬力(160ドル)と、更にハイリフトカムを加えた240馬力(175ドル)が選択可能であった。トランスミッションは3速MTが標準で、210/225馬力エンジンには2速パワーグライドATが175ドルでオプション設定されていた。サイズは全長が1インチ長くなって168in(4267mm)、全幅は0.5インチ広くなって70.5in(1791mm)、全高はハードトップ装着時で51in(1295mm)であった。価格は3120ドル、生産台数は3467台。
 他にオプションとして、電動ソフトトップ(100ドル)、パワーウインドー(60ドル)、自動選局式ラジオ(185ドル)、ヒーター(115ドル)、ウインドーウォッシャー(11ドル)などが設定されていた。

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上の2点は1956年型にオプション設定されたデタッチャブルハードトップ(広告ではlift-off hardtop、カタログではquick-change hard-topと記されている)の広告と取り付け方法。取り付けは、後部のベース部分はボルト3本で固定し、左右フロントピラーには図のようなラッチで固定する方式であった。

◆1957年型

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上の3点は1957年型のカタログ。外装、内装は1956年型と変わらないが、エンジンは265cid(4343cc)から283cid(4638cc)、ボア3.88in(98.55mm)×ストローク3.0in(76.2mm)、に拡大され、標準は4バレルキャブレター付き220馬力で、オプションでツイン4バレルキャブレター245馬力(140ドル)、フュエルインジェクション付き250馬力(450ドル)、更に、RPO(Regular Production Option)コード579Eでフュエルインジェクション+コールドエアインダクションシステム付き283馬力(675ドル)が設定されていた。オプションエンジンにはハイリフトカム、ハイドロリックバルブリフター、アルミ鋳物製ロッカーカバーが装着され、283馬力エンジンにはコンペティションタイプカムシャフト、高速型バルブシステム、メカニカルバルブリフターが装備されていた。トランスミッションはクロースレシオの3速MTが標準装備され、オプションで4速MT(188ドルでモデルイヤーの途中から設定された)と283馬力エンジン以外には2速パワーグライドAT(175ドル)が選択可能であった。カタログにはアメリカの自動車史上はじめて1立方インチあたり1馬力を実現したとある。また、725ドルでヘビーデューティレーシングサスペンションも装着可能であった。1957年型のベース価格は3176ドル、生産台数は6339台(内フュエルインジェクションモデルは1040台)であった。

◆FRPボディー解説メイラー

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上の2点と下の4点は、1958年型発売時にダイレクトメールで配布された、FRPボディーの特性、製作方法、補修などについて解説した冊子から抜粋したもの。GMがコルベットで採用した新しいボディー素材FRPについて顧客の理解を深めるために発行したのであろう。表紙は1958年型だが、ボディーの分解写真は1956/57年型。MFG社(Molded Fiber Glass Co.)からこのような状態で納入され、シボレーのセントルイス工場で組み立てられた。立ち上がり当初のFRPボディーは46ピースで構成され、総重量は340lb(154.2kg)で、内訳はグラスファイバー136lb(61.7kg)、ポリエステルレジン153lb(69.4kg)と不活性充填剤51lb(23.1kg)であった。

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FRPボディーの長所を列記し、スポーツカーに欠かせない軽量であること。メタルボディーの半分近い重量であり、重心位置も低くできる利点がある。衝撃にも強く、断熱性があり、錆びないし、セルフダンピング効果があるため音振に対しても有利であるなどと記されている。

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MFG社でのボディーパネル製作状況。すべての部品を金型成形するため46点の部品に細分化が必要であった。MFG社は受注に際して3万ft2(2787㎡)の工場を新設し、15基の250~500トンプレス機を導入している。金型のコストは約40万ドルであり、メタルボディーとした場合の約450万ドルに比べ10分の1以下であったという。

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ミズーリ州にあるシボレーのセントルイス工場で組み立てられるFRP製ボディー。接着面をショットブラストしたり、アンダーボディーパネルにアルミのレインフォースを取り付けたり、ケーキデコレーターチューブのような道具で接着剤を塗布したり、塗装前の表面仕上げ、塗装途中の水研ぎ作業が紹介されている。

