三樹書房
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第33回 C項-1 キャディラック(1)戦前
2015.8.28


<前史>
1901年11月ウイリアム・マーフィーの援助によって「ヘンリー・フォード・カンパニー」が設立された。そこでは実用の市販車が造られる予定だったが、当時のヘンリー・フォードはレーシングカーに熱中しており、実質の経営者マーフィーはヘンリー・リーランドを生産顧問として雇用し事業の正常化を図った。これに怒ったヘンリー・フォードは1902年3月辞職し会社を去るが、11月には別会社を作りそれが今日のフォード社となった。一方フォードが去った後の会社は1902年8月には「キャディラック・オートモビル・カンパニー」となり、あとを継いだリーランドの指揮の元に造られた「キャディラック・モデルA」は10月17日には完成している。
キャディラックの車名の由来は18世紀はじめ、アメリカ開拓時代に、現在のデトロイトの場所に砦を築いたフランスの探検家Antoine Sieur de la Mothe Cadillacの名前から採ったもので、バッジに使われているオリーブに囲まれた「王冠と楯」は、そのMothe家の由緒ある家紋である。
 


(写真01-2ab) 1902 Cadillac Model A Runabout (2007-04 トヨタ博物館)
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世間では「キャディラック・モデルA」は「フォード・モデルA」とそっくりだと言われている。キャディラックの1号車は1902年10月17日には完成しておりこちらの方が早いが、途中までヘンリー・フォードが手掛けていた車を、後任のヘンリー・リーランドが完成させたものだ。ホイールベースは72インチ(183cm)で両車とも同じだが、こちらのエンジンは1気筒12.7×12.7 1609cc 6.5hp で価格は2人乗りの「ラナボート」が750ドルだった。1903年型として約2500台が造られた
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(写真01-2a-参考) 1903 Ford Model A Runabout (1995-08 カリフォルニア)
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ヘンリー・フォードがマーフィーの元を去り新しく作ったばかりの会社から最初に生まれた車が「フォード・モデルA」だ。1台目が納車されたのは1903年7月15日で、割と早く完成したのは、前の会社で途中まで構想が仕上がっていた続きを完成させた?のかもしれない。こちらのエンジンは2気筒 10.6×10.6 1647cc 8hp で、価格は同じ「ラナボート」でもキャディラックよりも100ドル高い850ドルだった。  

(写真01-2ab) 1903 Cadillac Model A Runabout with Tonneau(2007-06/ビューリー博物館)
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こちらはイギリスの博物館で見つけた「モデルA」で、まえの2車に較べると塗装のせいで地味に感じられるが、これが実用的な色だろう。この車は2種類造られたうち後ろにシートの付いたモデルで値段は100ドル増しの850ドルだった。

(写真02-1ab) 1911 Cadillac Model 30 Roadster 3-Passenger (1973-11 東京モーターショー・くるまのあゆみ展)
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1903年の「モデルA」のあと「B」「C」・・・と続いて1909年の「モデルT」までアルファベッドの付いたモデルが次々と造られた。1910年からはモデル名が「30」となり1914年までの5年間はこのモデル1種に限定され生産された。1911年のエンジンは 4気筒 4690cc 32.4hpで、ボディには次のような8つのバリエーションがあった。①2dr Touring 5P($1,700) ②2dr Demi-Tonneau 4P($1,700) ③3dr Foredoor Touring 5P($1,800) ④3dr Torpedo 4P($1,850) ⑤Roadster 2P($1,700) ⑥Roadster 3P ($1,700) ⑦2dr(運転席にドアが無いので2ドアとなる) Limousine 7P ($3,000) ⑧2dr Coupe 3P ($2,250)で、写真の車は2列目に1人乗りのシートが付いた⑥番の3人乗りロードスターである。この当時はクローズド・ボディが圧倒的に高価だったことが判る。

