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第10回 スクリーンで演技するクルマたち
2012.8.27

 1950年代、戦勝国の米国では戦後の混乱からも立ち直り、豊かで元気な時代を迎えていた。一方、敗戦国のわが国では、マイカーを持つことなどはまだまだ夢の時代であり、米国映画に登場するクルマのある豊かそうな生活はあこがれの的であった。当時、映画はもっとも身近な娯楽であり、全盛期であったから数えきれないほど観たが、なかでも特に印象に残る1954年製作の「麗しのサブリナ」と1968年製作の「ブリット」について紹介したい。
 
 「麗しのサブリナ」は「ローマの休日」で彗星の如く現れ、1953年アカデミー主演女優賞を受賞したオードリー・ヘップバーンの主演2作目の作品で、彼女の魅力を一気に開花させた作品と言えよう。サブリナ(オードリー・ヘップバーン)は裕福な企業家ララビー家のお抱え運転手の娘で、ララビー家のぐーたら次男ディヴィッド(ウイリアム・ホールデン)に片思いしている。あきらめさせようとパリの料理学校に追いやられるが、見違えるように洗練されて帰国したサブリナにディヴィッドは一目ぼれ。引退した両親に代わり一家を切り盛りしている、仕事一筋で堅物のララビー家の長男ライナス(ハンフリー・ボガート)はサブリナとディヴィッドの仲を裂こうと画策するが、ミイラ取りがミイラになってしまい、ライナスがサブリナにほれ込んで結婚するというストーリー。
 サブリナはクルマのほかにファッションでも魅せてくれる。パリに行く前の衣装はイディス・ヘッドが担当し、パリからの凱旋帰国後の衣装は当時新進デザイナーであったジバンシィに依頼し、その後のヘップバーン主演映画でもジバンシィとのコラボレーションが観客の目をおおいに楽しませてくれた。

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上の2枚は映画「麗しのサブリナ」のプログラムと、ララビー家のガレージ前でロールス・ロイスの洗車をするサブリナと父親のシーン。このロールス・ロイスは1920年から1926年にかけて米国・イリノイ州スプリングフィールドのロールス・ロイス工場で生産されたシルバーゴーストのタウンカーで、1921年型キャディラックのタウンカーが6000ドル以下で買えた当時、1万5000ドルを超えた高価なクルマであった。ガレージには左から1953年型デソート、1952-53年型ナッシュ・ヒーレー、1951年型キャディラック 75、1953年型クライスラー・クラウン・インペリアル、1953年型ダッジが確認でき、ほかに1950年型プリムス・ステーションワゴンとジープの存在が確認できた。撮影に使われた広大な邸宅は、当時のパラマウント社のバーニー・バラバン社長の邸宅であった。

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長男ライナスが通勤用に使用していた1953年型クラウン・インペリアル。この絵は8パッセンジャー・セダンであるが、ライナスのクルマはパーティションのあるリムジンであり、価格6994ドル、生産台数はわずか111台であった。ライナスのクルマのリアフェンダーにはバネに支えられた長いアンテナが付き、長すぎるのでルーフに沿って前方に曲げられていた。このアンテナ、進駐軍のジープに付けられて、ゆさゆさと揺れていたのを思い出す。サイドトリムの中に電話の受話器が2本セットされ、ライナスは通勤途上に秘書にいろいろと指示し、最後に何十分後にコーヒーを入れておくよう頼む。センターコンソールには電動でせりあがるテープレコーダー?も備わっており、新鮮な驚きと同時になんでこんな国と戦争をしたんだろうと考えさせられたのを思い出す。
1953年型インペリアルのカタログにはクラウン・インペリアルは記載されておらず、これはクライスラーの総合カタログに記載されていたもの。1953年型でフロントウインドーが1枚ガラスに変更されたほかは1951-52年型とほとんど同じなので下に1951-52年型のカラーイラストを紹介する。

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上の2枚は1951-52年型クラウン・インペリアル。フロントウインドーが2枚ガラスなのを除けば1953年型とほぼ同じであった。全長約5.83m、全幅2.05mの巨体で、エンジンは1949年に発売されたキャディラックの新型5.4ℓ V8 160馬力エンジンをきっかけに始まった馬力競争に対抗して、1951年型から採用された新型5.4ℓ V8 180馬力の有名なヘミ(Hemispherical Combustion Chamber:半球形燃焼室)エンジンを積んでいた。

