三樹書房
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第26回 B項-7  BMW(3) 戦後2  快進撃はじまる
2015.1.23

<ノイエ・クラッセ・シリーズ>
前回最後の「700」シリーズが登場した1961年に於けるBMWの品揃えは キャビンスクーター「イセッタ」(298cc)、小型経済車「700」(697cc)、大型車「502」(V8 2580/3168cc)、豪華車「503/507(V8 3168cc)と最も販売の中心となる1000~2000ccの中型車が存在しない。「501」「502」と「イセッタ」しかなかった1955年頃も、そのあと「600」が加わってからも当然売上は伸びず資金難が続き、「700」まではモーターサイクルから転用したエンジンを使わざるを得なかった「BMW」社の家庭の事情が、やっと新車開発の経済的余裕が出来たのは地元の投資家「ヘルベルト・クヴァント」からの資金援助と、「700」がヒットしてからだ。1950年代から開発が始められ、わざわざ「ノイエ・クラッセ」(ニュー・クラス)とキャッチフレーズ付きで1961年発表されたのが「1500」だった。このシリーズは、この後「1800」「1600」「2000」と仲間を増やしつつ1969年まで続く。中間にスポーツタイプ「02」シリーズを挟んで更に排気量が増え、「2500」「2800」となり、次の「3000」からは「3.0」と表現が変わったが、この流れが60年代70年代のBMW社の隆盛を築き上げた。

 
BMW 1500 ................1962-64...直4 1499cc 82×71 80hp
BMW 1600 ................1964-70...直4 1573cc 84×71 83hp
BMW 1600-02(1602).. 1966-75...直4 1573cc 84×71 85hp 
BMW 1800 ................1963-71...直4 1773cc 84×80 90hp
BMW 1800 TI..............1964-66...直4 1773cc 84×80 110hp
BMW 2000/C..............1965-68...直4 1990cc 89×80 100hp
BMW 2000 TI/tilux.......1965-68...直4 1990cc 89×80 120hp


(1)<1500>
戦後のBMWの危機を救い、今日まで続く「引き締まったスポーティな車」と言うイメージを定着させたのが「1500」から続くこのシリーズの功績だ。それは主任設計者フリッツ・フィードラーの下で、(エンジン)アレックス・フォン・ファルケンハウゼン、(シャシー)エヴァーハルト・ヴォルフ、(ボディ)ヴィルヘルム・ホフマイスター(デザインはミケロッティ)のチームから生み出された、従来の影響を受けない全く新しいものだった。その意気込みを示すのはこのプロジェクトの呼び方で、普通は「コードナンバー」が付けられるが、このケースは「ノイエ・クラッセ(ニュー・クラス)」がその呼び名だった。デビューは1961年のフランクフルト・ショーで翌1962年から市販され1964年までに23,807台が造られた。勿論、性能が良く、見た目も魅力的だったから大ヒット作となったのだが、意外なのは、当時のドイツ車は1000~1500ccクラスは「VW」「Opel」「Ford-Taunus」「DKW」「Borgward-Hansa」「NSU]「Glas」「Porsche」の全てが2ドアだった事で、この車が「4ドア」だったことも販売促進に繋がったのかもしれない。


(01-1abc) 1962-64 BMW 1500 4dr Limousine(1966-05 日本グランプリ/富士スピードウエイ)
(01-1a)(149-56) 1962-64 BMW 1500 4dr Limousine.jpg

(01-1b)(149-57) 1962-64 BMW 1500 4dr Limousine.jpg

(01-1c)(149-58) 1962-64 BMW 1500 4dr Limousine.jpg
このスタイルこそ今日に繋がるBMWの「中興の祖」と言うべきもので、この後約20年はずっと影響を与え続けた。このシリーズの形式名は単純に排気量を表す。


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(2)<1800>

(02-1abc) 1963-68 BMW 1800 4dr Limousine (1965-11 東京オートショー駐車場/晴海)
(02-1a)(128-36) 1963-72 BMW 1800 4dr Limousine.jpg

(02-1b)(128-37E) 1963-72 BMW 1800 4dr Limousine.jpg

(02-1c)(126-01) 1963-72 BMW 1800 4dr Limousine.jpg
「1500」が発売された翌年、ボアはそのままでストロークを延ばし排気量を1773ccに増やした「1800」が発売された。外見の相違はリアのエンブレム以外相違点は見つからない。

(02-2a) 1968 BMW 1800 4dr Limousine (1967-11 第9回東京オートショー/晴海)
(02-2a)(194-36) 1968 BMW 1800 4dr Limousine.jpg
1968年からは排気量は変わらず90hpから102hpに馬力アップした「後期型」となる。写真で見るとオデコが少し前にせり出したように見えるが、写真の角度からそう見えるだけで外見は変わっていない。

(02-3a) 1969 BMW 1800 A 4dr Limousine (1968-11 第19回東京オートショー/晴海)
(02-3a)(203-19) 1969 BMW 1800A 4dr Limousine.jpg
外見で見る限り去年と全く変わっていないので、BMWのシリーズを追跡するのは一寸興味をそがれる。 看板に書かれている「A」の記号が何を表しているのか手元の文献からは確認できなかったが、オートマチック付きの表示だろう。

(02-4a) 1970 BMW 1800 4dr Limousine     (1970-11 第11回東京オートショー/晴海)
(02-4a)(217-25) 1970 BMW 1800 4dr Limousine.jpg
この年グリルに初めて変化があり、中央に細い2本のラインが入った。

(02-5ab) 1963-66 BMW 1800 TI 4dr Limousine (1969-11 第11回東京オートショー駐車場/晴海)
(02-5a)(228-39) 1963-66 BMW 1800 TI 4dr Limousine.jpg

(02-5b)(228-40) 1963-66 BMW 1800 TI 4dr Limousine.jpg
バリエーションとしてツイン・キャブレターで90hpから110hpに強化した「TI」仕様が発売された。


