三樹書房
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第77回 F項-21 Ferrari・8<ミッドシップ・エンジン>
2019.4.26

(00)  (88-07-35E 1964 Ferrari 250 LM Pininfarina Berlinetta.jpg
1964 Ferrari 250 LM

< 前 史 >
・ミッドシップ・エンジンの車は、戦前レーシングカーとしてポルシェ博士が開発した1934~39年の「アウトウニオンPヴァーゲン・シリーズ」(タイプA~D)がよく知られているが、意外なことにオーバーステアーが強く、また当時のドライバーのフィーリングと全く異なる操縦性から乗りこなせるドライバーが少なく、特異な存在として終わった。
(00) (99-06-04) 1936 Auto Union TypeC GP.jpg
(参考)1936 Auto Union Type C GP

・戦後は1947年ジョン・クーパーが開発した「クーパー500・F3」がミッドシップ・エンジンの最初で、1958年「クーパーT-43・F1」がアルゼンチンGPで優勝すると、その運動性能の良さが認識され、1960年にはF1カーは殆どがミッドシップに変わった。
(00) 10-07-05_0161 1949 Cooper 500 MkⅢ.JPG
(参考)1949 Cooper 500 MkⅢ

・一方フェラーリのスポーツカーの分野では、フロントエンジンの「250GTO」が絶好調で1962~64年と3年連続してチャンピオンを獲得していた。その後継車として造られたのがフロントエンジンのレーシングカーとしては最後となる「330LMB/250LMB」で「LMシリーズ」への橋渡しとなった。
(00)(04-56-14) 1963 Ferrari 330 LMB(ラグナ・セカ).jpg
(参考)1963 Ferrari 330 LMB

(00-a)< 156 F 1 /196 S P >
・「250GTO」が好調といってもフェラーリもミッドシップに関心がなかったわけではなく、一般に知られるミッドシップ「LM」より以前の1961年には6気筒の「246SP」、62年にはその排気量を変えた「196SP」「286SP」で2年間の試行を経て12気筒エンジンを搭載した「250P」を登場させた。この車の「P」はイタリア語で「リア」を表す「Posteriore」と、「LMのPrototype」という二つの意味がある。

(写真00-0a) 1963 Ferrari Type156B F1 (2002-02 フランス国立自動車博物館/ミュールーズ)
(00-0)(02-13-20) 1963 Ferrari Type156B F1.jpg
フェラーリの最初のミッドシップ・エンジンの車は1961年のFIカー「ティーポ156」だった。写真の車はその発展型「タイプB」だが、当時のF1はまだ葉巻型だった。

  
(写真00-1abc) 1962 Ferrari 196 SP Scaglietti Spider (1997-05 マラネロ・ロッソ/サンマリノ)
..................(00-1a)(97-37-01) 1962 Ferrari Dino 196 SP Scaglietti Spider.jpg

(00-1b)(97-36-07) 1962 Ferrari 196 SP.jpg

(00-1c)(97-36-09) 1062 Ferrari Dino 196 SP Scaglietti Spider.jpg
フェラーリに於けるミッドシップ・スポーツカーの元祖は1961年誕生した「246 SP」だが、残念ながら僕はその車の写真は撮っていない。しかし翌年発表された「196 SP」はエンジンの排気量が異なるだけで外見は全く変わっていないので、この車と同じで、グリルが2分割の通称「キティ・ノーズ」と呼ばれるタイプだ。。

(写真00-2abc)1961 Ferrari 196SP Dino Fantuzzi Sider (2004-08 ペブルビーチ/アメリカ)
(00-2a)04-70-29) 1961 Ferrari 196SP Dino Fantuzzi Spyder.jpg

