第18回 江戸時代のハイレベルな新妻

 江戸時代の新婚生活。想像すると、セックスレス気味の現代よりも夫婦が仲睦まじかったのではないかと思われます。長時間労働や満員電車、ネット浸りで体力を消耗することもなく、夜になってもエネルギーが余っています。住環境にしても、薄明かりで肌のアラも見えず、蛍光灯よりもムーディで、冬などは木造で寒くて身を寄せ合うしかありません。
 川柳を読むと、当時の若妻の初々しさが現れていて、きっと夫にもかわいがられていたことでしょう。新婚のことは「新世帯」と呼ばれていました。
「よりたまへあがりなんとしあら世帯」
 昼が近くなってもまだ寝ている夫婦が、しとねから「寄りたまへ」と、訪ねてくれたけれど気を使って帰ろうとしている友人を引き止めています。
「あら世帯たたみのうへでみそを摺り」
「あら世帯夜具に屏風を立廻し」
 まだ生活用具が揃っておらず、布団の周りを屏風で囲っています。それも雰囲気ありますが......。
「尺八にむねのおどろくあら世帯」
唐突な尺八というワードがシュールですが、当時は不倫に虚無僧が関わってくるという、ちょっと怖い風習がありました。
「あら世帯同じこもそう二人来る」
「あら世帯門にこもそう手をつくし」
妻を取られて怒った元夫が虚無僧に扮して、新しい男との新世帯を探し歩きます。当時、他人の女房と駆け落ちしたら、二人を切り捨てても構わなかったそうです。二人は毎日虚無僧の影に怯えて暮らすことに......。尺八の音色が、元夫の恨みつらみを乗せて、物悲しく響きます。
「本店へ出入のならぬあら世帯」
「母らしい人のたづねるあら世帯」
こちらも訳ありの、駆け落ちしてきた風の新世帯の句です。
「新世帯こわらしい手になりんした」
水仕事をしたことがない遊女と結婚したことをほのめかしています。
「新世帯まだばちだこのある小指」
三味線を弾いていた人は右手にバチだこができるそうで、こちらは花柳界の女性だと推察されます。奥さんの氏素性について、さり気なく川柳で噂する......油断できない世の中です。
 嫁姑関係も、まだ姑さんも若いので、敵対心が燃え上がりやすかったようです。
「気に入れば気にいったとて気にいらず」
息子が気に入った女性だと思うと、何につけても気に入りません。
「談義場で嫁の仕打ちを交易し」
談義場というのはお寺で僧侶の説法を聞く場所のこと。邪念を浄化する場所なのに毒気を振りまいています。
「一から六まで嫁をいふあみだ也」
江戸近郊の六ヶ所の阿弥陀様を巡る「六阿弥陀」という風習があったのですが、歩きながらも女たちは嫁の悪口を言いまくります。阿弥陀様の霊験パワーも届きません。
 新妻も、ボロを出さないように緊張の日々でした。
「来た当座よめひれふすにかかってる」
とりあえず頭を下げまくる妻。口答えとかせずとにかく頭を下げれば良いらしい、と後学のために覚えておきます。
「来た当座もしの出かねる花嫁子」
「花嫁のうちはもしへで間に合はせ」
夫を「あなた」と呼ぶのが恥ずかしく「もし」と呼ぶ妻。「もし......」と丁寧に呼ぶのは現代でも奥ゆかしくて好印象かもしれません。
「唇へさわらぬよふに嫁はたべ」
「花嫁は飯を数へるやうに喰い」
食べ方にも気を使い、米も数粒ずつ、お上品に食べていました。今よりも、一緒に食事をすることへの羞恥心が強かったのでしょう。
「糸を巻くやうに花嫁もちを喰い」
「卯の花を散さぬやうに嫁は喰ひ」
江戸時代の新妻は餅を噛んでちぎったりせず、糸を巻くように細くして切っていたというのが衝撃です。現代の夫婦は普通に咀嚼音を響かせていますが、江戸時代にはあり得ないことだったのでしょう。
「ぶっかけを花嫁片手ついて食ひ」
お蕎麦は床にじかに置いて食べる風習だったので、こんな無理な体勢になってしまいますがそこはかとなくエロスが漂います。
「誰も見ぬ時に大口によめは喰ひ」
夫の前では、食べ方がお上品だった妻も、一人になったら大口で食べまくります。