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(3)<2000>
1965年6月2000シリーズで最初に登場したのはクーペ・バージョンの「2000C/CS」だった。発表当時の紹介記事では「新型スポーツカー」と紹介されており、戦前の「327」の再来を期待したようだ。基本的には「1800」のシャシーと、1800からボア・アップした1990ccのエンジンに、社内チームがデザインしたと言われる斬新な2ドア4シーターのボディを載せたものだ。この前衛的なスタイルは「ベルトーネ」の息がかかっていると言う説もあるが、当時としては衝撃的で、今見ても相当変わっているが50年も前と言う時代差を考えればその驚きはもっと大きかった。「2000 C」と「2000 CS」は、「クーペ」と「クーペ・スペシャル」かと思っていたら、実はエンジン仕様の違いで「C」はシングル・キャブ100hp、「CS」はツイン・キャブ120hpを表す。
4ドア版は半年遅れて1966年始め発表され、スタンダード仕様の「2000」はCバージョン、「2000 TI/Tilux」はCSバージョン・エンジンを装備している。ボディは「1800」と変わらず、ヘッドライトのみ横長となった。

(03-1abc) 1965-70 BMW 2000 C 2dr Coupe (1966-11 池袋駅付近)
(03-1a)(171-01C) 1965-70 BMW 2000C 2dr Coupe.jpg

(03-1b)(171-02) 1965-70 BMW 2000C 2dr Coupe.jpg

(03-1c)(171-04) 1965-70 BMW 2000C 2dr Coupe.jpg
僕が初めて見た「2000 C」がこの車だった。その衝撃は50年経った今でもはっきり覚えている。自動車が電気式のヘッドライトを付けて以来ずっと何十年も「丸いもの」と決まっていたから物凄い違和感があった。最近は変形ガラスが当たり前で丸型の方が少数派だから、それに慣れた現代人には十分には理解されないだろうが、とにかくびっくりした。

(03-2ab) 1970 BMW 2000 C Automatic 2dr Coupe (1985-09 大坂万博公園)
(03-2a)(85-14-13) 1970 BMW 2000C Coupe.jpg

(03-2b)(85-14-15) 1970 BMW 2000C Coupe.jpg
主に関東エリアで写真を撮っていた僕は、関西で開催されるイベントにはどんな車が出てくるかと大いに興味があった。

(03-3abc) 1969 BMW 2000 CA 2dr Coupe (1967-11 第9回東京オートショー/晴海)
(03-3a)(203-17) 1969 BMW 2000 CA 2dr Hardtop.jpg

(03-3b)(194-01) 1968 BMW 2000 CA 2dr Hardtop.jpg

(03-3c)(203-18) 1969 BMW 2000 CA 2dr Hardtop.jpg
窓が大きく感じられるのは4ドア・リムジーネより全体の高さが低いためで、窓の大きさは変わらない。

(03-4ab) 1967 BMW 2000 CS 2dr Coupe (1980-01 神宮外苑/絵画館前)
(03-4a)(80-03-30) 1967 BMW 2000 CS.jpg

(03-4b)(80-03-31).jpg
「2000 C」と外見の違いはトランクのエンブレムしかないから前からでは全く区別が付かない。大きなリアウインドウは「3200 CS」とよく似ているので、ベルトーネがデザインの関わったのではないかと思ってしまうのだが、いずれにしてもこのスタイルはこの後のモデルに大きな影響を与えたことは確かだ。

(04-1ab) 1967 BMW 2000 4dr Limousine (1966-11 第8回東京オートショー/晴海)
(04-1a)(171-07) 1967 BMW 2000 4dr Limousine.jpg

(04-1b)(171-37E) 1967 BMW 2000 4dr Limousine.jpg
1966年1月登場した「2000」シリーズの位置づけとしては、新しいモデルというよりは、基本となる「1800」のボディとエンジンを使って強化したグレードアップ版で、ボディも殆ど変化がないので、ヘッドライトを角型にして違いを強調している。

(04-2ab) 1970 BMW 2000 tilux 4dr Limousine (1969-11 第11回東京オートショー/晴海)
(04-2a)(217-24) 1970 MBW 2000 Tilux 4dr Limousine.jpg

(04-2b)(217-27) 1970 BMW 2000 Tilux 4dr Limousine.jpg
「tilux」はTI+Luxuryから作られた新造語だろう。TIシリーズは「CSエンジン」を持つ高性能版で、しかも「豪華」仕様である。


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(4)<02シリーズ>
1968年、「1600-2」が発表された。後に「1602」となるこのモデルは「1802」「2002」と仲間を増やし「02シリーズ」を形成した。「02」が表す意味は「2ドア・セダン」だが、日本では「マル2」と呼ばれ、その言葉は「小型スポーツ・セダン」をイメージさせるものだった。誕生のきっかけはアメリカ市場での販売戦略として企画された物だったが、幾つかの派生モデルを含め世界中で大ヒットし、BMWをメルセデスと並ぶ大メーカーにのし上がらせる原動力となった。


(05-1ab) 1968 BMW 1600-2 2dr Limousine (1967-11 第9回東京オートショー/晴海)
(05-1a)(194-32) 1968 BMW 1600 2dr Limousine.jpg

(05-1b)(194-31) 1968 BMW 1600 2dr Linousine.jpg
1600シリーズには1964-66 年に作られた4ドア・セダンもあるが、写真の車は看板には「1600」としか書いてないが「1600-2」である。(「1602」と変わったのは1971年から)

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(05-2abc) 1970 BMW 1600-2 2dr Limousine (1969-11 第11回東京オートショー/晴海)
(05-2a)(217-36) 1970 BMW 1600 2dr Limousine.jpg

(05-2b)(217-37E) 1970 BMW 1600 2dr Limousine.jpg

(05-2c)(218-01) 1970 BMW 1600 2dr Limousine.jpg
この年も前年と全く変わっていないが、当時の事情から推測すると変えるだけの余裕がなかったのだろう。しかしこの車は大ヒット作となり1600シリーズ累計では28万台以上が作られた。

(05-3a) 1969 BMW 1600 2dr Cabriolet (1968-11 第10回東京オートショー/晴海)
(05-3a)(203-24) 1969 BMW 1600 2dr Cabriolet.jpg
1967-71年シュツットガルトにあるコチビルダー「バウアー社」によって作られた2ドア4シーターのオープン・モデルで、グリルに2本のラインが入ってかなり印象が変わっている。モデル名は「1600-2」でも「1602」でもなく、ただの「1600」である。

(06-1ab) 1968-75 BMW 2002 2dr Limousine (1982-05 筑波サーキット)
(06-1a)(82-05-36E) 1968-75 BMW 2002.jpg

