三樹書房
トップページヘ
catalog
第59回 1947年型アメリカ車 - ビッグ3編
2017.7.17

 1947年型アメリカ車(乗用車)の生産台数は約336万台で、終戦直後の1946年型約223万台の1.5倍ほどに回復している。そして、前年2位であったシボレーがフォードを抜いて首位となった。しかし、戦後の混乱から立ち直ったとは言えず、資材や部品供給も潤沢ではなかった。さらに、各社とも頻発するストライキに悩まされ、UAW(United Auto Workers:全米自動車労働組合)とのタフな交渉にも頭を悩ませていた。
 クルマはビッグ3をはじめほとんどのメーカーが戦前のモデルをマイナーチェンジしたものを売っていたが、戦時の約4年間にわたり乗用車の生産が完全に止められていたため、市場は新車を切望しており、完全な売り手市場であり造れば売れた。そのような環境の中で唯一フルモデルチェンジして新型車を売り出したのはスチュードベーカーであり、前年の15位から一気に8位に躍進し、インデペンデントでは首位となっている。さらに、ビッグ3の牙城に挑戦する新顔のカイザーとフレーザーが登場した。

05-59-00.jpg

上の表は1947年型のブランド別生産台数とマーケットシェアを示す。

〈GMグループ〉
●シボレー

05-59-01.jpg

05-59-02.jpg

05-59-03.jpg

1947年型シボレーはグリルとトリムがわずかに変更された程度のマイナーチェンジであったが、価格は1160~1893ドルで、前年モデルの1022~1604ドルに対して14~18%値上げされている。グレードはフリートライン(1313/1371ドル)、フリートマスター(1281~1893ドル)、スタイルマスター(1160~1276ドル)の3シリーズが設定されていた。ホイールベース116in(2946mm)のシャシーに216.5cid(3548cc)直列6気筒90馬力エンジンを積む。

05-59-04.jpg

EEI社(Engineering Enterprises Inc.)が「カントリークラブ(Country Club)」ウッド・トリムキットの名前で発売したキットを装着したクーペ。フォードのウッド・トリムを装備したコンバーティブルの「スポーツマン」に対抗したもので、149.5ドルのディーラーオプションであった。1946~48年型に装着可能であった。

●ポンティアック

05-59-05.jpg

05-59-06.jpg

05-59-07.jpg

1947年型ポンティアックはグリルの変更とトリムの小変更を受けて登場した。グレードはホイールベース122in(3099mm)のストリームライナーと119in(3023mm)のトーピードの2シリーズで、それぞれに239.2cid(3920cc)直列6気筒90馬力エンジンと248.9cid(4079cc)直列8気筒103馬力エンジンが設定されていた。価格はストリームライナー6気筒(1359~2066ドル)/8気筒(1404~2111ドル)、トーピード6気筒(1217~1595ドル)/8気筒(1262~1640ドル)で、シボレーと違って前年モデルとの価格差はほとんど無く、一部のモデルでは値下がりしていた。この年、初めてポンティアックの8気筒車の販売台数が6気筒車を超えた。

●オールズモビル

05-59-08.jpg

05-59-09.jpg

05-59-10.jpg

1947年型オールズモビルも前年モデルとほとんど変わらずに販売された。グレードと価格は、最も安価なシリーズ60スペシャルには直6エンジンの66(1308~2175ドル)と直8の68が設定されたが、ここに載せたカタログにはまだ68シリーズは記載されていない。シリーズ70ダイナミックには直6の76(1392/1459ドル)と直8の78があり、直8のみを積む最上級グレードのシリーズ98カスタムクルーザー(1642~2040ドル)が設定されていた。ホイールベースはシリーズ60が119in(3023mm)、シリーズ70は125in(3175mm)、そしてシリーズ98は127in(3226mm)で、エンジンは238cid(3900cc)直列6気筒100馬力と257cid(4211cc)直列8気筒110馬力を積む。トランスミッションは3速MTが標準だが、ハイドラマチックATが135ドルでオプション設定されていた。この頃はアメリカ車でもATの普及率は低く、1939年からハイドラマチックATを設定してきたオールズモビルにとって、ほとんど変化のなかった1947年型のセールスポイントとして、カタログや広告の前面に出して訴求していた。価格は前年に比べ14~21%上昇していた。

