三樹書房
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第21回 B項-2 ベントレー(1)
2014.8.27

創立者W.O.ベントレー(Walter Owen Bentley/1988-1971)は、裕福な家庭で9人兄弟の末っ子としてロンドンで生れた。カレッジで「物理」「科学」「工学理論」を学んだ後、1905年16歳で、子供の頃から憧れていた機関車に関わりたいとグレートノーザン鉄道に入社し、見習工員として徒弟制度の下で修行するも、理論より経験を優先する組織には馴染めなかったらしく、1910年には「ナショナル・モーター・キャブ」というタクシー整備会社に転職し、ここで自動車エンジンとモータースポーツに出会う。2年後の1912年兄と共にロンドンにあったフランス車「DFP」(Detroit Flandrin et Parant)を輸入する「ラコック&フェルニー」という小さな会社を買収し、「DFP」をチューンアップした車で自らハンドルを握り本格的にレース活動を始める。そして遂には「DFP」のワークス・チームを打ち負かすまで進化してしまった。エンジン・チューニングで最も効果的だったのはアルミと銅を含む「軽合金」で造られたピストンで、このノウハウは翌年始まった第1次世界大戦で初めて登場した飛行機エンジンに生かされ、ソッピース戦闘機やアブロ爆撃機の為4000台が造られた。

「ベントレー」という車は「デイムラー」「ロールス・ロイス」と並ぶイギリスの大型豪華車だが、「デイムラー」は王室御用達をブランドイメージに、「ロールス・ロイス」は世界の王侯貴族ご愛用と、大型豪華車として知られる一方、「ベントレー」は最初からレース活動を主目的として造られ、特に1920年代は目覚しい活動で血気盛んなヤング・ジェントルマンたちを虜にした。このベントレーの歴史を語るには次のように区分したい。
第1期(1919-31)W.O.ベントレーの時代 (創立者ベントレー自身の設計による"本物"のベントレー)
第2期(1931-41)<戦前後期>ダービー・ベントレー(ロールス・ロイス社に併合されロールス・ロイスをベースに小改造)
第3期 (1946-71) <戦後前期>ロールス・ロイスと双子の時代(グリルとバッジ以外同じ)
第4期 (1971-98) ヴィッカースの時代(RR倒産後、国営化を経て苦難の時代)
第5期 (1998- ) フォルクスワーゲンの時代(BMWが買収したRRとは袂を分かつ)
以上のように経営母体が代わり車の性格にも変化が見られる。

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<第1期 ヴィンテージ期/W.O.ベントレーの時代>

世界大戦が終り軍需景気が去ると、1919年1月、W.O.ベントレーは自動車の設計と製造を目的とする「ベントレー・モータース」をロンドン市内に設立し、自分の名前がついた自動車造りがスタートした。この年10月、「3リッター・モデル」のプロトタイプ「Exp1」が完成しロンドン・モーターショーでデビューした。設計する際に想定したこの車の性格は「ヨーロッパ大陸を時速60マイルで一日中走れる高速ツアラー」を目指す事であった。当時のイギリス車はフルスロットルが続くとバルブやピストンが焼ける傾向が強く、ベントレーではこれを避けるため気筒毎に4つのバルブを持ち、冷却水の効率にも十分配慮されていた。ベントレーの自伝によると、当時の基本姿勢は「先人が実行した最上の策を採るべきだが、盲目的に模倣してはならない」ということで、研究・開発部門を持てなかった若い彼らには新しい事にチャレンジするだけの資金も時間も無かったのだろう。だからこの車は極めてオーソドックスな方法で造られている。この車を作るにあたって参考にしたのが1912年の「プジョーGP」と1914年「メルセデスGP」で、ベベル・ギアによるシングル・オーバーヘッド・カムの駆動方式は「メルセデス」をそっくり踏襲したものである。


(写真00-1)(参考)1914 Mercedes GP
(00-1)(99-34-26) 1914 Mercedes Grand Prix.jpg
ベントレーが参考にしたと言われる1914年メルセデスのGPカー
(01-00)(02-26-11) 1921 Bentley 3-Liter Tourer by Gain.jpg

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(01)<1921-29 Bentley 3Litre >

プロトタイプの試運転ではものすごい騒音に悩まされたが、それがオイルポンプだったり、当時の工作技術の精度の低さからくるギア・ノイズだったりしてこれらを克服するまでに2年を要し、1921年になって初めて市販に漕ぎ着けた。エンジンは直4 SOHC 2996cc SUキャブレター×2 65hpで、シャシーは9フィート9.5インチ(2.98m)だったが、基本的には2+2のオープン・ツアラーとして計画されて居たにもかかわらず、市販されるとこれにサルーン・ボディを架装したいという要望と、後席が狭いという声がありこれに応えるため「渋々」10フィート10インチ(3.3m)のロング・シャシー版が造られた。 

(写真01-2ab)1921 Bentley 3Litre Tourer (2002- 涌井ミュージアム)
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(01-1b)(02-26-12) 1921 Bentley 3-Liter Tourer by Gain.jpg


(01-3)3リッター・スピードモデル.jpg
<1923-29 Bentley 3Litre Speedmodel>
1923年排気量はそのままで圧縮比を上げ、キャブレターを大経化して80hpとなった強化版を「スピード・モデル」として登場させた。大分類「3リッター」の中のバリエーションだが、区分の為、ラジエターのバッジは一般モデルの「ブルー」に対して「赤」で区別された。