(06-1b)(82-06-01) 1968-75 BMW 2002.jpg
前の「1600」シリーズが大ヒットしたが、このシリーズはそれをはるかに上回る40万台が造られた。これらのヒットがもしなかったらBMWのメーカーとして今日(こんにち)はなかった可能性が高く、間違いなく救世主であった。

(06-2ab) 19671-75 BMW 2002 2dr Cabriolet (2002-02 レトロモビル/パリ)
(06-2a)(02-23-16) 1968 BMW 2002 Cabriolet.jpg

(06-2b)(02-23-17) 1968 BMW 2002 Cabriolet.jpg
これも「バウアー社」製のカブリオレで、「1600」と全く変わらないが、型式名は「02」表示にかわっている。

(06-3ab) 1969 BMW 2002 ti Rallyrvarsion (2008-01 BMWトラディション/ミュンヘン)
(06-3a)08-01-16_2900 1969 BMW 2002ti Rally.JPG

(06-3b)08-01-16_2901 1969 BMW 2002ti Rally.JPG
BMWのモービルトラディション内にあった「2002 ti」のラリー・バージョンで、4気筒1999ccは120hpから190hpまで強化されている。

(06-04ab) 1973-74 BMW 2002 Turbo    (1984-07 富士スピードウエイ)
(06-4a)(79-03-08) 1973-74 BMW 2002 Turbo.jpg

(06-4b)(84-08-35) 1968-75 BMW 2002 Turbo.jpg
1973年のフランクフルト・ショーで画期的な車が発表された。市販車としては初めてのターボチャージャー付き「2002 Turbo」がそれで、ツーリングカー・レースでの実績を踏まえての採用だった。しかし発売のタイミングがオイル・ショックと重なり燃費の悪いターボは1672台しか造られず翌年で生産は終了してしまった。外観の特徴はフロント・バンパーを外してエア・スポイラーを付け、前後のフェンダーは大きく張り出したオーバー・フェンダーで、リア・トランクにはゴム製のリア・スポイラーが付いている。


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(5)<2500/2800/3.0>
4気筒2リッタークラスで確実に地位を確保したBMWは、次なるターゲットを「メルセデス」に定め、これと対抗出来る「6気筒」の大型車として1968年「2500」「2800」が発売され、1971年には「3.0」が加わった。価格はメルセデスと同じくらい高価だったが、性能、品質ともにそれに値すると評価され評判はよかった。


(07-1ab) 1970 BMW 2500 4dr Limousine (第11回東京オートショー/晴海)
(07-1a)(217-16) 1970 BMW 2500 4dr Limousine.jpg

(07-1b)(217-18) 1970 BMW 2500 4dr Limousine.jpg
6気筒になってこのシリーズからヘッドライトが4灯式となった。しかし4ドアセダンはグレードが上がるにつれて「普遍性」が重視されたのか特徴のない物に変わってしまったように感じる。

(08-1ab) 1970 BMW 2800 4dr Limousine  (第11回都響オートショー/晴海)
(08-1a)(218-08) 1970 BMW 2800 4dr Limousine.jpg

(08-1b)(218-09) 1970 BMW 2800 4dr Limousine.jpg
「2800」も「2500」と同時に発売されたが外見の相違点はリアのバッジ以外には見当たらない。だからこれといった特徴が無く「外見が対象」の僕にとっては味気ない存在だ。

(09-1ab) 1972 BMW 3.0 Bavaria 3.0 4dr Sedan (1976-03 富士スピードウエイ駐車場)
(09-1a)280-15 1972- BMW Bavaria 3.0.jpg

(09-1b)280-17 1972- BMW Bavaria 3.0.jpg
Bavaria(バイエルン)と名付けられたこのクルマは、排気量が3リッターで他の「3.0」と見た目変わりがない。このモデルは北米仕様とされているので、多分アメリカ向けのネーミングだろう。

(09-2ab) 1971-77 BMW 3.0 Si 4dr Limousine (1976-03 富士スピードウエイ駐車場)
(09-2a)279-02 1971-77 BMW 3.0Si.jpg

(09-2b)279-03 1971-77 BMW 3.0Si.jpg
「3.0」シリーズには「S」Sedan、「C」Coupe、「L」Long の3種があり、写真の車は「Si」なのでセダンでインジェクション(燃料噴射)仕様のエンジン付きであることが判る。このエンジンはノーマルの180hpに対して200hpで、最高速度は130mph(208km/ h)が可能であった。リア・ウインドウがクーペではカーブしているのに対してセダンは直線で角張っている。

(09-3ab) 1971-75 BMW 3.0 CS 2dr Coupe (1976-03 富士スピードウエイ)
(09-3a)280-36E 1971-75 BMW 3.0 CS.jpg

(09-3b)280-35 1971-75 BMW 3.0CS.jpg
ここからは歴代のBMWの中でも代表的な美しさを誇る「3.0 CS」が登場する。「3.0 CS」のバリエーションは3つあるが写真の車はその中ではベースとなる「3.0 CS」だ。富士スピードウエイで今日のイベントが終わり、帰路のつくため駐車場から出てきたところだ。

(09-4ab) 1971-75 BMW 3.0 CSi 2dr Coupe (1985-04 筑波サーキット)
(09-4a)(85-09-02) 1971-75 BMW 3.0 CSi Coupe.jpg

(09-4b)(85-08-37E) 1971-75 BMW 3.0 CSi Coupe.jpg
こちらは「CSi」で、セダンと同じ200hp だが、空気抵抗が少ないため最高速度は220km/hが可能だった。


(09-5ab) 1972-75 BMW 3.0 CSL 2dr Coupe(2008-01 BMWモービルトラディション)
(09-5a)08-01-16_2957 1972-5 BMW 3.0CSL.JPG

(09-5b)08-01-16_2959.JPG
写真の車は見た目ではオーバ・フェンダーが一寸気になる程度だが「CSL」の「L」はこの場合は「Long」ではなく「Light」(軽量)、すなわち「レース・仕様」を表している。BMWの本拠に展示されてある位だからしっかりファクトリー・チューンが施されているのだろう。標準型に比べて140Kg程軽く仕上げられている。


(09-6a) 1972-75 BMW 3.0 CSL 2dr Coupe (2000-06 フェスティバル・オブ・スピード/イギリス)
(09-6a)(00-26-30) 1972-5 BMW 3.0 CSL.jpg
一方こちらの車はいかにもレース仕様ですと前後のスポイラーを付けフル装備の車。

