2014年11月アーカイブ

第2回 誕生

 江戸時代の人の生死は月の満ち引きと密接にかかわり合っていたようです。現代人のように、陣痛促進とか延命処置をせず、自然と一体化していたのでしょうか。人間の体液の成分は海水の構造と似ていて、人は満潮の時に生まれ、引き潮の時にこの世を去る......。いきなりしめやかな話題ですが『川柳江戸 女の一生』(渡辺信一郎著)の第一章は誕生にまつわる川柳からはじまります。
 「引潮は水さし潮は湯のたらい」
 水さしは末期の水のためのもので、たらいは産湯です。死と生の情景を合体させた力技にドキッとします。
 「さし潮も引潮もまた穴を掘り」
 こちらの句も、後産の胞衣(胎盤)を埋める穴と埋葬用の穴について詠んだ、生と死についての句。今は病院で出産すると胎盤はそのまま処分されたり業者が持っていってしまうようです。江戸時代は吉方位に埋めて魔除けパワーを得ていました。そのような風習が失われてしまったことに一抹の懸念が......。もしちゃんと胞衣を埋めていたら、災いが軽減され、もっと人生はラクだったのかもしれません。
 「胞衣を納めたついでに桐を植え」
 地方によっては胞衣を埋めて目印に木を植えていたようです。女児の場合は桐を植え、その子が成人して嫁入りする時に育った桐で箪笥と長持を作って持たせるという素敵な風習も。胞衣の養分を吸って育った桐が箪笥に姿を変えて、その女性の一生を見守る......。江戸川柳は失われた文化遺産の宝庫です。多分、それなりに庭がある家じゃないとできないので、この句は裕福な家だとさり気なく自慢しているのかもしれません。
 「似首をしゃぶるが乳の呑みはじめ」
 「まくりから飲みはじめたる江戸の水」
 こちらも今はない習慣で、まくり、別名海仁草と呼ばれる草を解毒剤として布に包んで赤子にしゃぶらせていたようです。味はいまいちですが虫下しの効果もあったとか。現代の赤ちゃんは予防接種まみれと聞きますが、まずい草の汁をしゃぶるのとどちらが良いのか、悩むところです。
 百日目に行われる宮参りについての句もいくつかあります。
 「人間の巣立ちなるべし宮参り」
 「人間の開眼をする宮参り」
 宮参りは今も行われていますが、江戸時代は富裕層は乳母がいるのがふつうで、宮参りも乳母が抱いていました。
 「付紐で乳母をからげる宮参り」
 「宮参りうばをしばったやうに見へ」
 からげるとかしばるとか、乳母さんやられたい放題です。乳母という存在は家庭の中でスケーブゴートみたいな役割だったのでしょうか。それとも被虐プレイの対象として性的願望を抱かれていたのか......。
 「喰ざめに乳母はぶさまな横坐り」
 なんて句もあります。赤子を膝において食べさせてあげている姿をぶざまとまで言われて気の毒になってきました。
 「鶴の椀乳母はそばから餌をひろひ」
 「鶴も居る亀も居るしと乳母はほめ」
 鶴と亀の絵入りのお椀からお食い初めする風習があったのでしょうか。乳母の献身的な姿が垣間みられます。縛られたりなじられてもかいがいしく働く乳母の存在は貴重です。現代にも制度を復活させてほしいです。
 とはいえ赤子が一番必要としているのは実の母親です。
 「母のゑくぼをつついて乳をのみ」
 「片乳房にぎるが欲の出来はじめ」
 などの句からは、赤ちゃんがお母さんのおっぱいを求める姿が浮かんできます。
 「乳を飲む子を笑はせて歯をかぞへ」
 という句は心温まります。乳幼児死亡率が高かった江戸時代は、日常の幸せな一瞬を大切にしていたのかもしれません。当時ののっぺりした絵からはわかりませんが、現代人より感情表現がエモーショナルだったのでしょう。江戸時代の女の一生を疑似体験することで人間らしさを取り戻したいです。
 
