三樹書房
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第105回 L項-6 「リンカーン・1」
2021.8.27

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1932 Lincoln KB

アメリカの「ビッグ・スリー」が全盛だった頃、フォードの「リンカーン」は 、GMの「キャディラック」、クライスラーの「インペリアル」と並んで、アメリカを代表する高級車だった。1940年代後半から自動車に目覚めた僕の感覚では、リンカーンはフォード社のトップモデル以外の何者でもないのだが、実は創立者は「キャディラック」の生みの親「ヘンリー・リーランド」で、育ての親がヘンリー・フォードの息子「エドセル・フォード」だった。1843年生まれの「リーランド」は1890年53歳の時デトロイトで機械工場を始め、数年後その高い技術を見込まれて「オールズモビル」の下請けとなり、自動車業界への第一歩を踏み出す。1901年11月には「ウイリアム・マーフィー」の援助によって「デトロイトオートモビル社」が設立され、実用の市販車が造られる予定だったが、技師長の「ヘンリー・フォード」はレーシングカーに熱中しており、実質の経営者「マーフィー」は「リーランド」を生産顧問として雇用し、事業の正常化を図った。これに怒った「フォード」は1902年3月辞職して会社を去り、11月には別会社を作ったが、これが現在のフォード社となった。一方、フォードが去った後の会社は1902年8月には「キャディラック・オートモビル・カンパニー」となり、あとを継いだ「リーランド」によって「キャディラック・モデルA」が誕生し、その後「キャディラック」を「GM」のトップブランドとして参入させることに成功した。キャディラック社は第一次大戦中、その高い技術を見込まれ政府から航空エンジンの量産を打診されたが、「GM」としては傘下の企業が自動車以外の事業に手を出すことを許可しなかった。止む無く「GM」支配下の「キャディラック社」を離れ、1917年8月「リンカーン・モーター社」を設立し、合衆国政府と「リバティ」の航空エンジン6,000基の製造に関する契約を取り交わした。「リバティ・エンジン」は第一次大戦時の連合国側の主力となった傑作エンジンだった所為もあってか、改造とか新型開発の要請は無く、高い精度を見込まれて大量生産を期待されたものだった。製造契約は1919年1月6,500基を製造した段階で終了したが、それより前の1918年11月には世界大戦は終わっており、それ以降の継続は無かった。工場の施設を活用するため、再び自動車の製造する体制を整え再スタートした。最初の車が完成したのは1920年9月で、車の名前は「リンカーン」と命名された。この車は「リーランド」としたらという意見もあったが、リーランド本人はこの会社を設立した際付けた最も尊敬するリンカーン大統領の名前を採り、生涯自分の名前を付けた車は造らなかった。「リンカーン社」の設立は1917年だが、自動車メーカーとしての創業は1920年とされている。「リーランド」の造る製品は「限界ゲージ方式」と言われる製法に従って細かくチェックされていた。1900年代の初め頃の工作技術は、熟練工による現物合わせで精度を出す「個別生産方式」が主流で、部品の互換性 に関してはその都度修正が必要だったが、リーランドは若い時から精度の高い「限界ゲージ方式」を通しており、あらゆる部品に誤差0.025~0.013ミリと言う厳しい基準を設けていたから、製品は高品質だがコストは高かった。だから1920年誕生した「リンカーン」は素晴らしい性能に高い評価を得たが、6600ドルと言う高い値段を付けざるを得なかった。評論家から「精密さと品質において世界中で最も優れた車」と絶賛されたこの車の唯一の欠点はそのスタイルで、クエーカー教徒の「リーランド」は表面上のケバケバしさを嫌い、物の評価はそれ自体の本質で評価されるもので、外見は二次的なものにすぎないと言う考えだった。だから初代の「リンカーン」は「ノアの箱舟」と酷評された。ようやく誕生した「リンカーン」だが僅か2年後の1922年2月には倒産し「フォード社」に買収されてしまった。その原因が野暮なスタイルにあったという説もあるが、実はこの車には発売前から1500台の注文が入っていたからスタイルの所為と決めつける訳にはいかない。初年度の販売目標は6,000台だったが実際には700台前後しか造れなかったと言われ、その原因が部品工場のストライキによるもので、春と夏の最も車の売れる時期に車を市場に提供できなかった為だ。その上、秋からは戦後の不況が産業界を襲い業界全般に車が全く売れなくなってしまった。翌1921年売上はやや上向いてきたが、合衆国政府が累積540万ドルの税金を請求してきた事が公表され、金融の目途が立たなくなった。不当な請求に対する裁判には勝訴したが、その後も赤字は続き、この年の取締役会で評決の結果「財産管理」を受ける事が決まった。この決定が下されるより前、リーランドはフォード社 に対して資材の提供の見返りとして資金援助を打診したが、「ヘンリー・フォード」は関心を示さなかった。しかし、息子の「エドセル・フォード」は「リンカーン」の優秀さに魅力を感じており、父親に買収のメリットを説いた。1921年11月には買収の肚(はら)を決め、管財人が売りに出す時期を待った。1922年2月、結局800万ドルでフォード社が買収し傘下に収めたから、1922年型からは「フォード」製の「リンカーン」となった。 .

