三樹書房
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第13回  A項・12 アストンマーチン(3)
2013.12.27

第3回目は1972年から84年までとし、最後にオマケとして、それ以降の何台かをご紹介してアストンマーチンを締めくくりたい。最初に述べてように、何度も経営危機が訪れ、その度に経営方針が変り、車の特徴も変化してきた。今回はその「第5期」(1972-75)、「第6期」(1975-84)である。

<第5期 カンパニー・デベロップメンツの時代> (1972-75年)
デビッド・ブラウンの下で造られた「DBシリーズ」は1972年まで造られたが、1970年代に入るとグループの主体であるトラクター部門での経営の失敗から、会社は又々資金難に陥った。その頃次世代のV8モデルへの転換を図るべく多大な設備投資で、50万ポンドに近い負債を抱え、遂にお手上げとなった。そこに現れた救世主が不動産業者「ウイリアム・ウイルソン」の「カンパニー・デベロップメンツ社」で、約50万ポンドの債務を引き受ける代わりに、経営権を僅か100ポンドで譲り受けたという。(因みに1972年上旬の1ポンドは800円で50万ポンドでは約4億円、現在は1ポンドが150円なので7500万円となる) 新会社は莫大な費用をかけ、最大のマーケットであるアメリカの排ガス規制をなんとかクリアーしたが、前年からの不動産業界の不況のあおりを受け、1975年には又々スポンサーが資金難に陥り遂に生産ラインがストップするという創業以来最大のピンチに追い込まれ、伝統ある「アストンマーチン」の名も遂にこれまでかと誰もが観念した。

この間に造られたのは次の通りである。(モデル名から「DB」が消える)
    1972 AM ヴァンテッジ(6気筒DBSの改良型)
     1972  AM V8 サルーン (DBS V8の改良型)

(写真01-1)1972-73 AM Vantege Saloon(6気筒) (シルヴァーストーン/イギリス)
(01-1) (00-29-32) 1972-73 AstonMartin AM Volante(6気筒ボンネットにエアインテーク無し).jpg
デビッド・ブラウン時代の「DBシリーズ」の最後は「DBS」と「DBS V8」だったが、新会社になって最初に発表されたのは6気筒「DBS」に手を加え、アストンらしさを失ったと不評だった4灯ヘッドライトを2灯式に戻した「AM ヴァンテッジ・サルーン」だった。

(写真01-2)1974 V8 Saloon ( 1973-11 東京モーター・ショー)
(01-2)276-65 1974 Aston Martin V8 Saloon.jpg
同時に「DBS V8」の改良型で、外見上「AMヴァンテッジ」と殆ど見分けが付かない「AM V8」も発表された。我が国にもいち早く輸入された車は既に改良型が発表されて居たが、ボンネットのバルジが小さいので初期型と思われる。

(写真01-3a)(01-3b) 1973-74 AM V8 Saloon (シルバーストーン/イギリス)
(01-3a) 1973-74 Aston Martin AM V8 Saloon.jpg
(01-3b) (00-36-32).jpg
「V8」は排ガス規制対策として1973年に燃料噴射から気化器に変更、それに伴ってボンネット上のバルジが大きくなったので写真の車は改良後のモデルと思われる。


<第6期 アラン・カーティス/ジョン・シモンズの時代>(1975-84年)

1975年、この年は,僅か20台しか造られなかったと記録されているから、工場の操業停止状態はかなり長期間にわたったものと推定される。(因みに、それまでのアストン・マーチンの生産ペースは週6台/年間約300台だった)
暫くして、「遂に」と言おうか「またまた」と言おうか、再び救世主が現れた。しかも、ほぼ時を同じくして2つの話が持ち込まれた。最初はアメリカ人「ピーター・スプレイグ」とカナダ人「ジョージ・ミンデン」が組んだ財団が資金を提供し経営権を手に入れた。やや遅れて、航空機関連業界からイギリス人「アラン・カーティス」も救済の意思を固め、資金を用意したが、既に会社は外国人の手に渡ってしまっていたので、一旦は「アストンマーチン」を諦めた。一方、経営権を手に入れた「外国人」としては伝統ある「名門」が外国に乗っ取られたという印象は避けたいという思惑もあり、「イギリス人」である「アラン・カーティス」の意向を知ったアメリカ人とカナダ人の経営者は彼も共同出資者とした迎え入れ、新会社「アストンマーチン・ラゴンダ(1975)リミテッド」が発足した。1977年には彼がマネージメント・デレクターとなり順調に回復が進んでいたが、2年後の1979年10月、生粋の自動車業界出身のイギリス人「ジョン・シモンズ」がヘッドハンティングされ、アラン・カーチスと交代する。1980年末には実現はしなかったが経営危機に瀕していた「MG」を買収するかと噂される程に業績は回復していた。