(00-2b)04-70-30) 1961 Ferrari 196SP Dino Fantuzzi Spyder.jpg

(00-2c)04-70-31) 1961 Ferrari 196SP Dino Fantuzzi Spyder.jpg
こちらは同じ「196 SP」だが、「カロセリア・ファントッツィ」が手掛けたもので、ノーズは2分割ではない。真横から見ると、従来のフロント・エンジンの車に比べてドライバーの位置が前進しているのがよく判る。(資料では「196 SP」は1962年誕生の筈だが、車のプレートの記載に従って「1961年」とした)


(00-b)< 250 P >
(写真00-3abc)1963 Ferrari 250P Spider   (2004-08 ラグナ・セカ/カリフォルニア)
(00-3a)(04-79-33) 1963 Ferrari 250P.jpg

(00-3b)(04-79-28) 1963 Ferrari 250P S/N:0820 (ラグナ・セカ).jpg

(00-3c)(04-79-29) 1963 Ferrari 250P.jpg
「250 P」はフェラーリとしてはV12エンジンをミッドシップに搭載した最初の車だ。ホイールベースは2,4mでこの後誕生する「330 P」シリーズを通じて変わらなかった。全部で4台造られ、全てがワークス・チームに送られたが、この中で㉑のゼッケン番号を持つこの車は、1963年のルマン24時間レースで優勝している。

(写真00-4abc)1963 Ferrari 250P Spider (2004-08 ラグナ・セカ/カリフォルニア)
(00-4a)04-59D-128 1963 Ferrari 250P(#22は1963年ルマン3位で250LMの原型)S/N0810.JPG

(00-4b)(04-56-36E) 1963 Ferrari 250P.jpg

(00-4c)(04-57-02) 1963 Ferrari 250 P.jpg
㉒番のゼッケンを持つこの車は前項の車と同じく、63年の「ルマン」に出走し総合3位に入賞した。点検中なのでボンネットを開けただけでなく、エンジン回りが完全にオープンにされている珍しい写真だ。(余談だがこの年ジョン・サーティースのドライブで参戦した㉓番は15時間以上にわたってレースをリードしていたが19時間目給油の際こぼれた燃料に引火し全焼してしまった。これが無ければ1・2・3を独占したかもしれない高い戦闘力を持った車だった。⁾


(01)< 250LM >
・エンツォ・フェラーリは「馬車は馬が引く」(エンジンは前にあると同意語)という考えに固執しリアエンジンには否定的な考えの持ち主だったといわれるが、世界の流れからミッドシップのスポーツカー「250LM」に踏み切った。当時のスポーツカーの世界選手権は「GTカー」(1年間に100台以上生産された車に限定)が対象だったから、32台しか作られなかった「LM」はそのままでは対象外だったが、以前「GTO」の時使って成功した裏技を使って「SWB」のファミリーとしてGTカーのホモロゲーションを受けようとした。しかし流石に全く構造に違うミッドシップは一族としては認められなかった。「LM」が「GT」を名乗れなかったのは以上の理由からだ。「250LM」は「250P」を基に造られた量産型で、最初の1台だけは名前の通り「250」(3リッター)、残りは「275」(3.3リッター)だったが名前は「250」の儘だったのは、「250GT」としてホモロゲーションが取れた時を想定した措置といわれる。

(写真01-1a~e)1964 Ferrari 250 LM Berlinetta (1988-11 モンテミリア/神戸ポートアイランド)
(01-1a)(88-06-20 1964 Ferrari 250 LM Pininfarina Berlinetta.jpg

(01-1b)(88-08-11 1964 Ferrari 250 LM Pininfarina Berlinetta.jpg

(01-1c)(88-08-16 1964 Ferrari 250 LM Pininfarina Berlinetta.jpg

(01-1d)(88-08-03 1964 Ferrari 250 LM Pininfarina Berlinetta.jpg

(01-1e)(88-08-19 1964 Ferrari 250 LM Pininfarina Berlinetta.jpg
この素晴らしいコンディションの車は、僕が初めて見た「250LM」だ。並みいるスポーツカーの中でもひときわ背が低く"地面を這うような" という印象を受けた。ついこの間のように鮮明に覚えているが30年以上も昔の話で、当時は林コレクションの車だった。