(09-7abc) 1974 BMW 3.0 CSL 2dr Coupe  (1985-11 筑波サーキット)
(09-7a)(85-16-10) 1974 BMW 3.0 CSL.jpg

(09-7b)(85-16-12) 1974 BMW 3.0 CSL.jpg

(09-7c)(85-16-11) 1974 BMW 3.0 CSL.jpg
この車は約1100台造られ、日本にも入ってきた。前項のくるまと殆ど変わらないが、こちらは屋根の後部にスポイラーが付いていない。テールのフィンもいかにも速そうだ。

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(6)<5シリーズ>(1972-81)
5シリーズは「1800」「2000」の後継として1972年9月の「520」からスタートした。型式の「5」は等級(グレード),車体の大きさを示し、「20」は排気量を表す。エンジンは直4 SOHC で1990cc(520)/2986cc(530)/1766cc(518)/2788cc (528)の4種があった。このように3桁でグレードと排気量を表す型式の命名方法はこのあと「3」「6」「7」「8」とBMWのスタンダードとなって引き継がれた。


(10-1ab) 1972 BMW 520 4dr Limousine (1976-08 つま恋駐車場/浜松)
(10-1a)(76-05-06)1972 BMW 520.jpg

(10-1b)(76-05-07).jpg
ボディ・シェルは今までの「2500」「2800」と殆ど変わっていないので何も書く事がない。場所は野外ライブでもお馴染みの「つま恋」の駐車場で、この当時は会員制のスポーツ・レジャー施設として全国に先駆けて作られたばかりで、今では珍しくもない食べ放題、飲み放題の「バイキング」方式もまだ珍しく、子供には大好評だった。


(11-1ab) 1977 BMW 530 iA 4dr Limousine (1977-01 '77 外車ショー/晴海)
(11-1a)286-33 1977 BMW 530iA.jpg

(11-1b)286-32 1977 BMW 530iA.jpg
こちらもエンジンが違うだけでボディは同じ「5シリーズ」だ。6気筒2986ccで175hp のエンジンに、エアコンとカセット・ステレオが付いて(とわざわざ書いてある)店頭渡し現金価格618万円だった。   

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(7)<6シリーズ>(1976-89)
6シリーズは6気筒CSクーペの後継として1976年のジュネーブ・ショーでデビューした。中身の基本は「5シリーズ」が使われており、ボディはカルマン社製だった。因みに偶数のシリーズはクーペ/カブリオレ、奇数はセダンと分けられている。


(12-1abc) 1977 BMW 630 CSiA 2dr (1977-01 '77 外車ショー/晴海)
(12-1a)286-28 1977 BMW 630  CSiA.jpg

(12-1b)286-30 1977 BMW 630 CSiA.jpg

(12-1c)286-31 1977 BMW 630 CSiA.jpg
「2000 CS」「3.0CS」の流れを受け継ぐこのスタイルは、BMWの2ドアモデルのクラシックとして評価される完成度の高いデザインだと思う。

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(8)<Mシリーズ>
「M1」は「グループ4」「グループ5」で闘うためBMWが造ったミッドシップ・エンジンのレーシングカーで直6 DOHC 3453ccのエンジンはロードバージョン277hp、G4仕様 470hp、 G5仕様 850hp とされる。ボディはデザインから製造までジウジアーロの「イタル・デザイン」が担当した。ミッドシップのシャシー開発は経験豊富な「ランボルギーニ」が当たり、1977年には試作車が完成したが、生産の段階では上手く軌道に乗らずシャシーは、結果的には「バウアー社」に変更された。1978年のパリサロンでデビューし、全部で477台生産された。


(13-1ab) 1978-81 BMW M1 (2000-06 フェスティバル・オブ・スピード/イギリス)
(13-1a)(00-26-29) 1978-81 BMW M1Coupe.jpg

(13-1b)(00-26-32) 1978-81  BMW M1.jpg
完全オリジナルの「M1」だが、この位完成度が高いと色々なパーツ類を後から貼り付けるような野暮なことはする必要が無いのだろう。グッドウッドにあるマーチ卿の広大な荘園の一部を使って開かれる「フェスティバル・オブ・スピード」は参加・展示車の他に、奥の方の広場には関係者用と思われる駐車スペースがあり、そこでも珍しい車を見付けることが出来る。


(13-2ab) 1978-81 BMW M1   (1981-12 筑波サーキット)
(13-2a)(81-11-05) 1978-81 BMW M1 Coupe.jpg

(13-2b)(81-11-06) 1978-81 BMW M1 Coupe.jpg
477台しか造られなかった「M1」だが日本でも見ることが出来た。この車はロード・バージョンだから特別な改造は施されていないが、全高1140mmしか無いから成人男子の胸くらいで、その低さは両側の車と比べれば判る。


(13-3abc) 1978 BMW M1 (2008-11 明治神宮外苑/絵画館前)
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この車は高名な建築家 故黒川紀章氏の元愛用車で後部に大きなスポイラーを持っているのが特徴だ。このスポイラーは黒川氏がデザインされたものだそうで、世界レベルの巨匠ともなればありきたりでは満足出来なかったのだろう。


(13-4a~e) 1980 BMW M1 (2008-01  BMWモービル・トラディション/ミュンヘン)
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(13-4e)08-01-16_2954 1980 BMW M1.JPG
建物の入口2階に大きく張り出したガラス張りの「ショーウインドー」がありその中に「M1」が展示されていた。中に入るともう1台真っ赤な「M1」が待っていた。1980年製のこの車もノーマル仕様だが、出力は277hp、最高速度は260km/hと書かれていた。(1978-81年で399台と表示されたていたがロードバージョンだけの数だろうか)

(14-1a) 1985-90 BMW M3(初代) (2000-06 フェスティバル・オブ・スピード/イギリス)
(14-1a)(00-26-31)  1985-90 BMW M3 (初代E30).jpg
M3シリーズは1985年の初代から始まって2014年の5代目が現在まで続いている。3シリーズをベースに「BMWモータースポーツ」が本気でレース用にチューニングした車で、「M1」に使われた6気筒3.5 ℓエンジンを4気筒2.3 ℓに縮小したものが使われている。写真は右側の車が完全装備をした「M3」だ。タイヤが「ハの字」のネガティーブ・キャンパーにセッティングされ、やる気満々だ。余談だが、当時バッジだけ市販されていたのか「Mチューン」でもないのに「M」バッジを付けた車を何度も見かけた。