 そして夫の前ではボサボサ・すっぴん状態を見せず、ちゃんと髪も整えるのが江戸のプロ新妻。
「ざっとたばねやしょうと嫁小半時」
「嫁の髪巳午の間にやっと出来」
髪を結うのにも一時間かかり、遅い時は11時に仕上がるなんてことも......。
「嫁も出て会ふやらたんす明ける音」
来客があると急いで支度する新妻。
「五六度覗いて嫁の夕すずみ」
「夕すずみ嫁の出るのはごく暑也」
夕涼みをしたくても近所の目が気になり、誰もいない頃を見はからってそっと出ていきます。当時から日本人の空気を読む能力が発揮されていたようです。
「行水におたいさうなと姑いひ」
行水する時は、屏風などでがっちりガードして外から見られないように気を使いました。あまりの厳重さに姑が呆れている情景を描いた句です。
「ぬかぶくろ嫁調合をしては詰め」
入浴時には、糠を袋に詰めて体を洗ったそうで、エコだしツルツルになりそうです。
「花嫁は歯にきぬきせて笑ふ也」
「泣くやうに袖で隠して嫁わらひ」
笑う時は、歯を見せずに袖で隠していました。など、数々のエピソードを知るにつれ、現代よりも女子力が格段に高いです。結婚したら江戸女子を見習うべきかもしれません。
さらに人が集まる酒席などでは、お琴や三味線などの一芸も要求されていました。
「おねがひが御座るは嫁の琴と見へ」
「六七人にせめられて嫁はじめ」
六七を足して琴の十三弦を表している句です。
「花嫁にばちをあてがうゑゑきげん」
「ひくばかりならと花嫁三をかけ」
三味線、という場合もありました。余興で琴か三味線が弾けないとならないとはハードルが高すぎです。それなら客など呼ばないで引きこもりたくなってしまいます。それ以前に結婚できません。日本人のおもてなしは、各家庭でもこんなにレベルが高かったとは......。
 そんな江戸女子が何より気を使ったのは、シモ関係でした。
「なりったけ嫁小便を細くする」
トイレの音が漏れないように、細く出します。この、日々の調節が、名器を育むという一面も......。
「屁をひって嫁は雪隠出にくがり」
「花嫁は一つひっても命がけ」
「ブイとひり嫁自害でもする気なり」
おならを夫に聞かれてしまったショックで茫然自失の妻。完璧に振る舞っていたのに、少しの肛門のゆるみで台無しです。
「嫁てうずいともやさしきおならの音」
「嫁の屁は精一杯で胡弓の音」
それでも、どこか音に恥じらいというかかわいらしさが漂っています。
「嫁の屁を聞いたものは長者になる」
めったにない体験をすると長者になれる、という当時の俗信にちなんでいます。嫁のおならはそれほど希少価値が高かったのでしょう。マニア的な視点も感じる句です。
「嫁の屁が五臓六腑にまよって居」
おならをしたくても、出せないで内臓に溜め込む新妻も。毒素を吸収することになって体に悪いです。
「へのぬしが出て花嫁はあんどなり」
別におならをした人が出てくれば一安心です。それにしても、おならに関する川柳が数多く、江戸時代の人も下ネタ好きのようです。
 江戸時代の妻はおしとやかで奥ゆかしいのですが、昼は聖女、夜は娼婦的にキャラが変わっていたようです。
「新世帯隣ではもふ椀の音」
「隣から戸を叩かれる新世帯」
 夜、励んでいたため寝坊したり、隣から注意されるくらい激しくいたしていたり、かなり旺盛です。
庚申(かのへさる)の日は性交してはいけない、という当時の禁忌にも逆らっていました。(この日宿った子は将来盗人になるという迷信が)
「庚申をうるさく思う新世帯」
「庚申にお仕事をする新世帯」
 と、構わずに交合する新婚夫婦。仲が良いのはいいことです。
 など、当時の川柳には、どうやったら夫婦がいつまでもラブラブでいられるか、夫に飽きられないか、女性にとってのヒントがたくさん書かれているようです。しかしできそうでできない、レベルの高さに畏れ入りました。とりあえず、何か楽器を始めるところから......。

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