 20141127【第2回】乳母_edo2.jpg
 

 江戸時代は性愛文化が発展した時代で、もはやエロ時代と言ってもいいくらいです。性欲が減退気味の現代人は、江戸時代から学べるものがたくさんありそうです。
 以前から江戸時代の春画などには興味を持っていましたが、今回はじめて庶民の古川柳の存在を知りました。庶民文化の研究では第一人者でいらっしゃる渡辺信一郎先生の著書「江戸の艶本(えほん)と艶句(ばれく)を愉しむ」(別名:蕣露庵主人名義)には、春画以上に刺激的な句がたくさん収められています。
 まずソフトな方からご紹介しますと......
「いい女見たい所が一つあり」
ストレートすぎる男子の欲求。江戸時代は女性器への興味や関心がかなり高かったようです。モザイクや墨で覆い隠され、穢れたもののように取り扱われている現代よりも、よほど恭しく扱われていたような印象です。
「赤貝が口を開いて嫁逃げる」
「柏餅似たとは下女がふざけなり」
こちらも女性器にまつわる句です。卑猥な赤貝に思わずその場から逃げる純情な奥さんと、柏餅に似ているとふざける下女のが対照的です。下女とか下男という単語には一抹の興奮を覚えます。
「白魚の力帆柱引き起こし」
白魚が女性の手で、帆柱は男性器のメタファーですが、とても文学的な表現で、磯の香が漂ってくるようです。
「蛸と麩を出してもとなす出来合茶屋」
女性の名器は「蛸」、男性の名器は「麩」と、当時表現されていたようです。食材のチョイスが風流です。
 ちなみに、男性器には「麩」以外にも「雁」「反」「傘」「赤銅」といった分類が10種類ほどあります。現代の分類よりも細かくて、男性器への愛やリスペクトが伝わってきます。女性器も、「新開」「毛深開」「土器開」「茄子開」「酒開」「火燵開」「湯開」など18種類にも分類されていて、その観察力とデータ収集力には畏れ入るばかりです。
 その他にも、「泡壷」「探春」「舐陰」「吐淫」などといった、官能的な性ボキャブラリーが豊富で勉強になります。ちなみに江戸時代の女性が絶頂に達する時の叫びは「いくわないくわな」「おしますおします」だったそうで......今聞くとちょっと笑いを誘いそうです。
 江戸時代の娯楽といえば思い付くのは、将棋、囲碁、歌舞伎、相撲、落語、博打etc......。今よりも出かける場所が少なく、家にこもって性の探求をするようになった自然な流れは想像できます。人間の根本的な欲求である性行為。夜が充実していた江戸時代はきっと現代よりも幸福度が高かったことでしょう。
 江戸時代の川柳を収録した「女の一生」という渡辺信一郎先生の著書をもとに、これから女性の人生について、幸せについて考察していきたいです。

第1回名器のメタファー蛸と麩

明日の天気


 夕方の西の空が夕焼けでバラ色に燃えているときに、そのバラ色の西の空に向かって立つ。それから大きな声で「あ~したてんきにな~れ」と微妙な節をつけて叫び、最後の「れ」と同時に右足に履いている下駄の親指をゆるめて力いっぱい前方に向けて放り出す。着地した下駄の鼻緒が上にあれば、明日は晴れで、鼻緒が下なら雨、と下駄が告げる天気予報だ。明日もいい天気だろうとわかるからなのか、夕焼けがきれいなときにこそ、下駄を放り投げたくなる。ときたま、下駄は横をむいて着地するが、そのときは「曇りだ!」と言いながら笑った。

 いまもテレビや新聞それにインターネットなどで、つい見てしまう天気予報。下駄によるものとはまったく違う理論によっておこなわれているが、毎日のように見ていれば、とことんデータを頼りにしている予報の当たる確率は下駄とそう違わないことがわかっておもしろい。テレビで予報をする人はいつだって確信ありげなのはなぜなのか。自分が言った昨日の予報については、どんなに外れたとしても決してそれには言及しない。彼ら自身が毎日更新されているかのようだ。

 特に明日の天気が気になるわけでもないのだ。明日はどんな天気でもいい。天変地異は別として、どんな天気でもそれなりに生きていけると、いまの私は思う。だとしても、天気予報はなぜにこうも当たらないのか。ほとんどの科学は戦争に勝つために発展してきたものだ、ということを思い出す。天気予報も例外ではない。