(写真01-2abc)1964 Ferrari 250 LM Berlinetta (1997-05 マラネロ・ロッソ/サンマリノ)
...............(01-2a)(97-36-36) 1964 Ferrari 250 LM Scaglietti Berlinetta.jpg

(01-2b)(97-36-37E) 1964 Ferrari 250 LM Scaglietti Berlinetta.jpg
イタリアの中にある小国「サンマリノ」は大部分が山の上にあるが、そこへ向かう途中に、こじんまりとした博物館「マラネロ・ロッソ」がある。フェラーリ専門の博物館はロッソと名がつくだけあって、一歩中に入ると真っ赤な車がずらりと展示されており、市販されなかった貴重な逸品も集められている。内容は素晴らしいが一つだけ残念なのはその展示方法で、四方鏡張りで、その上かなり暗い。だからフィルム時代の感度ではストロボを使うしかないが、今度は鏡張りが障害となりその光が映り込んでしまう。デジタル時代の現在はその高感度のおかげで僕のメインカメラは発光装置を持たないが不便はない。

(写真01-3ab) 1963 Ferrari 250 LM Berlinetta (1998-08コンコルソ・イタリアーナ/アメリカ)
(01-3a)(98-19-33) 1963 Ferrari 250 LM Pininfarina Berlinetta.jpg

(01-3b)(98-19-32) 1963 Ferrari 250 LM Pininfarina Berlinetta.jpg
「250 LM」も個体によって少しずつ違いがあり、この車はワイパーが2連装となっている。ボンネット(と言うよりはボディーの半分)を開けているのでエンジンがよく見えるが、スペアタイヤはここに積むのかと、納得した。

(写真01-4abc)1964 Ferrari 250 LM Berlinetta (2002-02 フランス国立自動車博物館)
......(01-4a)02-06-34a)(02-09P_166) 1964 Ferrari 259 LM Pininfarina Berlinetta.jpg

(01-4b)02-06-34b) 1964 Ferrari 250 LM Pininfarina Berlinetta.jpg

(01-4c)02-06-35) 1964 Ferrari 250 LM Pininfarina Berlinetta.jpg
スイスとの国境に近いミュールーズという小さな街にある「フランス国立自動車博物館」は、以前は「シュルンプ・コレクション」と呼ばれ、織物で財を成したシュルンプ兄弟が金に糸目を付けずに世界中の高級車を買い漁った結果集めたものだが、レストランまで付いたその広大な建物は非公開で中を見た人は数人しかいないといわれていた。しかし事業に失敗した兄弟が置き去りにして姿を消した後は労働組合が管理するところとなり、有料で公開され、出版物でもその全貌が世間に明らかにされた。個人の趣味で集めたものだから好みがあり「ブガッティ」は僕が数えたら117台もあったから、世界中の何割かはここに集まっている。博物館としては収蔵品のバランスが宜しくは無いが、金持ちが集めたものだから高級車は一応揃っている。

(写真01-5a~e)1965(推定) Ferrari 250 LM Berlinetta (2004-08 ラグナ・セカ/カリフォルニア)
(01-5a)04-63-12) 1957 Ferrari 250 LM Prototype.jpg

(01-5b)04-63-11) 1957 Ferrari 250 LM Prototype.jpg

(01-5c)04-63-10) 1957 Ferrari 250 LM C/N:5909(ラグナ・セカ).jpg

(01-5d)04-63-13) 1957 Ferrari 250 LM Prototype.jpg

(01-5e)04-63-14) 1957 Ferrari 250 LM Prototype.jpg
ラグナセカの会場で捉えたこの車はプログラム上で確認できず正体不明だ。このイベントに⑩番のゼッケンで参加した車は5台あり、その中にフェラーリが2台あったが「340メキシコ」と「250GTO」で、ほかに⑲番の「250LM」が参加していたが写真がなく確認不能だった。ルマンでの参加状況は63年の⑩番は「330TR」、64年65年は⑩番はなく⑲番は「330P」、「330P2」と該当しなかった。補助灯などの形状などからピニンファリナタイプの65年型と推定した。