(15-1ab) 1983-89 BMW M6(M635 CS) (1998-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
(15-1a)(98-23-01) 1983-89 BMW M6(M635 CSi) 2dr Limousine.jpg

(15-1b)(98-23-02) 1983-89 BMW M6(M635 CSi) 2dr Limousine.jpg
「M6」は「6シリーズ」のバリエーションの1つで、「M1」と同じ直6 DOHC 3453cc 286hpのエンジンを積んだ「M635 CSi」が本来のモデルで、アメリカと日本の排ガス対策として触媒付きエンジンに換えたものが「M6」となった。そのため馬力は265hpまで落ちている。ロードユースで、派手な付属品も付いていない見た目は大人しい「羊」だが、中身は紛れもない「狼」だ。


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(9)<Zシリーズ>
BMWの車はどれをとってもスポーティだが、その中で「Zシリーズ」は最初から「スポーツカー」を目指したシリーズで、ライトウエイト・スポーツカー「Z1」「Z3」「Z4」とスーパ・カー「Z8」がある。Zシリーズの「Z」はドイツ語のZukunift(未来)から名付けられた名称だが、既に「フェアレディZ」という名のスポーツカーがあっても問題はなかったのだろうか。


(16-1ab) 1988-91 BMW Z1 (1990-01  レールシティ汐留)
(16-1a)90-02-29 1988-91 BMW Z-1 Spider.jpg

(16-1b)90-02-32 1988-91 BMW Z-1 Spider.jpg
小型スポーツ・セダンで定評のあるBMWが、小型オープン・スポーツカーの分野に進出するために開発したのが「Z1」で、1986年マスコミに発表し、翌87年のフランクフルト・ショーで正式にデビューした。この時の反響はものすごく予約注文が5000台もあり、最大時は35000台のバックオーダーを抱えていたが、ライバル「ベンツSL」が登場すると人気は一気に急落し約8000台を造った1991年製造は終了した。開発の意途はアメリカ市場を狙った物かと思いきや、80%はドイツ国内で販売され、2番目は7%のイタリアだった。北米も日本も正規輸入は無く何台かが並行輸入の形で入ってきたから、写真の車もそのうちの1台だろう。この車の構造上の最大の特徴はドアの開閉方法で、ドアは「開ける」というよりは「下げる」と言ったほうが判り易い。ボディサイドの下半分が厚い構造材となっており、上半分のドア部分が下にさがるので、高い敷居をまたいで乗り込む事になる。

(17-1ab) 1996-02 BMW Z3 (2010-07 ポーツマス市内/イギリス)
(17-1a)10-07-02_0054 1996-02 BMW Z3.JPG

(17-1b)10-07-02_0055 1996-02 BMW Z3.JPG
1991年「Z1」の製造が終了してから5年後の1996年、次のロードスター「Z3」が登場した。今回は製造拠点をアメリカ・サウスカロライナ工場に置いているので、明らかに北米市場をメインターゲットとしたものだ。
製造期間は1996-02年でエンジンは前期3種、後期3種の6種類がある。
1997-99 Z3 1.9 直4 140hp
1998-00 Z3 2.8 直6 193hp
1999-00 Z3 2.0 直6 150hp
2000-02 Z3 2.2i 直6 170hp
2000-02 Z3 3.0i 直6 231hp
2000-02 Z3 2.8i 直6 193hp

上記の他にZシリーズのバリエーションとして「M仕様」エンジンがある。
1998-01 Mロードスター/Mクーペ 直6 3.2 ℓ 321hp
2001-02 Mロードスター/Mクーペ 直6 3.2 ℓ 325hp

「Z1」の顔は「M1」に近かったが「Z3」は正しくBMWの一族だという顔をしている。イギリスのポーツマス市内で撮影したものだが、この車にはどこにも「Z3」や排気量を表す数字は入っていない。

(18-1ab) 2003-08 BMW Z4 Roadster (2004-06 フェスティバル・オブ・スピード駐車場/イギリス)
(18-1a)04-06-26-_130 BMW Z4.JPG

(18-1b)04-06-26-_131 BMW Z4.JPG
「Z4」は2002年パリサロンでデビューし2003年から販売されているので「Z3」の後継モデルと言える。写真の車は2003-08年に造られた「初代」モデルで「Z3」と同じくアメリカのサウスカロライナ工場で作られたが、2009年以降の「2代目」はドイツで造られている。


(19-1abc) 2000 BMW Z8 Roadster (2000-06 フェスティバル・オブ・スピード/イギリス)
(19-1)(00-42-06) 2000 BMW Z8 Roadster.jpg

(19-1a)(00-42-05) 2000 BMW Z8 Roadster.jpg

(19-1b)(00-42-04) 2000 BMW Z8 Roadster.jpg
「Z8」は同じZシリーズでも「507」「M1」の流れを汲む「スーパーカー」で、「Z4」より3年も前なのになんで「Z8」なんだ、と疑問を持つが、「507」をイメージして作られたコンセプトカーが同じ番号7を使った「Z07」だったところから、その市販車版であるこの車が次の「Z8」となったのだろうと推測した。エンジンはスーパーカーにふさわしくV8 4.9リッター 400hpで、日本での価格は1660万円だった。


(19-2a) 2001 BMW Z8 Roadster (2001-05 ミッレミリア/ブレシア)
(19-2a)(01-14-32) 1999-01 BMW Z8 Roadster.jpg
ミッレミリアはイタリアの車が中心だから「赤い」車が多い。その中に何故か赤い「ドイツ車」ばかりが固まって広場の一角を占めていた。ドイツ人の負けじ魂か、郷に入っては郷にしたがえか。ボディサイドのエアスクープが「507」を連想させる。


(19-3a) 2001 BMW Z8 Roadster (2002-05 ミッレミリア/アッシジ)
(19-3a)(01-32-09) 2001 BMW Z8.jpg
ミッレミリアを追跡取材するマスコミのために提供されている「Z8」で、イベントの途中ウンブリア州アッシジの「サンタ・キアラ教会広場」で捉えたもの。