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(写真01-3a)1922 Bentley 3Litre (2000-06 グッドウッド)
(01-3a)(00-48-22) 1922 Bentley 3Litre LeMans.jpg
ベントレーは1923年からルマンへのチャレンジを始めておりNo8のレースナンバーをもつ車は1923年4位、1924年優勝している。優勝車は「XM6761」の登録番号だが、写真の車は生憎番号が隠れて確認出来ないので本物かレプリカかは不明。

(写真01-4ab) 1924 Bentley 3Litre Speedmodel(2008-01 フォルクスワーゲン・ミュージアム)
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(01-4b)08-01-13_402 1924 Bentley 3litre Speed Model.JPG
ドイツのウオルフスブルグにあるフォルクスワーゲン工場に併設されているミュージアムで撮影したものだが、ベントレーが何故ドイツに?と違和感を感じつつも現実はVWに買収され、歴史的資料も引き取られたのだ。


(写真01-5ab)1924 Bentley 3Litre Speedmodel (2010-07 /お台場潮風公園)
(01-5a)10-07-22_113 1924 Bentley 3Litre Speed Model.JPG

(01-5b)10-07-22_116 1024 Bentley 3Litre Speed Model.JPG

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(写真01-6abc) 1925 Bentley 3Litre Speedmodel (1975-05/筑波サーキット)
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筑波サーキットのタイト・コーナーを駆け抜ける3リッター・スピードモデル

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(写真01-7ab)1929 Bentley 3Litre Speedmodel VandenPlus Tourer(1999-08/カリフォルニア)
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(01-7b)(99-12-14) 1929 Bentley 3Litre Speed Model VandenPlus 4seater.jpg
一寸お洒落なオープン・ツアラーで、同じツアラーでもレース仕様のワイルドさは微塵もない。


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< 白洲次郎とベントレー >
白洲次郎と言えば敗戦直後の占領下でマッカーサー元帥をして「唯一人云う事を聞かない日本人」(本当は吉田茂と2人だが)と言わしめた程の硬骨漢だが、その下地には親分吉田茂首相(もと駐英大使)と共に、英国留学時代に身につけた「アメリカに対する優越感」が有り、当時泣く子も黙る「マッカーサー」に対しても対等に物が言えたのだろう。1902年兵庫県武庫郡(現芦屋市)生れで神戸一中卒業後1919年ケンブリッジ大学クレアカレッジに聴講生として入学した。そこでは「イギリス英語」の中でも「オックスフォード」と「ケンブリッジ」の学生、卒業生、職員のみが使う独特の訛があり、それは「オックスブリッジ・アクセント」と呼ばれ上流階級の者としてあらゆる場所で特別扱いを受ける言葉だった。戦後のある日、占領軍のお偉方である民生局長ホイットニー准将に「英語」が上手いと褒められ、「あなたももう少し勉強すれば上手くなりますよ」と「米語」を使うアメリカ人にイギリス風のジョークで皮肉を言った、というエピソードも有る。在学中に買ったベントレーで伯爵の御曹司で車好きのロバート・セシル・ビングと意気投合してジブラルタルまで大陸旅行をしている。1928年父の会社が倒産し帰国、翌年海軍元帥伯爵樺山資紀の孫娘正子と結婚する。

(写真01-8a~g) 1924 Bentley 3Litre Speedmodel (2009-03/六本木ヒルズ)
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(写真01-8h~l) 1924 Bentley 3Litre Speedmodel (2011-10/日本銀行本店・旧館前)
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(01-8k)08-11-30_288 1924 Bentley 3Litre(4.5Litreに換装) Speed Model VandenPlus(元白洲次郎氏の車).JPG

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(02-0) 6.5リッター.jpg
(02-A)<1926-30 Bentley 6.5 Litre Standard>

3リッター・モデルの評判が良く、軽いツアラー・ボディを前提としたシャシーに、重いサルーンやリムジンまで載せようとする顧客が現れるに至って、このままでは本来の性能が損なわれ「3リッター・モデル」の評価にまで悪影響を及ぼしかねないと危惧したW.O.ベントレーは、より馬力のある次期モデルとして「6気筒」を選んだ。初期段階では4気筒のまま排気量を増やす案もあったが、この車に期待される静粛性、フレキシビリティなどは6気筒が優利な事、将来排気量を上げる場合にも余裕がある事などから「6気筒」となったがこれは正解だった。この後これを「4気筒」にした「4.5リッター」、「6気筒」のまま排気量を上げた「8リッター」が出現しベントレー・エンジンの基礎となった。1924年には次期大型車の計画が始まり、プロトタイプは6気筒4.25リッターだった。この当時、イギリス車のロードテストは海を越えてヨーロッパ大陸で行っていたが1924年のこと、このプロトタイプが、フランス国内を走行中、Y字路で合流した時偶然横を走っていたのが同じくロードテスト中のライバル「ロールスロイス・ファンタムⅠ」のプロトタイプだった、という嘘のような話が伝わっている。お互いにすぐ相手を見破り、フルスロットルの80マイルで競り合ったそうだが、その時感じた力不足から次期モデルは「4.25リッター」ではなく「6.5リッター」と決められた。1926年から市販され、エンジンは直6 SOHC 6597cc シングル・スミス・キャブレター圧縮比4.4:1 140hp 、ホイールベースは3.35m、3.66m、3.81mの3種があり、H.J.Mulliner、GurneyNutting、Barker、Freestone&Webb、Hooper、ParkWaed、JamesYoungなどイギリスの殆どのコーチビルダーが競って豪華な屋根付きのボディを架装している。