(写真01-6a~d)1965 Ferrari 250 LM Pininfarina Coupe Special (2004-08 ペブルビーチ)
(01-6a)04-69-34) 1965 Ferrari 250 LM Pininfarina Cupe Specialのコピー.jpg

(01-6b)04-69-33) 1965 Ferrari 250 LM Pininfarina Coupe Special*.jpg

(01-6c)04-69-35) 1965 Ferrari 250 LM Pininfarina  Coupe Special.jpg

(01-6d)04-69-36E) 1965 Ferrari 250 LM Pininfarina Coupe Specialのコピー.jpg
「250LM」はレースを目的として造られた純スポーツカーだが、シャシーNo.6025のこの車はロードバージョンとしてピニンファリナで1台だけ造られたスペシャルで、1965年のジュネーブ・ショーに登場した。よく見るとドアは開くのではなく、上に跳ね上がる「ガルウイング」タイプだ。

(02)< 275 P /330 P >

(写真02-1a~f)1964 Ferrari 275 P Spider (2000-06 グッドウッド/イギリス)
.......(02-1a)(00-22-08a)00-06-22P_069 1964 Ferrari 275P.jpg

(02-1b)(00-22-08c) 1964 Ferrari 275P Spider.jpg

(02-1c)(00-22-09) 1964 Ferrari 275P Spider.jpg

(02-1d)(00-22-16) 1964 Ferrari 275P Spider.jpg

(02-1e)(00-22-15) 1964 Ferrari 275P Spider.jpg

(02-1f)(00-22-17) 1964 Ferrari 275P Spider.jpg
「250P」は「250LM」のプロトタイプとして誕生したが、ワークスカーとしてレースでは好成績を上げ、1964年にはさらに戦闘力を増すため排気量を上げた「275P」と「330P」を誕生させた。

(写真)03-1a~e) 1964 Ferrari 330 P Spider (1997-05 マラネロ・ロッソ/サンマリノ)
...............(03-1a)(97-36-34) 1964 Ferrar 330P Spider.jpg

(03-1b)(97-36-03) 1964 Ferrari 330P Spider.jpg

(03-1c)(97-36-02) 1964 Ferrari 330P Spider.jpg

(03-1d)(97-36-01) 1964 Ferrari 330P Spider.jpg

(03-1e)(97-36-05) 1964 Ferrari 330P Spider.jpg
この車も数々の戦績を残しているが、最初は「275P」でスタートし、途中からエンジンを載せ替えて「330P」となったようだ。このようにエンジンを換装するだけでそれ以外は全く変わらなかった。

 (03)< 330 P3 >
1966年からはレギュレーションが変更になり、連続した12か月の生産台数500台以上が「グループ3・GT」、50台以上が「グループ4・スポーツカー」、それより少ないものが「スポーツ・プロトタイプ」と分類され、タイトルは「グループ4」の結果で争われることになった。3台しか作られなかった「330 P3」は「スポーツ・プロトタイプ」として戦い、32台造られていた「250LM」は繰り上げ?で、グループ4として認定された。

(写真04-1a~e)1966 Ferrari 330 P3 Berlinetta (2007-06 グッドウッド/イギリス)
.......(04-1a)07-06-22_180 1966 Ferrari 330 P3.jpg

(04-1b)07-06-24_022.jpg

(04-1c)07-06-24_021.JPG

(04-1c2)(04-12-31) 1966 Ferrari 330 P3.jpg

(04-1d)07-06-24_019.JPG

(04-1e)07-06-24_047.JPG
「330P」までは「250P」「250LM」の流れを汲んだスタイルだったが、「330P3」では全く印象が変わって流れるような曲線が美しいスタイルで、空気抵抗にも十分配慮されたものだ。