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プレイボーイのディヴィッドが愛用する1952-53年型ナッシュ・ヒーレー・コンバーティブル。4.1ℓ 直列6気筒 140馬力エンジンと駆動系はナッシュが提供し、英国のドナルド・ヒーレーがシャシーと足回りを組み、イタリアのピニンファリナに送ってボディーを架装した。全長4.34m、全幅1.63mのコンパクトなモデルであった。このカタログは1953年型のもので新しく設定されたルマン・ハードトップが載っている。ハードトップはコンバーティブルより若干長く全長4.59m、全幅1.67mであった。
 しかし1953年にシボレー・コルベットが3513ドルのプライスタグを付けて登場したのに対し、ナッシュ・ヒーレーは約6000ドルと高価で競争力がなく、1954年8月に生産を終了した。ナッシュ・ヒーレーの生産台数は1951年型104台、1952年型150台、1953年型162台、1954年型90台の合計506台であった。

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ナッシュ・ヒーレーのシャシー。ドナルド・ヒーレーによるユニークな「トレーリング・リンク・コイルサスペンション」を持つ。エンジンはナッシュの「ルマン・デュアル・ジェットファイア」直列6気筒で、クランクシャフトは米国車ではめずらしく7ベアリングであり、アルミのシリンダーヘッドを採用していた。

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1951年型ナッシュ・ヒーレー。ボディーはピニンファリナではなく、英国のドナルド・ヒーレーによって架装されていた。1952年型からピニンファリナのボディーとなる。

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走るシーンは一度も見せてくれず、ガレージで惰眠をむさぼっていた1951年型キャディラック・フリートウッド・シリーズ75・インペリアルリムジン。全長6.0mの巨体で、5.4ℓ V8 160馬力エンジンを積む。価格5405ドル、生産台数1085台であった。

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これも走る姿は見せなかった1953年型デソート・ファイアドーム V8・4ドアセダン。全長5.4m、4.53ℓ V8 160馬力エンジンを積み、価格は2643ドル、生産台数は6万4211台で1953年型デソートでは最も数多く生産された。ほかに4.1ℓ 直列6気筒116馬力エンジンを積んだパワーマスター 6・シリーズが存在した。デソートはクライスラーとダッジのギャップを埋めるポジションで健闘していたが、1961年型を最後に消滅している。

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これもガレージにひっそりと控えていた1953年型ダッジ・コロネット V8・4ドアセダン。全長5.1m、全幅1.87m、4.0ℓ V8 140馬力エンジンを積み、価格は2220ドル、生産台数は12万4059台で1953年型ダッジのベストセラー・モデル。ほかに3.8ℓ 直列6気筒103馬力エンジンを積んだメドーブルック(Meadowbrook) 6・シリーズが存在した。コロネットにも6気筒エンジンを搭載したモデルが存在する。

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ララビー家唯一のステーションワゴンである1950年型プリムス・スペシャルデラックス・ステーションワゴン。プリムス最後の本格的なウッディワゴンで、1951年型からはオールメタルワゴンのみの設定となってしまった。3.57ℓ Lヘッド直列6気筒 97馬力エンジンを積み、価格は2372ドル、生産台数は2057台であった。

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サブリナが排気ガスによる自殺を試みたとき、ものすごい振動とユーモラスなドーナツ状の排気を出したジープは1946-49年型CJ-2Aと推定する。2.2ℓ 直列4気筒 60馬力エンジンを積み、価格は1946年に1146ドルで、1949年には1270ドルであった。
 以上で合計8台だが、もう1台4ドアセダンの気配を感じたが確認はできなかった。
 ララビー家のクルマ選びの特徴は、クライスラー系に偏っていることである。好みなのか、あるいは仕事上関係があるのか分からないが、フォード系は1台もない。GM系もキャディラック1台のみで、あとはナッシュとウイリスが各1台であった。

 「ブリット」は1968年製作の作品で、ストーリーは刑事ものだが、サンフランシスコの街を舞台に繰り広げられるカーチェイスの場面が迫力満点だった。殺し屋二人が乗る1968年型ダッジ・チャージャーを刑事ブリット(スティーブ・マックィーン)の繰る1968年型フォード・マスタングGTが追跡するのだが、マスタングはマックィーン自身がかなりの部分を運転したと言われる。しかし、170km/hを超えるスピードで疾走するリスクの高いダウンヒルの部分はプロのスタントドライバーが運転したという。

