2015年10月アーカイブ

 江戸時代の婚活、お見合の項目について書こうとしたらところ、ショッキングな事実が。「江戸時代は男子は二十前後、女子は十五から二十才くらいで、結婚するのが通例であった」早いとは思っていましたが、十五とは......。下手すると三十代で祖母です。(結婚して家庭を作ることだけが幸せだとは思いませんが)現代の晩婚化と対照的な江戸時代の早婚の裏には、仲人さんの暗躍があったようです。
「十分の一取るにおろかな舌はなし」
という川柳には饒舌な仲人の姿が書かれていますが、仲人は婚姻が成立すると結納金の十分の一をもらえたとか。現代も素人が仲人をしてお金をどんどん稼げる仕組みができれば結婚する人が増えるかもしれません。
「四百づつ両方へうる仲人口」
結納金は四千文なので四百文入ると言う皮算用。今のお金で数万円くらいでしょうか。
「嫁の年すてがねほどは嘘をつき」
 成立させるためには嘘をつくこともある仲人。当時、時刻を知らせる鐘をつく前に、三つほど捨て鐘をつく風習があったそうで......三歳ほどサバをよんだのでしょうか。
「相性は聞きたし年は隠したし」
やはり若さが重要のようで、現実は厳しいです。
「言ひ出して大事の娘寄りつかず」
「なぜでもの娘かならず隣あり」
 せっかく縁談が来ても浮かない顔の娘は、隣近所に別に男がいる可能性が......。当時は恋愛結婚ではなく見合が主流でした。見合話が来ると、とくに男性側が女性の容姿を気にしてあらかじめチェックすることも。
「あらかじめ見てから呼ぶのが今の風」
女性側もなんとなく察して入念にお化粧していました。
「見にくるもしれぬと顔へへげるほど」
「見にくるかくるかと日々あらたなり」
しかし男性側はできるだけ素の状態を知りたくて、天蓋をかぶって虚無僧の変装までしたり雨宿りの体で軒下らから覗き見たりします。
「てんがいで嫁を見に行くおもしろさ」
「娘見に来たとも見えず雨やどり」
現代は合コンで仕上がった状態で出会って、あとですっぴんを見て騙された、という風になりかねませんが、江戸時代の男性の方が女性のチェックが厳しかったようです。
「見合ふのを出合と言ってしかられる」
 出合とは、出会い系的な肉体重視の男女の密会。似ていますが言い間違えると誤解を生みます。見合は健康的に、神社やお寺の境内の水茶屋で行われました。ちょっと前に、庭園の水茶屋に行きましたが、年齢層が高くとても出会える感じはしなかったですが......当時は先端スポットだったのでしょう。
「水茶やは目出たい銭を二百とり」
ここでもまた金目......。江戸時代の結婚利権は大きいです。
「隣へはまづ観音と言って置き」
「はづかしいものさと母は先へ立つ」 
近所で噂にならないよう、いそいそと水茶屋へ赴く母娘。
「一生の身のかたづきを茶できめる」
「水茶屋へ行く日美つくし善つくし」
「そらっ茶を飲み飲み見たり見られたり」
うぶな娘さんが緊張してお茶の味もわからなくなっている姿が目に浮かびます。
「鼻が低いのと茶を飲みながらいひ」
たぶん男性側を書いた句でしょうか。外見チェックにいちいち余念ありません。
「水茶屋の娘がよいでわるく見へ」
これは懸念していた事態です。当時、谷中や上野、浅草の有名な水茶屋には美人の看板娘がいたそうで......。女性のテンションは下がるし、男性は見比べてしまうし、いいことないです。以前、表参道のカフェのお見合いイベントをやっているところに通りかかったら、イケメンゲストが来場していて、誰得......と思った記憶がよみがえりました。
「仲人の見立てる茶屋は婆々なり」
それが成就のためには賢明な判断でしょう。
「気に入ったそうで見合も茶を奢る」
見合が成立したら気前よくお金を出したくなるのが人の性。
ちなみに縁談不成立の場合は......
「あれならいやと飲みかけた茶をこぼし」
「気に入らぬ方が水茶屋はやく立ち」
と、ストレートに言動に表す江戸人。お茶をこぼされた方は精神的ダメージ大です。
裕福な家庭は芝居見物に絡めて劇場で見合したそうです。
「見たり見せたりで一両十匁」
「よい息子隣桟敷によい娘」
「恥しさその日の芝居身にならず」
「対面で娘は見たり見られたり」
芝居の途中で帰るのも、見合不成立のサイン。
「いもがあるいやと一幕切りで立ち」
「いも」は疱瘡の跡。ルックスにこだわりつづける江戸男子......。
「東西の寺であばたを選り残し」という句もありました。東西とは、東本願寺や西本願寺を表します。親鸞上人の忌日「お講」には男女が集い、出会いのスポットとなっていました。それにしても、あばたで結婚できないとは切ないです。今みたいに、コンシーラーやBBクリーム、各種美容治療がないので、消す手だてがなかったのでしょう。
 とはいえ男性側も油断できません。仲人が見合の時は当て馬に器量の良い女子を連れて行き、婚姻の時差し替えるという荒技もあったそうです。
「瓜に茶をのませへちまと引かへる」
「瓜さねを見せてかぼちゃと取かへる」
瓜は美女、カボチャは不美人を表します。
「見ましたは細おもてだともめる也」
「似せ首に綿をかぶせてやかましい」
 見合のあとに、婚礼の場で会っても女性は綿帽子をかぶっていて顔がよく見えず、初夜ではじめてじっくり対面。ルックスがいまいちでも、もう時既に遅しです。そうやって強引な手段で男女をくっつけていた仲人さんの手腕のおかげで、後世の子孫である私たちが存在できているのだと思うと、感謝の念がわきあがります。ルックスにこだわる江戸男子の遺伝子が今も引き継がれているような気もしますが......。