  (04)< 330P3/4、412P、 330P4  >
1967年になるとエンジンを始め、すべてが新しくなった「330P4」が登場した。それに加えて1966年「P3」として活躍した車を「P4」風に改装し「330P3/4」と命名し、さらにワークスとして不足する分2台を「P3/4」と同じスペックで造られたのが「412P」だ。

(写真05-1a~d/2ab)1966 Ferrari 330 P3/4 Berlinetta (1998/99コンコルソ・イタリアーノ)
(05-1a)(98-20-05) 1966 Ferrari 330 P3/P4.jpg

(05-1b)(98-20-06) 1966 Ferrari 330 P3/P4.jpg

(05-1c)(98-20-01) 1966 Ferrari 330 P3/P4 (s.n 0844).jpg

(05-1d)(98-20-02) 1966 Ferrari 330 P3/P4.jpg

(05-2a)(99-14-23) 1966 Ferrari 330 P3/P4.jpg

(05-2b)(99-14-22) 1966 Ferrari 330 P3/P4.jpg
この項は98年と99年に撮影したもので多分同じ車と思われるのでまとめて解説したい。場所はカリフォルニアのべブルビーチに近いゴルフ場で8月に開かれる「コンコルソ・イタリアーノ」というイタリア車を中心にした大イベントで、真っ赤なフェラーリで埋め尽くされる会場は、アメリカがフェラーリの上得意である事を実感させる。
04-08-13P_013 Ferrariの大群(コンコルソ・イタリアーノ).JPG
(参考)フェラーリで埋め尽くされた「コンコルソ・イタリアーノ」の会場
「330P3/4」は「330P」をベースにP4風のボディに手直しされたが、見た目ではスポイラーが目立つ程度だ。しかしエンジンは、P4の3バルブに対しては2バルブのままだが、燃料供給はルーカスのインジェクションからウエーバー40DCN/2×6のキャブレターに変えられている。

(写真06-1a~d)1967 Ferrari 412P Berlinetta (2004-08 ラグナ・セカ/カリフォルニア)
(06-1a)(04-58-26) 1967 Ferrari 412P.jpg

(06-1b)(04-58-22) 1967 Frrari 412P C/N:0850.jpg

(06-1c)(04-58-25) 1967 Ferrari 412P.jpg

(06-1d)(04-58-23) 1967 Ferrari 412P.jpg
「412P」は緊急措置として誕生したモデルで、1967年シーズンの開幕にあたって、新しく「330 P4」が3台誕生し、それを助けるために去年の「330 P3」3台に「P4」の要素を取り込んだ混血モデル「330 P3/4」が造られた。しかし5組のワークスチームには8台が必要だったが2台足りないのでそれを埋めるため「330 P3/4」と同じスペックで造られたコピーモデルが「412 P」だ。(エンジンは同じものなので「412」は排気量ではなくその由来は調べたがわからなかった)エキュリー・フランコルシャンに所属していたこの車は「ベルギー」のナショナル・カラー「イエロー」に塗られている。

(写真07-1a~d)1967 Ferrari 330 P4 Berlinetta (2000-06 グッドウッド/イギリス)
......(07-1a)(00-22-18a)00-06-22P_071  1967 Ferrari 330 P4.jpg

(07-1b)(00-22-23) 1967 Ferrari 330 P4 4-litre.jpg

(07-1c)(00-22-18c) 1967 Ferrari 330 P4.jpg

(07-1d)(00-22-21) 1967 Ferrari 330 P4.jpg
「330 P4」の特徴の一つはノーズの先端あるコクピット換気用の取り入れ口の穴が2つになった事だ。それとバックミラーのカバーがより空気抵抗の少ない形に変わった。フェラーリとしては珍しいグリーンに塗装されている。イギリスのナショナル・カラーである「グリーン」は「アストンマーチン」や「ジャガー」のダークグリーンがお馴染みだが、「ロータス」など明るめの塗装もあり、車種によって異なるようだからこの明るいグリーンはフェラーリ好きのイギリス人のために用意された色だろうか。