   <モデルLシリーズ> (1921~30)

(写真27-1abc) 1927 Lincoln Model L-134B Coaching Brougham by Judkns (1971-03 ハーラーズ・コレクション/晴海貿易センター
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1920年代はまだ馬車時代を懐かしむ世代が現役だったから、当時を彷彿させる懐古趣味を生かしたこんなボディを高級車に架装する例は、「ブガッティ」の最高級モデル「Type41 ロワイアル」にもみられた。この車を造った「ジャドキンス」は、リンカーンのカスタムボディを最も多く手掛けたコーチビルダーだ。特殊なモデルの様に思われるが数台造られたようだ。
 
(写真27-2abc)1927 Lincoln Model L Aero Phaeton by LeBalon   (1998-08 ブルックス・オークション/カリフォルニア)
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前の車と同じ年代とはとても思えない程モダーンな車がこれだ。金属製のシャッターが付いたラジエターは30年代中ごろから一般的になったものなので、1937年の誤りではないかと資料を確認した程だ。リンカーンには工場製のカタログモデルもあったが、ニューイングランド地方に集中していた多くの高級コーチビルダーと契約し、受注生産のモデルのサンプルがセミカスタムとしてカタログに載せられていた。「ル・バロン」もその一つだ。

(写真28-1ab) 1928 Lincoln Model L Collapsible Cabriolet by Holbrook (1995-08 ペブルビーチ)
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(28-1b)(95-25-37E) 1928 Lincoln Model L Collapsible Cabriolet by Hoibrook.jpg
通常の「カブリオレ」は幌を上げて窓を閉めれば完全なクローズド・ボディとなり、箱型の「セダン」と変わらない居住性が確保される。「コラプシブル・カブリオレ」と名付けられたこの車には運転席の屋根が無いが、それは馬車時代の伝統を守ったものだ。運転席には窓もなく、ドアノブが見えないのは内側から開けるのだろう。後部座席とはガラスで仕切られており、シートの中央に見えるのはご主人様が指示を伝える「伝声管」のようだ。同じタイプで後ろが箱型の場合は「タウンカー」と呼ばれ、その名の通り夜会服に身を包みパーティや観劇など近距離の御用を務め、遠乗り用では無かった。「モデルL」のラジエターグリルは、同じ年の「モデルA」とよく似ており、意外と小さく高級車感が無い。


  <モデルKシリーズ> (1931~40)

1921年から30年まで造られたリンカーンとしては最初の「Lシリーズ」は、フォードに買収される以前「「リーランド」が造った1921年型からスタートしている。続く「Kシリーズ」から正真正銘の「フォード」生まれとなり、30年代高級車「リンカーン」を代表するモデルとなった。このシリーズには4種のエンジンがあり3段階に分かれる。1931年V8 5713ccの「Kシリーズ」から始まり、V8エンジンはそのまま32年には「KAシリーズ」となったが、同じ32年には V12 7337ccが誕生し「KBシリーズ」と2本立てとなる。33年「KAシリーズ」は小型V12 6252ccとなるが「KBシリーズ」は前年と変わらない。1934年からは新しいV12 エンジン6781cc一本となったが、ホイールベースで「KA」「KB」と区別していた。35年からはモデル名も「K」一本となり40年まで続く。

(写真32-1ab) 1932 Lincoln Model KB Jadkins Coupe  (1998-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)
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30年代に入るとラジエターグリルが縦長となり高級感が増した。スペシャル・コーチワークのこの車は「ジャドキンス」製のクーペで、多分金属のトップにレザーを貼ったものだろう。大きなトランクだがステップが見当たらないので、ランブルシートは付いていない。ドアの後ろに見える四角形の小さなドアはゴルフバックを収納するためのものだ。