1977   AM ヴァンテッジ (AMV8の高性能版)
1978   AM ヴォランテ  (AMV8のコンバーチブル版)
1978-90 ラゴンダ    (AMV8ベース、ストレッチ4ドア版)


(写真02-1)1977 AM V8 Vantage Saloon (シルバーストーン)
(02-1) 1977 Aston Martin AM V8 Vantage Saloon.jpg
「AM V8」の強化版が「AM V8バンテージ」で、エンジンの強化と共に、風洞実験を取り入れた結果、グリルは塞がれ、バンパーの下にエアインテークを持つ大きなエアダムが取り付けられた。

(写真02-2a)(02-2b) 1978-79 AM V8 Volante  (シルバーストーン)
(02-2)(00-33-09) 1977 AstonMartin AM Volante.jpg
(02-2b)(00-33-16) 1979 AstonMartin AM V8 Volante.jpg
最大の輸出先アメリカの強い要望で久々に登場したコンバーチブルは「V8バンテージ・サルーン」のオープン版で、「ボランテ」の名称は「DB6」以来使われているアストンマーチンでのコンバーチブルの呼び名である。


(写真02-3) 1988 AM V8 Virage Volante (シルバーストーン)
(02-3) 1988 Astonmartin  AM V8 Virage Vilantebb.jpg
情報不足でこの当時の首脳陣は不明だが、僕個人としては歴代の中で一番アストンマーチンらしさを感じないスタイルだと思う。


(写真02-4a)(02-4b) 1986 AM V8 Virage Zagato(シルバーストーン)
(02-4a)(00-30-02) 1986 AstonMartin V8 Zagato.jpg
(02-4b)(00-30-01) 1986 Aston Martin V8 Zagato.jpg
カロセリア・ザガートは「DB4 GT」で曲線を強調した素晴らしい作品を残しているが、この時代、ウーゴ・ザガートから息子のエリオ・ザガートへの世代交代があり、ベースの車自体も直線的なせいか、頭の固い僕らの目には「ザガートらしさ」が感じられない。50台限定予定だったが、クーペ52台、ヴォランテ37台が造られた。

(写真02-5) 1990 Virage Coupe Green Honet (1999-03 東京コンクール・デレガンス/六本木)
(02-5)09-03-26_235 1990 Aston Martin Virage (Green Homet).JPG
英国のミュージシャン「ニック・ウッド」の車で、この色は注目のインダストリアル・デザイナー「マーク・ニューソン」が特別に調合した世界に1台しかない車だ、と説明されていた。


(写真02-6) 1988 V8 Virage Coupe Racingcar (シルバーストーン)
(02-6) 1988 Aston Martin V8 Virage Coupe Racingcar.JPG
突然目の前を通り過ぎたので詳細は不明だが、ヴィラージュにエアパーツを取り付けたレース仕様の車だ。


(写真02-7)1996 V8 Coupe (Replica Virage Coupe) (1997-06 ビューリー・ミュージアム)
(02-7)07-06-25-0950 (1996 Aston Martin V8 Coupe)のコピー.jpg
ベースとなった車は1996年のV8ヴァンテージと思われるが、1980年代のヴィラージュをイメージしたレプリカである。