(写真03-1ab)1912 Cadillac Model 30 Pheaton(2010-11 トヨタ博物館クラシックカー・フェスタ)
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この年から「キャディラック」に初めて「4ドア・ボディ」が登場した。それまでは馬車時代の名残で運転席(御者)にはドアが付いて居なかったから、7人乗りのリムジンでもご主人が乗るキャビネットに2枚付いているだけだった。キャディラックについて言えば、この年をもって「馬車」から「自動車」に進化した記念すべき年と言える。
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<戦前の「V8」「V12]>
1930年代のキャディラックは高級車としての地位を固め、「V8」「V12」「V16」の3種のエンジンを用意した。「V16」についてはまとめて連続で紹介したいので、後回しにして先に「V8」「V12」シリーズから紹介する。


(写真04-1ab) 1929 Cadillac 341B(V8) Dualcowl Pheaton (1999-08 ペブルビーチ)
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341シリーズは1928年から続く「V8」シリーズで排気量341cu.in(5586cc) のみ、ホイールベースは140インチと152インチの2種があり、46種の各種ボディが用意されていた。写真の車はデユーセンバーグなどでお馴染みの「ダブルカウル・フェートン」で、後部座席の前にもウインドシールドが設置されている。

(写真05-1ab) 1931 Cadillac 370A(V12) 4dr Fisher Town Sedan (1999-08 ペブルビーチ)
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この年は「355A(V8)」「370A(V12)」「452A(V16)」とシリーズは3本建てとなった。写真は「フィッシャー」製の標準的なボディで、V8シリーズでも同じものが使われている。走行中の写真はペブルビーチ・コンクールに展示される前日、モンタレーまで風光明媚なドライブウェイをパレードしている途中を捉えたもの。

(写真06-1abc)1932 Cadillac 355B(V8)2dr Coupe(2011-11トヨタ博物館クラシックカーフェスタ)
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こちらは355シリーズ(V8)で、排気量は353cu.in(5782cc)だがシリーズ名は繰り上げて「355」となっている。キャディラックではV16やV12があるのでV8は一番下にランキングされてしまうが、一般的に言えばV8 5.8リッターと言えばトップクラスの貫録である。

(写真07-1ab) 1934 Cadillac 370D(V12) Fleetwood Coupe (1995-08 ペブルビーチ)
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この年からエンジンはそのままでシャシーが新しくなり、V12の370は1934年には370Dシリーズまで進んだ。ラジエターグリルは平面から軽く折れ目の付いたモダンなものに変った。この年のボディを大別すると、前面ガラスが「2分割折れ目あり」と「1枚平面ガラス」の2つがあり、それぞれにすべてのタイプを用意したから膨大な種類のモデルが用意されていた。


(写真08-1ab) 1936 Cadillac 70(V8) 4dr Convertible Sedan (1962-01 '62 東京外車ショー・千駄ヶ谷)
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この年からシリーズ名は排気量に由来する3ケタの「355」「370」「452」が廃止され、新しくV8は「60」「70」「75」、V12は「80」「85」、V16は「90」となった。写真の車はグリルにV8のバッジがあるが、「60」シリーズにはコンバーチブル・セダンは無いので[60]ではない。「70」と「75」は排気量が同じなのでイベントのプログラムからも判別できず、参考にした写真に似ているので、推定で「70」とした。この写真を撮影した当時、この車は「早稲田大学自動車部」に所属していた。

(写真08-2ab) 1936 Cadillac 70(V8) 4dr Convertible Sedan (1977-01 東京プリンスホテル)
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前項の車と同じものと思うが個人名でエントリーされていた。欠品も補完され、幌も新しく、塗装にも艶があり見違えるように綺麗になっている。


