第29回 江戸時代のご臨終


 江戸時代は、お医者さんが往診し、家族に囲まれて家で最期を迎える、というパターンが多かったようです。病院の延命治療もなく、短く太く生きたのではないでしょうか。
「医者衆は辞世をほめて立たれたり」
と、辞世の句を遺して大往生する人もいたようです。かっこいい死に方で、戦国武将ではたまに聞きますが、病死で辞世の句、とはなかなかできない芸当です。
「代脈がちと見直した晩に死に」
一瞬回復したようになってから亡くなる、というのは江戸時代にもあった現象なのでしょうか。
「死金」という単語は、今では、使わないままの預金を指したりしますが、当時は、死のために備える支度金のことを「死金」と言いました。
「死金をおっかなそうに分けて取り」
「死金がたまり過たで死かねる」
死金が惜しくなって死ねなくなった、そんな延命効果も......。
 死んでも死にきれないのは、人間関係の確執がある場合。嫁が姑の死を看取るシーンはちょっと怖いです。
「看病をひとりねめねめ往生し」
お嫁さんをにらみながら死んでゆく姑さん。にらむくらい気力があるならまだ長生きしそうですが......。
「しうとばば白くにらむがいとま乞」
「目が黒いうち」は生き生きしている表情を示しますが、反対に白くなっていくのは死を表します。こちらもにらみながら死んでいく姿です。成仏させるのにも苦労しそうです。
「嫁が出す水はりのけて目をふさぎ」
嫁の世話を断固として拒絶する姑。病院だったら他の人に任せられますが、家庭内往生では不本意ながら嫁の手を借りないわけにはいきません。
「死水を嫁にとられる残念さ」
結局、死んだら拒否することもできず、嫁に末期の水を口に入れられることに......。
「仕合わせな嫁梅干しを桶につめ」
梅干しは老婆の比喩で、桶は当時のお棺という、これもまたゾクゾクする川柳です。もっと川柳とは笑えるものだと思っていましたが、死という話題になるとホラー味も帯びてきます。
「段々にお鉢のはまる枕飯」
お椀にご飯を盛った「枕飯」にお箸を立てたものを死者にお供えする風習もありました。
「枕飯からもふこわく嫁は炊き」
生きている時は姑のご飯は柔らかく炊いていたのを、亡くなったとたん固めに焚く嫁。四十九日くらいまでは霊の好みに合わせた方が良さそうですが......。
「ぬけがらの魔よけの魂のせておき」
武士の魂=刀で、刀をちょっと鞘から抜いて遺体の上に置くという魔よけの風習がありました。現代には失われてしまった風習で、魔よけがない丸腰状態で大丈夫か不安になります。
「さかさまに親が屏風を立るなり」
逆さにした屏風で囲うという習わしもありました。この川柳は、お子さんが先に亡くなった逆縁の「さかさ」という意味ともかけている切ない句です。和服の合わせが逆さまだったり死者にまつわることは「さかさごと」と言われます。現代だと、亡くなったはずの人が服を裏表に着ていた、という怪談も聞いたことがありました。あまり風流じゃないですが......。
「極楽のひゃうとく和尚付けてくれ」
「表徳」はペンネームの意味。極楽でも通じるかっこいい戒名を付けてほしい、とリクエストしています。
 お葬式の時は、家の戸口に青い鬼簾(細い竹で編んだ忌中用のすだれ)に、忌中札を付けました。
「鬼簾涙のかかる忌中札」
「鬼の目に泪と見へる忌中札」
「二字書た札は寂しいかけすだれ」
鬼すだれについて検索したら、飲食店用の通販サイトがヒット。現代では伊達巻きを作る時に使われているようです。
「すまぬ事母の湯灌は寺でする」
納棺前に死者を清める「湯灌」。裕福な持ち家のある家庭でないと家では湯灌ではない制度があり、一般人はお寺の湯灌場を使っていました。助け合いの精神は死に装束にも。経帷子は何人もの人が分担して縫い上げていたそうです。
「片袖を足す振り袖は人のもの」
皆がひと針ひと針塗ってくれている......この人情味だけで成仏できます。
「神棚に目張外へは札を張り」
死者が出た家では神棚に紙を張る風習も。細かいところにまで気をつかっています。
 死者には三途の川の渡し賃の六道銭を入れた袋を持たせ、お棺に入れてお寺に運び、お坊さんの読経ののち、土葬もしくは火葬にします。死出の旅は孤独です。
「西国は連立て行く旅でなし」
江戸時代のお葬式は、焼き場まで葬列を組んで歩く大がかりなものでした。提灯、香呂、紙垂、幡、天蓋、位牌、棺、などを持った人々に続いて、施主や会葬者がついて歩きます。