(写真2-1abc)1927 Bentley 6.5Litre Tourer    (1981年1月/明治神宮絵画館前)
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この車を初めて見た時の印象はボンネットが恐ろしく高く、トラックのように大きいと感じた。資料によると「YE9409」のナンバーを持つこの車は工場を出たときはHooper製のクーペ・ボディが載っており、後年現在のツアラー・ボディの換装されている。

(写真02-2ab) 1928 Bentley 6.5Litre 2seater Tourer (2010年10月/ラフェスタ・ミッレミリア)
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(02-2b)10-10-09_055 1928 Bentley 6.5litre.JPG
 スタンダード・モデルのシャシーは3.35mから3.87mまで用意されていたが、この車は多分一番短い物だろう。

(写真02-3ab)1929 Bentley 6.5Litre Tourer by Barker (1995年8月/カリフィルニア)
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(02-3b)(95-13-16) 1929 Bentley 6.5litre Barker Sports Torpedo.jpg
2トーンでお洒落なこの車はオリンピア・モター・ショーに展示されたショーモデルで「トルペード」と呼ばれる形式のボディはイギリスの老舗Barker社製である。 


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(03-0) 6.5リッター スピード・シックス.jpg 
(02-B) < 1929-30 Bentley Speed Six > 

「スピード・シックス」は1926年登場した6気筒「6.5リッター」モデルの強化バージョンとして1928年から30年までに182台が造られた。排気量は変わらず、ツインSUキャブレターで,圧縮比を5.1まで上げ、出力は160hpとなった。1930年から登場する後期型では圧縮比を更に5.3まで上げ180hpを得ている。勿論、レースで数々の優勝記録を残しているがルマンでは1929年1台参加で優勝、1930年3台参加で優勝、2位、17位と全て完走している。大分類「6.5リッター」シリーズのバリエーションで、ラジエターのバッジはスタンダードの「ブルー」に対してスピード・シックスは「グリーン」である。

(写真03-1a)1930 Bentley Speed Six tourer by Vanden Plus    (2001年5月/ミッレミリア)
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ミッレミリアのコースにはこんな細い道もあり、突然飛び出してくる感じだ。ここは「サンセポルクル」というガイドにも載っていないようなちっぽけな村で、広場には昔ながらの藁のシケインが置かれ、老若男女総出で大声援だった。


(写真03-2a)1930 Bentley Speed Six Tourer by Gurney Natting (1997年5月/ミッレミリア)
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ミッレミリアのスタートはブレシアのベネチア通りで夜8時から始まる。昼間車検を終えた後、街中の広場で思い思いに時間を過ごした車達が出発順にベネチア通りに整列しスタートの時を待つ。年代順なので1920年代のベントレーやメルセデスなどは早い時間に出発する。

(写真03-3ab) 1929 Bentley Speed Six Tourer (2009年10月/ラフェスタ・ミッレミリア)
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日本にもナンバー付きのスピード・シックスが存在する。オリジナルのナンバーが隠れているので僕にはこの車の詳細がわからないが、形は典型的な VandenPlas製のツアラーのようだ。

(写真03-4abc)1929 Bentley Speed Six(Old Number One)(2007年5月/グッドウッド)
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この車はルマン24時間レースでバーキン/バーナートの操縦で1929-30と2年連続して優勝した車で車番は1929年①番、1930年④番だった。レース時はVandenPlas製の4シーター・ツアラーだったから、現在のボディは後年換装されたものだが、登録番号「MT3464」はオリジナルのものだ。ルマンの優勝をたたえ「オールド・ナンバー・ワン」の愛称で呼ばれる。

(写真03-5ab)1930 Bentley Speed Six(Old Number Two)(2007年5月/グッドウッド)
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この車は1年遅れて1930年のルマンに登場したスピード・シックスで、レースでの車番は②番で、結果は2着だった。そんな訳でこの車は「オールド・ナンバー・ツー」と呼ばれている。

(写真03-6ab)1930 Bentley Speed Six(Old Number Three)(2007年5月/グッドウッド)
(03-6a)07-06-22_085 1930 Bentley Speed Six Old Number Three by VdP.JPG

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この車も1930年のルマンを走った車で、車番は③番だったが結果は3着と云う訳にはゆかず、少々遅れて17位だった。それでもこの車も「オールド・ナンバー・スリー」という名前を貰っている。

(写真03-7abc)1930 Bentley Speed Six Coupe by Gurney Nutting(レプリカ) (2007年6月/グッドウッド)
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(03-7b)07-06-24_528(オリジナルのNo.はGJ3811).jpg

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この車のオリジナルは「GJ3811」のナンバーを持ち、ルマンで1928-30年と3年連続優勝したウオルフ・バーナート大佐のプライベートカーとして有名。コーチビルダーはGurney Nattingだった。

(写真03-8ab)1930 Bentley Speed Six Coach by Corsica    (1995年8月/モンタレー)
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(03-8b)(95-13-21)1930 Bentley Speed Six Corsica Coupe.jpg
プロポーションから見ると、フロントグラスの高さはこの2倍あってもおかしくない。ボンネットの高さと共にフロントグラスが小さく見えるので視覚的には実物以上に大きく見える。といっても実物も本当に大きい。