(写真09-1ab) 1937 Cadillac 60 4dr Touring Sedan (1959年 最高裁判所駐車場/霞が関)
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昭和30年代前半と言えば1956~60年でアメリカ車の全盛期だったから、僕の眼も「きらびやかさ」に惹かれ撮影の対象は新しいもの新しいものと追っていた。昭和30年頃はまだ国産車は発展途上であり、戦前の生き残り大型外車が結構重宝されていた時代だったが、昭和34~5年頃ふと気が付くと国産車が多くなり、戦前の古い車はあまり、と言うより殆ど街中では見かけなくなった。そこで思いついたのが「官公庁の公用車の生き残りを探せ」という事で、霞が関の最高裁判所の駐車場で見つけたのがこの車だ。この時他に30年代の「リンカーン・ゼファー」「ハドソン」「デソート」「ナッシュ」もまだ生き残っていた。少し経ったからまた行ってみたら前回の横長の古いナンバーは車検を終えて新しいナンバープレートに変っていたからこのあと数年は生き延びた筈だ。

(写真10-1abc) 1938 Cadillac 60 Spcial(V8) 4dr Fleetwood Special Sedan (1960年 立川市内)
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この年最廉価版「60」のホイールベースを124inから127inに延ばしたニュ-モデル「60スペシャル」が誕生した。「ビル・ミッチェル」がデザインしたフリートウッド製の4ドア、4窓で やや角ばったスタイルは無駄な装飾が無く、元々はコンパクト・クラスの補充目的で造られたのだが、そのスタイルは高い評価を受けこの後のGMグループ全体のスタイリングに大きな影響を与えることになった。この車は立川市内で撮影したもので僕は2回出逢っている。

(写真10-2abc)1938 Cadillac 60 Special(V8)Fleetwood Special Sedan 1999-01/2007-04 トヨタ自動車博物館)
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 写真の車は前項の立川で撮影した車とオプションのスペアタイヤまで全く同じだが、前の車は米軍関係者の物なので、まさかトヨタ博物館が購入したとは考えられない。評判の良かったカタログ・モデルで24,950台も造られているからだ。スペシャル・モデルなのでこの車は他のシリーズとは別のグリルを持っており、40年代初期のモチーフ予見するイメージを持っている。

(写真11-1abc) 1939 Cadillac 62(V8) Fisher 4dr Touring Sedan (1998-01 ディズニーMGMスタジオ/フロリダ)
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フロリダのオーランドに幾つもあるディズニー関連の施設の一つ「MGMスタジオ」にはノスタルジックな街並みが映画のセットの様に設定されており、時代に合わせた車も道端に停まっているから、何十年も前にタイムスリップが体験出来る。


 
(写真12-1abc) 1940 Cadillac 60 Special(V8) Fleetwood Special Sedan (1998-08 ペブルビーチ)
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「60スペシャル」が誕生した1938年は他のシリーズとは異なるグリルを持っていたが、翌年からは他のシリーズと同じ3分割のグリルに統一された。


(写真12-2abc) 1940 Cadillac 75(V8) Fleetwood Town Car (1995-08 ペブルビーチ)
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この年のシリーズは「60S V8 127インチ」「62 V8 129インチ」「72 V8 138インチ」「75 V8 141インチ」「90 V16 141インチ」の5種でV12はもう造られていない。この当時はV16が頂点にあったが戦後は「75」シリーズが最上級のリムジンクラスを担当した。因みにシリーズの数字はホイールベースが長いほど数が多い。


(写真13-1abc) 1941 Cadillac 60S(V8) Darham Town Car (1998-08 ペブルビーチ)
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この年からグリルが新しくなり、戦後まで連綿と続く一連の「格子」をイメージしたモチーフの出発点となった。「タウンカー」と言うボディスタイルは馬車時代から続くいわゆる「フォーマルカー」で、制服・製帽のショファーが屋根の無い運転席に座っているのが基本的なスタイルで、色々なボディの中でも価格は最上位のものだ。この車はカタログの一覧にはないので「コーチビルダー・ダーラム」に特注されたスペシャルと思われる。