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最終組み立ての様子と、ボディーの補修について解説されている。ひび割れ、穴あき、パネル交換に必要な素材をセットにしたリペアキットが用意されていると記されている。

◆1958年型

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1958年型コルベットは再度ビッグマイナーチェンジされ、4灯式ヘッドランプが採用され、伝統の楕円形のグリルは横幅がつめられ、通称「Shark's teeth(サメの歯)」グリルの歯の数が13本から9本になり、グリルの両脇にダミーのエアスクープが追加された。エンジンフード上には洗濯板のようなダミーのエアアウトレットが付けられ、フェンダーサイドのくぼみにもダミーのエアアウトレットが追加された。サイズは全長が9.2インチ長くなって177.2in(4501mm)、全幅は2.3インチ広くなって72.8in(1849mm)、車両重量も50ポンドほど重くなって2781lb(1261kg)となった。ベース価格は3591ドル、生産台数は9168台であった。

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1958年型ではインストゥルメントパネルも大幅な変更を受け、メーター類がすべてドライバーの前面に集められて視認性が著しく向上した。スピードメーターのフルスケールは160mph(258km/h)で、ステアリングコラム上にはフルスケール6000rpmのタコメーターが移設された。アメリカ車としては早くもセンターコンソールが採用され、時計、ラジオおよびヒーターコントロールが装着されている。なお、イラストには描かれていないが、オプションであったシートベルトが1958年型から標準装備されている。

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1958年型の透視図。フロントバンパーが長いスチールブラケットを介してフレームに固定されたのが分かる。エンジンは前年と同じ排気量283cid(4638cc)OHVのV8だが、4バレルキャブレター付き標準エンジンの出力は10馬力向上して230馬力となり、オプションでツイン4バレルキャブレター245馬力、フュエルインジェクション付き250馬力、更に、高性能版の290馬力が設定されていた。トランスミッションは3速MTが標準で、4速MTおよび2速パワーグライドAT(290馬力エンジンを除く)がオプションで選択可能であった。

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これは1958年後期型のフォルダーで、ツイン4バレルキャブレター+スペシャルカムシャフト+ハイスピードバルブシステム付き270馬力エンジンが追加設定されている。トランクリッド上に2本のクロームモールディングが付くのも1958年型の特徴。

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1957年8月、コルベットオーナーへの情報伝達のパイプラインとして「CORVETTE NEWS」が発刊された。上の2点は発刊から4冊目のVol.1 No.4で、この時点でオーナーズクラブは13グループであったが、1962年には93に増え、1964年には全米で159グループ、カリフォルニア州だけでも25グループに達しており「AMERICA'S ONLY TRUE SPORTS CAR」がいかに多くのアメリカ人に愛されているか想像できる。

◆1959年型

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上の3点は1959年型のカタログ。1958年型のマイナーチェンジで、外観上はエンジンフードの洗濯板状のダミーのエアアウトレットとトランクリッド上面にあった2本のクロームモールディングが廃止された。運転席ではシートとドアトリムのデザインが変更され、パッセンジャーシート前方のインストゥルメントパネル下に小物を載せる棚が追加されている。また、レッド、ブルー、ターコイズ(青緑)に加えて、はじめて内装色にブラックが設定されている。ベース価格は3875ドルで、生産台数は9670台であった。

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「CORVETTE NEWS」Vol.Ⅱ No.3に載った1959年型用アクセサリーおよびオプションパーツの紹介頁。エンジンは1958年型と同じ283cidの230馬力を標準として、245馬力、250馬力、270馬力、そして最強の290馬力がオプション設定されていた。290馬力搭載車の0 - 60mph(96.6km/h)加速は6.6秒、0-100mph(161km/h)加速は15.5秒、最高速度は128mph(206km/h)であった。初めてブレーキにメタルライニングがオプション設定された。

