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第102回 日野コンテッサ
2021.1.27

 今回は、日野自動車が1961年から1967年にかけて、2代、7年間だけ製造・販売した自社開発の小型乗用車「コンテッサ」のカタログを引き出してみた。
 1952(昭和27)年4月28日、対日平和条約が発効して、わが国が敗戦以来7年にわたる占領行政から抜け出し、主権回復した年の7月、日野ヂーゼル工業(現日野自動車)はフランスのルノー公団と「ルノー4CV」の製造・販売に関して提携し、翌1953年2月、ルノー4CVの組み立て製造に関する7カ年の技術援助契約を締結した。1953年4月に発売し、1957年9月には完全国産化を達成、1963年8月に生産中止している。

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日野工場のルノー4CV組み立てライン(photo:Hino Motors, Ltd.)

● 初代コンテッサ
 初代コンテッサの開発には5年の歳月がかけられたという。ルノー4CV製造開始とほぼ同時期に、4CVに代わる独自開発の新型車を製造するという基本方針が決定され、作業は4CVの国産化と並行して進められた。
基本方針は、「日野自動車工業40年史」によると、
1,小型経済車であるが、タクシーにも向くように室内を広くする。
2,車庫や駐車の便を考え外形はルノー並みにする。
3,スタイルは斬新で中級車の感覚を出す。
4,性能(加速、燃料消費、乗り心地、操縦性など)は国産第一級にする。
であった。
 1958年1月に試作1号車が完成し、これに合わせて完成した1周約1kmの、半分は舗装で半分はものすごい砂利敷悪路からなる秘密のテストコースにおいて、3交代24時間体制で走行テストが実施された。軽量化のためぎりぎりの設計がなされていたため、不具合箇所が発生したが、それらをフィードバックして造られた5号車、6号車と試作台数が増すにつれ、バランスの取れたクルマへと成長していった。
 そして、1960年には社外テストを実施する段階に入ったが、当時は一般公道がテストフィールドになっており、極秘に進めるためにクルマを擬装し、深夜のみ夜陰に紛れて社外へと出かけたのである。随行したルノーがコンテッサは早くてついて行けないとこぼすほど、試作車の完成度は高くなっていたという。ここで筆者が疑問に思ったのは、随行車にルノーを使っている点である。これでは日野のクルマだとばればれではないか。なぜ他社のクルマあるいは外車を使わなかったのだろう。

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ダミーモデルによるデザイン審査。隣にはスカイライン、ダットサンが並ぶ。(photo:Hino Motors, Ltd.)

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1958年1月に完成した試作1号車。(photo:Hino Motors, Ltd.)

 やがて完成した「コンテッサ(伯爵夫人)」は1961年2月27日に記者発表。3月1日、2日には東京・品川プリンスホテルで発表展示会を開催、2日間の来場者は約5000人と盛況であった。その後約1カ月にわたり全国32の都市で発表展示会が展開されている。そして、4月1日に全国一斉に販売が開始された。価格はスタンダード58.5万円、デラックス65.5万円であった。

 最初に初代コンテッサ(PC10型)最初の本カタログを紹介するが、当時の商品訴求方法が分かるよう全頁を載せる。

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コピーには「さっそうとハイウエイを走る乗用車・・・」とあるが、まだ名神高速も首都高速も出来ていなかった。グレーのクルマはスタンダード。

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ボディーは軽量ユニット・コンストラクション(モノコック)。クルマはデラックスで、ホワイトサイドウォールタイヤ、サイドモールディング、熱線吸収色ガラス、フェンダーミラー(右側のみ)、バックアップランプ、ラジオ、ウインドシールドウォッシャー、ヒーターなどが標準装備されていた。

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サスペンションは四輪独立懸架で、フロントがダブルウイッシュボーン+コイル、リアはラジアスアーム式スイングアクスル+コイル。ステアリングはラック&ピニオン。トランスミッションは3速MT(2、3速はシンクロメッシュ付き)で、わが国初の電磁セレクト方式(いま流行のby wire方式)を採用しているので、リアエンジン車としては珍しいコラムシフトであった。またオプションで当時注目されていた電磁式自動クラッチ「シンコー・ヒノマチック」も選択可能であった。

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室内(5人乗り)とエンジンルームを紹介している。ラジエーターはエンジンの前に装着されており、冷気はボディー側面から入り、ラジエーターからエンジン周りを冷やして後部へ抜ける。エンジンには早くもオートチョークが採用されていた。燃費は20km/L(40km/h定地走行時)とある。このカタログにはエンジン単体の写真が載っていないが、GP20型893cc水冷直列4気筒OHV 35ps/5000rpm、6.5kg-m/3200rpmを積む。下段左頁には懐かしい計算尺が載っている。

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デラックスのサイドビューとスペック表およびカラーバリエーション。サイズは全長3795mm、全幅1475mm、全高1415mm、ホイールベース2150mm、トレッド(前/後)1210mm/1200mm、最低地上高(空車時)205mm、車両重量720kg(デラックスは750kg)。タイヤは5.50-14-2PR。最高速度110km/h。