(写真32-2ab) 1932 Lincoln Model KB Jadkins Limousine      (1998-08 ペブルビーチ)
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この車も前の車と同じ「ジャドキンス」製だが、こちらは堂々たるリムジン仕様だ。面白いのは後に付いている荷物台がクーペと全く同じで、これはジャドキンスのデザインの象徴の一つだったのだろう。何故ならクーペには大きなトランクがあり実際には荷台など必要ない筈だからだ。この車も屋根にレザーが貼られ、飾りのランドウ・ジョイントが付いている。一見、屋根がオープンになる「カブリオ」の様に見えるので「フォー(見せかけの)・カブリオレ」と呼ばれるスタイルだ。

(写真33-1abc) 1933 Lincoln Model KB 4dr Convertible Sedan by Dietrich  (1998-08ブルックス・オークション/カリフォルニア)
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一般には1933年型「フォード」のハート形ラジエターグリルとして知られるこの形は、「リンカーン」がオリジナルだったのか、世界的に影響を与え、日本のダットサンでも1934~35年のType13~14もこの形を採用していた。この車を手掛けた「デートリッヒ」も高級車のボディを架装する有名なコーチビルダーだ。ボディタイプはオーソドックスな「カブリオレ」で、内張りのある幌は畳んだときにかさ張るので 、収納した時の事を考えてボディが切り欠かれている。.

(写真33-2abc) 1933 Lincoln Model KB Panel Brougham by Willoughby (1998-08 ペブルビーチ)
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次々登場する車は、いずれも並の車ではない逸品揃いだ。それはリンカーンの多くが著名なコーチビルダーによるスペシャル・ボディーを架装しているからだ。「ウイロビー」製のこの車も「パネル・ブルーアム」途名付けられたボディは、運転席の屋根が無い「タウンカー」タイプで、特殊な用途の為にだけ使用する格式高い車だ。ボディの網目模様は籐を細かく編んだものが張り付けられている。鉄板の上に張ってあるから風通しが良いわけではないが見た目が涼しげだ。

(写真33-3a)1933Lincoln Model KB Coupe by Judkins (1999-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)
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(32-1)で紹介した車と同じ「ジャドキンス」製のクーペだが、こちらはランブルシート付きだ。

(写真33-4a) 1933 Lincoln Model KB Convertible Roadster by LeBaron (1999-08 ペブルビーチ)
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この車は「コンバーチブル・ロードスター」となっているが、一般的には「ロードスター」の幌は一時的なもので簡単なものが普通だが、この車は裏打ちが付いているのではないかと思われるほどしっかりしている。しかもランドー・ジョイント迄付いているから、本当は「カブリオレ・クーペ」と呼ぶ方が似合う。

(写真34-1a) 1934 Lincoln model KA Convertible Roadster by Dietrich  (1999-08ペブルビーチ)
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「KA」は「KB」の普及版だったが34年からはエンジンは「KB」と同じものになった。ホイールベースは「KB」の145インチに対して「KA」は136インチと短い。価格は標準型の4ドアセダンで比較すると4700ドルに対して3500ドルとかなり差があるので「KA」が普及版であることは変わらない。ただ外見では見分けが付かないからお買い得と言える。

(写真36-1ab) 1936 Lincoln Model K Brougham by Brun (1983-08 インペリアルパレス・コレクション/晴海)
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「ブラン」は馬車時代から続く親子2代のデザイナーで、息子はパリで修行してきた経験を活かしフランス風の味をみせるデザインが特色た。この車は「タウンカー」仕様だが、「ブラン」には1枚の扉の左右に取っ手があり、前開きでも後ろ開きでも使える両開きドアが付いた「スポーツセダン」と言う珍しいボディも造っていた。

(写真37-1a~d)1937 Lincoln Model K Sport Sedan by Derham    (2004-08 1ペブルビーチ)
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前年発表された流線形の「ゼファー」の好調の流れを継いで、モデルチェンジした「リンカーン」もヘッドライトがフェンダーに埋め込まれた。この変化は標準ボディのもので、スペシャルだけのものではない。この当時「リンカーン」には著名なコーチビルダー15社が手掛けた製品が見られるが、中でもこの「ダーリン」は億万長者を対象にしたフル・カスタム専門の超高級メーカーとして知られる。一気にモダンな印象に変わり、空力的にも流れるような曲線だ。