●ビュイック

05-59-11.jpg

05-59-12.jpg

05-59-13.jpg

05-59-14.jpg

1947年型ビュイックもマイナーチェンジでグリルをわずかに変更して販売された。グレードは最上位のシリーズ70ロードマスター(2131~3249ドル)、写真のロードマスター・セダネットは2131ドル、ロードマスターに初めて設定されたステーションワゴンは3249ドルで、ビュイック初の3000ドル越えのプライスタグが付いたモデルであった。中間グレードのシリーズ50スーパー(1843~2594ドル)、写真のスーパー・エステートワゴンは2594ドル、そして、シリーズ40スペシャル(セダネット:1611ドル、写真の4ドアセダン:1673ドル)の3シリーズが設定されていた。ホイールベースはシリーズ70が129in(3277mm)、シリーズ50は124in(3150mm)、そしてシリーズ40は121in(3073mm)で、エンジンはシリーズ70には320.2cid(5247cc)直列8気筒144馬力、シリーズ50と40には248cid(4064cc)直列8気筒110馬力が積まれていた。トランスミッションは3速MTのみで、ATのオプション設定は無かった。2トーンカラーはオプション。1947年型アメリカ車のコンバーティブルの生産台数は約16万4000台(全生産台数の4.9%)であったが、その内、ビュイックは4万台以上で最も多く生産しており、特にスーパー・コンバーティブル(2333ドル)は2万8297台売れた。ビュイックは比較的高価格であったが、ビッグ3の廉価モデルに次ぐ第4位のポジションを占めていた。

●キャディラック

05-59-15.jpg

05-59-16.jpg

1947年型キャディラックもマイナーチェンジでグリルとトリムにわずかな変更を加えて販売された。上のフリートウッド60スペシャルの広告は、潜在的な顧客に向けたものではなく、まだ生産が需要に追い付かないことを報告し、顧客が忍耐強く待ってくれると確信していると記している。この年、キャディラックは約9万6000台のバックオーダーを抱えていたと言われる。下段の写真はフリートウッド75で、クラシックカークラブオブアメリカによってクラシックカーとして認定されている数少ないモデルの一つ。「ソンブレロ」ハブキャップと呼ばれるフルホイールカバーは1947年型で登場し、その後他車にも普及していった。グレードと価格は、シリーズ61(2ドアクーペ2200ドル、4ドアセダン2324ドル)、シリーズ62(2ドアクーペ2446ドル、4ドアセダン2523ドル、コンバーティブル2902ドル)、シリーズ60(4ドアセダン3195ドル)、シリーズ75(4340~4711ドル)の4シリーズがラインアップされていた。価格は前年モデルに対して100~200ドルアップしていた。ホイールベースはシリーズ61が126in(3200mm)、シリーズ62は129in(3277mm)、シリーズ60は133in(3378mm)、シリーズ75は136in(3454mm)で、エンジンは全車346cid(5670cc)V型8気筒 150馬力を積み、トランスミッションは92%の顧客が186ドルでオプション設定されていたハイドラマチックATを選択していた。

〈フォードグループ〉
 フォードグループは1946年3月に1947年モデルはマイナーチェンジも行わないと発表したが、1947年2月19日に「スプリングモデル(Spring models)」としてマイナーチェンジした1947年型フォード、マーキュリーおよびリンカーンを発表した(発売は4月)。1947年4月7日にヘンリー・フォード Ⅰ世が83歳で逝去した。

●フォード

05-59-17.jpg

これは1947年型のカタログだが、広告にも「FORD'S OUT FRONT !」のコピーが見られるが、これにはいささか違和感を持つ。1947年型フォードは首位には立てず、シボレーに大差を付けられて2位であった。ラインアップはデラックス6(1154~1270ドル)/V8(1230~1346ドル)とスーパーデラックス6(1251~1893)/V8(1330~2282ドル)で、右下のウッディ・コンバーチブル「スポーツマン」が最も高価な2282ドルであった。ホイールベースは全車114in(2896mm)で、エンジンは226cid(3703cc)直列6気筒90馬力および239cid(3917cc)V型8気筒100馬力を積む。