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これは1963年8月に発行された英文カタログ(16頁)。仕様は国内に準じており、モデルは右ハンドル車(PC10B)と左ハンドル車(PC20)が設定されていた。ベース車はスタンダード仕様で、ラジオ、ヒーター、ウインドシールドウォッシャー、ホワイトサイドウォールタイヤ、時計、鍵付き燃料キャップ、デラックスホイールキャップ、フォグランプ、シガレットライター、防眩バックミラーなどがオプション設定されていた。

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これも英文カタログ(8頁)だが発行年月の記載は無い。こちらは右ハンドル車のみで、デラックスとスタンダードが設定されている。

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これは1963年7月に発行されたマイナーチェンジされたコンテッサのカタログ(20頁)。オーバーライダーが追加されたバンパーをはじめ、フロント周りのデザインが変更されている。全長が10mm延長されて3795mm⇒3805mmとなった。

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これも1963年7月に発行されたマイナーチェンジのカタログの一部で、3速MTがオール・シンクロとなったことを訴求している。下段は1963年5月に開催された第1回日本グランプリレースの排気量700cc~1000ccのツーリングカークラスで優勝したコンテッサ。

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発行年月は不明だが、マイナーチェンジ後のモデルで4速MT(ギア比3.70/2.23/1.50/1.07。1速はシンクロなし)を積んだ輸出用ニューコンテッサの英文シート(裏面にスペック記載)。エンジンは35psで変更なし。1963年10月に発表されたコンテッサSの4速MTとはギア比が異なる。

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富士山を背にしたマイナーチェンジ後のコンテッサの英文シート(片面印刷)。

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上の2点は1963年10月に発表されたコンテッサS(PC10S型)のカタログ。エンジン出力は5ps/0.2kg-mアップして40ps/5000rpm、6.7kg-m/2800rpmとなり、トランスミッションはフロアシフト4速MT(ギア比3.70/2.27/1.50/1.04。1速はシンクロなし)を積み、最高速度は120km/h。ラジオ、ヒーター、フォグランプ、シートベルト用アンカーボルト、鏡付きサンバイザーなどを標準装備する。

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上の2点は1963年10月に発表された「コンテッサ 900 スプリント」の英語版シート。ジョバンニ・ミケロッティのデザインによる非常に美しい2+2シータークーペで、893ccエンジンはNARDI(ナルディ)のチューニングとウエバーキャブレターによって45ps/5000rpmを実現している。トランスミッションはフロアシフトの3速MTか4速MTが選択可能とあるが、欧米の自動車メーカーの反発もあり、残念ながら量産されることはなかった。最高速度は140km/hに達し、フロントにはディスクブレーキを装着する。サイズは全長3830mm、全幅1470mm、全高1200mm、ホイールベース2150mm、車両重量650kg。実車は日野オートプラザで見ることができる。

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コンテッサ 900 スプリントのオフィシャルフォト。(photo:Hino Motors, Ltd.)

● コンテッサ 1300
 初代コンテッサを発表した前年の1960年春には次期モデルの検討を開始していたという。1000cc以上のクルマを開発するという基本方針決定は1961年春であった。排気量を1500ccではなく1300ccとしたのは、クルマの経済性を考慮した結果で、工場の生産設備の兼ね合いと、従来のルノー 4CV、コンテッサ900で受け継いできた「日野の経済車」というイメージをこわさないこと、それに高速性との妥協点を求めた結果で、技術的には1300ccで立派なものが作れる自信があったのだ。
 開発にあたっては、工場内テストコースでの車両テストに加えて、ロードテストは秘密保持のためオーストラリアで約2カ月にわたって実施された。
 スタイリングについては、コンテッサ 900 スプリントで実績がある、当時若手一流のデザイナーであったイタリアのジョバンニ・ミケロッティに決め、1961年5月に車両の全体計画を伝え、11月にアイデアスケッチが送られてきた。社内検討の上現地に行き、調整しながら作業が進められた。完成したデザインには「トリネーゼスタイル」と命名された。トリネーゼはトリノ風という意味で、女性ファッションの中心がパリであるように、当時は乗用車のスタイリングの中心はイタリアのトリノであった。
 やがて完成した「コンテッサ 1300」は、1964年9月1日、東京・高輪プリンスホテルで記者発表と同時に発売。9月2、3日に品川プリンスホテルで発表展示会が開催された。

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コンテッサ 1300量産1号車のラインオフ式。(photo:Hino Motors, Ltd.)

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コンテッサ 1300発表展示会の様子。(photo:Hino Motors, Ltd.)