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(10)<グラス社>
グラス社は19世紀末には農機具の製造を始めている長い歴史を持つ会社で、1951年代、創業者の孫「ハンス・グラス」がスクーターの製造を始め業界に参入した。1955 年からは242ccながら、自動車の形をした「ゴッゴモービル T250」が発売され、296cc,395cc と順次排気量を上げて自動車に近づいてゆく。1957年何とか自動車といえる584ccの「グラスT600イザール」が出来て初めて「グラス」の名前を付けた車が登場した。ひと回り大きい「T700」も併売され大ヒットした。1リッタークラスは1961年「1004」(992cc)、1963年「1204」(1189cc)、1965年「1304」(1290cc)と変化し、一方1963年のフランクフルト・ショーでは1.5リッタークラスの市場を狙って4ドア・セダンと、「フルア」のデザインによる洒落た2ドア・ファストバック・クーペが展示された。クーペの方は1290ccのエンジンを積んで「1300 GT」として、セダンの方は1682ccのエンジンを積んで「グラス1700」として登場した。「グラス」の上向志向は留まることを知らず、続いて登場したのはなんとV8 2576ccで2+2の高級車「グラス 2600 V8」だった。ここまで読んでお気付きのように、次々と車種を増やしすぎ、当然設備投資がかさみ、採算が取れているのは「ゴッゴモビル」だけでは倒産まであとは時間の問題だった。1966年12月工場は「BMWディンゴルフィンク・ワークス」と名前を変えBMWの傘下に入った。実はこの時期BMW側としては1962年から売り出した「1500シリーズ」の売れ行きがが絶好調で、従来の設備では追い着かず手頃な買収先を物色していた訳で、この「ディンゴルフィンク工場」は現在世界中のBMWの工場の中で最大の規模を持った中心的存在となっている。

((20-0ab) 1964 Gias Goggomobile T250 2dr Sedan (2008-01 ドイツ博物館・ミュンヘン)
(20-0a) (参考)08-01-16_3415 1964 Glas Goggomobil T250.JPG

(20-0b)08-01-16_3418.JPG
グラス社で合併後も生き残ったのは3種だけだったが、「ゴゴモビル」はBMWで約11000台造られた。BMWになってからの写真は撮って居ないので、参考までに「グラス社」時代の物をご覧頂きたい。


(20-1abc) 1968 BMW 1600 GT by Frua (1977-04 筑波サーキット)
(20-1a)(311-05)  1968 BMW 1600GT by Frua.jpg

(20-1b)(311-07) 1968 BMW 1600GT by Fria.jpg

(20-1c)(311-08) 1968 BMW 1600GT by Frua.jpg
最初にこの車を見つけた時に正面のグリルを見て、「え?これがBMW?」と思った記憶がある。BMWはセダンとクーペの2種のボディに統一されそれが強いイメージとして定着していたから、それ以外のBMWは僕にとって想定外で違和感を感じたのだ。

(20-2ab) 1968 BMW 1600 GT by Frua (1980-11 富士スピードウエイ)
(20-2a)(80-12-22) 1967 BMW 1600GT by Frua.jpg

(20-2b)(80-12-21) 1967 BMW 1600GT by Frua(オリジナルは1963 Glas 1300GT/1700GT).jpg
この車の前身は「Glas 1300GT/1700GT」で、合併後はBMW1600用の1573ccエンジンを載せて「BMW 1600 GT」となって生産が続けられた。しかしその数は1255台に留まった。

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(11)<アルピナ社>
BMWのチューナーとして有名だった「アルピナ」は、今や完成車メーカーである。1963年「ブルカルト・ボーフェンジーペン」が「BMW 1500」をツイン・キャブにするキットを売り出したのがスタートで、車名は父親が経営するタイプライター工場の製品が「Alpina」だったところから付いた名前だ。1978年、個人の依頼によって車を仕上げるチューナーとしての将来性に限界を感じ、BMWをベースにして独自の改良を加えたより高性能な車を、完成車として販売するメーカーの道を選んだ。それには「アルピナ・チューン」の「BMW 3.5 CSL クーペ」が前年のヨーロッパ・ツーリングカー・チャンピオンとなった自信の上に行なった決断かもしれないが結果的には大成功で今日に至っている。


(21-1ab) 1983  Alpina- BMW C1/1- 2.3(E21) (1983-08 千葉市稲毛区/CGテスト車)
(21-1a)(83-04-11) 1983 BMW-Alpina C1/1- 2.3 (E21).jpg

(21-1b)(83-04-17).jpg

(21-1c)(83-04-16).jpg
ベースは「BMW 323i」、エンジンは6気筒2316cc 170hp 、最高速度213km/h、価格715万円、でアルピナの総代理店ニコル・オートモビルズによって輸入された。写真の車はカーグラフィック(84-01)のロードインプレッションに登場した車で、同じマンションの駐車場のこの場所には時々テストに行く前の車が止まっていることがあったので、犬の散歩をする際いつもチェックを欠かさなかった。 


(22-1ab) 1978-82 Alpina -BMW B7 Turbo 2dr Coupe (1983-08 千葉市稲毛区 )
(22-1a)(83-01-10) 1978-82 BMW-Alpina B7 Turbo.jpg

(22-1b)(83-01-09).jpg
「B7ターボ」は1978-82年の第1世代と、1984-87年の第2世代「B7 ターボ/1」がある。写真の車は1世代のクーペ・バージョンで、2ドアのボディには「630 Csi」が使われているが、4ドア版には「528 i」が使われた。エンジンは共通で「630 CS」の直6 2986cc にターボ・チャージャーとインタークーラーを付け、イグニッション、ピストン、燃焼室に改良を加え185hpのエンジンを300hp/6000rpmまでスープアップしている。アルピナ社のポリシーは「万事控えめ」という事で、フェンダーの張り出しも「控えめ」、アルミ・ホイールも上品だし、カタログには巡航速度はあるが最高速度は記入されていないそうだ。しかし恐るべきはその実力で最高速度は250km/h以上、0-100km/h加速6.0秒、のパフォーマンスを持ちながら、スムーズな動作と静粛さを合わせ持っている事だろう。