(写真03-8cd)1930 Bentley Speed Six Coach by Corsica (1998年8月/ペブルビーチ)
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(03-8d)(98-35-17) 1930 Bentley Speed 6 Corsica Coach.jpg
同じ車をペブルビーチのコクール・デレガンスで捉えたもの。屋外で見ても大きくて豪華で、一見ブガッティの豪華版「タイプ46」の様にも見える。

(写真03-8ef)1930 Bentley Speed Six Coach by Corsica (1999年3月/ブラックホーク・テント)
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(03-8f)(99-03-23) 1930 Bentley Speed 6 CorsicaCoach #HM2861(Reg.GH208).jpg
これも同じ車を別の機会に撮影したものだ。8月のカリフォルニアでは、あちこちにテント張りの特設展示会場が設けられ「クリスティーズ」や「ブルックス」のオークションの事前展示や「ブラックホーク・コレクション」の展示即売などを見ることが出来る。

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(03A) < 1927-31 Bentley 4.5 Litre >

1926年6気筒6.5リッターの大型車を発表した翌年の1927年には,そのエンジンをそのまま4気筒にした4.5リッター版を登場させた。ここでベントレーのエンジンと車種を整理すると、エンジンは「4気筒」と「6気筒」の2種だけ,ストロークは全て140mmで統一されているからコンロッドが共有可能、ボアを80mm(3ℓ)、100mm(6.5ℓ)(4.5ℓ)110mm(8ℓ)、と広げるだけで全てを賄え、工作上極めて合理的である。予期せぬ顧客の高級嗜好に応えるべく6気筒の大型車を造ったが、本来のスポーツマインドを満足すべく「3リッター」の後継車として考えられたのが4気筒4398,24cc 105hp/110hpのエンジンを持つ「4.5リッター」シリーズである。

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(写真04-1ab) 1927 Bentley 4.5Litre Tourer by Vanden Plus (1978-01/東京プリンスホテル)
(04-1a)(78-02-08) 1927 Bentley 4.5Litre(松田コレクション)vdp.jpg

(04-1b)(78-02-11) 1927 Bentley 4.5Litre.jpg
戦後の我が国に極く初期の段階で輸入された1台。この車は1927年製でシャシーNo.ST3002と言う事は、なんと4.5シリーズとして2台目にライン・オフした車だ。


(写真04-2ab) 1927 Bentley 4.5Litre Roadster (1997年5月/ミッレミリア・ドーモ広場)
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(04-2b)(97-24-14) 1927 Bentley 4.5Litre.jpg
この車も1927年製だがオリジナル・ナンバーではないので細かい素性は解らない。と言うのは戦前のベントレー全てについて新車時の登録ナンバーからシャシー・ナンバーやコーチビルダー、初代オーナーなどが解る「虎の巻」があるからだ。4シーターが多いベントレーの中では珍しい2シーターのロードスターだ。


(写真04-3ab)1928 Bentley 4.5Litre Tourer (1999年8月/ペブルビーチ)
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(04-3b)(99-27-18) 1928 Bentley 4.5Litre.jpg
工場を出た時はMaddox&Kir社製のサルーンだったという記録があるので、後年典型的なオープン・4シーターのルマンタイプ・ツアラーに換装されたもの。


(写真04-4ab)1929 Bentley 4.5Litre Tourer (1980年1月/明治神宮絵画館前)
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(04-4b)(80-02-16) 1929 Benyley 4.5litre.jpg
日本国内で撮影したこの車は、サイクルフェンダーの4シーター・ツアラーで後ろのトランクが木目でお洒落だ。この当時ルマン24時間レースの出走資格に4シーターが義務付けられていたせいか、ルマンで名を挙げたベントレーには4シータが多い。

(写真04-5ab) 1930 Bentley 4.5Litre Tourer (1999年1月/トヨタ自動車博物館)
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(04-5b)(99-T02-29) 1930 Bentley 4.5Litre.jpg
トヨタ自動車博物館に展示されているこの車は4.5リッター・シリーズとしては最後に近い1930年製だが、この当時の高級車は購入者が好みのボディをコーチビルダーに発注するので、戦後のアメリカ車のように、外形から年式を推定することは出来ない。ルマンの優勝でよく知られるこのタイプはプラモデルにもなった人気モデルだ。 

(写真04-6ab)1930 Bentley 4.5 Litre Tourer (1994年5月・ミッレ・ミリア/ブレシア)
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(04-6b)(94-10-14) 1930 Bentley 4.5 Litre.jpg
クラシカルなヘッドライトを持ったこの車は車検を待つミッレ・ミリアの参加車だが、横から見た所は4.5リッター・シリーズの中ではホイルベースが一番短い部類だ。

(写真04-7a)1930 Bentley 4.5 Litre Tourer (2001年5月/ミッレミリア)
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VandenPlas製の典型的なルマンタイプ・オープン4シーターで、車はミッレ・ミリアの2日目、海抜750メートルのサンマリノ・チェックポイントを目指し中腹のストレートを疾走中。

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(03B) < 1930-31 Bentley 4.5Litre Supercharged >