05-59-18.jpg

1947年型フォードポリスカーのカタログ。

05-59-19.jpg

1947年頃のフォードルージュ工場駐車場の様子。活気にあふれていた頃で駐車しているクルマはさすがにフォード一色である。

●マーキュリー

05-59-20.jpg

マーキュリーも1947年4月、グリルとトリムをわずかに変えた1947年型を発売した。車種はわずか5種類しかなく、最も安価な2ドアセダン(1592ドル)は34台生産しただけで中止してしまった。価格は1645~2207ドルで、前年モデルより197~478ドルと大幅に値上げされており、順位も10位から13位に後退している。ホイールベースは118in(2997mm)でエンジンはフォードと同じ239cid(3917cc)V型8気筒100馬力を積む。トランスミッションは3速MTのみであった。

●リンカーン

05-59-21.jpg

05-59-22.jpg

1947年4月に発売された1947年型リンカーンは上のカタログにある3車種とコンチネンタル2車種のラインアップで登場した。リンカーンセダン(2554ドル)、コンバーティブルクーペ(3142ドル)、クラブクーペ(2533ドル)およびコンチネンタルカブリオレ(4746ドル)、クーペ(4662ドル)は前年モデルより215~272ドル値上げされていた。ホイールベースは125in(3175mm)、エンジンは292cid(4785cc)V型12気筒125馬力を積み、3速MTにはオプションでオーバードライブが用意されていた。コンチネンタルのドアの開閉はプッシュボタン方式が継続されたが、リンカーンシリーズはプッシュボタンから平凡なドアハンドルに変更された。

〈クライスラーグループ〉
 クライスラー、デソート、ダッジ、プリムスは1946~48年型まで大きな変更なく生産された。戦後のフルモデルチェンジは1949年3月まで待たなければならなかった。

●プリムス

05-59-23.jpg

1947年型は前年モデルが継続して販売されたが、価格は50ドルアップし、ステーションワゴンは226ドルアップしている。グレードはデラックス6(1139~1214ドル)とスペシャルデラックス6(1209~1765ドル)の2シリーズのみで、ホイールベース117in(2972mm)、217.8cid(3569cc)直列6気筒95馬力エンジン+3速MTを積む。この頃、105.5in(2680mm)ホイールベースの小型車生産の計画があったが、結局1960年にバリアントが登場するまで実現しなかった。

05-59-24.jpg

これはセールスマン用のブリティンで「製品の知識はセールスマンにとって真っ先に必要なことだ」とあり、コンペティターであるシボレーとフォードとの比較材料を、広告のコピーにある「ほかの低価格車が持っていないものも、プリムスは持っている!」についても詳細に紹介している。

●ダッジ

05-59-25.jpg

1947年型ダッジも1946年型のキャリーオーバーであった。グレードはデラックス(1347~1457ドル)とカスタム(1502~1871ドル)の2シリーズで、ホイールベースは7人乗り4ドアセダンの137.5in(3492mm)を除き119.5in(3035mm)であった。エンジンは230cid(3769cc)直列6気筒102馬力を積む。前年モデルより118ドル、コンバーティブルは222ドル値上げされていた。

●デソート

05-59-26.jpg

1947年型デソートも1946年型のキャリーオーバーであった。グレードはデラックス(1331~1461ドル)とカスタム(1491~2193ドル)の2シリーズで、ホイールベースはカスタムのロングホイールベースモデルの139.5in(3543mm)を除き121.5in(3086mm)であった。エンジンは236.6cid(3877cc)直列6気筒109馬力を積む。前年モデルに対する値上げ幅は小さく、ショートホイールベースモデルが16ドル、ロングホイールベースモデルは18ドルに抑えられていた。

05-59-27.jpg

05-59-28.jpg

上の2点は1947年型デソートのなかで最も高価(2193ドル)で最も重い(1820kg)4ドアサバーバン。9人乗りで、シートをたたむとステーションワゴンのような広い荷室が得られる。ルーフラックは標準装備される。