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上の6点はコンテッサ 1300(PD100型)最初の本カタログ。キャッチコピーは「格調高いトリネーゼスタイルの乗用車です」。ボディーはモノコック方式、駆動方式は初代同様R/Rで、エンジンはGR100型1251cc水冷直列4気筒OHV 55ps/5000rpm、9.7kg-m/3200rpm。トランスミッションはオールシンクロのコラムシフト3速MTとデラックスにはフロアシフト4速MTも設定されていた。3速MTには初代同様電磁セレクト方式が採用されていた。サスペンションはフロントがダブルウイッシュボーン+トーションバースプリング、リアはラジアスアーム式スイングアクスル+コイル。ステアリングはラック&ピニオン。サイズは全長4090(デラックスは4150)mm、全幅1530mm、全高1390mm、ホイールベース2280mm、トレッド(前/後)1235mm/1220mm、最低地上高175mm、車両重量890kg(デラックスは940kg)。乗車定員は6名。タイヤは5.60-13-4PR。最高速度130km/h。

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コンテッサ 1300 スタンダード。スタンダードには2灯式ヘッドランプが付き、ホワイトリボンタイヤ、大型ホイールキャップ、サイドモールディング、バンパーオーバーライダー、ヒーター、ラジオ、時計、シガレットライター、ウインドシールドウォッシャーなどは標準装備されていなかった。

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1964年9月、セダンより半月ほど遅れて発売された「コンテッサ 1300 クーペ(PD300型)」のフォルダー。4人乗りのクーペで、GR100型エンジンはSU式ツインキャブレター、圧縮比8.5⇒9.0にアップするなどで65ps/5500rpm、10.0kg-m/3800rpmを発生。トランスミッションは4速MTを積み、最高速度は145km/h。前輪にはディスクブレーキが装備された。木目調のインストゥルメントパネルにはタコメーターが装着された。フロントのエンブレムはセダンとは異なるものが付く。サイズは全長4150mm、全幅1530mm、全高1340mm、ホイールベース2280mm、トレッド(前/後)1235mm/1225mm、最低地上高170mm、車両重量945kg。タイヤは5.60-13-4PR。

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上の4点は1965年5月に発行されたコンテッサ 1300 クーペの本カタログ(12頁)。フロントバケットシートのシートバックは8°傾斜で、前後に6°倒せるセミ・リクラインニング式であった。

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上の3点は1965年11月に発売された「コンテッサ 1300S(PD100S型)」のカタログ(12頁)。クーペと同じG100型65psエンジン+4速MTを積み、最高速度140km/h。前輪にディスクブレーキは付かず、フロントバケットシートもリクライニング機構は付いていなかった。

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1965年12月に発行されたコンテッサ 1300の英語版カタログ(12頁)。スペックは国内仕様に準じており、55psエンジン+3速MTまたは4速MTを積む。モデルバリエーションと記号は、右ハンドルの3速MT車(PD100C)、4速MT車(PD100D)、左ハンドルの3速MT車(PD200)、4速MT車(PD200A)が設定されていた。

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上の4点は1966年1月に発行されたコンテッサ 1300のカタログ(20頁)。マイナーチェンジされ、スタンダード車にも4灯式ヘッドランプが採用された。フロントのエンブレムとCピラーのミケロッティのバッジが変更され、インストゥルメントパネル上のワイパーおよびヘッドランプスイッチも変更されている。コラムシフト車には盗難防止のためにチェンジレバー・ロック装置が装着された。さらにオプションとしてフルリクライニング・フロントシートが設定されている。

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上の3点は1966年2月に発行されたコンテッサ 1300 クーペの英語版カタログ(12頁)。スペックは国内仕様に準じており、モデルバリエーションと記号は、右ハンドル車(PD300A)と左ハンドル車(PD400)が設定されていた。

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コンテッサ 1300 クーペの透視図。ラジエーターは最後部に装着されており、冷気は後部から吸い込んでエンジンを冷やしながら下に抜ける方式であった。

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これもコンテッサ 1300 クーペの英語版カタログの1頁。1965年7月11日、イタリアのアラーシオ(Alassio)で開催された、第5回国際自動車エレガンス・コンクール(5°Concorso Internationale Di Eleganza Per Autovetture)でコンテッサ 1300 クーペが名誉大賞(Premio D'Onore:Honored Grand Prix)を受賞したとある。
 その後、1966年7月にはベルギーで開催された、国際自動車エレガンス・コンクールでは、コンテッサ 1300 セダンとクーペが揃って名誉大賞を受賞。さらに、1967年6月にはベルギーで開催された、サンミッシェル自動車エレガンス・コンクールで1300クーペが3年連続となる名誉大賞を受賞している。

 日野ヂーゼル工業は1959年6月、社名を日野自動車工業に改称。大型ディーゼル車に加えて小型車市場にも本格的に進出することを決定。小型車専用工場として羽村工場の建設に着手する。1960年12月に工場用地取得開始。1961年12月に地鎮祭挙行。1963年10月には羽村機械工場が稼働開始した。しかし、1966年10月15日、日野自動車工業および日野自動車販売とトヨタ自動車工業およびトヨタ自動車販売との業務提携を発表。10月19日に提携に関する覚書、共同声明に調印。その結果、1967年にコンテッサの生産を打ち切り、日野自動車工業は乗用車市場より撤退した。羽村工場に小型車専門工場が完成したのは1968年2月であった。

この記事の執筆にあたっては「日野自動車工業40年史」および「日野自動車販売株式会社30年史」を参考とし、一部引用させていただいた。

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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