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第98回 チェッカー
2020.9.28

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 今回は、アメリカで60年間にわたって生産されたタクシー車「チェッカー」について紹介する。
 1913年に、ロシアから移民として一文無しでアメリカに渡ってきた19歳のモーリス・マーキン(Morris Markin)は、シカゴの叔父をたより、テーラーの仕事を手伝うが、叔父が亡くなると工場を引き継ぎ、パンツの工場を立ち上げる。1914年7月、第1次世界大戦が勃発すると軍服のパンツを大量に受注して資金をため、やがて自動車ボディーの製造を始めた。そして1922年、シカゴにChecker Cab Manufacturing Co.を設立しチェッカー車の生産を始めた。翌1923年にミシガン州のカラマズー(Kalamazoo)に移転し、ここがチェッカー車の故郷となる。
 1952年にはニューヨークのタクシー約1万2000台のうち、チェッカーが約9000台を占めていたが、10年後の1962年にはチェッカーは2000台ほどに減少してしまったと言われる。1950年代になるとGM、フォード、クライスラーなどの大手がタクシー車市場に積極的に参入してきたのも原因の一つであろう。
 ここでは、戦前最後のモデルA型以降について紹介する。

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上の4点は1939年に登場したモデルAのカタログ。ボディーは近代的になったが、従来のタクシーに多く見られたランドレータイプであった。ヨーロッパなどでタクシーにランドレータイプが多いのは、見晴らしがよいことも考えられるが、一番の利点は、不特定多数の人が乗るので快適なベンチレーションを確保するためであったようだ。フロント部分のデザインはユニークで、一目でチェッカーと識別できた。金属製のランドレートップは電動で運転席のボタンで開閉できた。開閉に要する時間は約40秒で、現代のリトラクタブルハードトップに比べるとかなり遅い。2段目の写真には日よけのキャノピーが付いているが、これは付けたままランドレートップの開閉が可能であった。3段目の写真にはガラスサンルーフが見えるが、これも運転席で開閉の操作が可能であった。そのほか、リバースに入れると後方に注意を促すシグナル音を発し、ガソリンの給油時には油面がタンクの天井まで1/2インチの位置に到達すると警告音で知らせてくれるなど、多くのユニークな仕掛けが仕込まれていた。ドアパネルや内装の一部にはプラスチックが採用されていた。このカタログにはスペックの記載は無く「ご要望に応じて詳しい仕様をお送りします。」と印刷されている。
 1941年にはチェッカー・キャブ社も軍需品の生産に専念することになる。1944~45年にかけてはRR車、FF車、さらにはジープの4輪駆動+4輪操舵車の研究などを行ったが市場投入には至らなかった。

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1950年型チェッカーキャブ(モデルA4)のカタログ。

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1953年型チェッカーキャブ(モデルA6)のカタログ。

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上の3点は、1956年型チェッカー(モデルA8)のカタログ。スラブサイドボディーをまとってフルモデルチェンジしたA8は、その後、わずかな変更を受けながら、最後の1982年まで使われることになる。フロントサスペンションはダブルウイッシュボーン+コイルスプリングの独立懸架、前後フェンダーは簡単に脱着可能、ハイグレードの8人乗り「ドライバーマチック(DRIV-ER-MATIC)スペシャルセダン」にはデトロイトギア製3速AT、ベンディックス製パワーブレーキ、パワーステアリング、さらに電動パワーシートが標準装備されていた。エンジンはコンチネンタルF-6226型226cid(3703cc)直列6気筒Lヘッド89hpを積み、サイズはホイールベース120in(3048mm)、全長200in(5080mm)、全幅75in(1905mm)。6人乗りのスタンダードモデルには3速MTが付く。

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「このタクシーは他のものと何が違うのですか?」のコピーで、タクシー強盗対策のビルトインパーティション付きのチェッカー"セーフガード"キャブを訴求するシート。

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1960年型チェッカー(モデルA9)のカタログ。エンジンはコンチネンタル226cid直列6気筒OHV 125hpまたは226cid直列6気筒Lヘッド95hpが選択可能で、トランスミッションはワーナーギア製3速MTが標準で、オプションでワーナーギア製3速ATが用意されていた。その他にオプションでパワーブレーキ、パワーステアリング、パワーシートなどが設定されていた。