(写真07-2abc)1967 Ferrari 330 P4 Spider(1995-08 コンコルソ・イタリアーノ/アメリカ)
(07-2a)(95-03-25) 1967 Ferrari 330 P4.jpg

(07-2b)(95-03-26) 1967 Ferrari 330 P4.jpg

(07-2c)(95-03-27) 1967 Ferrari 330 P4.jpg
1967年のルマン24時間レースに「330 P4」は3台出走したが、ゼッケン番号は⑲㉑㉔だった。写真の車は㉓番だがこの番号で走ったのは「412 P」でこの車ではなかった。シャシー・ナンバー0858の経歴の中に1995年カリフォルニアのイベントに参加したとあったので(この写真を撮った時)ルマンでは㉑番で2位となった車と判明した。


(写真07-3a~g) 1967 Ferrari 330 P4 Dorogo Spider(2004-08 ペブルビーチ/カリフォルイニア)
(07-3a)(04-71-08) 1967 Ferrari 330 P4 Dorogo Spyder.jpg

(07-3b)(04-71-06) 1967 Ferrari 330 P4 Dorogo Spyder.jpg

(07-3c)(04-71-05)1967 Ferrari 330 P4 Dorogo Spyder.jpg

(07-3d)(04-71-02) 1967 Ferrari 330 P4 Drogo Spyder.jpg

(07-3e)(04-71-04) 1967 Ferrari 330 P4 Dorogo Spyder.jpg

(07-3f)(04-71-01)*.jpg
「330 P4」は3台しか造られなかったが其の3台は現存し、全て撮影した。(つもりだが、グリーンの車がシャシー・ナンバー#0900を持つレプリカの説もあるので一寸怪しくなる)
3台の車の経歴の中で、唯一⑦番のゼッケンをつけた記録が残っているのはシャシー・ナンバー#0856で、1967年「ブランズハッチ」のレースでは5位だった。とすればルマンでは㉔番を付け総合3位に入った車だ。

(写真08-1a~g)2006 Ferrari P4/5 by Pininfarina (2007-06 グッドウッド/イギリス)
........(08-1)07-10-P067.jpg

(08-1a)2006 Ferrari P4/5 by Pininfarina.JPG

(08-1b)07-10-2722.JPG

(08-1c)07-10-2723.JPG

(08-1d)07-10-2724.JPG

(08-1e)07-10-2727.JPG

(08-1f)07-10-2728.JPG

(08-1g)07-10-2730.JPG
今回の最後は年代的には新しいので対象外のつもりだったが、形が面白いのでおまけに乗せてしまった。ついこの間と思っていたが車は13年前のもので、撮影してからでも12年経っていた。非常に狭い場所での撮影だったので17ミリの超広角レンズの出番だった。


   ― 次回は「275」シリーズに入る予定です ―-

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第106回 L項-7 「リンカーン・2」(米)

第105回 L項-6 「リンカーン・1」

第104回 L項-5 「ランチャ・2」

第103回 L項-4 「ランチャ・1」

第102回 L項-3 「ランボルギーニ」

第101回 L項-2 「ランチェスター」「ラサール」「リー・フランシス」「レオン・ボレー」「ラ・セード」「ロイト」「ロコモービル」「ローラ」「ロレーヌ・デートリッヒ」

第100回 L項-1  「ラゴンダ」

第99回 K項-1 「カイザー」「カイザー・ダーリン」「ケンワース」「キーフト」「ナイト」「コマツ」「コニリオ」「紅旗」「くろがね」

第98回 J項-5 「ジープ」「ジェンセン」「ジョウエット」「ジュリアン」

第97回 J項-4 「ジャガー・4」(大型サルーン、中型サルーン)