(写真03-1a)(03-1b)(03-1c) 1974-76 Ragonda Sr.1 (シルバーストーン)
(03-1a)(00-36-25) 1974-76 As.jpg
(03-1b)(00-36-24) 1974-6 AstonMartin-Lagonda sr.1 Saloon.jpg
(03-1c)(00-36-27).jpg
デッド・ブラウンによってアストンマーチンに吸収された「ラゴンダ社」は戦前は英国の名門スポーツカー・メーカーだった。「DB」時代にその名を聞く事は無かったが、カンパニー・デベロップメンツの時代になって再び「ラゴンダ」が復活した。といっても今回は「メーカー」としてではなく、アストンマーチンの「モデル名」として。当時の「V8」をストレッチして4ドア化し、グリルに楯型の飾りを付けた、「ラゴンダ」という名前以外にはこれといった特徴もない車だったが、経営危機のあおりを受け9台しか製造されなかった。


(写真03-2a)(03-2b)(03-2c) 1978 Lagonda Sr.2 4dr. Saloon (シルバーストーン)
(03-2a)00-37-08b 1978- AstonMartin-Lagonda sr.2 Saloon.jpg
(03-2b)01-4b 00-37-09b AstonMartin-Lagonda sr.2 Saloon.jpg
(03-2c) 1978 Aston Martin-Lagonda sr.2 Saloon.jpg
正面から見るとロールスロイスを4分の1に押し潰したような、極めて印象的な(常識的でない)車だ。同じ「ラゴンダ」を名乗っているが、こちらは「アラン・カーティス」の時代に入ってからの作品で、この近未来的な大胆なデザインはウイリアム・タウンズのものだ。このスケッチを見たカーティスはモーターショーで新会社のやる気をアピールするのにぴったりと判断し、1976年秋のロンドン・ショーでプロトタイプをデビューさせた。そして目論見通り一大センセーションを起こした。1979年末、海外輸出第1号と言われる1台が我が国に上陸した記録がある。

(写真03-3a)(03-3b)(03-3c) 1987 Lagonda Sr.4 4dr. Saloon (シルバーストーン)
(03-3a)(00-37-03) 1987- AstonMartin-Lagonda Sr.4 Saloon.jpg
(03-3b)01-5b 00-37-02 1987- AstonMartin-Lagonda sr.4 Saloon.jpg
(03-3c)(00-37-04) 1987- AstonMartin-LagondaSr.4 Saloon.jpg
このシリーズは1~4まであったが、今回「シリーズ3」の写真は出てこない。僕が持っていないからだ。しかしこのシリーズ4の写真の周りにも大型4ドア・サルーンが何台も写っているにで、多分この中に居たに違いない。撮影したのは6月下旬だったがイギリスの天候は肌寒く、突然空が真っ暗になるなど不安定で、その上皆同じような車に見えてしまったりして、少々テンションが下がっていた所為もあり、めったにないチャンスを逃したようだ。アストンマーチンの生産能力は週7台がマキシマムとされるが、ラゴンダ誕生当時はそのうち1台だった割り当てが3台(42%)まで増やされた時期があり、かなり期待をかけていた事が判る。


(本当はここまでで終とする予定だったが、復活した「DB」シリーズが、昔の面影を残し魅力的なのでもう少々延長しよう)

<DBシリーズの復活・フォード傘下の時代から最近まで>(1991年-  )
1980年代約10年間の経営陣の動きは僕の資料からは明確でないが、1991年末当時の経営者達が所有していた75%の株を「フォード」に売却してしまった。その結果、元ヨーロッパ・フォードの副社長だった「ウオルター・ヘイズ」が社長に就任し精力的な活躍を見せた。その一つが「デビッド・ブラウン」を再び経営陣に迎え入れ「DBシリーズ」を復活させたことで、しかもその名に違わずかつての面影を残した伝統的なスタイルは、オールドファンには嬉しい限りだ。

(写真04-1)(04-2a)(04-2b) 1994-99 DB7 Coupe/ Volante (シルバーストーン)
(04-1)(00-39-14) 2000 AstonMartin DB7 Coupe.jpg