(写真13-2a~d)1941 Cadillac 62 Convertible Sedan (1962年 横浜市内・山下公園付近)
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12気筒はすでに1938年から無くなっており、41年なって16気筒もなくなってキャディラックのエンジンはV8 150hpがすべてをカバーすることになった。1941年といえば昭和16年にあたり、太平洋戦争が始まった年だからアメリカ国内でもすでに戦時体制の影が見えていた影響だろう。写真は仕事で横浜・本牧の倉庫を調査に行った帰りに山下公園付近の交差点で見つけ、急いで車を戻してもらって撮ったものだ。
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<世界で唯一量産された「V型16気筒エンジン」>
キャディラックは1920年代の終わり頃から1930年代にかけて、世界でも殆ど例を見ない「V16気筒」と言う大輪の花を咲かせ、名実共に最高級車としての地位を固めた。当時アメリカで高級車と言われていた車「パッカード(V12)」「デューセンバーグ(直8)」「ピアス・アロー(V12)」「スタッツ(直8)」「リンカーン(V12)」などはいずれも8~12気筒で、「キャディラック」の他に16気筒車を造ったのは「マーモン」と「ピアレス」の2社だけだった。「マーモン・シックスティーン」は「キャディラックV16」に11か月遅れの1930 年11月に発表されたが、そのタイミングは最悪で大恐慌の真っ只中3年間で僅か390台しか売れず1933年暮れに倒産してしまった。もう1社の「ピアレス」は1931年試作車1台が完成しただけで市販される事はなかった。結局、キャディラックが世界で唯一の「V16」での成功例となった。「452」シリーズは1930年11月のニューヨーク・ショーでデビューした。シリーズ名「452」はエンジンの排気量をアメリカ風にキュービック・インチで表したもので1937年まで使われた。エンジンは1930~37年 452cu(7413cc)165hp/3400rpm、1938~40年 431cu(7068cc)185hp/3600rpmの2種があり、ホイールベースは1930~31年 148インチ、1932年 1943と1949インチ、1933~37年 154ンチ、1938~40年 141インチと変化した。1935年「452D」までのシリーズ名は排気量から、1936年からは「ホイールベース」を基準にした「90」と表示が変わった。1930~37(452シリーズ)3,889台、1938~40年(90シリーズ)498台、合計で4387台が造られただけなので単純に採算が採れたかと言えばその意味では決して成功とは言えないかも知れないが、1930年代にこのシリーズが存在したことで、今日まで続く「キャディラック」の最高級車と言うイメージを植え付けた存在感とその功績は大きい。


(写真14-1a~d) 1930 Cadillac 452(V16) Roadster (2008-01 VWミュージアム/ウオルフスブルグ)
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初登場したV16シリーズにはキャディラックも並々ならぬ力の入れようで、実に80種のデザインが用意された。写真の車はここに図を掲載したスタイルNo.4302 のロードスターを実現したものだ。スタイルNo.別の生産台数を記録した資料に依ると71種類が少なくとも1台以上造られているが、最後まで誰にも振り向いて貰えなかった可哀相な(人気の無かった)デザインが9つあった事になる。


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(写真15-1a~d) 1931 Cadillac 452A(V16) 4dr Phaeton (2004-06 グッドウッド/イギリス)
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「452」シリーズのデビューは1930年の11月だったから1930-31年と一緒に扱われることが多いが、厳密に区別する場合は「452A」となる。車は客席にもウインドシールドを持った「ダブルカウル・フェートン」でこの雰囲気は古き良きアメリカのハイソサエティーのピクニック・シーンを見るようだ。

(写真16-1a~d)1932 Cadillac 452B(V16) Fleetwood Imperial Cabriolet (1995-08 ペブルビーチ)
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1932年になるとシリーズは「452B」と変わる。エンジンはデビュー時と変わらず、ボディも多数用意された中からチョイスするので外見から見てこれが何年型と言う見分けは困難だ。写真の「インペリアル・カブリオレ」は窓を閉めれば完全なクローズド・ボディになる。