●クライスラー

05-59-29.jpg

05-59-30.jpg

1947年型クライスラーも1946年型のキャリーオーバーであった。グレードはロイヤル(1431~1561ドル)/ロイヤルLW(Long Wheelbase)(1943~2063ドル)、ウインザー(1481~2366ドル)/ウインザーLW(1993~2113ドル)、サラトガ(1753~1863ドル)、ニューヨーカー(1853~2193ドル)/ニューヨーカーT&Cコンバーティブル(2743ドル)と豊富なバリエーションが設定されていた。上の2点はニューヨーカーコンバーティブル(2193ドル)とニューヨーカーT&C(タウン&カントリー)コンバーティブル。この頃のクライスラーグループのクルマにはリアライセンスプレートの上側に第3のテールランプが付いていた。ブレーキランプの視認性を良くするためで、現在のハイマウントストップランプの先駆けとも言える。ロイヤルとウインザーのホイールベースは121.5in(3086mm)とLWは139.5in(3543mm)、エンジンは250.6cid(4107cc)直列6気筒114馬力。サラトガとニューヨーカーはホイールベース127.5in(3238mm)、エンジンは323.5cid(5301cc)直列8気筒135馬力を積む。

05-59-31.jpg

これはオーナーズマニュアルの1頁だが、1938年からクライスラーグループで採用されていた「フルードドライブ」の説明。エンジンとクラッチの間にフルードカップリングを装着したもので、ロイヤルとウインザーにオプション設定され、サラトガとニューヨーカーには標準装備されていた。

05-59-32.jpg

05-59-33.jpg

05-59-34.jpg

上の3点は「Hydraulically Operated Transmission(油圧作動トランスミッション)」の解説書の一部。この仕掛けもロイヤルとウインザーにオプション設定され、サラトガとニューヨーカーには標準装備されていた。

05-59-35.jpg

これはクライスラークラウンインペリアルリムジン。8人乗りのリムジンでホイールベース145.5in(3696mm)、エンジンはサラトガ、ニューヨーカーと同じ323.5cid(5301cc)直列8気筒135馬力を積み、車両重量は2211kgと重い。「フルードドライブ」を標準装備し、油圧作動トランスミッションとオーバードライブはオプションであった。価格は4305ドルで、1946~1948年の間に750台生産された。1947年型では運転席後方のパーティションの無い8人乗りクラウンインペリアルセダン(4205ドル)も発売され、1947~1948年の間に650台生産されている。

次回は1947年型インデペンデント各車を紹介する予定。

このページのトップヘ
BACK NUMBER

第111回 ミカサ – わが国初の前輪駆動AT車

第110回 BMWアート・カー

第109回 AMC グレムリン(Gremlin)

第108回 1963年型ビュイック リビエラ(Riviera)

第107回 キャディラック エルドラドブローアム

第106回 日産自動車創立25周年記念冊子

第105回 Automobile Council 2021

第104回 ランチア デルタS4

第103回 アバルト(ABARTH)

第102回 日野コンテッサ

第101回 鉄道が趣味だった時代

第100回 コレクションの紹介

第99回 Supercar ランボルギーニ

第98回 チェッカー

第97回 Automobile Council 2020

第96回 スズキジムニー誕生50周年(第3世代)

第95回 スズキジムニー誕生50周年(第2世代)

第94回 スズキジムニー誕生50周年(第1世代)

第93回 アメリカでコレクターズアイテムとなるR32 GT-R?

第92回 戦後のアメリカンコンパクトカー(3)

第91回 戦後のアメリカンコンパクトカー(2)

第90回 東京オートサロン 2020

第89回 戦後のアメリカンコンパクトカー(1)

第88回 シトロエンのロータリーエンジン車

第87回 シトロエン トラクシオンアヴァン

第86回 シトロエン創立100周年記念イベント

第85回 「モーターファン」誌1952年1月号に載った広告

第84回 英国人のハートをつかんだフィガロ

第83回 サクラ・オートヒストリーフォーラム2019

第82回 ジャパン・クラシック・オートモービル 2019

第81回 Automobile Council 2019

第80回 MINIの60周年記念

第79回 日産自動車初の大型トラック&バス(80型/90型)