ベントレーの中で一番格好いいのは?と聞かれれば、勿論個人の好みもあるだろうが「ブロワー・ベントレー」と答える人が圧倒的に多いのではないだろうか。厳(いかめ)しく、男っぽいベントレーというイメージの中でも、ひときわ猛々しい顔つきを持つスーパーチャージャー付き(通称「ブロワー・ベントレー」)こそ、男の中の男と見えてしまう。このスーパーチャージャーを付けるというアイデアは、ベントレー・ボーイズに一人で数々の成績を残しているティム・バーキンの発想だが、W.O.ベントレーは付ける事に賛成ではなかった。しかし同じベントレー・ボーイズの一員で当時ベントレー社の会長であり大株主で資金援助もしていたウオルフ・バーナートの推薦で実現したと言われる。ラジエターのバッジは「スタンダード」も「ブロワー・モデル」も共に「黒」である。「ブロワー」は数が少なかったからか、それともW.O.ベントレーが独立したモデルとして認めたくなかったのかは不明だが。


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(写真05-1abc) 1929 Bentley 4.5 Litre Supercharged (2000年5月/グッドウッド)
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登録番号UU5871、シャシーNo.HB3402,エンジンNo.SM 3901を持つこの車こそ、ティム・バーキンの手で各地を転戦した1号車そのものである。メーカーに先立って造られた車は、1929年6月のブルックランズ6時間耐久に続き、ダブリンのアイリッシュGPの時まではVandenPlas製のルマン・タイプのオープン・ツアラーボディだったが、10月のブルックランズ500マイルレースではノーズに整流カバーを付けシングルシーターに改造されたボディをブルーに塗って登場する。1932年3月今度は赤く塗られたこの車は、ブルックランズでバーキンのドライブにより221.976km/hというサーキット・トラックでの世界最高記録を樹立している。

(写真05-2abc)1929 Bentley 4/5Litre Superchrged Tourer (2007年5月/グッドウッド)
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(05-2b 7b)07-06-22_070 1929 Bentley 4.5Litre Supercharged.JPG

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この車は登録番号UU5872、シャシーNo.HB3403、エンジンNo.SM3902,と言う事は、プロトタイプの第2号車で、前の車と同時に登録され、1930年のルマンにはプライベートで⑧⑨の2台がエントリーし、⑨は平均144.352km/hのコースレコードを樹立したがこの時は2台共リタイアしてしまった。この車は⑨番で走った車そのものだ。現在は赤く塗られている前の車も、ルマンを走った時はこれと同じボディで、「ブロワー・ベントレー」を代表するスタイルである。 

(写真05-3a) 1929 Bentley 4.5Litre Supercharged Tourer (1992-10/ラフェスタ・ミッレミリア)
(05-3a)92-17_16 1929 Bentley 4.5 Litre SC(vdPsaloon).jpg
今では年1回のイベントとして定着した「ラフェスタ・ミッレミリア」の第1回目で、この時はほとんどの車が海外から参加した。一見一分の隙もない写真の車は、実は生まれた時はスタンダードの4.5リッター・モデルで,エンジン本体の仕様は両者に変わりが無いので、スーパーチャージャーを追加すれば変身出来るらしい。前項で紹介した2台はいずれも「バーキン」製のいわばプロトタイプなので1929年製だが、一般のカタログモデルとして登場するのは29年10月登録された1台を除き残り49台は全て30-31年に造られている。だから1928-29年の年式で登録されたものは調べるとすべてが改造車であることが解る。ボディは最初からVandenPlas製のオリジナルである。

(写真05-4ab)1928 Bentley 4.5Litre Supercharged Tourer   (1997-05/ミッレミリア)
(05-4a)(97-14-28) 1928 Bentley 4.5Litre SC LeMans (mulliners saloon).jpg

(05-4b)(97-14-27) 1928 Bentley 4.5Litre SC LeMans.jpg
ブレシアの街で車検を待つ車の列で見つけたこのベントレーも典型的なスタイルをもつ「ブロワー・ベントレー」だが1928年製のこの車も、後年改造されたものだ。だが、改造といってもオリジナルが「スタンダード・モデル」を「スーパーチャージャー付き」に改造したのだから、これらは一概に「まがい物」とも言い切れない。この車はMulliners製のサルーン・ボディから一番人気のVandenPlas製のルマンタイプ・ツアラーに架装された。

(写真05-5ab)1929 Bentley 4.5Litre Supercharged    (2000-05/ミッレミリア)
(05-5a)00-02-12) 1929 Bentley 4.5Litre Supercharged.jpg

(05-5b)00-02-13) 1929 Bentley 4.5Litre Supercharged.jpg
「UU44」という登録番号を持つ1929年製のこの車は元々はVandenPlas製のサルーン・ボディを持つ車として誕生した。ベントレーのシャシー・ナンバーは25台ごとに頭につく記号が変わるが、この車の持つ「HB3416」は、バーキンのプロトタイプ「HB3402~4」とおなじロットで極めて近い関係にある。逆にバーキンはこの車が造られる一寸前に3台分のシャシーを持って行って「ブロアー付き」に改造したとも言える。現在の形に改造する際はブロアーの1号車、「赤塗りのシングルシーター」を想定したがこちらは「2シーター」である。

(写真05-6a~e)1928 Bentley 4.5 Litre Supercharged Tourer (2007-06/グッドウッド)
(05-6a)07-06-22_061 1928 Bentley 4.5Litre Supercharged(vdp Lemans ).JPG