(写真16-2a) 1932 Cadillac 452B(V16) Special Pheaton (1995-08 ペブルビーチ)
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こちらは同じソフト・トップでもカブリオレと違って幌に内張りの無い軽いものだから、幌を下げた時は完全なオープンになる。

(写真16-3a) 1932 Cadillac 452B(V16) Convertible Coupe (1995-08 ペブルビーチ)
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写真の車のホイールベースは標準の149インチより6インチ短いこの年限定の143インチで、「452」シリーズとしてはショートホイールベースである。コンバーチブル・クーペは幌に内張りのある全天候型で、冬の寒いドイツ向けだが、陽光燦々のカリフォルニアではフル・オープンのロードスターの方が似合いそう、などと余計な事を僕が考える必要はない。

(写真17-1ab) 1933 Cadillac 452C(V16) Fleetwood Town Cabriolet (1995-08 ペブルビーチ)
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1933年になってシリーズは「452C」となった。型式は「タウン・カブリオレ」だが、レザー張りの屋根は折りたたむことはできないので横に付いているランドウ・ジョイントは単なる飾りに過ぎない。後ろの窓は高級に成るほど小さくなるのは伝統的だ。


(写真17-2ab) 1933 Cadillac 452C(V16) Fleetwood All Weather Pheaton (1971-03 ハーラーズ・コレクション/晴海)
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1971年アメリカ・ネヴァダ州のリノにある「ハーラーズ・オートモビル・コレクション」から大挙して珍しい車がやってきた。その時はブガッティの「ロワイアル」や「T-50」,「デューセンバーグ」など初めて見る憧れの車に目を奪われ、既に日本でも見た事のある「キャディラック」と言う名前の車については、それほど興奮した覚えはない。それは「V16」が如何に凄い車であるかと言う事に対する認識が僕にはまだ無かったからだ。「オールウエザー・フェートン」(全天候)と名乗るだけあって雨にも、寒さにも完璧に対応し、必要とあればフル・オープンも可能な最高級仕様で、この年のキャディラックのカタログモデルの中では一番高い8,000ドルもした。因みに同じV16でも前項で紹介した「タウン・カブリオレ」は6,850ドル、一番安いV8のコンバーチブルは2,695ドルだった。参考までに示すと同じ年シボレーの1番安いクーペは445ドル、フォードのロードスターハ425ドルで買うことが出来た。

(写真18-1abc) 1938 Cadillac 90(V16) Fleetwood Formal Sedan (1995-08 ペブルビーチ)
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キャディラックV16には1930年から37年までの 45°V16 7,413ccと、1938年から40年までの135°V16 7,068cc があった。写真の車はその後期型のエンジンを積んでいるが外見からは旧型と全く変化は見られない。V型と言っても135°となると見た目殆ど水平対向に近い。簡単なイメージ造りは、水平線に直角に縦の線を入れたら左右を2分割し、更に下を2分割すればそのラインの開き角が135°となる。レーシングカーならボンネットを低く出来る効用があるが、この車では何の為だったのだろう。このシリーズは殆ど進化もなく1940年までの3年間で約500台が造られ幕を閉じた。そして「V16」と言うモンスターは戦後も2度と復活することは無かった。

―― 次回は戦後のキャディラックを予定しています。――

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第107回 L項-8 「ロータス・1」(マーク1からタイプ14エリートと23エラン迄)

第106回 L項-7 「リンカーン・2」(米)

第105回 L項-6 「リンカーン・1」

第104回 L項-5 「ランチャ・2」

第103回 L項-4 「ランチャ・1」

第102回 L項-3 「ランボルギーニ」

第101回 L項-2 「ランチェスター」「ラサール」「リー・フランシス」「レオン・ボレー」「ラ・セード」「ロイト」「ロコモービル」「ローラ」「ロレーヌ・デートリッヒ」

