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第93回 アメリカでコレクターズアイテムとなるR32 GT-R?
2020.4.27

 今回は「AUTOMOBILE COUNCIL 2020」について紹介する予定であったが、コロナウイルス危機の影響で延期となり、いまのところ、7月31日(金)から3日間、幕張メッセで開催を予定しているが、コロナウイルスとの戦いは長期戦になる可能性が大きく予断を許さない。
 そこで今回は「HEMMINGS CLASSIC CAR」誌2020年5月号に「ニッサンスカイラインGT-R NISMO」の記事が載っていたので紹介したい。最近アメリカでR32 GT-Rが注目され、カタログもお土産として買っていく人がいると聞いていたが、同誌が日本車を取り上げるのは非常に珍しく、どうやらうわさは本当のようだ。

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上の2点は「HEMMINGS CLASSIC CAR」誌に載ったGT-R NISMOの記事。記事のタイトルは「ゴジラ ニッサンのスカイライン GT-R NISMO:ツインターボ、全輪駆動、そして新世代コレクターのための伝説的なクルマ」。GT-Rに注目したのは、主に、ForzaやGran Turismoなどのビデオゲームや、Fast & Furiousフランチャイズなどの映画に夢中になる、2000年以降に成人、あるいは社会人になった、いわゆるミレニアル世代の人たちだ、とある。R32 GT-Rは30年以上前の古いクルマだが、アメリカで販売されていないため知らない人が多く、性能のすばらしさから新しく感じるのであろう、ともある。ちなみに「ゴジラ」のニックネームは、1990年から1993年にかけてオーストラリアで活躍したGT-Rに対して、オーストラリアの報道機関によって与えられたものであった。この個体は、記事の内容から、記事を寄稿したジャーナリスト、ジェフ・コーク氏の所有で、560台生産されたR32 GT-R NISMOの340番目のクルマである。トランクリッドの右側についていたはずのNISMOの楕円形ステッカーが見当たらない。

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これも「HEMMINGS CLASSIC CAR」誌2020年5月号にジェフ・コーク氏が寄稿した「スカイライン ストーリー」。

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1989年5月に発売された8代目スカイラインR32系は、当時もてはやされた「ハイソカー」の仲間入りを狙った先代とは打って変わって、スカイライン本来のスポーティーなスタイルと高質な走りを追求した高性能スポーツセダンへの回帰を果たしたモデルであった。
 開発主管は伊藤修令氏で、R32の目指す走りを、速さ、限界の高さ、限界時のコントロールのしやすさ、確かなステアリング・インフォメーションでドライバーの意のままに操れることなどを目標に、ターゲットとするクルマを求めて、VWゴルフGTI、プジョー205GT16、アウディ・クワトロスポーツ、メルセデス190E-2.3・16バルブ、ポルシェ944ターボ、BMW M3、ポルシェ959などに試乗して検討した結果、最終的にポルシェ944ターボをターゲットとして選んでいる。そして、R32のメイン車種である2.0ℓGTS-t Type Mはこれを目標に、GT-Rはこれを凌駕することを目標に開発が進められたという。
 1989年8月には電子制御トルクスプリット4WD(ATTESA E-TS)を装備したGTS-4が追加発売され、同時にR32 GT-Rが戦列に加わった。
 これは、1989年5月に発行されたプレカタログで、16年ぶりに復活するGT-Rの紹介をするとともに、新しいGT-Rは、開発者自身の夢の実現であると言い切っている。

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上の4点は、1990年3月に発売された、グループAレース用ベース車として開発された「スカイラインGT-R NISMO」のカタログ。1989年8月に発売されたGT-Rは、量産ツーリングカーとしてFIA(国際自動車スポーツ連盟)の公認を取得し、1990年3月からレースに出られるよう2月までに5000台、エボリューションモデルとしてGT-R NISMOを500台生産する必要があった。
 GT-R NISMOの発売についてはGT-R発売時に告知されており、560台生産され、500台が限定販売された。残りの60台はレースや実験で使用されたという。販売は、2月23日~3月7日までを予約期間として、予約が500台を超えた場合は3月11日に抽選するという方法がとられていた。価格は441万円で標準車より4万円安であった。
 GT-R NISMOの標準車からの変更点は、ターボのタービン材質をセラミックから耐久性のあるメタルに変え、サイズも拡大して高速型としている。冷却性能向上のためフロントバンパーのエアインテーク2カ所とフード先端にモールを追加し、インタークーラー保護用金網を廃止。空力性能向上のため小型リアスポイラー追加とサイドシルプロテクターをリアタイヤ直前部で下に延長して揚力を抑えている。主にグループA車両規則で改造が禁止されている部分に対策が施されていた。更に軽量化のためリアワイパー、ABS、エアコン、オーディオを廃止して車両重量は標準車より30kg軽い1400kgとなっている。塗色はガングレーメタリックのみであった。
 エアロパーツはニスモからオプショナルパーツとして販売されたので、標準車に取り付けることも可能であった。