第78回 東京オートサロン 2019

第77回 新町暮らシックCarまちなか博物館

第76回 2018トヨタ博物館クラシックカー・フェスティバルin神宮外苑

第75回 三菱500

第74回 空飛ぶクルマ

第73回 Automobile Council 2018

第72回 戦後から1950年代初頭のジャガー

第71回 フォルクスワーゲンのアメリカ進出

第70回 ACC・JAPANの東京交歓会

第69回 1949年型アメリカ車 – フォード編

第68回 1949年型アメリカ車 –クライスラー編

第67回 サーブ 92

第66回 東京オートサロン2018

第65回 ボルボ・カー・ジャパン、1959年式PV544をトヨタ博物館へ寄贈

第64回 2017トヨタ博物館クラシックカー・フェスティバルin神宮外苑

番外編 2017トヨタ博物館クラシックカー・フェスティバルin神宮外苑

第63回 1948年型アメリカ車 – インデペンデント編

第62回 1948年型アメリカ車 – ビッグ3編

第61回 Automobile Council 2017

第60回 1947年型アメリカ車 – インデペンデント編

第59回 1947年型アメリカ車 - ビッグ3編

第58回 戦時下に発行されたアメリカ車メーカーのポスター

第57回 AC & Shelby AC Cobra - 2

第56回 AC & Shelby AC Cobra - 1

第55回 ナッシュヒーレー&ハドソンイタリア

第54回 東京オートサロン2017

第53回 リンカーン コンチネンタル

第52回 2016トヨタ博物館 クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑

第51回 クライスラー300 レターシリーズ – その2

第50回 Automobile Council 2016 – そのⅡ

第49回 Automobile Council 2016

第48回 クライスラー300 レターシリーズ – Ⅰ

第47回 フォードランチェロ

第46回 1954年カイザー・ダーリン161

第45回 1950年代ポンティアックのドリームカー

第44回 1950年代オールズモビルのドリームカー

第43回 1950年代ビュイックのドリームカー

第42回 1950年代キャディラックのドリームカー

第41回 クラシックカー・フェスティバル

第40回 アメリカの初期SUV/MPV

第39回 メトロポリタン

第38回 フォード サンダーバード

第37回 シボレーコルベット(第1世代 – 2/2)

第36回 シボレーコルベット(第1世代 – 1/2)

第35回 1950年代のアメリカンドリームカー(4)

第34回 1950年代のアメリカンドリームカー(3)

第33回 1950年代のアメリカンドリームカー(2)

第32回 1950年代のアメリカンドリームカー(1)

第31回 1940年代のアメリカンドリームカー

第30回 戦後のアメリカ車 - 11 :1940年代の新型車(フォード)

第29回 戦後のアメリカ車 - 10 :1940年代の新型車(GM)

第28回 戦後のアメリカ車 - 9 :1940年代の新型車(パッカード)

第27回 戦後のアメリカ車 - 8 :1940年代の新型車(タッカー)

第26回 戦後のアメリカ車 - 7 :1940年代の新型車(ナッシュ)

第25回 戦後のアメリカ車 - 7 :1940年代の新型車(ハドソン)

第24回 戦後のアメリカ車 - 6 :1940年代の新型車(クライスラー・タウン&カントリー)

第23回 戦後のアメリカ車 - 5 :1940年代の新型車(クロスレイ)

第22回 戦後のアメリカ車 - 4 :1940年代の新型車(カイザー/フレーザー)

第21回 戦後のアメリカ車 - 3 :1940年代の新型車(スチュードベーカー)

第20回 戦後のアメリカ車 - 2 :1940年代の新型車(ウイリス/ジープ)

第19回 戦後のアメリカ車 - 1 :1946年型の登場(乗用車の生産再開)

第18回 アメリカ車 :序章(6)1929~1937年コード・フロントドライブ

第17回 アメリカ車 :序章(5)1934~37年クライスラー・エアフロー

第16回 アメリカ車:序章(4)1924~1929年

第15回 アメリカ車 :序章(3)1917~1923年

第14回 アメリカ車 :序章(2)フォード モデルT(1908年~1927年)

第13回 アメリカ車 :序章(1) 登場~1919年

第12回 AF+VKの世界:1959~1971年型ポンティアックのカタログ

第11回 コペンの屋根:リトラクタブルハードトップ

第10回 スクリーンで演技するクルマたち

第9回 シトロエンDSのこと

第8回 よみがえった『力道山のロールスロイス』

第7回 メルセデス・ベンツ300SL - SLクラスの60周年を祝して

第6回 近代的国産乗用車のタネ:外車のKD生産(その2)

第5回 近代的国産乗用車のタネ:外車のKD生産(その1)

第4回 短命だった1942年型アメリカ車のカタログ

第3回 「ラビット」から「スバル」へ - スバル最初の軽乗用車と小型乗用車

第2回 「キ77」と電気自動車「たま」。そして「日産リーフ」

第1回 自動車カタログ収集ことはじめ

執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

関連書籍
ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜
三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー
トップページヘ