 「ユーゴーは『哀史』の一節にウォータールーの戦いを叙してこう云っている。「もし一八一五年六月十七日の晩に雨が降らなかったら、ヨーロッパの未来は変っただろう」と。雨が降って地面が柔らかくなり、ナポレオンが力と頼む砲兵の活動に不便なために戦闘開始を少し延ばしたばかりにブリュヘルが間に合って戦局が一変したと云うのである。これは文学者の誇張であるかもしれないが、こういう例は史上に珍しくはあるまい。同じ筆法で行けば弘安四年六月三十日から七月一日へかけて玄界灘を通過した低気圧は我邦(わがくに)の存亡に多大の影響があったのである。もし当時元軍(げんぐん)に現時の気象学の知識があったなら、あの攻撃はあるいはもう数ヶ月延期したかもしれない。
 日露戦役の際でも我軍は露兵と戦うばかりでなく、満洲の大陸的な気候と戦わなければならなかった。日本海の海戦では霧のために蒙(こうむ)った損害も少なくなかった。こういう場合に気象学や気候学の知識が如何に貴重であるかは世人のあまり気の付かぬ事である。
(中略)
 日本軍がシベリアへ出征するという場合でも、気象学上の知識は非常に必要である。彼(か)の地における各時季の気温や、風向、晴雨日の割合などは勿論、些細な点についても知識の有無に従ってその方面の準備の有無は意外の結果を来たすであろうと考えられる。」
「戦争と気象学」寺田寅彦

 宇宙には気象衛星がいくつも打ち上げられているのだから、こうした必要性はいまも続いているのだろう。だからといって、気象学がどんなに発展しても、私という人間が生きている、その具体的な土地で休みなく移り変わり続ける天候までは予報できっこないと思う。それはまずは目的外であり、そして予測不能なほどに複雑なことだからだ。予報が当たることを期待してはいけないのだ。

 たまたま自分がいるその場所で、刻々変わっていく天気にのどかに気持ちを向けていれば、変化を感じるのはむずかしいことではない。我が家のあたりでは、雨が止むと、すぐに鳥の鳴き声が聞こえる。「咳をしても一人」で有名な尾崎放哉の場合は、鳥ではなくて馬だったようだ。

  峠路や時雨晴れたり馬の声

 尾崎放哉には雨の句がたくさんある。季語を使わなかった人だから、季語ではない、ただの雨、である。ためしに十句選んでみると、季語がなくても意外に季節がわかるものだと思う。

  あすは雨らしい青葉の中の堂を閉める
  雨に降りつめられて暮るる外なし御堂
  船乗りと山の温泉に来て雨をきいてる
  あらしの闇を見つめるわが眼が灯もる
  空暗く垂れ大きな蟻が畳をはつてる
  雨の幾日かつづき雀と見てゐる
  かへす傘又かりてかへる夕べの同じ道である
  雨の椿に下駄辷らしてたづねて来た
  嵐が落ちた夜の白湯を呑んでゐる
  雨の中泥手を洗ふ
 「尾崎放哉選句集」より

 机の上にストームグラスを置いている。樟脳などの薬品をアルコールと混ぜた液体が閉じたガラス容器に入っている。気温や湿度、気圧の変化によって、ガラスに閉じ込められた液体のなかに結晶が出来たり、それが減ったりする。気温が低いときのほうが結晶が大きく育って、そのかたちも変化する。天候の移り変わりは「目にはさやかに見えねども」という場合が多いので、これは変化が結晶となって目に見えるところが好き。毎日写真を撮るといいかもしれないと思うが、実行しないで見ているだけだ。

 私の机の上にあるのはほんの少しだけ科学が入っているオモチャのようなものだが、本物のストームグラスは19世紀には航海のときの天気予報の道具だった。温度計や気圧計などとともにストームグラスの結晶の様子を観察して、迫り来る悪天候を読み取っていたのだ。ビーグル号に乗せられていたのは歴史的な事実で、フィクションでは、ジュール・ヴェルヌ作『海底二万マイル』の新鋭潜水艦ノーチラス号にも搭載されていた。

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