   <ゼファー> (1936~42)

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(参考)「ゼファー」の名前の元となった「シカゴ、バーリントン&クインシー鉄道」の特急「パイオニア・ゼファー号」で、運行ルートはネブラスカ州リンカーンからオマハを経てミズーリ州カンザスシティ迄と、なぜか「リンカーン」に縁がある。

大型の「リンカーン」は、アメリカを代表する高級車として地位を確立したが、財政面では収益に寄与しているとは言えなかった。1929年の大恐慌以後、大型高級車市場は大打撃を受けいくつかの高級車が姿を消したなか、「キャディラック」は「ラサール」、「パッカード」は「ライト・エイト」「120(ワン・トゥエンティ)」と、廉価普及版を送り出し市場を守っていた。一方「リンカーン」は1920年代後半から30年代中ごろにかけての7年間で1.500万ドルもの赤字を出しており、「リンカーン」も廉価版で何とかこの局面を打開するため、1936年誕生したのが「リンカーン・ゼファー」である。「キャディラック」や「パッカード」の廉価版は高級車らしさを保った普及版と言うコンセプトで造られたものだが、「ゼファー」は「リンカーン」の名は付いているが全く新しい分野の車で、時代の先端を行く「流線形」は、この後のスタンダードとして、カーデザインに大きな影響を与えた。「ゼファー」のオリジナルとなったのは、フォード社のボディ下請け「ブリッグス社」のデザイナー「ジョン・ジャーダ」のアイデアによるもので、1932年には原案と模型を「エドセル」に見せている。それは2台のフロントエンジン車と1台のリアエンジン車だった。リアエンジン車のモック・アップ(実寸大木製模型)は大衆の反応を見るため1933年12月ニューヨークで開かれた「フォード進歩展」に提示したあと、1934年6月の「シカゴ万国博」でも展示された。アンケートの結果では「スタイル」については80%が好感度を示したが、「リアエンジン」については、アメリカではまだ馴染みが無かったせいか50%が否定的だった。その結果「ゼファー」はフロントエンジンと決まった。デザイナーの「ジヤーダ」はオランダ生まれで、航空機メーカー「フォッカー社」で流体力学を学び、1920年代にはアメリカに渡り「GM」を経て、1932年「ブリグス車体会社」に入っていた。航空機会社での経験から「空気抵抗」と「車体の軽量化」については強い関心があり、その結果生まれたのが「流線形」と「モノコック・ボディ」だった。エンジンは当初はフォードV8を改造したものが予定されていたが、「エドセル」の指示で新しく「V12」が造られた。それは「ゼファー」が「リンカーン」を名乗るために必要な高級車らしさを出すための巧みな演出だった。「V12」と聞いただけで「高級車」と連想するのが普通だったからだが、この車は「リンカーン」の普及版と言うよりは「フォード」のデラックス版のイメージだったからだ。そのエンジンは75°V型12気筒69.8×95.2mm 4375cc 110馬力だったが、こちらも「フォード」のV8エンジンに4気筒を追加したようなもので、大型リンカーンの「V12」とは全く別物だった。 
・僕の手元に1936年の日本版「ゼファー」のカタログがある。取り扱いはこの当時は東京駅前の「丸ビル」1階にショールームを持っていた「エンパイア自動車」で、国内では「リンコン」と呼んでいたことが判る。僕の記憶では大型車の顧客に配慮して「ゼファー」はリンカーンと呼ばずに、別扱いで「リンコン」と呼んだと、何かで読んだように記憶していたがそれは間違えで、両方とも「リンコン」だったことはカタログのゴム印で判る。
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     (参考)1936年版リンコン・ゼファー カタログ

・僕が最初に覚えた車の名前は「リンコン・ゼファー」だった。幼い頃母が読んでくれた「キンダーブック」のひとこまだったそのページには、坂道を風を切って昇っていく自動車と、土手の下から手を振る子供たちの絵が描かれたいたと記憶していた。幼い頃の記憶を頼りに出版元の「フレーベル館」に調査をお願いした結果昭和12年2月号と判った。その時見せていただいた絵本は、原本が戦災で焼失してしまい全国の販売店などから集めたものと伺ったが、裏に「静岡市馬場町」と販売店の住所がゴム印で押されていて因縁を感じた。兄が通っていた幼稚園にはここから納品されていた筈だからだ。昭和9年4月生まれの僕は、この本が出た時は2才と10か月だった。
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  (参考)1936 Lincoln Zephyr  (フレーベル館/キンダーブック 昭和12年2月号より)