◆1960年型

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上の3点は1960年型のカタログであるが、外観上は前年モデルとほとんど変わらない。内装もシート形状の変更など居住性向上のための小変更が加えられたに過ぎない。タコメーターはフルスケール6000rpmから7000rpmのものに換装されている。エンジンは前年モデルと同じ283cid(4638cc)V8、OHV、ハイドロリックバルブリフター、シングル4バレルキャブレター、圧縮比9.5:1の230馬力が標準設定され。オプションとしてツイン4バレルキャブの245馬力。ツイン4バレルキャブ、スペシャルカムシャフト、大径インテークバルブ、高速バルブシステム、メカニカルバルブリフター、クロスフローアルミラジエーターを装着した270馬力。フュエルインジェクション、圧縮比11:1、アルミシリンダーヘッド、ハイドロリックバルブリフターを装着した275馬力。フュエルインジェクション、圧縮比11:1、アルミシリンダーヘッド、スペシャルカムシャフト、大径インテークバルブ、高速バルブシステム、メカニカルバルブリフター、クロスフローアルミラジエーターを装着した315馬力の5機種が設定された。これらのオプションエンジンおよびエンジンマネージメントはゾラ-ダントフが中心となって開発された。他に、ヘビーデューティーブレーキ&サスペンション(333.6ドル)など多くのオプションが用意されている。1960年型のベース価格は3872ドル、生産台数は初めて1万台を超えて1万261台。顧客の50.1%がデタッチャブルハードトップ(236.75ドル)を、51.9%が4速MT(188ドル)を選択している。

◆1961年型

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1961年型は、1958年12月、リタイアしたハーリー・アールの後継としてスタイリング担当副社長となったビル・ミッチェル(William L. "Bill" Mitchell)によるリスタイリングが実施された。大きく変わったのはダックテールを取り入れたリアエンドの造形で、4個の丸型テールランプが初めて採用され、排気管はバンパー内からボディーの下方に移された。フロント周りでは発売当初から使われてきた歯型グリルはシンプルなメッシュスクリーンに、クロームのヘッドランプベゼルはボディーカラーのものに変更された。グリル上部には大きな書体で「CORVETTE」の車名が追加されている。サイズは前年モデルとほとんど変わらず、全長は0.5インチ長くなって177.7in(4514mm)、全幅は2.4inスリムになって70.4in(1788mm)であった。ベース価格は3934ドル、生産台数は1万939台。カタログの絵は週末ラリーのシーンを切り取ったものではなかろうか。

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1961年型のエンジンラインアップは前年モデルと同じであったが、軽量で冷却性能の高いアルミラジエーターとビスカスカップリング付冷却ファンが標準装備され、4速MTにはアルミケースが採用されている。また、トランスミッショントンネルの幅が19%ほど狭くなった分レッグスペースに余裕が出ている。315馬力+4速MTの0 - 1/4mile(402m)加速は14.2秒、最高速度は128mph(206km/h)であった。1961年型では64.1%の顧客が4速MTを選び、22.6%が3速MT、残りの13.3%がATであった。

◆1962年型

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第1世代コルベット(C1)最後のモデルとなった1962年型の外観上の変化は、クロームのサイドモールディングを廃してサイドシルモールディングが追加され、フロントグリルが黒色のアルマイト材のスクリーンとなった。ホワイトサイドウォールタイヤはホワイトリボンタイヤ(31.55ドル)に変更され、ツートーン塗装のオプション設定は無くなった。前年までオプションであったヒーターが初めて標準装備となっている。エンジンは283cid(4638cc)から327cid(5359cc)ボア4.0in(101.6mm)×ストローク3.25in(82.55mm)に拡大され、シングル4バレルキャブレター、圧縮比10.5:1の250馬力が標準設定され、オプションでシングル大型アルミ4バレルキャブレター、大径インレットバルブの300馬力(53.80ドル)。更に、シングル大型アルミ4バレルキャブレター340馬力(107.60ドル)およびフュエルインジェクション360馬力(484ドル)が設定され、この2機種には鋳鉄製シリンダーヘッド、圧縮比11.25:1、高速型カムシャフト、バルブスプリング、軽量バルブ、メカニカルバルブリフター、デュアルポイントディストリビューターなどが装備されていた。ヘビーデューティーブレーキ&サスペンションも333.60ドルで選択可能であった。1962年型のベース価格は4038ドルで、生産台数は1万4531台であった。

 このあと、1963年型はビル・ミッチェルのデザイン主導で開発された2代目コルベット(C2)スティングレイ(Sting Ray:アカエイ)へと発展する。

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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