第96回 J項-3 「ジャガー・3」 (E-type、レーシング・モデル)

第95回 J項-2 「ジャガ-・2」(XK120、XK140、XK150、C-type、D-type、XKSS)

第94回 J項-1  「ジャガー・1」(スワロー・サイドカー、SS-1、SS-2、SS-90、SS-100)

第93回 I項-2 「イターラ」「イソ」「いすゞ」

第92回 I項-1 「インペリアル、イノチェンティ、インターメカニカ、インビクタ、イソッタ・フラスキーニ」

第91回 H項-8 「ホンダ・5(F1への挑戦)」

第90回 H項-7 「ホンダ・4(1300(空冷)、シビック(水冷)、NSX ほか)」

第89回  H項-6 「ホンダ・3(軽自動車N360、ライフ、バモス・ホンダ)」

第88回 H項-5 「ホンダ・2(T/Sシリーズ)」

第87回  H項-4 「ホンダ・1」

第86回 H項-3 「ホールデン」「ホープスター」「ホルヒ」「オチキス」「ハドソン」「ハンバー」

第85回 H項-2 日野自動車、イスパノ・スイザ

第84回 H項-1 「ハノマク」「ヒーレー」「ハインケル」「ヘンリーJ」「ヒルマン」

第83回 G項-2 「ゴールデン・アロー」「ゴリアト」「ゴルディーニ」「ゴードン・キーブル」「ゴッツイー」「グラハム」

第82回 G項-1 「GAZ」「ジャンニーニ」「ジルコ」「ジネッタ」「グラース」「GMC」「G.N.」

第81回 F項-25 Ferrari・12

第80回 F項-24 Ferrari・11 <340、342、375、290、246>

第79回  F項-23 Ferrari ・10<365/375/410/400SA/500SF>

第78回 F項-22 Ferrari・9 275/330シリーズ

第77回 F項-21 Ferrari・8<ミッドシップ・エンジン>

第76回 F項-20 Ferrari・7 <テスタ ロッサ>(500TR/335スポルト/250TR)

第75回 F項-19 Ferrari ・6<250GTカブリオレ/スパイダー/クーペ/ベルリネッタ>

第74回 F項-18 Ferrari・5<GTシリーズSWB,GTO>

第73回  F項-17 Ferrari・4

第72回 F項-16 Ferrari・3

第71回 F項-15 Ferrari・2

第70回 F項-14 Ferrari・1

第69回 F項-13 Fiat・6

第68回 F項-12 Fiat・5

第67回 F項-11 Fiat・4

第66回 F項-10 Fiat・3

第65回 F項-9 Fiat・2

第64回 F項-8 Fiat・1

第63回 F項-7 フォード・4(1946~63年)

第62回 F項-6 フォード・3

第61回 F項-5 フォード・2(A型・B型)

第60回 F項-4 フォード・1

第59回 F項-3(英国フォード)
モデルY、アングリア、エスコート、プリフェクト、
コルチナ、パイロット、コンサル、ゼファー、ゾディアック、
コンサル・クラシック、コルセア、コンサル・カプリ、

第58回  F項-2 フランクリン(米)、フレーザー(米)、フレーザー・ナッシュ(英)、フォード(仏)、フォード(独)

第57回 F項-1 ファセル(仏)、ファーガソン(英)、フライング・フェザー(日)、フジキャビン(日)、F/FⅡ(日)

第56回 E項-1 エドセル、エドワード、E.R.A、エルミニ、エセックス、エヴァ、エクスキャリバー

第55回  D項-8 デューセンバーグ・2

第54回 D項-7 デューセンバーグ・1

第53回  D項-6 デソート/ダッジ

第52回 D項-5 デ・トマゾ

第51回 D項-4 デイムラー(英)

