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第91回 戦後のアメリカンコンパクトカー(2)
2020.2.27

 第89回では独立系メーカーのコンパクトカーを紹介したが、大型車が幅を利かせていたアメリカでも、運転する際の取り回しが良く、しかも経済的なコンパクトカーの需要があると見込んだビッグ3が1960年型として一斉に参入してきた。早くからコンパクトカーを市場に投入してきたランブラーの販売台数が、1961年にはプリムスを抜いて、フォード、シボレーに続く3位に浮上したことでも、ビッグ3にとってコンパクトカーの生産は無視できない存在となっていたのであろう。
 今回はフォード、シボレーおよびプリムスのコンパクトカーを紹介する。

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上の5点は1959年10月8日に発表されたフォード ファルコンの4ドア、2ドアセダン。スタイルはシンプルで保守的であり、駆動方式もFRで、サスペンションもフロントがウイッシュボーン+コイルスプリング、リアは半楕円リーフ+リジッドの平凡なものであった。2点目のイラストでは、外寸はフルサイズモデルに比べてかなりコンパクトだが、居住空間の差は大きくないと訴求している。サイズと( )内にフルサイズとの差を見てみると、ホイールベース2781(-242)mm、全長4602(-826)mm、全幅1778(-292)mm、室内幅 前/後1412(-99)mm/1407(-142)mm、室内長2360(-144)mmとなる。2360cc直列6気筒OHV 90馬力エンジン+3速MTまたはオプションで2速ATを積む。価格は2ドアセダン1912ドル、4ドアセダン1974ドル。1960年型セダンの生産台数は36万1366台。

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セダンより約半年遅れて、1960年3月に発表されたファルコンステーションワゴン。全長はセダンより199mm長い4801mm。ステーションワゴンの生産台数は7万4310台で、ファルコン全体の17.1%にあたる。価格は2ドアが2225ドル、4ドアは2287ドルであった。セダンと合わせた総生産台数は43万5676台で、シボレーコルベアの25万台を大きくリードしていた。

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上の2点は1961年型に追加設定されたスポーティーモデル「ファルコンフューチュラ」。フロントバケットシートとセンターコンソールを装備してスポーティーさを演出している。定員は6名⇒5名に減っている。価格は2160ドルで4万4470台生産された。1961年型ファルコンには2360cc直列6気筒85馬力エンジン(1960年型より5馬力ダウン)に加え、オプションとして2786cc直列6気筒101馬力エンジンが追加設定されている。1961年型ファルコンの総生産台数は47万4191台であった。このモデルは1960年5月に発売された「コルベアモンツァ」に対抗するために設定された。

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これはファルコンの派生車種として登場したピックアップ「ファルコン ランチェロ」。フォード ランチェロは1957年にフルサイズフォードをベースにして登場したが、ファルコンの登場を機にダウンサイジングしてファルコンベースとなった。2360cc直列6気筒90馬力エンジン+3速MTまたはオプションで2速ATを積む。「M-BASE」第47回フォードランチェロの記事中、1960年型ランチェロのオプションで3速ATと記したが、これは誤りで2速ATが正しい。3名+363kgの積載が可能。1960年型ランチェロの価格は1882ドル、生産台数は2万1027台。

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1961年型ファルコン セダンデリバリー。2360cc直列6気筒85馬力エンジン+3速MTに加え、オプションとして2786cc直列6気筒101馬力エンジンおよび2速ATが設定されている。1961年型セダンデリバリーの価格は2109ドル、生産台数はわずか1988台。

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1961年にフォード エコノライン ステーションバス(上段のカタログ)として登場したワンボックスワゴンが、1962年型ファルコンのカタログにファルコン ステーションバス/クラブワゴン/デラックスクラブワゴンとして載った。エンジンはステーションバスとクラブワゴンには2360cc直列6気筒85馬力を、デラックスクラブワゴンには2786cc直列6気筒101馬力が積まれた。トランスミッションはいずれも3速MTであった。サイズはホイールベースはセダンより495mm短い2286mm、全長4275mm、全幅1925mm、全高1966mmであった。1962年にステーションバスとクラブワゴンを除く全車に4速MTがオプション設定された。1962年型の価格はステーションバス2287ドル、クラブワゴン2436ドル、デラックスクラブワゴン2673ドル。生産台数は3モデル合計で1万8153台。