(写真36-1a~d) 1936 Lincoln Zephye V12 4dr Sedan      (1959年霞が関・最高裁判所)
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僕が写真を撮り続けていた昭和20年代後半から30年代前半にかけては、西暦でいえば1950年代で次々と新型のアメリカ車が街に登場するから、僕の関心は専らそちらを追っていた。ふと気が付いたらそれまではよく見かけていた戦前の生き残りの車が急にいなくなった。国産車の性能が良くなって普及したことと,車齢がそろそろ15年を超えたせいだろう。古い車が残っているとしたらお役所だろうと目を付けたのが霞が関界隈で、写真は最高裁判所の駐車場だ。ほとんどが廃車寸前の中、この「リンカーン・ゼファー」だけはまだ現役で、街へ出ていく姿を捉えている。オリジナルのヘッドライトは、峯の付いたフェンダーに合わせたものだが、この車の物は多分フォードから転用したものだろう。

(写真36-2a~f) 1936 Lincoln Zephye V12 4dr Sedan(2004-01小平市ブリジストン・ショールーム)
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「ブリヂストン」の創業者石橋正二郎氏が戦前愛用された車で、この写真を撮影した時は小平市にあるブリヂストンのショールームに展示されていた。新車同然にきれいにレストアされていたが、お話によるとホワイトウオールのタイヤはパターンもオリジナルで、現存しないので型から起こして造らせたそうだ。幸いオリジナルタイヤは「ファイヤーストーン」製だったから、今は子会社の製品だった。

(写真38-1abc) 1937 Lincoln Zephye V12 HB 4dr Sedan (2007-04 トヨタ自動車博物館/名古屋)
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1936年誕生したばかりの「ゼファー」は、37年型はマイナーチェンジに留まり、グリルに2本ずつのクロームメッキが5段入り、グリルにあるバッジがブルーから赤に変わったのが目立つ点だ。エンジンもシャシーも全く変わっていない。

(写真39-1a~d) 1939 Lincoln Zephye V12 Coupe   (2004-06 フェスティバル・オブ・スピード)
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  (参考) 1938 Lincoln Zephyr Sedan (ラジエターは横バー)

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1938年にはホイールベースが3インチ延ばされ125インチとなり、ボディも一新されたニューモデルとなった。特筆すべきはラジエターグリルの扱いで、それまでは「縦型」で車の顔としての存在だってが、「ゼファー」では空気取り入れ口としてボディの開口部としての扱いであった。38年型のグリルは上が水平のほぼ四角形で、中は細かい横バーだった。しかしこのスタイルは当時の人に取っては、自動車としての概念からは外れていたのかあまり売れなかったようだ。そして翌年手直しをしたのが39年型のこの車で、グリルの中は縦線となり、両端が高くなった印象は、あたかもボートが波を切って進むかのような印象を与えた。39年型は見た目が良かったせいか、世間が慣れてきたせいか、売れ行きは好調だった。この車は「エドセル」に「コンチネンタル」を造るきっかけを与えた車だ。


   <コンチネンタル> (1940~42)

「コンチネンタル」の生みの親は「エドセル・フォード」として広く知られているが、彼のアイデア・スケッチを基に具現化したのはエドセルの腹心で、フォードのチーフデザイナーだった「ボブ・グレゴリー」だった。1908年生まれで、ヨットのデザインを手がけた後「ブリュースター社」でアメリカン・ロールスロイスのデザインに関わった経歴があり、エドセルにスカウトされフォードのデザイナーとなったのはまだ20台半ばの若さだった。「グレゴリー」は毎年「エドセル」のためのスペシャルカーを造っていたが、1938年9月フロリダでの冬の休暇のための専用コンバーチブルのアイデアが持ち込まれた。ヨーロッパ旅行中発想したアイデアは「ヨーロッパ大陸調」(コンチネンタル・スタイル)にこだわったもので、以前から魅力を感じていた、ヨーロッパの高級車のカブリオレにアメリカ風味を加えたものを目指した。
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(参考)1938 Delahaye 135M Coupe des Alpes by Henry Chapron (エドセルが魅力を感じたヨーロッパの高級車の一つ)