第50回 D項-3 ダイムラー(ドイツ)

第49回  D項-2 DeDion-Bouton~Du Pont

第48回 D項-1 DAF~DeCoucy

第47回 C項-15 クライスラー/インペリアル(2)

第46回 C項-14 クライスラー/インペリアル

第45回 C項-13 「コルベット」

第44回 C項-12 「シボレー・2」(1950~) 

第43回 C項-11 「シボレー・1」(戦前~1940年代) 

第42回  C項-10 「コブラ」「コロンボ」「コメット」「コメート」「コンパウンド」「コンノート」「コンチネンタル」「クレイン・シンプレックス」「カニンガム」「カーチス]

第41回 C項-9 シトロエン(4) 2CVの後継車

第40回  C項-8シトロエン2CV

第39回  C項-7 シトロエン2 DS/ID SM 特殊車輛 トラック スポーツカー

第38回  C項-6 シトロエン 1 戦前/トラクションアバン (仏) 1919~

第37回 C項-5 「チシタリア」「クーパー」「コード」「クロスレー」

第36回 C項-4 カール・メッツ、ケーターハム他

第35回 C項-3 キャディラック(3)1958~69年 

第34回  C項-2 キャディラック(2)

第33回 C項-1 キャディラック(1)戦前

第32回  B項-13  ブガッティ(5)

第31回 B項-12 ブガッティ (4)

第30回  B項-11 ブガッティ(3) 

第29回 B項-10 ブガッティ(2) 速く走るために造られた車たち

第28回 B項-9 ブガッティ(1)

第27回 B項-8 ビュイック

第26回 B項-7  BMW(3) 戦後2  快進撃はじまる

第25回 B項-6 BMW(2) 戦後

第24回  B項-5   BMW(1) 戦前

第23回   B項-4(Bl~Bs)

第22回 B項-3 ベントレー(2)

第21回 B項-2 ベントレー(1)

第20回 B項-1 Baker Electric (米)

第19回  A項18 オースチン・ヒーレー(3)

第18回  A項・17 オースチン(2)

第17回 A項-16 オースチン(1)

第16回 戦後のアウトウニオン

第15回  アウディ・1

第14回 A項 <Ar-Av>

第13回  A項・12 アストンマーチン(3)

第12回 A項・11 アストンマーチン(2)

第11回  A項-10 アストン・マーチン(1)

第10回 A項・9 Al-As

第9回 アルファ・ロメオ モントリオール/ティーポ33

第8回 アルファ・ロメオとザガート

第7回 アルファ・ロメオ・4

第6回 アルファ・ロメオ・3

第5回 アルファ・ロメオ・2

第4回  A項・3 アルファ・ロメオ-1

第3回  A項・2(Ac-Al)

第2回  「A項・1 アバルト」(Ab-Ab)

第1回特別編 千葉市と千葉トヨペット主催:浅井貞彦写真展「60年代街角で見たクルマたち」開催によせて

執筆者プロフィール

1934年(昭和9年)静岡生まれ。1953年県立静岡高等学校卒業後、金融機関に勤務。中学2年生の時に写真に興味を持ち、自動車の写真を撮り始めて以来独学で研究を重ね、1952年ライカタイプの「キヤノンⅢ型」を手始めに、「コンタックスⅡa」、「アサヒペンタックスAP型」など機種は変わっても一眼レフを愛用し、自動車ひとすじに50年あまり撮影しつづけている。撮影技術だけでなく機材や暗室処理にも関心を持ち、1953年(昭和28年)1月には戦後初の国産カラーフィルム「さくら天然色フィルム」(リバーサル)による作品を残している。著書に約1万3000余コマのモノクロフィルムからまとめた『60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ編】』『同【アメリカ車編】』『同【日本車・珍車編】』『浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録』(いずれも三樹書房)がある。

関連書籍
浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録
60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ車編】
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