第17回 あいさつ回り

 江戸時代の結婚は大仕事です。結婚式の疲労と興奮が覚めやらぬ間に、「嫁の礼」と称し、親族と一緒に町内を戸別に挨拶して回らなければなりません。近所の噂の火種になりそうですが......。マンションの隣人の顔さえ知らない現代とは隔絶の感があります。
「はづかしい顔を姑がつれあるき」
「嫁の礼おふくろばかりしゃべりぬき」
お嫁さんはシャイで無口な反面、姑さんは饒舌にしゃべりまくります。
「立ちぎへのしたあいさつで嫁はすみ」
「おふくろの背中から出る嫁の礼」
「あはははが連れておほほほ礼に来る」
豪快な笑いは熟女で、お嫁さんは取り繕った笑い声です。近所の人々のぶしつけな視線に萎縮しているようでもあります。
「嫁の礼男の見るは顔ばかり」
男性は、とりあえず顔をチェックし、女性は嫁の全身に視線を走らせ上から下まで品定め。
「よめの礼つるべをすててかけつける」
家事の途中であってもかけつける女性たち。しばらく近所の話題のネタになる嫁を見ておかないと話の輪に入れません。
「嫁の礼町内中へ首が出る」
「嫁の礼屋根へ上って叱られる」
そこまで......というくらい、何が何でも見ようとする群衆。屋根に上る人まで出るとは......。お嫁さんは恥ずかしい反面、一生に一度、スターになったような気分かもしれません。以前、今の人の一日ぶんの情報量が、江戸時代の人の一生分の情報量に値する、と聞いたことがあります。今は知人の妻の顔なんてSNSで検索すればすぐ出てきたり、一般人から芸能人まであらゆる人のプライベート情報があふれています。その情報に翻弄され、エネルギーが消耗してしまいます。江戸時代のように、一つ一つのゴシップというか話題を大切に、時間をかけて消費すれば、疲労感も軽くなりそうです。
 さて、お嫁さんには近所を回るだけではなく、「里開き」という、嫁いでから三日目か五日目に郷里に挨拶に行く習わしもありました。その時に親は娘の表情や醸し出す雰囲気などから、結婚生活がうまくいくかどうかを推し量ったのでしょう。
 「里びらき此頃にないめしを喰い」
 「我家の客椀で食ふ里がへり」
 器はお客さん用になっていますが、気心が知れた実家でリラックスして、つい大食いになってしまいます。
「里びらき女房の留守の始め也」
やはり実家が居心地が良いことに改めて気付いたお嫁さん。頻繁に帰ることに......。
「里かへりとなりへ寄るが思ひ也」
実家でダラダラして、隣近所への挨拶は顔を出す程度になってしまいます。
「里がへり話さぬことは母聞かず」
「里がへり何やら母はききのこし」
夜の生活や姑との関係など、聞きたくてもなかなか立ち入ったことは聞けない親心。もうよその家に入った娘なので距離ができているのでしょうか。実家の母のことは「里の母」と呼びます。
「まず足をのばしゃれよやと里の母」
「里の母うへをぬぎやれと世話をやき」
しはらくぶりに会った娘に何かと世話を焼きたがる里の母。
「小便をかうしてよいと里の母」
トイレに行ってきなさい、とおせっかいなところにも娘を思う親心が表れています。時には娘の嫁ぎ先を訪問することも。
「里の母あたり見い見いあいさつし」
「里の母遣い残りを置いて行き」
お小遣いを置いていく里の母、ありがたいです。
「猫をなでるを里の母見て帰り」
嫁ぎ先の猫にも受け入れられた様子を見て、安堵。
しかし円満で平和な夫婦生活ばかりではありません。姑に嫁いびりされたり、夫にDVされた場合は、里の母に手紙をしたためて訴えます。
「すまんまをたべさせ候し里へふみ」
いじめられてごはんにおかずがない窮状を綴った句。しかしそう言われても、おかずを送るわけにもいかないし、対応に困ります。
「すりこ木でぶちまいらせと里へふみ」
夫にすりこ木で殴られた、と訴える手紙。すりこ木もそこまで痛くない印象なので、あまり深刻でないケースかもしれません。
 里の母は、娘が帰ってきた時に、何事も我慢しなさい、と教えさとします。そうやって母も耐え忍んできたのでしょう......。当時の結婚は、夫の側からは三行半を突き付ける権利があったのに、妻側からは離縁できず、女性の立場は低いものでした。
「だけれどもしんぼうしやと里の母」
「里帰りまけていやれをくどくいい」
「里の母寝ものがたりに言へといふ」
 どうしても辛い時は夫と一緒に寝ている時に頼みなさい、というアドバイス。現代でも使えそうです。そして母が気にしていたことは、娘の懐妊でした。
「里の母御客の有無を毎度聞き」
 生理が来たのか来ていないのか、毎回尋ねる里の母もいました。江戸時代は子どもを産めない嫁は離縁されることもあったと言われています。江戸時代の一般の女性は、生まれてから運命の輪のようなものに取り込まれ、数々のしきたりや風習に従い、強い意志や疑問を持たず、定めされた通りに受動的に生きていったのだと思います。全ては家を守るため......。
 何も守らず受け継いでいないダメな子孫としては、ご先祖様の冥福を祈ることしかできません。もしくは、毎日充実して生きることが何より先祖供養、ということにしたいです。

20160216 edo17あいさつ回り.jpg