(04-2a)(00-39-19) 2000 Aston Martin DB7 Volante.jpg
(04-2b)(00-39-20) 2000 AstonMartin DB7 Volante.jpg
フォード傘下となって2年、1993年になると「DB6」以来23年ぶりの「DB7」が登場した。当時同じくフォード傘下にあった「ジャガー」のシャシーと、DOHC 6気筒3228ccエンジンが流用されたが、「DB7」ノーマルタイプは直6エンジンを持つ最後のアストンマーチンとなった。

(写真04-3a)(04-3b) 2000 DB7 Vantage (シルバーストーン)
(04-3a)(00-39-18) 2000 AstonMartin DB7 Vantage.jpg
(04-3b)(00-39-17) 2000 AstonMartin DB7 Vantage.jpg
6気筒の「DB7」と同時期に上級モデルとして5.3リッターのエンジンを持つ「 V8ヴァンテージ」があったが、1999年マイナー・チェンジで名前が変わって「DB7 ヴァンテージ」となった。

(写真04-4) 2001 DB7 Volante (2002-10 東京モーターショー/幕張メッセ)
(04-4)(01-52-27) 2001 Aston Martin DB7 Volante.jpg
「DB7ヴァンテージ」のオープン・モデルが「DB7ヴォランテ」である。


(写真04-5a)(04-5b) 2003 DB7 Zagato・AR1 (2003-10 東京モーター・ショー)
(04-5a)(03-30-32) 2003 Aston Martin Zagato DB AR1.jpg
(04-5b)(03-30-34) 2003 Aston Martin Zagato DB AR1.jpg
幕張メッセのモーターショーでは狭いスペースに割と地味に展示されていたので、パッと見たとき「おッ!ヒストリックのアストンが・・」と思った程だ。それほどに懐かしい面影を残したこの車は、当時のザガートのチーフ・デザイナーだったの原田則彦氏の作品で、かつての「DB4 GTザガート」に深い想い入れを込めて構想を膨らませた、と聞く。「DB9」に交代する前、最後に一花咲かせた傑作だと僕は思いう。

(写真05-1a)(05-1b)(05-1c) 2004 DB9 Coupe (2007-05 数寄屋橋/ソニー・ビル)
(05-1a)07-05-31_012 2004 Aston Martin DB9 Coupe.JPG
(05-1b)07-05-31_013 2004 Aston Martin DB9 Coupe.JPG
(05-1c)07-05-31_015 2004-Aston Martin DB9 Coupe.JPG
2004年「DB7」からDB8を飛ばして「DB9」となった。「DB8」は「V8」シリーズと紛らわしいからだろう。「DB9」の印象は、今までのジャガーと異母兄弟のようなイメージから、すっかり「アストンマーチン」らしくなったが、あの「DB7ザガート」からかなり影響を受けたのではないか。写真の車は映画「007カジノ・ロワイヤル」の公開を記念して展示されたもの。


(写真05-2)2006 DB9 Volante (2005-10 東京モーターショー/幕張メッセ)
(05-2)05-10-21-_173 2006 Aston Martin DB9 Volante Roadster.JPG
「DB9」は5.9リッター V12気筒の456hpのエンジンを持ち、オープン・モデルは「ヴォランテ」と呼ばれた。



(写真05-3a)(05-3b) (05-4a)(05-4b) 2007 DBR 9 LeMans Car (2007-06-22 グッドウッド)
(05-3a)07-10-3196 (2007 Aston Martin DBR9).JPG
(05-3b)07-10-3197 2007-Aston Martin DBR 9.JPG

(05-4a) 2007 Aston Martin DBR9 007 LeMans仕様.JPG
(05-4b)07-06-24_603.JPG
この車はほんの5日前に24時間レースを戦い終わったばかりの、そのままの姿で展示されていた。「009」の方はGT-1クラス優勝(総合5位)、「007」の方はクラス4位(総合9位)で完走した。「009」は期間中会場内のサーキットを全力で走ってみせる余裕さえ見せた。