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(12)<ヴェリタス社>
「ヴェリタス」は第2次大戦直後、BMWがまだ立ち直れない敗戦のどん底時代に、1940年のミッレミリアでチーム・マネージャーだった「エルンスト・ローフ」が、秘蔵していた戦前の「328 MM」を持ち出して1947年のホッケンハイムで優勝したところから始まった。彼はこの「328」をベースに「ヴェリタス」という新しくスポーツカーを造ることを実行に移した。ボディはローフ自身のデザインといわれるが、戦前の「ツーリング゙」の影響が大きい感じだ。ローフとしてはこの車を「ヴェリタス-BMW」と言うブランド名で売りたかったがBMWが許可しなかった。1949年には「ヴェリタス・バディシェ・アウトモビールヴェルケ㈱」となり、製造を続けるも売れ行き不振で1951年会社は解散、1952年新たに「ヴェリタス・アウトモビールヴェルケ・エルンスト・ローフ㈱」として再出発したが、資金が枯渇し、翌年そっくりBMWに引き取られ、ローフ本人も技術者として再びBMWで働く事となった。

(23-1abc) 1948 Veritas RS Roadstar (1994-05 ミッレミリア/ブレシア)
(23-1a)(94-05-27) 1948 Veritas RS.jpg

(23-1b)(94-05-26b) 1948 Veritas RS.jpg

(23-1c)(94-07-13) 1948 Veritas RS.jpg
写真の車は僕が初めてミッレミリアに行った時撮った物で、しかもこの時は「ヴェリタス」という車の存在を知らなかった。勿論BMWと深い関係にある事も知らなかった。車名が解っていて年式や型式などの詳細を確認するのは資料さえあれば難しい事ではないが、車名が解らないこのケースでは手がかりの入口すら見つからない。だから今は素性の解らない車を撮った時は車名のバッジや説明書きなど必ず続けて写し込む事にしている。以前カラーフィルム時代に、節約してデータ分だけはサブのデジタル・カメラで撮ってきたら、整理する段階でどれと組み合わせるか全く解らなくなって役に立たなかったという失敗を教訓にしたものだ。

(23-2a)  1948-49 Veritas RS Roadster (1994-05 ミッレミリア/ブレシア)
(23-2a)(94-03-33) 1948-49 Veritas RS.jpg
これも同じイベントで撮影した正体不明だった車だ。僕が持っている本で「葉による野生植物の検索図鑑」という葉っぱの形状からYes/Noで絞り込んでいく便利な手引書があるが、自動車の場合はそんなに都合良くは行かない。だから当たりをつけて色々探しても偶然見つからない限りはまず絶望的だ。この車の発見の糸口は、モーターマガジン社の「TARGA(92-2)」という雑誌にドイツの「ロッソ・ビアンコ・コレクション」の特集があり、その中のレストア工場の写真説明に「古いBMWを前にして」とあるその写真はグリルもヘッドライトもない下地塗装のままのボディの一部だが特徴のある「おにぎり」型の穴があいていた。その時は「BMW」だと思って調べていって、BMWの資料から「ヴェリタス」にたどり着いた。


(23-3a) 1947 Veritas RS 2000 Roadster (2000-05 ミッレミリア/ブレシア)
(23-3a)(00-07a-36) 1947 Veritas RS 2000.jpg
この車も前の車と殆ど変わらないがボンネットの空気取り入れ口の形状が半円形となっている点が異なるので同じ車ではない。最初の登場した車にはボディ・サイドに3段の細かいルーバーが切られていたが、2番目とこの車にはそれが見られない。小さい丸い穴が沢山開いているホイールは戦前の「328」と同じ物だろう。


(23-4ab) 1949 Veritas 2 Litre Roadster (2004 -08 ラグナセカ/カリフォルニア)
(23-4a)(04-78-05) 1949 Veritas 2Litre.jpg

(23-4b)(04-78-04)  1949 Veritas 2 Liter.jpg

(23-4c)(04-78-06) 1949 Veritas 2Litre.jpg
アメリカで見つけたこの車は最初の車とよく似ているがドアが浅く、ボディ・サイドのルーバーがドアの下まで続いている。


.やっと「BMW」が終了した。この車は種類が多く、外見の変化が少ないので原稿が中々進まなくて難航した。次回はアメリカ車の初登場「Buick」の予定です。

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第107回 L項-8 「ロータス・1」(マーク1からタイプ14エリートと23エラン迄)

第106回 L項-7 「リンカーン・2」(米)

第105回 L項-6 「リンカーン・1」

第104回 L項-5 「ランチャ・2」

第103回 L項-4 「ランチャ・1」

第102回 L項-3 「ランボルギーニ」

第101回 L項-2 「ランチェスター」「ラサール」「リー・フランシス」「レオン・ボレー」「ラ・セード」「ロイト」「ロコモービル」「ローラ」「ロレーヌ・デートリッヒ」

第100回 L項-1  「ラゴンダ」

第99回 K項-1 「カイザー」「カイザー・ダーリン」「ケンワース」「キーフト」「ナイト」「コマツ」「コニリオ」「紅旗」「くろがね」

第98回 J項-5 「ジープ」「ジェンセン」「ジョウエット」「ジュリアン」

第97回 J項-4 「ジャガー・4」(大型サルーン、中型サルーン)

第96回 J項-3 「ジャガー・3」 (E-type、レーシング・モデル)

第95回 J項-2 「ジャガ-・2」(XK120、XK140、XK150、C-type、D-type、XKSS)

第94回 J項-1  「ジャガー・1」(スワロー・サイドカー、SS-1、SS-2、SS-90、SS-100)

第93回 I項-2 「イターラ」「イソ」「いすゞ」

第92回 I項-1 「インペリアル、イノチェンティ、インターメカニカ、インビクタ、イソッタ・フラスキーニ」

第91回 H項-8 「ホンダ・5(F1への挑戦)」

第90回 H項-7 「ホンダ・4(1300(空冷)、シビック(水冷)、NSX ほか)」

第89回  H項-6 「ホンダ・3(軽自動車N360、ライフ、バモス・ホンダ)」

第88回 H項-5 「ホンダ・2(T/Sシリーズ)」

第87回  H項-4 「ホンダ・1」

第86回 H項-3 「ホールデン」「ホープスター」「ホルヒ」「オチキス」「ハドソン」「ハンバー」

第85回 H項-2 日野自動車、イスパノ・スイザ

第84回 H項-1 「ハノマク」「ヒーレー」「ハインケル」「ヘンリーJ」「ヒルマン」

第83回 G項-2 「ゴールデン・アロー」「ゴリアト」「ゴルディーニ」「ゴードン・キーブル」「ゴッツイー」「グラハム」

第82回 G項-1 「GAZ」「ジャンニーニ」「ジルコ」「ジネッタ」「グラース」「GMC」「G.N.」

第81回 F項-25 Ferrari・12

第80回 F項-24 Ferrari・11 <340、342、375、290、246>

第79回  F項-23 Ferrari ・10<365/375/410/400SA/500SF>

第78回 F項-22 Ferrari・9 275/330シリーズ

第77回 F項-21 Ferrari・8<ミッドシップ・エンジン>

第76回 F項-20 Ferrari・7 <テスタ ロッサ>(500TR/335スポルト/250TR)