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上の4点は、1960年型チェッカー「スーパーバ(Superba)」のカタログ。タクシー需要が先細るなか、本気で個人需要を掘り起こすべく発売した最初のモデル。セダン(A10)とステーションワゴン(WA10)があり、それぞれにスタンダードとスペシャルが設定されていた。いずれも6人乗りだが、セダンにはオプションで補助いす2脚を追加して8人乗りとすることが可能であった。ステーションワゴンにはオプションでリアシートバックを倒したり起こすのを運転席からリモートコントロールできる仕掛けも用意されていた。エンジンはタクシー仕様と同じコンチネンタル226cid直列6気筒OHV 125hpまたは226cid直列6気筒Lヘッド95hpが選択可能であった。トランスミッションは3速MTが標準で、3速ATがオプション設定されていた。その他にオプションとしてパワーブレーキ、パワーステアリング、パワーシート、ヒーター&デフロスター、ラジオ&アンテナ、アンダーコーティング、バックアップライト、クロームホイールカバー、ウィンドシールドウォッシャー、オイルフィルター、着色ガラス、エアコン、ツートンカラー、ホワイトサイドウォールタイヤなどが列記されている。価格はセダンのスタンダードが2542ドル/スペシャルは2650ドル。ステーションワゴンは2896ドル/3004ドルで、1960年型は自家用車として合計1050台ほど売れた。
 シボレーの最上級グレードであるインパラの4ドアセダン6気筒が2590ドル、V8は2697ドル。ステーションワゴンは6気筒が2586~2889ドル、V8は2693~2996ドルであった。

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1960年型チェッカー スーパーバのカラーカタログの表紙。

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上の2点は、1962年に発行された誕生40周年記念チェッカーのカタログ。特別な記念モデルではないようだが、エンジンはコンチネンタル226cid直列6気筒OHV が125hp⇒141hpに強化され、226cid直列6気筒Lヘッドは95hp⇒80hpにダウンしている。なお、LヘッドエンジンにはオプションでLPガス仕様が設定されている。モデルバリエーションはスーパーバスペシャルが落とされ、ハイグレードモデルとして「マラソン(Marathon)」シリーズが設定された。

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上の4点は、1964年に発行されたチェッカー「エアロバス(AEROBUS)」のカタログ。エアロバスは1961年~1970年に生産されたストレッチモデルで、コンバートはアームブラスター・ステージウエイ社(Armbruster-Stageway)で行われた。1970年以降も特別オーダーがあれば製作されたようだ。8ドアの12人乗りと、6ドアの9人乗りがあり、エンジンは318cid(5211cc)V型8気筒190hpを積む。8ドア車のサイズはホイールベース189in(4801mm)、全長269.75in(6852mm)、全幅76in(1930mm)、全高64.37in(1635mm)、車両重量4905lb(2225kg)。6ドア車のサイズはホイールベース154.5in(3924mm)、全長235.25in(5975mm)、全幅76in(1930mm)、全高64.37in(1635mm)、車両重量4330lb(1964kg)。長大なフレームはダブルチャンネルとダブルXブレースで強化されている。エアロバスはエアポートリムジン、ホテルのリムジンサービスなどに使用され、スエーデンでは囚人護送車として活躍したという。

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上の5点は、1965年に発行された自家用チェッカーのカタログ。グレードはマラソンシリーズのみで、スーパーバシリーズは落とされている。エンジンはGMシボレーの230cid(3769cc)直列6気筒140hpが標準で、オプションでシボレーの283cid(4638cc)V型8気筒195hpも選択可能であった。3段目のモデルは1963年に登場した「カスタムリムジン」でホイールベース129.5in(3289mm)、全長208.3in(5291mm)にストレッチしており、価格は5491ドル。他のモデルの価格はセダン6人乗り2874ドル、補助いす付きは3567ドル。ステーションワゴンは3075ドルであった。なお1965年型チェッカーの生産台数は6136台で、内自家用は930台であった。ちなみにチェッカーが最も多く生産されたのは1962年で8173台(内自家用は1230台)であった。その後、1965年6136台(930台)、1970年4000台(397台)、1975年3005台(450台)、1980年2574台と減っていく。チェッカーを自家用として購入する顧客は少なく、さらに、購入したクルマは長期間愛用するので、量販は期待できないようであった。

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1965年に発行された広告。「ごめんなさい。1965年型として革新的な新車を紹介することはできません。チェッカーはより強く、より安全に造られており、いま道路を走っているどのクルマよりも、長持ちし、より多くの快適さ、価値、満足を与える車です。これが理由です。」ということであろう。このような広告を出すのは、自信? それとも開き直り?