ベースとなったのは設計されたままお蔵となっていた「ゼファー・コンバーチブル」だった。1938年11月完成した「コンチネンタル」の10分の1クレイモデルで、細かいチェックが加えられ最終案が固まった。特にこだわったのはスペアタイヤの扱いで、「トランクの後ろに垂直に立てる」「タイヤの上縁はトランクより少し上に出る事」この2つは「エドセル」が強く主張した点だったが、結果的にはこれこそ「コンチネンタル・スタイル」の象徴として後に引き継がれる結果となった。
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(参考)実物大クレイ・モデル
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(参考)1935 Bentley 3.5Litre Sport Saloon
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(参考)1932 Bugatti Type50 Coupe
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(参考)典型的なコンチネンタル・タイヤを背負ったヨーロッパの高級車たち


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(参考)エドセルのため造られた「コンチネンタル 1号車」(現存せず)

「エドセル」の為造られた1号車は1939年型「ゼファー」がベースで、ホイールベース、全長は変わらず、高さは約8センチ低くなっている。39年2月完成し、冬の休暇をフロリダで過ごしていた「エドセル」の元へ届けられ、早速フロリダのホープ・サウンドやパームビーチを乗り回したところ、驚いたことにすぐさま2000人もの購入希望者が出現した。そこでデトロイトにいる「グレゴリー」に電話し、1号車の欠点を指摘したうえ、量産を視野に入れた2号車の製造を指示した。39年4月にはこの車を1940年型として市販することを決定し1939年10月から生産が開始された。1940年型は「ゼファー」シリーズの最高級モデル扱いで「ゼファー・コンチネンタル」と呼ばれ404台が造られた。流れ作業による生産体制ではあったが1台ずつオプションが異なるため量産は出来なかった。41年からは「ゼファー」シリーズから離れ、独立した「コンチネンタル」シリーズとなった。価格比較は41年のクーペでは「ゼファー」1,464ドル、「コンチネンタル」2,778ドルだった。(参考「フォード」730ドル) 生産台数は40年404台、41年1250台、42年336台、合計1990台だった。(購入希望者は2,000人居た筈だったが?)

(写真40-1a~c) 1940 Lincoln Zephye Continental Town Car     (2004-08 ペブルビーチ)
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戦後米軍関係者が持ち込んだ「コンチネンタル」が一時期日本国内に存在したようだが、帰国の際持ち帰ってしまったので、残念ながら僕は出会っていない。国内には1台も存在しなかったから、当然写真は撮っていない。その後海外のイベンとで出会ったのがこの車で、「コンチネンタル」のカタログモデルは 2ドア「カブリオレ」と「クーペ」の2種しかなかったから、「タウンカー」この車は明らかに特注のスペシャル・ボディだ。しかしオリジナルが完璧なプロポーションを持って居るから、この車はその良さを失っており、決して美しいとは思えない。

(写真41-1a~d) 1941 Lincoln Continental Coupe   (2004-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)
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(41-1b)(04-69-07) 1941 Lincoln Continental Coupe.jpg

(41-1c)(04-69-08) 1940 Lincoln Continental Coupe.jpg

(41-1d)(04-69-10) 1941 Lincoln Continental Coupe.jpg
同じイベントで撮影したもう一台は、1941年型のクーペで、こちらはオリジナルの儘で、それなりに美しい。しかし本当に魅力的なのは「カブリオレ」だと思っているが、残念ながら一度も出会う機会が無かった。41年型はグリルにクロームの縁が付いた。

(写真42-1abc) 1940(46) Lincoln Zephye Town Car  (1983-08 インペリアルパレス・コレクション/晴海)
(42-1a)(83-01-26) 1940 Lincoln Zephye  Towncar(ミセス・ヘンリーフォードの車).jpg

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(42-1c)(83-01-35) 1940 Lincoln.jpg
この車はラスベガスのカジノに付属して運営されている「インペリアルパレス・コレクション」が日本で公開された際撮影したものだ。ここは純粋なミュージアムと言うよりは娯楽施設的な性格が強く「ヒットラーのメルセデス」とか「アルカポネのパッカード」など車よりその経歴、背景に蒐集目的があるようで、この車は「ミセス・ヘンリー・フォード」の車として展示されていた。1940 年には大型の「Kシリーズ」はスペシャル・オーダーでカタログからは落ちており、変わって「ゼファー」が7人乗りの大型ボディ「リムジン」や「ブルーアム・タウンセダン」までカバーしている。スペシャルの様に見えるこの車だが「カタログモデル」で4台造られている。波を切る「ゼファー」の面影はないが、高級車感を出すための豪華なグリルは、戦後の46年型に換えられているようだ。