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上の2枚は「ブリット」のDVDとカーチェイス終盤のシーン。右のクルマは追われる1968年型ダッジ・チャージャーR/Tで7.2ℓ(440cu.in.)V8 375馬力エンジンを積む。左のクルマが追跡するブリットの駆る1968年型フォード・マスタングGT 390、 6.4ℓ(390cu.in.)V8 325馬力エンジンを積む。

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これがブリットの乗るマスタングのベースとなった1968年型マスタングGT 2+2。撮影用に2台購入され、ハリウッドのカービルダー、マックス・バルコウスキー(Max Balchowsky)によって改造された。サスペンションの強化、エンジンのチューニング、ダークハイランドグリーンに塗られたボディーからはランニングポニーのエンブレム、マスタングのレタリング、GTバッジは外され、アメリカン・レーシング製ホイールを履いた精悍な姿に変身した。1台にはロールバーが取り付けられ、そこに新型軽量のアリフレックス(Arriflex)カメラが取り付けられ、臨場感あふれるシーンを見せてくれた。
 2台の内、1台は損傷が激しくスクラップされたが、1台はワーナー・ブラザース社の社員が購入。その後転売され、1972年に3人目のオーナーの手に渡った。1977年にスティーブ・マックィーンが譲ってほしいと頼んだが拒否され、気が変わったら最初に連絡するとの約束を交わしたがマックィーンは1980年に亡くなってしまう。1997年にマックィーンの息子が譲り受けたいと挑戦するが失敗に終わっている。現オーナーはイベントへの貸し出しなども一切せず、1980年中ごろ以降は動かしてもいないようなので、再度陽の目をみるかどうか注目したい。

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このクルマは1968年7月にカリフォルニア州グレンデールのカリフォルニア・モーターズ・フォードが販売した「ブリット・マスタング」レプリカ。ハイランドグリーンに塗られ、390cu.in.(6.4ℓ)V8エンジンに4速MTを積む。最初のオーナーは1986年まで所有し、その後、1992年にロサンゼルスにあるKABC-TVのフォトグラファーに買い取られた。その後数々のイベントに登場するのはこのクルマである。後方にあるのは6500台ほどが限定販売された2001年型マスタング・ブリットGT。

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これはワーナー・ブラザースの「ブリット」上演40周年を記念して、米国とカナダで7700台が限定販売された2008年型マスタング・ブリット。4.6ℓ V8 315馬力エンジンに5速MTを積み、排気音も1968年のオリジナル・ムービーカーに近づけるようチューニングされているという。価格は3万1075ドルであった。ダークハイランドグリーンに塗られたブリット・マスタングはマスタング・エンスージアストにとってカルト的存在となっている。

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上の2枚は追われる身となった1968年型ダッジ・チャージャーR/T。撮影用に2台購入されマックス・バルコウスキーによってチューニングが行なわれた。映画に登場したのは黒の塗色で後部のバンブルビー(Bumblebee:まるはなばち)ストライプは付けておらず、殺し屋らしい目立たぬ配慮がされていた。ホイールは標準のホイールキャップ付きで、逃げる途中何度もキャップが外れ、アクションの激しさを演出していたが、外れてしまったはずのキャップが再び外れるなど、編集の難しさも教えてくれていた。

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これはブリットの恋人キャシーの愛車1964年ポルシェ356C カブリオレ。356シリーズ最後のモデルで、1.6ℓ 空冷水平対向4気筒75馬力エンジンに4速MTを積んでいた。このモデルで初めて4輪ドラムから4輪ディスクブレーキに変更されている。

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ブリットのカーチェイスでも使われたサンフランシスコの名所のひとつ、ロンバード・ストリート(Lombard Street)。1ブロック分の急坂に造られた花壇の中に、八つのコーナーを持つ蛇行した道があるユニークな坂道。1970年にサンフランシスコを訪れたときレンタカーを借りてブリットの気分を味わってみた。

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ブリットの気分を味わったあと、フィッシャーマンズワーフの道端で紙コップに盛られたシュリンプ・カクテルを味わう42年前の姿。当時は1ドル360円だった。クルマは1970年型ポンティアック。

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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