(写真05-5a)(05-5b) 2007 DBRS 9 Racing Car (2007-06 グッドウッド)
(05-5a) 2007 Aston Martin DBRS9 Coupe.JPG
(05-5b)07-10-3202 2007 Aston Martin DBRS 9.JPG
こちらはどこのレースで活躍したのか判らないが、「DBRS9」と「S」が追加され、エアロパーツで強化されている所から見てしかるべき強者だろう。


(写真06-1)2001-07 V12 Vanquish Coupe (2001-10 東京モーターショー/幕張メッセ)
(06-1)(01-52-24) 2001-07 Aston Martin V12 Vanquish.jpg
「ヴァンキッシュ」は「DB9」より上位にランクされるアストンマーチンのフラッグ・シップである。



(写真07-1a)(07-1b) 2004-07 V12 Vanquish S Coupe (2005-10 東京モーターショー/幕張)
(07-1a)05-10-21-_169 2004-07 Aston Martin V12 Vanquish S Coupe.JPG
(07-1b)05-10-21-_171 2004-07 Aston Martin V12 Vanquish S Coupe.JPG
「ヴァンキッシュ」には「S」仕様もあり単なる豪華車ではなく歴代最速を誇る生粋のスポーツカーでもある。また、オプションで2+2も可能である。


(写真08-1a)(08-1b) 2005-08 V8 Vantage Roadster (2010-06 ポーツマス/イギリス)
(08-1a)10-07-03_1028 2006 Aston Martin Roadster.JPG
(08-1b)10-07-03_1029 2006 Aston Martin Roadster.JPG
「ヴァンテージ」は1978-89年の初代,1993-99年の2代目に続き3代目は2005年誕生した。エンジンはV8 4.3リッターで、アストンマーチンとしてはやや小ぶりだが2008年には4.7リッター版も追加された。完全な2シーターで幌も内張りのないロードスター仕様となっており、重厚な強化モデルだった先代に較べると400kgも軽量化されており、スポーツカー・マインドが高い。写真の車はポーツマスの街中で見つけたものだが、このクラスになるとイギリスでもめったにお目にかかれない。

(写真09-1a)(09-1b) 2008-12 DBS V12 Coupe (2009-01 数寄屋橋/ソニービル)
(09-1a)09-01-13_134 2008 AstonMartin DBS (銀座ソニービル).JPG
(09-1b)09-01-13_135 2008 Aston Martin DBS.JPG
1967-72年の初代以来35年ぶりに登場した「新DBS」は、V12気筒、5935cc 517hpのエンジンを持つ。この車も映画「007・慰めの報酬」でも起用され、今回もソニー・ビルに展示された。


(写真10-1a)(10-1b) (10-2) 2010 Rapide 4dr Saloon (2010-06 グッドウッド/イギリス)
(10-1a)10-07-04_0812 2010 Aston Martin Rapide.JPG
(10-1b)10-07-04_0813 2010 Aston Martin Rapide.JPG

(10-2)10-07-04_0466 2010 Aston Martin Rapide.JPG
「Rapide」と書いて50年前のラゴンダの時は「ラパイド」と読んだが、今回は「ラピード」と読むらしい。アストンマーチンに4ドアが登場するのは1987年のラゴンダ・シリーズ以来23年ぶりの事だ。完全な4シーターだが、Bピラーはガラスが重なる事で柱を持たないので一見クーペのようで、見た目は今までと殆ど変わらない。4枚のドアは14度上方に開く「スワン・ドア」と呼ばれる方式が採用された。4ドアだからと言ってもファミリーカーではないから立派にレース仕様も存在する。


(写真11-1)アストンマーチンのワークスが使用していたトレイラー・トラックは「Iveco」だった。
(11-1) 2000 AstonMartin Works ServiceTruck(IVECO).jpg

ほんの少し追加する予定が、次々と興味が出てきて随分長くなってしまったがこれでオシマイ。
(近況)11月30日、神宮絵画館前で開かれる恒例の「トヨタ博物館クラシック・フェスタ」に行った。その時耳にした「アラフォー」とおぼしきご婦人達の会話。かなりのクルマ好きと見えてレアな車も良くご存知だったが、59 年のキャディラックが通過したとき「こんな大きな車って、どんな車庫に入れてんだろうね」だって。(同感!)