          ―― 次回は引き続きリンカーの戦後版を予定しています ――

  

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第107回 L項-8 「ロータス・1」(マーク1からタイプ14エリートと23エラン迄)

第106回 L項-7 「リンカーン・2」(米)

第105回 L項-6 「リンカーン・1」

第104回 L項-5 「ランチャ・2」

第103回 L項-4 「ランチャ・1」

第102回 L項-3 「ランボルギーニ」

第101回 L項-2 「ランチェスター」「ラサール」「リー・フランシス」「レオン・ボレー」「ラ・セード」「ロイト」「ロコモービル」「ローラ」「ロレーヌ・デートリッヒ」

第100回 L項-1  「ラゴンダ」

第99回 K項-1 「カイザー」「カイザー・ダーリン」「ケンワース」「キーフト」「ナイト」「コマツ」「コニリオ」「紅旗」「くろがね」

第98回 J項-5 「ジープ」「ジェンセン」「ジョウエット」「ジュリアン」

第97回 J項-4 「ジャガー・4」(大型サルーン、中型サルーン)

第96回 J項-3 「ジャガー・3」 (E-type、レーシング・モデル)

第95回 J項-2 「ジャガ-・2」(XK120、XK140、XK150、C-type、D-type、XKSS)

第94回 J項-1  「ジャガー・1」(スワロー・サイドカー、SS-1、SS-2、SS-90、SS-100)

第93回 I項-2 「イターラ」「イソ」「いすゞ」

第92回 I項-1 「インペリアル、イノチェンティ、インターメカニカ、インビクタ、イソッタ・フラスキーニ」

第91回 H項-8 「ホンダ・5(F1への挑戦)」

第90回 H項-7 「ホンダ・4(1300(空冷)、シビック(水冷)、NSX ほか)」

第89回  H項-6 「ホンダ・3(軽自動車N360、ライフ、バモス・ホンダ)」

第88回 H項-5 「ホンダ・2(T/Sシリーズ)」

第87回  H項-4 「ホンダ・1」

第86回 H項-3 「ホールデン」「ホープスター」「ホルヒ」「オチキス」「ハドソン」「ハンバー」

第85回 H項-2 日野自動車、イスパノ・スイザ

第84回 H項-1 「ハノマク」「ヒーレー」「ハインケル」「ヘンリーJ」「ヒルマン」

第83回 G項-2 「ゴールデン・アロー」「ゴリアト」「ゴルディーニ」「ゴードン・キーブル」「ゴッツイー」「グラハム」

第82回 G項-1 「GAZ」「ジャンニーニ」「ジルコ」「ジネッタ」「グラース」「GMC」「G.N.」

第81回 F項-25 Ferrari・12

第80回 F項-24 Ferrari・11 <340、342、375、290、246>

第79回  F項-23 Ferrari ・10<365/375/410/400SA/500SF>

第78回 F項-22 Ferrari・9 275/330シリーズ

第77回 F項-21 Ferrari・8<ミッドシップ・エンジン>

第76回 F項-20 Ferrari・7 <テスタ ロッサ>(500TR/335スポルト/250TR)

第75回 F項-19 Ferrari ・6<250GTカブリオレ/スパイダー/クーペ/ベルリネッタ>

第74回 F項-18 Ferrari・5<GTシリーズSWB,GTO>

第73回  F項-17 Ferrari・4

第72回 F項-16 Ferrari・3

第71回 F項-15 Ferrari・2

第70回 F項-14 Ferrari・1

第69回 F項-13 Fiat・6

第68回 F項-12 Fiat・5

第67回 F項-11 Fiat・4

第66回 F項-10 Fiat・3

第65回 F項-9 Fiat・2

第64回 F項-8 Fiat・1

第63回 F項-7 フォード・4(1946~63年)

第62回 F項-6 フォード・3

第61回 F項-5 フォード・2(A型・B型)

第60回 F項-4 フォード・1

第59回 F項-3(英国フォード)
モデルY、アングリア、エスコート、プリフェクト、
コルチナ、パイロット、コンサル、ゼファー、ゾディアック、
コンサル・クラシック、コルセア、コンサル・カプリ、

第58回  F項-2 フランクリン(米)、フレーザー(米)、フレーザー・ナッシュ(英)、フォード(仏)、フォード(独)