「御簾をかかげると先ず出る香呂持」
「脇差のない裃がぞうろぞろ」
施主は裃姿です。武士でなくても、武士コスプレができる機会でもあります。
「施主はみなぶたれたやうな頭で来」
髪を乱雑に束ねてるのは慣れていない装束のせいでしょうか。
「若松を紙でこさへる気のどくさ」
結構お金がかかりそうな江戸時代のお葬式。松葉のかわりに簡易的に紙の花を用いる場合も。
「編笠も外から透くはあはれ也」
使い捨ての目の荒い編笠でしょうか。しかし専用に作るだけでもちゃんとしています。
「人数で買ふ丸綿はあはれ也」
女性は綿帽子をかぶります。ちなみに当時の喪服は白だったので、綿帽子とコーディネイトすると天使のようで、死者も安らぎそうです。
 参列者はお葬式用に粗末な草履を履いて、墓場から戻る時はその場に捨てていく風習がありました。
「寺町に捨た草履の哀也」
「葬礼に足袋を捨てぬは得手かっ手」
多分、ケガレを家に持ち込まないという思想なのでしょう。足袋まで捨てる、ケガレに対して敏感な人もいました。現代では軽く塩をまくくらいで祓えているのか、ちょっと心配になってきます。靴下くらい捨てた方が良いのかもしれません。
焼香の手順は今と同じようです。
「焼香のしょはなに出るは目をはらし」
違うのは和尚さんが最後に強い口調で「喝!」と叫ぶという段取り。これで死者はハッとして死んだことを自覚できます。急に叫ばれて参列者は寿命が縮まりかねません。
「引導はとんと死人をしかるやう」
お棺を埋める穴堀職人は淡々と仕事します。
「愁傷のてい御座なく候穴堀」
「裃で穴を覗くは身内なり」
別れ難く、近親者はその穴をのぞきこみます。
ところで、遺体を火葬する職業を「隠亡」と言いました。以下は、不穏すぎる一句。
「隠ン坊はやたらに人を焼て食」
「食う」というのは「生計を立てる」という比喩的表現ですよね。まさか本当に死者を......? 江戸時代にカニバリズムはないですよね。
「うまさうだなどと焼き場で気の強さ」
でも、この句によると死者を焼く匂いをうまそうだと言い出す人もいたそうで(このしろという魚を焼く匂いに似ているとか)、もしかしたら、と思ってしまいます。
「しわいやつあわれな酒にばかり酔ひ」
お葬式のふるまい酒に酔っぱらう人の牧歌的な句で、お茶を濁したいです。
 忌中の時は髪型も決まっていました。女性は「草たばね」という簡易的な島田髷にしていました。
「強飯の竹の皮まで草たばね」
「目に露をもって萎れる草たばね」
暖簾や屏風、葬列に死装束に髪型と、江戸時代のお葬式は、念入りに手間ひまかけて行っていて、死者を悼む気持ちが伝わってきます。こんなに丁寧に送られたら成仏率も高そう......と思ったら、形見分けでえげつない欲が露呈することもあり、死者も油断できません。
「泣き泣きもよい方をとる形見分け」
「泪はらってねめ廻すかたみ分け」
「わっわっと泣いてかたみを持て行き」
「しっかりと来るとなき出す形見分け」
「形見分け泣き出すやつがたんと取」
派手に泣きながら、死者への思いをアピールして、いい物をもらおうとする人々。
「形見分け始て嫁の欲がられ」
「形見分けうらみつらみのはじめ也」
「小姑が手をつけさせぬ形見分け」
形見分けシリーズの句は多いです。形見分けでわだかまりが生まれることも多かったようです。
「香典の穴をうめろと形見分け」
「百両を淋しくほどく形見分け」
「垢つきばかりうき物ハ記念わけ」
金額が少ないとか、ショボいものしかないとか、内心不満を抱く人も。「垢つきばかり......」の句は、百人一首の「暁ばかり浮きものはなし」という素敵な句にかけていますが、下流感がみなぎっています。
「形見分けはやまり過ぎて取り返し」
最初選んだものよりも後でいいものを発見し、交換したい、というセコい句もありました。
「形見分け以後はいんしん不通也」
物をもらった後、音信不通になる人も。形見分けでしみったれた人間の本性が露になります。
「白い手が出やうとおどす形見分け」
欲張りすぎると、死者の祟りがある、と脅すという最終手段です。結局ホラーな結末になってしまいました。でも、近親者や親しい人なら、幽霊でも側にいてほしい、と思うのが人の常。形見分けで参列者がエキサイトするのを、死者はきっと嬉しさ半分で見守っていることでしょう。

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