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これは1962年8月発行の1963年型ファルコンのカタログ。1963年にはコンバーティブルが追加設定された。フロントに3人掛けベンチシートを装備した「フューチュラコンバーティブル」とフロントにベンチシートを装備した「フューチュラスポーツコンバーティブル」があり、いずれも2786cc直列6気筒101馬力+3速MTを標準装備し、4速MTと2速ATがオプションで選択可能であった。価格と生産台数はコンバーティブルが2470ドルで1万8942台、スポーツコンバーティブルは2591ドルで1万2250台。

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上の2点は1963年2月に発行された1963½年型ファルコンのカタログ。フューチュラ・シリーズにハードトップの追加と、4261ccV型8気筒OHV164馬力エンジンを積んだスプリント・シリーズのハードトップとコンバーティブルが追加設定された。V8エンジンはスプリントには標準装備され、他のファルコン全車にオプション設定された。価格と生産台数は、スプリントハードトップが2603ドル、1万0479台、スプリントコンバーティブルは2837ドル、4602台であった。

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上の4点は1959年10月2日に発表されたシボレー コルベアのカタログ。オーソドックスなファルコンに対し、コルベアは従来のアメリカ車の常識を覆すユニークなクルマであった。グリルレスの斬新なボディー、コイルスプリングによる4輪独立懸架、そして、2288ccアルミブロック空冷水平対向6気筒OHV 80馬力エンジンを車体後部に積むリアエンジン駆動方式が採用されていた。トランスアクスルは3速MTが標準で、オプションで4速MTまたはパワーグライド2速ATが選択できた。サイズはホイールベース2743mm、全長4572mm、全幅1699mm、全高1303mm。価格と生産台数は、スタンダードのシリーズ500 の4ドアセダン2038ドル、4万7683台、2ドアクラブクーペ1984ドル、1万4628台。デラックスのシリーズ700の4ドアセダン2103ドル、13万9208台、2ドアクラブクーペ2049ドル、3万6562台であった。1960年型コルベア全体のオプション装着率はAT:63.5%、ラジオ:39.8%、ホワイトウォールタイヤ:55%、ウインドシールドウォッシャー:42.6%、バックアップランプ:42.6%、着色ウインドシールドガラス:0.6%であった。

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空冷エンジンのためヒーターユニットはガソリンタンクから送られたガソリンをバーナーで燃焼させ、急速に温風をつくり出す方式が採用されていた。ユニットはフロントトランク内に装着され、74ドルのオプションであった。1960年型コルベア全体のヒーター装着率は90.2%であった。スペアタイヤは1961年型から後部のエンジンコンパートメントに移されている。

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上の3点は1960年5月に追加設定されたコルベア モンツァ クラブクーペ(シリーズ900)。フロントシートをバケットタイプに変更して、センターコンソールを追加し、内装に光物を少し加えて、デラックスでスポーティーな演出をしたモデル。価格は2238ドル、生産台数は1万1926台であった。

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上の3点は1961年型シボレー コルベアのカタログ。ステーションワゴンとワンボックスタイプのコルベア グリーンブライア スポーツワゴンが追加設定された。1961年型ではエンジンのボアがわずかに拡大され2288cc⇒2373ccとなったが最高出力は80馬力で変更なし。ステーションワゴンの価格と生産台数はシリーズ500が2266ドル、5591台、シリーズ700は2330ドル、2万451台。
1962年型ではシリーズ500のステーションワゴンはカタログから落とされ、代わりに上級グレードのモンツァ(シリーズ900)に設定されたが2569ドル、2362台、シリーズ700が2407ドル、3716台と惨憺たる結果となり、1962年春には生産中止となってしまった。リアエンジン車でセダンタイプのステーションワゴンではカーゴスペースが大きく取れないのが最大の敗因であろう。

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上の3点は1962年5月に登場したコルベア モンツァ コンバーティブル(シリーズ900)。ステーションワゴンの生産中止によって空いたアッセンブリーラインを使って生産され、価格は2483ドル、生産台数は1万6569台。エンジンはシリーズ500/700と同じ2373cc空冷水平対向6気筒80馬力。1962年型コルベアのベストセラーモデルであったモンツァ クラブクーペは2273ドル、15万1738台、モンツァ 4ドアセダンは2273ドル、4万8059台であった。