(05-6b)07-06-22_062 1928 Bentley 4.5Litre Supercharged.JPG

(05-6c)07-06-22_065 1929 Bentley 4.5Litre Supercharged.JPG

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(05-6e)07-06-22_064 1929 Bentley 4.5Litre Supercharged.JPG
この教科書通りで見るからに本物に見えるこの車も、1928年生まれ、ということは後から改造されたものだ。しかしボディ全体は最初からのオリジナルで、一番魅力的なVandenPlas製のルマンタイプ・4シーター・ツアラーだ。

(写真05-7ab)1930 Bentley 4.5Litre Supercharged Tourer (2000-05 /ミッレミリア)
(05-7a)00-07d-33) 1930 Bentley 4.5Litre SC.jpg

(05-7b)(01-20-11) 1930 Bentley 4.5Litre SC.jpg
お待たせしました、ここでやっと本物、生まれながらの「スーパーチャージャー付き」が登場します。全部で50台しか造られなかったから絶対数が少ないうえにベースとなった4.5リッターは665台もあるので、かなりの数が改造されているようで、僕はブロワーを13台撮っているが、オリジナルと確認できたのはプロトタイプ2台を含む4台だけで残りは後から変身したものと思もわれる。雨の中ウインドスクリーンを倒したまま走るのもジョンブル魂?か。


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(写真05-8abc)1930 Bentley 4.5Litre Supercharged (2006-06/イギリス国立自動車博物館)
(05-8a)07-06-25-1378 1930 Bentley 4.5Litre SC.JPG

(05-8b)07-06-25-1379 1930 Bentley 4.5Litre SCV.JPG 

(05-8c)(04-37-02) 1930 Bentley 4.5 litre Blower.jpg
最後にこれぞ本命と登場させたのが英国車については最も信頼を置いている「英国国立自動車博物館」(旧モンターギュ・コレクション)所蔵のこの車で、見る限りでは一点の非のうちどころもない完璧な姿だ。


(写真05-8d)(参考)1930 Bentley 4.5Litre Supercharged Drophead Coupe by VandenPlas
(05-8d)IMG_20140822_0001.jpg
ここで終われば全く問題なかったのだが、ある資料に<50台造られた「ブロワー」の内26台はVandenPlas製のオープン・ボディが載せられた。>という記録があり、その中に「GY3905」はD/H Coupeと表示されていた。現在の姿はどう見てもドロップヘッド・クーペではないので色々探した結果、遂に「GY3905」を付けた最初のオリジナル・ボディの姿を見つけた。勿論スーパーチャージャーは最初から付いたれっきとした「ブロワー」だが、さりげなくカバーされている。権威有る国立博物館でも生まれながらのオリジナルを手に入れるのは至難の技という事だろうか。

(06-0)8リッター.jpg
(04) < 1930-31 Bentley 8Litre >


ヴィンテージ・ベントレーと言われる時期に、最後にして最大の作品が「8リッター」だ。最強のライバル「ロールス・ロイス」は1929年から既に「ファンタムⅡ」の時代に入っており6気筒OHV 7668cc(馬力は必要にして充分としか公表されない)のエンジンを持ち、ロールス史上最高の傑作とも言われる手ごわい相手だ。後手に廻ったベントレーとしては、これを上回るため、6気筒OHC4バルブ7983cc 200~230hpと言う、当時イギリス最大のエンジンで対抗した。このエンジンのベースとなったのは既に定評のある6.5リッターエンジンでボアを100ミリから110ミリに広げたものだ。ワイルドだったベントレー・エンジンも6気筒では高級車に相応しい洗練されたエンジンとなっていた。合計で丁度100台造られたが、世界的大不況の真っ只中でこれを売りさばくのは大変だったらしく、製造年次は1930-31年とされているが、登録されたのは30年5台、31年62台で、残りの33台は32年になってやっと登録されている。前々から財政危機が続いていたベントレー社は遂に倒産する事態に至ったが、この時このベントレーを引き取ったのがライバル「ロールス・ロイス」だった。皮肉な事にこの8リッターに脅威を感じ、他社に買い取られる事を恐れた結果だとも言われている。


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(写真06-1a~d)1931 Bentley 8 Litre Saloon     (2002-12 /涌井ミュージアム)
(06-1a)(02-26-24) 1931 Bentley 8-Litre Saloon by Thrupp & Maberly(#YM5035).jpg

(06-1b)(02-26-27) 1931 Bentley 8-Litre Saloon by Thrupp & Maberly (#YM5035).jpg

(06-1c)(02-26-29) 1931 Bentley 8-Litre Saloon by Yhrupp & Maberly (ym5035).jpg

(06-1d)(02-26-28) 1931 Bentley 8-Litre Saloon by Thrupp & Maberly (#YM5035).jpg
埼玉県加須市にある涌井ミュージアムのコレクションの1台で、ボディはThrupp & Maberly製の堂々たるサルーンである。横から見ると後端がアルファベットのDに似ているところから「Dバック」と呼ばれる伝統的なスタイルで運転席との間に仕切を付ければ立派なリムジンだ。


(写真06-2a~d)1931 Bentley 8 Litre Harrison 4seater Tourer  (2000-06 /グッドウド)
(06-2a)(00-16-02) 1931 Bentley 8Litre Tourer.jpg