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これもエアロバス同様、ニッチマーケットを狙ったモデルで、1969~1970年にかけて100台生産された「メディカー(Medicar)」。ロングホイールベース129.5in(3289mm)のシャシーにルーフを10in(254mm)高くしたボディーを架装し、リアドアは180°開く。リアシートと助手席をはずすと車いす3台搭載可能。救急車として使うときにはストレッチャー1台と車いす1台、また、8人乗りファミリーカーとしても使えるマルチパーパスビークルであった。

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上の2点は、1976年に発行されたカタログ。街中には大手メーカーのセダンをベースとしたタクシーが氾濫するなか、いたたまれず「タクシーらしく見えるのはチェッカーだけだ。」のコピーを付けた、チェッカーの悔しさがにじみ出たカタログ。ガードレールのような5マイルバンパーが装着された。

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上の2点は、1976年に発行された自家用向け、チェッカー マラソンのカタログ。コピーは「チェッカーが実用的であることは決して時代遅れではありません。それは機能的です。 広々としています。 それは賢明です。」そして最後に「チェッカーは、その所有者の常識へのオマージュです。」とある。モデルは上段のホイールベース120in、シボレーの250cid(4097cc)直列6気筒OHV105hpを積むマラソン(5749ドル)と下段のホイールベース129.5in、シボレーの350cid(5735cc)V型8気筒OHV145hpを積むマラソンデラックス(6736ドル)が設定されていた。トランスミッションはGMのターボハイドラマチックATのみ。なお、マラソンにもV8を積むことが可能であった。1976年の生産台数は4790台で、これには自家用車も含まれるが台数は不明。なお、ステーションワゴンは1975年にカタログから落とされている。
 1976年型シボレーの最上級グレードであるカプリースクラシックの4ドアセダンが5013ドル。ビュイック ルセーバーカスタム4ドアセダンのV8が5046ドルで買えたから、チェッカーはかなり割高感があったであろう。
 1980年型マラソンには229cid(3753cc)V型6気筒115hpが標準設定され、マラソンデラックスには267cid(4375cc)V型8気筒120hpが標準設定された。オプションで305cid(4998cc)V型8気筒155hpとディーゼルの350cid(5735cc)V型8気筒125hpが設定されていた。

 1970年7月に創業者のモーリス・マーキンが亡くなり、息子のデビッド・マーキン(David Markin)が経営を引き継ぐが、1970年以降、政府による安全、環境、燃費などの規制が厳しくなり、チェッカーの経営も厳しさを増す。1976年にはシボレー、ポンティアックのフレームアッセンブリーなどを始めている。
 1977年3月、元GM社長エドワード・コール(Edward Cole)とニューヨークのキャディラック・ディーラーのオーナーであるビクター・ポタムキン(Victor Potamkin)がチェッカー社に参画。コールが会長/CEO、デビッド・マーキンが社長/COOとなる。
 コール会長の戦略は、① EPAレートの19mile/gallon(8.08km/ℓ)を達成するため、マラソンにオールズモビルのディーゼルエンジンを積むこと。② VWラビット ディーゼルをタクシー仕様にすること。実際に400lb(181kg)の砂を積んでシカゴタクシーを追尾して走った結果45mile/gallon(19.13km/ℓ)の高燃費をたたき出した。
 しかし、わずか2カ月後の1977年5月2日、コール会長はカラマズーへ向かう途中、乗機が墜落して亡くなってしまい、②の計画は頓挫してしまった。デビッド・マーキンが会長/社長を兼任。
 その後、1980年にはミシガン州マディソン・ハイツにあるオートダイナミックス社(Autodynamics Inc.)と契約し、GMの"X"ボディーを採用したシボレー・サイテーション(Citation)のボディーを19in(482mm)ストレッチして4ドアハッチバックのチェッカーを造ろうと試みるが、設備投資に数百万ドル必要で、検討の末断念している。そして、1982年7月7日に全社員に5日後に生産を停止すると伝え、7月12日に最後のチェッカーがラインオフした。最後のチェッカーはミシガン州ヒッコリーコーナーズにあるギルモア・ミュージアム(Gilmore Museum)に展示されている。筆者は一度訪れて現車を見ているが、残念ながら写真は撮っていなかったようだ。

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上の2点は、参考までに1952年型フォードタクシーのカタログを紹介する。

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上の4点は、1961年型シボレータクシーのカタログだが、フルサイズシボレーに加えて、1960年に登場したコンパクトカー「コルベア」のタクシーと、コルベアベースのワンボクスワゴン「グリーンブライア」のタクシー仕様が載っている。このようにビッグ3などはバラエティーに富んだ車種展開が可能であり、チェッカーは苦境に立たされることになっていったのである。

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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