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コンバーティブルの発売と同時にモンツァ コンバーティブルとモンツァ クラブクーペにオプション設定された「スパイダー パッケージ」装着車が発売された。モンツァの2373cc空冷水平対向6気筒エンジンにターボチャージャーを装備した150馬力エンジンをはじめ、4速MT、ヘビーデューティサスペンション、焼結合金製ブレーキライニング、電気式タコメーター、「Spyder」ネームプレートなどが装備されていた。価格および装着台数はコンバーティブル2779ドル、2574台、クーペ2569ドル、6894台。

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上の3点は、1961年型として登場したコルベア95トラック。フォルクスワーゲン タイプ2に対するシボレーの回答であった。乗用車より330mm短いホイールベース2413mmのシャシーに、2373cc空冷水平対向6気筒80馬力エンジン+3速MTを積む。上段の赤いクルマは「ランプサイド」ピックアップ2133ドル、生産台数1万0787台、下段左は「コルバン」バン2289ドル、1万5806台、下段右は「ロードサイド」ピックアップ2079ドル、2475台。1963年型では「ロードサイド」はカタログから落とされ、残りの2モデルも1964年型を最後に姿を消してしまった。

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「コルバン(CORVAN)」「ランプサイド(RAMPSIDE)」「ロードサイド(LOADSIDE)」たちの活躍の場面。ランプサイドはユニークなデザインで、荷台側面のドアを開けると先端が路面に届いて荷物積み降ろしのランプになる仕掛け。

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コルベア95トラックのプラットフォーム。

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コルベアを語るとき、必ず思い出すのは、アメリカの弁護士で消費者運動家ラルフ・ネーダー(Ralph Nader)によるコルベアの操縦安定性に問題ありという告発である。1964年型では欠陥の一つと指摘されたリアサスペンションの改良がおこなわれたが、販売に対するダメージは大きく、低迷した最大の原因となった。1965年にラルフ・ネーダーはアメリカ車の欠陥を暴いた「UNSAFE AT ANY SPEED:The Designed-In Dangers of the American Automobile(どんなスピードでも安全ではない:アメリカ車に仕組まれた危険)」を出版。この事件は消費者の安全に対する意識を高め、法規制の強化、メーカーの積極的な安全性向上のための努力、リコールなど欠陥に関する迅速な情報開示・対策などを進めるターニングポイントとなったのではないだろうか。

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上の2点はクライスラー社から登場した1960年型バリアント。オーソドックスなファルコン、斬新なコルベアに対し、バリアントはフロントに「トーション・エアー(TORSION-AIRE)」と称するトーションバーサスペンションを持つFR駆動だが、ボディーはモノコック方式を採用し、デザインはロングノーズ、ショートデッキで、当時のアメリカ車の中では斬新なものであった。2786ccスラント直列6気筒OHV 101馬力エンジン+フロアシフト3速MTまたはオプションでプッシュボタンコントロール式3速ATが選択可能であった。エンジンは「ハイパー パック」オプションで148馬力版も用意されていた。サイズはホイールベース2705mm、全長4674mm、全幅1788mm、全高1354mm。4ドアセダンには2グレードあり、価格と生産台数はV-100が2033ドル、5万2788台、V-200は2110ドル、10万6515台。バリアントはダッジの工場で生産され、主にプリムス系ディーラーで販売されたが、クライスラー、デソート、ダッジ、プリムスのどこにも属さない独立したブランドとして販売された。しかし、翌1961年型からはプリムスのサブシリーズとして扱われることとなった。

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1960年型バリアント サバーバン(ステーションワゴン)。グレードは2種類で、それぞれに6人乗りと9人乗りが設定されていた。価格と生産台数はV-100の6人乗り2345ドル、1万2018台、9人乗り2468ドル、1928台。V-200の6人乗り2423ドル、1万6368台、9人乗り2546ドル、4675台。1960年型バリアントの総生産台数は19万4292台であった。

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上の2点は1961年型バリアントのカタログで、V-100シリーズに2ドアセダン、V-200シリーズに2ドアハードトップが追加設定された。そして、9人乗りサバーバンはカタログから落とされている。価格と生産台数はV-100の2ドアセダン1953ドル、2万2230台、V-200の2ドアハードトップ2137ドル、1万8586台。1961年型からバリアントはプリムスのサブシリーズとなったが、カタログは「VALIANT 1961」となっている。ただし、セダンとハードトップはトランクリッド、サバーバンはテールゲートに「Plymouth」のネームプレートが装着された。1961年型バリアントの総生産台数は14万3078台であった。バリアントは当初ファルコンと命名される予定であったが、フォード ファルコンに先を越されバリアントと命名されたと言われる。


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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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