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上の3点は、1991年7月26日にNISMO(Nissan Motorsports International)から発表された「スカイラインGT-RグループAレース仕様車」。ニッサンワークスカーと全く同じ仕様で、RB26DETT型エンジンの出力は550ps以上/7600rpm、50kg-m以上/6000rpm、トリプルプレートクラッチと日産製5速MT(FS5R30A)を積み、車両重量1260kg以上、ホイールとタイヤは10JJ×18+265/680-18。価格は5500万円。1998年12月、NISMOに確認したところコンプリートで2台販売していた。カタログは厚手のトレーシングペーパー2枚に印刷され、カラー写真が1枚差し込まれたものがケースに入っている簡素なものであった。

以下にR32 GT-Rのレースシーンをいくつか紹介する。

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上の2点は、日産自動車が発行したモータースポーツダイジェスト「VICTORY LANE」1990年11月号に載った、雨の中を疾走するグループAレース仕様のカルソニック・スカイラインGT-R。1990年3月に500台限定発売された「スカイラインGT-R NISMO」をベースにチューニングが加えられたワークスカーで、RB26DETTエンジンは550ps/50kg-mまで強化され、車両重量は1260kgでGT-R NISMOより140kg軽量化されていた。

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1990年全日本ツーリングカー選手権第4戦筑波サーキットには予選1位の長谷見/A. オロフソン組のリーボック・スカイラインと予選2位の星野/鈴木組のカルソニック・スカイラインが並ぶ。レース結果はカルソニック・スカイラインが優勝し、リーボック・スカイラインはターボトラブルでリタイアしてしまった。カルソニック・スカイラインの星野一義と鈴木利男は、この年6戦5勝して1990年全日本ツーリングカー選手権シリーズチャンピオンを獲得している。

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GT-Rは海外でも大活躍していた。左頁は1990年7月にベルギーで開催されたスパ24時間耐久レースのグループNクラスで1~3位を独占。写真は2位のゼクセル・スカイライン。右頁の中央はイギリス・エッソ・サルーンカー選手権で8勝し、3戦を残してタイトルを獲得したグループN仕様のGT-R。下はオーストラリアのバザースト1000kmレースで善戦したグループA仕様のGT-R。

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1991年10月、オーストラリアのバザーストで開催されたバザースト1000kmレースで初めて総合優勝したグループA仕様GT-R。バザースト1000kmはオーストラリア最大のモータースポーツ・イベントで、その人気はF1のオーストラリアGPに並ぶ。

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カルソニック株式会社(現マレリ株式会社)が発行した「Challenger」誌vol. 14に載った、1993年全日本ツーリングカー選手権の第1戦MINEサーキットでのレースとシェイクダウンの様子を紹介した頁。星野/鈴木組のカルソニック・スカイラインは、全9戦中この第1戦を含め4勝してシリーズチャンピオンを獲得している。1993年はグループAマシンによるレース最後の年となった。
 全日本ツーリングカー選手権(グループAレース)は市販乗用車(年間生産台数5000台以上で4座席以上の乗用車)をベースにして実施されるレースとしては国内最高峰に位置付けられていたレースで、スカイラインGT-Rは1990~1993年に29戦29勝と全戦優勝を飾り、圧倒的な強さを示した。
 R32 GT-Rは日本を代表する高性能車として世界でも認められるクルマとなり、国内での販売台数は4万3661台に達した。ライフ販売計画であった1万台の4倍以上を売ったヒット商品であった。

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最後に、上の2点は筆者が定年退職時に同僚たちからプレゼントされた京商のカルソニック・スカイラインGT-R NISMO。筆者の宝物!

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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