第100回 L項-1  「ラゴンダ」

第99回 K項-1 「カイザー」「カイザー・ダーリン」「ケンワース」「キーフト」「ナイト」「コマツ」「コニリオ」「紅旗」「くろがね」

第98回 J項-5 「ジープ」「ジェンセン」「ジョウエット」「ジュリアン」

第97回 J項-4 「ジャガー・4」(大型サルーン、中型サルーン)

第96回 J項-3 「ジャガー・3」 (E-type、レーシング・モデル)

第95回 J項-2 「ジャガ-・2」(XK120、XK140、XK150、C-type、D-type、XKSS)

第94回 J項-1  「ジャガー・1」(スワロー・サイドカー、SS-1、SS-2、SS-90、SS-100)

第93回 I項-2 「イターラ」「イソ」「いすゞ」

第92回 I項-1 「インペリアル、イノチェンティ、インターメカニカ、インビクタ、イソッタ・フラスキーニ」

第91回 H項-8 「ホンダ・5(F1への挑戦)」

第90回 H項-7 「ホンダ・4(1300(空冷)、シビック(水冷)、NSX ほか)」

第89回  H項-6 「ホンダ・3(軽自動車N360、ライフ、バモス・ホンダ)」

第88回 H項-5 「ホンダ・2(T/Sシリーズ)」

第87回  H項-4 「ホンダ・1」

第86回 H項-3 「ホールデン」「ホープスター」「ホルヒ」「オチキス」「ハドソン」「ハンバー」

第85回 H項-2 日野自動車、イスパノ・スイザ

第84回 H項-1 「ハノマク」「ヒーレー」「ハインケル」「ヘンリーJ」「ヒルマン」

第83回 G項-2 「ゴールデン・アロー」「ゴリアト」「ゴルディーニ」「ゴードン・キーブル」「ゴッツイー」「グラハム」

第82回 G項-1 「GAZ」「ジャンニーニ」「ジルコ」「ジネッタ」「グラース」「GMC」「G.N.」

第81回 F項-25 Ferrari・12

第80回 F項-24 Ferrari・11 <340、342、375、290、246>

第79回  F項-23 Ferrari ・10<365/375/410/400SA/500SF>

第78回 F項-22 Ferrari・9 275/330シリーズ

第77回 F項-21 Ferrari・8<ミッドシップ・エンジン>

第76回 F項-20 Ferrari・7 <テスタ ロッサ>(500TR/335スポルト/250TR)

第75回 F項-19 Ferrari ・6<250GTカブリオレ/スパイダー/クーペ/ベルリネッタ>

第74回 F項-18 Ferrari・5<GTシリーズSWB,GTO>

第73回  F項-17 Ferrari・4

第72回 F項-16 Ferrari・3

第71回 F項-15 Ferrari・2

第70回 F項-14 Ferrari・1

第69回 F項-13 Fiat・6

第68回 F項-12 Fiat・5

第67回 F項-11 Fiat・4

第66回 F項-10 Fiat・3

第65回 F項-9 Fiat・2

第64回 F項-8 Fiat・1

第63回 F項-7 フォード・4(1946~63年)

第62回 F項-6 フォード・3

第61回 F項-5 フォード・2(A型・B型)

第60回 F項-4 フォード・1

第59回 F項-3(英国フォード)
モデルY、アングリア、エスコート、プリフェクト、
コルチナ、パイロット、コンサル、ゼファー、ゾディアック、
コンサル・クラシック、コルセア、コンサル・カプリ、

第58回  F項-2 フランクリン(米)、フレーザー(米)、フレーザー・ナッシュ(英)、フォード(仏)、フォード(独)

第57回 F項-1 ファセル(仏)、ファーガソン(英)、フライング・フェザー(日)、フジキャビン(日)、F/FⅡ(日)

第56回 E項-1 エドセル、エドワード、E.R.A、エルミニ、エセックス、エヴァ、エクスキャリバー

第55回  D項-8 デューセンバーグ・2

第54回 D項-7 デューセンバーグ・1

第53回  D項-6 デソート/ダッジ

第52回 D項-5 デ・トマゾ

第51回 D項-4 デイムラー(英)