次回は一寸前に戻って「Ar」(アームストロング・シドレイ)から始まります。

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第105回 L項-6 「リンカーン・1」

第104回 L項-5 「ランチャ・2」

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第102回 L項-3 「ランボルギーニ」

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第100回 L項-1  「ラゴンダ」

第99回 K項-1 「カイザー」「カイザー・ダーリン」「ケンワース」「キーフト」「ナイト」「コマツ」「コニリオ」「紅旗」「くろがね」

第98回 J項-5 「ジープ」「ジェンセン」「ジョウエット」「ジュリアン」

第97回 J項-4 「ジャガー・4」(大型サルーン、中型サルーン)

第96回 J項-3 「ジャガー・3」 (E-type、レーシング・モデル)

第95回 J項-2 「ジャガ-・2」(XK120、XK140、XK150、C-type、D-type、XKSS)

第94回 J項-1  「ジャガー・1」(スワロー・サイドカー、SS-1、SS-2、SS-90、SS-100)

第93回 I項-2 「イターラ」「イソ」「いすゞ」

第92回 I項-1 「インペリアル、イノチェンティ、インターメカニカ、インビクタ、イソッタ・フラスキーニ」

第91回 H項-8 「ホンダ・5(F1への挑戦)」

第90回 H項-7 「ホンダ・4(1300(空冷)、シビック(水冷)、NSX ほか)」

第89回  H項-6 「ホンダ・3(軽自動車N360、ライフ、バモス・ホンダ)」

第88回 H項-5 「ホンダ・2(T/Sシリーズ)」

第87回  H項-4 「ホンダ・1」

第86回 H項-3 「ホールデン」「ホープスター」「ホルヒ」「オチキス」「ハドソン」「ハンバー」

第85回 H項-2 日野自動車、イスパノ・スイザ

第84回 H項-1 「ハノマク」「ヒーレー」「ハインケル」「ヘンリーJ」「ヒルマン」

第83回 G項-2 「ゴールデン・アロー」「ゴリアト」「ゴルディーニ」「ゴードン・キーブル」「ゴッツイー」「グラハム」

第82回 G項-1 「GAZ」「ジャンニーニ」「ジルコ」「ジネッタ」「グラース」「GMC」「G.N.」

第81回 F項-25 Ferrari・12

第80回 F項-24 Ferrari・11 <340、342、375、290、246>

第79回  F項-23 Ferrari ・10<365/375/410/400SA/500SF>

第78回 F項-22 Ferrari・9 275/330シリーズ

第77回 F項-21 Ferrari・8<ミッドシップ・エンジン>

第76回 F項-20 Ferrari・7 <テスタ ロッサ>(500TR/335スポルト/250TR)

第75回 F項-19 Ferrari ・6<250GTカブリオレ/スパイダー/クーペ/ベルリネッタ>

第74回 F項-18 Ferrari・5<GTシリーズSWB,GTO>

第73回  F項-17 Ferrari・4

第72回 F項-16 Ferrari・3

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第70回 F項-14 Ferrari・1

第69回 F項-13 Fiat・6

第68回 F項-12 Fiat・5

第67回 F項-11 Fiat・4

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第64回 F項-8 Fiat・1

第63回 F項-7 フォード・4(1946~63年)

第62回 F項-6 フォード・3

第61回 F項-5 フォード・2(A型・B型)

第60回 F項-4 フォード・1

第59回 F項-3(英国フォード)
モデルY、アングリア、エスコート、プリフェクト、
コルチナ、パイロット、コンサル、ゼファー、ゾディアック、
コンサル・クラシック、コルセア、コンサル・カプリ、

第58回  F項-2 フランクリン(米)、フレーザー(米)、フレーザー・ナッシュ(英)、フォード(仏)、フォード(独)

第57回 F項-1 ファセル(仏)、ファーガソン(英)、フライング・フェザー(日)、フジキャビン(日)、F/FⅡ(日)