第75回 F項-19 Ferrari ・6<250GTカブリオレ/スパイダー/クーペ/ベルリネッタ>

第74回 F項-18 Ferrari・5<GTシリーズSWB,GTO>

第73回  F項-17 Ferrari・4

第72回 F項-16 Ferrari・3

第71回 F項-15 Ferrari・2

第70回 F項-14 Ferrari・1

第69回 F項-13 Fiat・6

第68回 F項-12 Fiat・5

第67回 F項-11 Fiat・4

第66回 F項-10 Fiat・3

第65回 F項-9 Fiat・2

第64回 F項-8 Fiat・1

第63回 F項-7 フォード・4(1946~63年)

第62回 F項-6 フォード・3

第61回 F項-5 フォード・2(A型・B型)

第60回 F項-4 フォード・1

第59回 F項-3(英国フォード)
モデルY、アングリア、エスコート、プリフェクト、
コルチナ、パイロット、コンサル、ゼファー、ゾディアック、
コンサル・クラシック、コルセア、コンサル・カプリ、

第58回  F項-2 フランクリン(米)、フレーザー(米)、フレーザー・ナッシュ(英)、フォード(仏)、フォード(独)

第57回 F項-1 ファセル(仏)、ファーガソン(英)、フライング・フェザー(日)、フジキャビン(日)、F/FⅡ(日)

第56回 E項-1 エドセル、エドワード、E.R.A、エルミニ、エセックス、エヴァ、エクスキャリバー

第55回  D項-8 デューセンバーグ・2

第54回 D項-7 デューセンバーグ・1

第53回  D項-6 デソート/ダッジ

第52回 D項-5 デ・トマゾ

第51回 D項-4 デイムラー(英)

第50回 D項-3 ダイムラー(ドイツ)

第49回  D項-2 DeDion-Bouton~Du Pont

第48回 D項-1 DAF~DeCoucy

第47回 C項-15 クライスラー/インペリアル(2)

第46回 C項-14 クライスラー/インペリアル

第45回 C項-13 「コルベット」

第44回 C項-12 「シボレー・2」(1950~) 

第43回 C項-11 「シボレー・1」(戦前~1940年代) 

第42回  C項-10 「コブラ」「コロンボ」「コメット」「コメート」「コンパウンド」「コンノート」「コンチネンタル」「クレイン・シンプレックス」「カニンガム」「カーチス]

第41回 C項-9 シトロエン(4) 2CVの後継車

第40回  C項-8シトロエン2CV

第39回  C項-7 シトロエン2 DS/ID SM 特殊車輛 トラック スポーツカー

第38回  C項-6 シトロエン 1 戦前/トラクションアバン (仏) 1919~

第37回 C項-5 「チシタリア」「クーパー」「コード」「クロスレー」

第36回 C項-4 カール・メッツ、ケーターハム他

第35回 C項-3 キャディラック(3)1958~69年 

第34回  C項-2 キャディラック(2)

第33回 C項-1 キャディラック(1)戦前

第32回  B項-13  ブガッティ(5)

第31回 B項-12 ブガッティ (4)

第30回  B項-11 ブガッティ(3) 

第29回 B項-10 ブガッティ(2) 速く走るために造られた車たち

第28回 B項-9 ブガッティ(1)

第27回 B項-8 ビュイック

第26回 B項-7  BMW(3) 戦後2  快進撃はじまる

第25回 B項-6 BMW(2) 戦後

第24回  B項-5   BMW(1) 戦前

第23回   B項-4(Bl~Bs)

第22回 B項-3 ベントレー(2)

第21回 B項-2 ベントレー(1)

第20回 B項-1 Baker Electric (米)

第19回  A項18 オースチン・ヒーレー(3)

第18回  A項・17 オースチン(2)

第17回 A項-16 オースチン(1)

第16回 戦後のアウトウニオン

第15回  アウディ・1

第14回 A項 <Ar-Av>

第13回  A項・12 アストンマーチン(3)

第12回 A項・11 アストンマーチン(2)

第11回  A項-10 アストン・マーチン(1)

第10回 A項・9 Al-As

第9回 アルファ・ロメオ モントリオール/ティーポ33

第8回 アルファ・ロメオとザガート

第7回 アルファ・ロメオ・4

第6回 アルファ・ロメオ・3

第5回 アルファ・ロメオ・2

第4回  A項・3 アルファ・ロメオ-1

第3回  A項・2(Ac-Al)

第2回  「A項・1 アバルト」(Ab-Ab)

第1回特別編 千葉市と千葉トヨペット主催:浅井貞彦写真展「60年代街角で見たクルマたち」開催によせて

執筆者プロフィール

1934年(昭和9年)静岡生まれ。1953年県立静岡高等学校卒業後、金融機関に勤務。中学2年生の時に写真に興味を持ち、自動車の写真を撮り始めて以来独学で研究を重ね、1952年ライカタイプの「キヤノンⅢ型」を手始めに、「コンタックスⅡa」、「アサヒペンタックスAP型」など機種は変わっても一眼レフを愛用し、自動車ひとすじに50年あまり撮影しつづけている。撮影技術だけでなく機材や暗室処理にも関心を持ち、1953年(昭和28年)1月には戦後初の国産カラーフィルム「さくら天然色フィルム」(リバーサル)による作品を残している。著書に約1万3000余コマのモノクロフィルムからまとめた『60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ編】』『同【アメリカ車編】』『同【日本車・珍車編】』『浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録』(いずれも三樹書房)がある。

関連書籍
浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録
60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ車編】
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