第57回 F項-1 ファセル(仏)、ファーガソン(英)、フライング・フェザー(日)、フジキャビン(日)、F/FⅡ(日)

第56回 E項-1 エドセル、エドワード、E.R.A、エルミニ、エセックス、エヴァ、エクスキャリバー

第55回  D項-8 デューセンバーグ・2

第54回 D項-7 デューセンバーグ・1

第53回  D項-6 デソート/ダッジ

第52回 D項-5 デ・トマゾ

第51回 D項-4 デイムラー(英)

第50回 D項-3 ダイムラー(ドイツ)

第49回  D項-2 DeDion-Bouton~Du Pont

第48回 D項-1 DAF~DeCoucy

第47回 C項-15 クライスラー/インペリアル(2)

第46回 C項-14 クライスラー/インペリアル

第45回 C項-13 「コルベット」

第44回 C項-12 「シボレー・2」(1950~) 

第43回 C項-11 「シボレー・1」(戦前~1940年代) 

第42回  C項-10 「コブラ」「コロンボ」「コメット」「コメート」「コンパウンド」「コンノート」「コンチネンタル」「クレイン・シンプレックス」「カニンガム」「カーチス]

第41回 C項-9 シトロエン(4) 2CVの後継車

第40回  C項-8シトロエン2CV

第39回  C項-7 シトロエン2 DS/ID SM 特殊車輛 トラック スポーツカー

第38回  C項-6 シトロエン 1 戦前/トラクションアバン (仏) 1919~

第37回 C項-5 「チシタリア」「クーパー」「コード」「クロスレー」

第36回 C項-4 カール・メッツ、ケーターハム他

第35回 C項-3 キャディラック(3)1958~69年 

第34回  C項-2 キャディラック(2)

第33回 C項-1 キャディラック(1)戦前

第32回  B項-13  ブガッティ(5)

第31回 B項-12 ブガッティ (4)

第30回  B項-11 ブガッティ(3) 

第29回 B項-10 ブガッティ(2) 速く走るために造られた車たち

第28回 B項-9 ブガッティ(1)

第27回 B項-8 ビュイック

第26回 B項-7  BMW(3) 戦後2  快進撃はじまる

第25回 B項-6 BMW(2) 戦後

第24回  B項-5   BMW(1) 戦前

第23回   B項-4(Bl~Bs)

第22回 B項-3 ベントレー(2)

第21回 B項-2 ベントレー(1)

第20回 B項-1 Baker Electric (米)

第19回  A項18 オースチン・ヒーレー(3)

第18回  A項・17 オースチン(2)

第17回 A項-16 オースチン(1)

第16回 戦後のアウトウニオン

第15回  アウディ・1

第14回 A項 <Ar-Av>

第13回  A項・12 アストンマーチン(3)

第12回 A項・11 アストンマーチン(2)

第11回  A項-10 アストン・マーチン(1)

第10回 A項・9 Al-As

第9回 アルファ・ロメオ モントリオール/ティーポ33

第8回 アルファ・ロメオとザガート

第7回 アルファ・ロメオ・4

第6回 アルファ・ロメオ・3

第5回 アルファ・ロメオ・2

第4回  A項・3 アルファ・ロメオ-1

第3回  A項・2(Ac-Al)

第2回  「A項・1 アバルト」(Ab-Ab)

第1回特別編 千葉市と千葉トヨペット主催:浅井貞彦写真展「60年代街角で見たクルマたち」開催によせて

執筆者プロフィール

1934年(昭和9年)静岡生まれ。1953年県立静岡高等学校卒業後、金融機関に勤務。中学2年生の時に写真に興味を持ち、自動車の写真を撮り始めて以来独学で研究を重ね、1952年ライカタイプの「キヤノンⅢ型」を手始めに、「コンタックスⅡa」、「アサヒペンタックスAP型」など機種は変わっても一眼レフを愛用し、自動車ひとすじに50年あまり撮影しつづけている。撮影技術だけでなく機材や暗室処理にも関心を持ち、1953年(昭和28年)1月には戦後初の国産カラーフィルム「さくら天然色フィルム」(リバーサル)による作品を残している。著書に約1万3000余コマのモノクロフィルムからまとめた『60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ編】』『同【アメリカ車編】』『同【日本車・珍車編】』『浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録』(いずれも三樹書房)がある。

関連書籍
浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録
60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ車編】
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