第50回 D項-3 ダイムラー(ドイツ)

第49回  D項-2 DeDion-Bouton~Du Pont

第48回 D項-1 DAF~DeCoucy

第47回 C項-15 クライスラー/インペリアル(2)

第46回 C項-14 クライスラー/インペリアル

第45回 C項-13 「コルベット」

第44回 C項-12 「シボレー・2」(1950~) 

第43回 C項-11 「シボレー・1」(戦前~1940年代) 

第42回  C項-10 「コブラ」「コロンボ」「コメット」「コメート」「コンパウンド」「コンノート」「コンチネンタル」「クレイン・シンプレックス」「カニンガム」「カーチス]

第41回 C項-9 シトロエン(4) 2CVの後継車

第40回  C項-8シトロエン2CV

第39回  C項-7 シトロエン2 DS/ID SM 特殊車輛 トラック スポーツカー

第38回  C項-6 シトロエン 1 戦前/トラクションアバン (仏) 1919~

第37回 C項-5 「チシタリア」「クーパー」「コード」「クロスレー」

第36回 C項-4 カール・メッツ、ケーターハム他

第35回 C項-3 キャディラック(3)1958~69年 

第34回  C項-2 キャディラック(2)

第33回 C項-1 キャディラック(1)戦前

第32回  B項-13  ブガッティ(5)

第31回 B項-12 ブガッティ (4)

第30回  B項-11 ブガッティ(3) 

第29回 B項-10 ブガッティ(2) 速く走るために造られた車たち

第28回 B項-9 ブガッティ(1)

第27回 B項-8 ビュイック

第26回 B項-7  BMW(3) 戦後2  快進撃はじまる

第25回 B項-6 BMW(2) 戦後

第24回  B項-5   BMW(1) 戦前

第23回   B項-4(Bl~Bs)

第22回 B項-3 ベントレー(2)

第21回 B項-2 ベントレー(1)

第20回 B項-1 Baker Electric (米)

第19回  A項18 オースチン・ヒーレー(3)

第18回  A項・17 オースチン(2)

第17回 A項-16 オースチン(1)

第16回 戦後のアウトウニオン

第15回  アウディ・1

第14回 A項 <Ar-Av>

第13回  A項・12 アストンマーチン(3)

第12回 A項・11 アストンマーチン(2)

第11回  A項-10 アストン・マーチン(1)

第10回 A項・9 Al-As

第9回 アルファ・ロメオ モントリオール/ティーポ33

第8回 アルファ・ロメオとザガート

第7回 アルファ・ロメオ・4

第6回 アルファ・ロメオ・3

第5回 アルファ・ロメオ・2

第4回  A項・3 アルファ・ロメオ-1

第3回  A項・2(Ac-Al)

第2回  「A項・1 アバルト」(Ab-Ab)

第1回特別編 千葉市と千葉トヨペット主催:浅井貞彦写真展「60年代街角で見たクルマたち」開催によせて

執筆者プロフィール

1934年(昭和9年)静岡生まれ。1953年県立静岡高等学校卒業後、金融機関に勤務。中学2年生の時に写真に興味を持ち、自動車の写真を撮り始めて以来独学で研究を重ね、1952年ライカタイプの「キヤノンⅢ型」を手始めに、「コンタックスⅡa」、「アサヒペンタックスAP型」など機種は変わっても一眼レフを愛用し、自動車ひとすじに50年あまり撮影しつづけている。撮影技術だけでなく機材や暗室処理にも関心を持ち、1953年(昭和28年)1月には戦後初の国産カラーフィルム「さくら天然色フィルム」(リバーサル)による作品を残している。著書に約1万3000余コマのモノクロフィルムからまとめた『60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ編】』『同【アメリカ車編】』『同【日本車・珍車編】』『浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録』(いずれも三樹書房)がある。

関連書籍
浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録
60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ車編】
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