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13、花魁おいらん 女房 芸者 二代歌川豊国 文政~天保(1818~44)頃

第7回-13 二代歌川豊国 花魁 女房 芸者 太田記念美術館蔵.jpg

 有職紋が織られた白地の衣装を四枚重ねて着ているのは八朔はっさく姿の花魁であろう。前帯びには雲竜が描かれている。麻地模様の赤い下着が鮮やかさを増している。全盛の花魁であろう、髪は大きな横兵庫で、鼈甲で出来た豪華な菊花模様の簪を左右各6本挿し、櫛2枚挿したその後ろには長い笄が見えている。口元は小さいが、お歯黒をしているのが見える。
 また、その右にいるのは、町方の女房で、髪は割鹿子わりかのこであろう。髷を左右に割って長い笄を通している。櫛は蒔絵に珊瑚が嵌め込んであり、鬢の部分に斜めに挿してある。風呂帰りか、着ているのは浴衣で袖をたくし上げ、手にしている着物には黒衿が付いている。たぶん、それまで着ていたものだろう。左手には手拭が見えている。顔を見ると眉なしで、お歯黒をしている。耳にかかる髪が透けている。胸がはだけ、いかにもリラックスした様子は町方の女房といったところである。
 下で座っているのは芸者で、右手に持っているのは熊手である。黒地の着物には、ねじ梅の五つ紋、裾には鉄線唐草てっせんからくさが描かれている。よく見ると簪もねじ梅である。さらに凝ったところは、中着の模様で、利休梅と小さな梅が一緒に描かれているところである。目立たないところに気を配っている。帯びは縞模様で右手の辺りに見えているのは、帯に挟んだ懐紙入かいしいれである。
 髪型は若い女性の結う島田髷の燈籠鬢のようにも見える。化粧を見ると、芸者は基本的に眉を剃らず、お歯黒をしなかったので、白歯である。このように身分、階級、未・既婚の違いで、着ているものや髪型、化粧の違いが分るのが浮世絵の楽しいところであるが、文政頃には廃れたと思われる燈籠鬢を結う女性が、まだいたのであろうか。そういったことを考えるのも面白い。


14、女三題 溪斎英泉 文政4~5年(1821~22)頃

第7回-14渓斎英泉 女三題 太田記念美術館蔵.jpg

 こちらの女性三人は、右から富裕な家の娘、まん中は御殿女中、左は芸者であろうか。富裕な家の娘は、根の高い大きな島田髷に赤い手柄てがらを巻いている。櫛はなく、前髪をくくった赤い絞りの布が愛くるしい。前髪の上にびらびら簪、両サイドに挿してある簪には挿しぬきの桜が付いている。着物は市松模様になっているが、真っ赤な中着が若さを演出している。右手には琴の爪を付けているところをみると、なにか曲を弾いていたのかもしれない。まだ15歳~16歳くらいであろう。白歯で眉も剃っていない。ただし、口紅は流行の笹色紅である。
 真ん中の御殿女中は、眉なしで笹色紅、お歯黒もしている。髪型は御殿女中の代名詞にもなっている「片はづし」で、櫛は挿さない。位の高い御殿女中は、基本的には一生奉公なので、結婚したしるしのお歯黒をして、眉も剃るのである。
 下にいる芸者を見ているのか、手には扇子を持ち、帯に懐紙入れを挟んでいる。着物は地味に見えるが、格調高い唐草模様からくさもように菊の五つ紋、帯はこれも唐花模様のようにも見える。
 左の芸者は潰し島田に大きな鼈甲風の櫛と笄を挿している。簪は八重裏梅やえうらうめの模様が付いている。盃を持っているところと、髪がほつれているところを見ると、ほろ酔い酒というところであろう。地味な縞の着物、赤い襦袢の白い衿には蝶が描かれ、ちらっと洒落た感じを演出している。向き合う富裕な娘と御殿女中を相手に、酒の勢いもあるのか、一歩も引かない芸者の心意気のようなものを感じる。
 富裕な娘の下に書かれている文句は、山東京伝の弟で『歴世女装考』を書いた山東京山さんとうきょうざんである。「つぼすみれつぼみし花の色はまだ人にゆるさぬ紫の上」ういういしい娘の姿を源氏物語の紫の上にたとえているのだろう。
 御殿女中の歌は狂歌師の狂歌堂・四方よも真顔まがおである。「この小町男ひでりの雨乞いにぬれんとてこそ御代参すれ」御殿奉公の女性たちは、代参の帰りに芝居見物などで男性との出会いを期待しているのではないか。そんな心情を書いたのであろう。その手の歌は川柳にもよく登場している。
 芸者の歌は、狂歌師の六樹園こと宿屋やどや飯盛めしもりが書いたもので「そみせんはやめて手にとるさかづきのあひも袖をひかるゝぞうき」とある。三味線を弾くのをやめて盃をとるその間にも、袖を引く男がいるのが煩わしい、ということらしい

 これまで紹介してきた浮世絵類は、すべて原宿にある太田記念美術館の所蔵作品である。今回ご紹介するものも、太田記念美術館所蔵の肉筆浮世絵で、「花魁・女房・芸者」もこの「女三題」も、肌の白さや紅(笹色紅)の鮮やかさ、髪の質感などがよく分って、いつ見ても、何度見ても飽きない。贅沢なひと時である。

※収録画像は太田記念美術館所蔵。無断使用・転載を禁じます。

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【お知らせ】10月2日から11月23日まで歌麿・英泉・北斎―礫川浮世絵美術館名品展を開催中です。

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