(06-2b)(00-43-06) 1931 Bentley (8Litre Tourer.jpg

(06-2c)(00-43-07) 1931 Bentley 8Litre Tourer.jpg

(06-2d)(00-43-08) 1931 Bentley 8Litre Tourer.jpg
8リッター100台の半分近い45台の写真を確認した結果、殆どに重厚なボディが載せられており、メッキされたシャッター付きのグリルを持っている。登録時期から推定すると「ダービー期」以前なので、ボディとの釣り合いで高級感を出すため考えられ、それが引き続き「ダービー・ベントレー」の顔となった、と言う推理は的外れだろうか。ずっと下までグリルがありすごく面長にみえるが、全体はプロポーションがよく引き締まったスタイルは大きさを感じない。


(写真06-3a~d)1931 Bentley 8 Litre VandenPlas Tourer    (1995-08/ペブルビーチ)
(06-3a)(95-16-19) 1931 Bentley 8Litre VandenPlus Tourer.jpg

(06-3b)(95-16-18) 1931 Bentley 8Litre VandenPlus Tourer.jpg

(06-3c)(95-16-20) 1931 Bentley 8Litre VandenPlus Tourer.jpg

(06-3d)(95-16-21) 1931 Bentley 8Litre VandenPlus Tourer.jpg
この車は1932年に登録されたにも拘わらずVandenPlas製のツアラー・ボディに合わせ本来のグリルのままである。何と言ってもこの車の売りは太く逞しいエクゾースト・パイプである事に異論はあるまい。


(写真06-4a~c) 1932 Bentley 8 Litre Corsica 4seater (2004-06/グッドウッド)
(06-4a)(4-15-23) 1932 Bentley 8Litre Tourer by Corsica(#YX5121).jpg

(06-4b)(04-15-24) 1932 Bentley 8Litre Tourer by Corsica(#YX5121).jpg

(06-4c)(04-15-25) 1932 Bentley 8Litre Tourer by Corsica(#YX5121).jpg
この車も1932年登録の組だがスポーティなボディに合わせメッキのグリルは付いていない。Corsicaというコーチビルダーはブガッティにも傑作を残しているが、同じスタイルでも何処か小洒落たセンスを感じる。この車も一見2シーターに見えるがカバーを外せば4シーターとなる。

今回は欲張りすぎてしまったので次回は軽く行きたいと思います。

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第107回 L項-8 「ロータス・1」(マーク1からタイプ14エリートと23エラン迄)

第106回 L項-7 「リンカーン・2」(米)

第105回 L項-6 「リンカーン・1」

第104回 L項-5 「ランチャ・2」

第103回 L項-4 「ランチャ・1」

第102回 L項-3 「ランボルギーニ」

第101回 L項-2 「ランチェスター」「ラサール」「リー・フランシス」「レオン・ボレー」「ラ・セード」「ロイト」「ロコモービル」「ローラ」「ロレーヌ・デートリッヒ」

第100回 L項-1  「ラゴンダ」

第99回 K項-1 「カイザー」「カイザー・ダーリン」「ケンワース」「キーフト」「ナイト」「コマツ」「コニリオ」「紅旗」「くろがね」

第98回 J項-5 「ジープ」「ジェンセン」「ジョウエット」「ジュリアン」

第97回 J項-4 「ジャガー・4」(大型サルーン、中型サルーン)

第96回 J項-3 「ジャガー・3」 (E-type、レーシング・モデル)

第95回 J項-2 「ジャガ-・2」(XK120、XK140、XK150、C-type、D-type、XKSS)

第94回 J項-1  「ジャガー・1」(スワロー・サイドカー、SS-1、SS-2、SS-90、SS-100)

第93回 I項-2 「イターラ」「イソ」「いすゞ」

第92回 I項-1 「インペリアル、イノチェンティ、インターメカニカ、インビクタ、イソッタ・フラスキーニ」

第91回 H項-8 「ホンダ・5(F1への挑戦)」

第90回 H項-7 「ホンダ・4(1300(空冷)、シビック(水冷)、NSX ほか)」

第89回  H項-6 「ホンダ・3(軽自動車N360、ライフ、バモス・ホンダ)」

第88回 H項-5 「ホンダ・2(T/Sシリーズ)」

第87回  H項-4 「ホンダ・1」

第86回 H項-3 「ホールデン」「ホープスター」「ホルヒ」「オチキス」「ハドソン」「ハンバー」

第85回 H項-2 日野自動車、イスパノ・スイザ

第84回 H項-1 「ハノマク」「ヒーレー」「ハインケル」「ヘンリーJ」「ヒルマン」

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第82回 G項-1 「GAZ」「ジャンニーニ」「ジルコ」「ジネッタ」「グラース」「GMC」「G.N.」

第81回 F項-25 Ferrari・12

第80回 F項-24 Ferrari・11 <340、342、375、290、246>

第79回  F項-23 Ferrari ・10<365/375/410/400SA/500SF>

第78回 F項-22 Ferrari・9 275/330シリーズ

第77回 F項-21 Ferrari・8<ミッドシップ・エンジン>

第76回 F項-20 Ferrari・7 <テスタ ロッサ>(500TR/335スポルト/250TR)

