第10回 「風流四季哥仙 五月雨」鈴木春信/「湯屋へ行く美人」歌川豊国

19、「風流四季哥仙 五月雨」鈴木春信 明和5年頃

10回-1鈴木春信 風俗四季歌仙 五月雨 太田記念美術館蔵.jpg

 雨が降る中、二人で傘を持ちながら湯屋の行き帰りであろう。傘を少しつぼめた女の子と言葉を交わしている。まん中で、右手に浴衣を持ち、肩に手拭を掛けている女性は、帯を前で結んでいる。髪型は、島田髷なのかはっきりしないが、たぼのところにも櫛を挿している。たぶん髱の部分がたるんでこないように挿していたのかもしれない。右隣りの振袖を着ているのは、若い娘であろう。着物をたくし上げ、髪には赤い櫛が挿してある。
 そして、傘を少しつぼめた女の子は、島田髷を結っているので、たぶん12~13歳くらいであろう。肩には、手拭を掛けている。足元を見ると三人とも、違った下駄を履いている。年齢や職業などで履くものが違っていたのかもしれない。右端の格子のところに「明日休」という札が見えている。湯屋の札であろう。
 ところで、この絵が描かれたのは、明和5年頃であるが、この三人、髪型の髱の部分が、既に引きつめられている。この時期はまだ、髱が後ろに長く伸びて、それが反り返った鷗髱や鶺鴒髱というのが流行していたはずである。というのは、この絵が描かれた約10年後の、安永8年に出された阿部玉腕子の『当世かもじ雛形』には、まだ鷗髱や鶺鴒髱といったような、後ろに出ている髱も描かれている。ただし、この『当世かもじ雛形』には、引きつめられた髱も多数あり、安永8年前後が髱の流行から鬢が流行する移行期と考えていたが、この絵を見る限り、明和の5年頃から、髱を引きつめることが流行していたということなのかもしれない。
 横なぐりの雨が降っている。たぶん着物にも雨が降り注いでいるのだろうが、女性たちの表情には、困ったという顔にはなっていない。ちょっととした立ち話が楽しいのかもしれない。
 ちなみに、上部の雲形の中の和歌は「ふりすさふとたへはあれと五月雨の雲ははれ間も見へぬ空かな」と書かれている。


20、「湯屋へ行く美人」歌川豊国 寛政頃(1789~1801)

10回-2歌川豊国 湯屋へ行く美人 太田記念美術館蔵.jpg

 タイトルにあるように、湯屋に行く美人で、髪型が三つ輪髷のようにも見える。そうであれば、口元を見るとお歯黒をしているので、お妾かもしれない。鼈甲のような櫛、簪を挿して、髱は流行の燈篭鬢であろう。鬢挿しが透けて見えている。左手に浴衣を持って、肩には赤い糠袋が付いた手拭、右手はつまを持っている。着ている着物は格子こうし模様もようで、中着は七宝しっぽう模様もよう。帯びは幅広で、牡丹唐草のような模様になっている。
 歩いているのは海辺で、沖にはたくさんの船が停泊している。少し風があるのか、鬢の髪が乱れている。この絵の書かれた寛政頃は、女性の髪型で見ると、髷が大きくなったのが特徴で、元禄頃に流行った大島田といった名称の髷が流行し、勝山髷も大勝山といった髪型が登場している。襦袢の裾と手首から見えている袖口の赤が、この女性の色気を演出している。

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