第56回 E項-1 エドセル、エドワード、E.R.A、エルミニ、エセックス、エヴァ、エクスキャリバー

第55回  D項-8 デューセンバーグ・2

第54回 D項-7 デューセンバーグ・1

第53回  D項-6 デソート/ダッジ

第52回 D項-5 デ・トマゾ

第51回 D項-4 デイムラー(英)

第50回 D項-3 ダイムラー(ドイツ)

第49回  D項-2 DeDion-Bouton~Du Pont

第48回 D項-1 DAF~DeCoucy

第47回 C項-15 クライスラー/インペリアル(2)

第46回 C項-14 クライスラー/インペリアル

第45回 C項-13 「コルベット」

第44回 C項-12 「シボレー・2」(1950~) 

第43回 C項-11 「シボレー・1」(戦前~1940年代) 

第42回  C項-10 「コブラ」「コロンボ」「コメット」「コメート」「コンパウンド」「コンノート」「コンチネンタル」「クレイン・シンプレックス」「カニンガム」「カーチス]

第41回 C項-9 シトロエン(4) 2CVの後継車

第40回  C項-8シトロエン2CV

第39回  C項-7 シトロエン2 DS/ID SM 特殊車輛 トラック スポーツカー

第38回  C項-6 シトロエン 1 戦前/トラクションアバン (仏) 1919~

第37回 C項-5 「チシタリア」「クーパー」「コード」「クロスレー」

第36回 C項-4 カール・メッツ、ケーターハム他

第35回 C項-3 キャディラック(3)1958~69年 

第34回  C項-2 キャディラック(2)

第33回 C項-1 キャディラック(1)戦前

第32回  B項-13  ブガッティ(5)

第31回 B項-12 ブガッティ (4)

第30回  B項-11 ブガッティ(3) 

第29回 B項-10 ブガッティ(2) 速く走るために造られた車たち

第28回 B項-9 ブガッティ(1)

第27回 B項-8 ビュイック

第26回 B項-7  BMW(3) 戦後2  快進撃はじまる

第25回 B項-6 BMW(2) 戦後

第24回  B項-5   BMW(1) 戦前

第23回   B項-4(Bl~Bs)

第22回 B項-3 ベントレー(2)

第21回 B項-2 ベントレー(1)

第20回 B項-1 Baker Electric (米)

第19回  A項18 オースチン・ヒーレー(3)

第18回  A項・17 オースチン(2)

第17回 A項-16 オースチン(1)

第16回 戦後のアウトウニオン

第15回  アウディ・1

第14回 A項 <Ar-Av>

第13回  A項・12 アストンマーチン(3)

第12回 A項・11 アストンマーチン(2)

第11回  A項-10 アストン・マーチン(1)

第10回 A項・9 Al-As

第9回 アルファ・ロメオ モントリオール/ティーポ33

第8回 アルファ・ロメオとザガート

第7回 アルファ・ロメオ・4

第6回 アルファ・ロメオ・3

第5回 アルファ・ロメオ・2

第4回  A項・3 アルファ・ロメオ-1

第3回  A項・2(Ac-Al)

第2回  「A項・1 アバルト」(Ab-Ab)

第1回特別編 千葉市と千葉トヨペット主催:浅井貞彦写真展「60年代街角で見たクルマたち」開催によせて

執筆者プロフィール

1934年(昭和9年)静岡生まれ。1953年県立静岡高等学校卒業後、金融機関に勤務。中学2年生の時に写真に興味を持ち、自動車の写真を撮り始めて以来独学で研究を重ね、1952年ライカタイプの「キヤノンⅢ型」を手始めに、「コンタックスⅡa」、「アサヒペンタックスAP型」など機種は変わっても一眼レフを愛用し、自動車ひとすじに50年あまり撮影しつづけている。撮影技術だけでなく機材や暗室処理にも関心を持ち、1953年(昭和28年)1月には戦後初の国産カラーフィルム「さくら天然色フィルム」(リバーサル)による作品を残している。著書に約1万3000余コマのモノクロフィルムからまとめた『60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ編】』『同【アメリカ車編】』『同【日本車・珍車編】』『浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録』(いずれも三樹書房)がある。

関連書籍
浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録
60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ車編】
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