第75回 F項-19 Ferrari ・6<250GTカブリオレ/スパイダー/クーペ/ベルリネッタ>

第74回 F項-18 Ferrari・5<GTシリーズSWB,GTO>

第73回  F項-17 Ferrari・4

第72回 F項-16 Ferrari・3

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第70回 F項-14 Ferrari・1

第69回 F項-13 Fiat・6

第68回 F項-12 Fiat・5

第67回 F項-11 Fiat・4

第66回 F項-10 Fiat・3

第65回 F項-9 Fiat・2

第64回 F項-8 Fiat・1

第63回 F項-7 フォード・4(1946~63年)

第62回 F項-6 フォード・3

第61回 F項-5 フォード・2(A型・B型)

第60回 F項-4 フォード・1

第59回 F項-3(英国フォード)
モデルY、アングリア、エスコート、プリフェクト、
コルチナ、パイロット、コンサル、ゼファー、ゾディアック、
コンサル・クラシック、コルセア、コンサル・カプリ、

第58回  F項-2 フランクリン(米)、フレーザー(米)、フレーザー・ナッシュ(英)、フォード(仏)、フォード(独)

第57回 F項-1 ファセル(仏)、ファーガソン(英)、フライング・フェザー(日)、フジキャビン(日)、F/FⅡ(日)

第56回 E項-1 エドセル、エドワード、E.R.A、エルミニ、エセックス、エヴァ、エクスキャリバー

第55回  D項-8 デューセンバーグ・2

第54回 D項-7 デューセンバーグ・1

第53回  D項-6 デソート/ダッジ

第52回 D項-5 デ・トマゾ

第51回 D項-4 デイムラー(英)

第50回 D項-3 ダイムラー(ドイツ)

第49回  D項-2 DeDion-Bouton~Du Pont

第48回 D項-1 DAF~DeCoucy

第47回 C項-15 クライスラー/インペリアル(2)

第46回 C項-14 クライスラー/インペリアル

第45回 C項-13 「コルベット」

第44回 C項-12 「シボレー・2」(1950~) 

第43回 C項-11 「シボレー・1」(戦前~1940年代) 

第42回  C項-10 「コブラ」「コロンボ」「コメット」「コメート」「コンパウンド」「コンノート」「コンチネンタル」「クレイン・シンプレックス」「カニンガム」「カーチス]

第41回 C項-9 シトロエン(4) 2CVの後継車

第40回  C項-8シトロエン2CV

第39回  C項-7 シトロエン2 DS/ID SM 特殊車輛 トラック スポーツカー

第38回  C項-6 シトロエン 1 戦前/トラクションアバン (仏) 1919~

第37回 C項-5 「チシタリア」「クーパー」「コード」「クロスレー」

第36回 C項-4 カール・メッツ、ケーターハム他

第35回 C項-3 キャディラック(3)1958~69年 

第34回  C項-2 キャディラック(2)

第33回 C項-1 キャディラック(1)戦前

第32回  B項-13  ブガッティ(5)

第31回 B項-12 ブガッティ (4)

第30回  B項-11 ブガッティ(3) 

第29回 B項-10 ブガッティ(2) 速く走るために造られた車たち

第28回 B項-9 ブガッティ(1)

第27回 B項-8 ビュイック

第26回 B項-7  BMW(3) 戦後2  快進撃はじまる

第25回 B項-6 BMW(2) 戦後

第24回  B項-5   BMW(1) 戦前

第23回   B項-4(Bl~Bs)

第22回 B項-3 ベントレー(2)

第21回 B項-2 ベントレー(1)

第20回 B項-1 Baker Electric (米)

第19回  A項18 オースチン・ヒーレー(3)

第18回  A項・17 オースチン(2)

第17回 A項-16 オースチン(1)

第16回 戦後のアウトウニオン

第15回  アウディ・1

第14回 A項 <Ar-Av>

第13回  A項・12 アストンマーチン(3)

第12回 A項・11 アストンマーチン(2)

第11回  A項-10 アストン・マーチン(1)

第10回 A項・9 Al-As

第9回 アルファ・ロメオ モントリオール/ティーポ33

第8回 アルファ・ロメオとザガート

第7回 アルファ・ロメオ・4

第6回 アルファ・ロメオ・3

第5回 アルファ・ロメオ・2

第4回  A項・3 アルファ・ロメオ-1

第3回  A項・2(Ac-Al)

第2回  「A項・1 アバルト」(Ab-Ab)

第1回特別編 千葉市と千葉トヨペット主催:浅井貞彦写真展「60年代街角で見たクルマたち」開催によせて

執筆者プロフィール

1934年(昭和9年)静岡生まれ。1953年県立静岡高等学校卒業後、金融機関に勤務。中学2年生の時に写真に興味を持ち、自動車の写真を撮り始めて以来独学で研究を重ね、1952年ライカタイプの「キヤノンⅢ型」を手始めに、「コンタックスⅡa」、「アサヒペンタックスAP型」など機種は変わっても一眼レフを愛用し、自動車ひとすじに50年あまり撮影しつづけている。撮影技術だけでなく機材や暗室処理にも関心を持ち、1953年(昭和28年)1月には戦後初の国産カラーフィルム「さくら天然色フィルム」(リバーサル)による作品を残している。著書に約1万3000余コマのモノクロフィルムからまとめた『60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ編】』『同【アメリカ車編】』『同【日本車・珍車編】』『浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録』(いずれも三樹書房)がある。

関連書籍
浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録
60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ車編】
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