第17回 スモールミニバンのブーム到来

2023年4月22日

この章では、ミニバン&スモール&トールワゴンの足跡をたどってみることにしよう。

1950年代から海外におけるワゴン車の設計は、乗用車をベースに後部をスタイリッシュにして荷物スペースを設けたもので、ワゴン(米語)、エステート(英語)、コンビ(独語)などと呼ばれるクルマが生産された。日本でもそれらを参考として、1950年代に後部を変更したモデルが登場したと考えられる。だが、当時の日本車では、商用バンとして開発されたものをベースとして、乗用車的にしたワゴンを生み出したとも考えられる。その理由は、海外では乗用車であるワゴン&エステート&コンビと、荷物用(商用)バンの実用然とした後部デザインとでは、ウインドーやドアの形状がまったく異なる例が少なくないからである。

その後の日本車では1960年代後半頃から、純然たる商用バンのよりもデザイン的に“ややスマートなボディ”があたりまえとなってゆく。荷台スペースを広くするために設計された、フルキャブタイプのハイエースやキャラバンが全盛となり、大型のものはマイクロバスに発展する。だが、2000年代前後から商用を主体としたものから独立、高額なセダンから、セミキャブ形態の乗用ワゴンとして新開発されたモデルが派生することになる。加えて駐車場の広さが団地サイズ=全長4.3以下の旧小型車ユーザー層に向けて、新しいサイズのクルマ=主婦向け主体のモデルも登場する。そうした動向もあってか、乗用車とキャブオーバーバンをミックスしたようなトールワゴンが、サイズも小さくなって再構築されてゆく。

そうしたユーザー層の中でも、セカンドカー的なミニマムサイズとものとされるのが軽自動車であろうか。その排気量は1977年1月から550cc、1990年から660ccになり現在に至っている。さらに車体寸法も大型化された。

当初、軽自動車は全長2.8m×全幅1.0m×全高2.0mであったが、1年後の1950年7月に全長3.0m×全幅1.3mに拡大され、横並びの2名乗りシートの設置が可能になる。翌1951年に排気量が4サイクル360cc、2サイクル240ccに制定された。それ以前は軽二輪車と同じ4サイクル150cc、2サイクル100ccまでであったから、格段のパワーアップになったわけである。1952年から検査登録制度は廃止され、1955年以降に4および2サイクルのエンジンの区別なく、一律360ccエンジンが搭載可能となる。

数多くの軽自動車が誕生したことで、車検のないこともあってか故障や事故も多くなった。その結果1973年以降は再度、車検制度が実施され、さらにメーカー側から車体強化の要望もあり全長3.2m×全幅1.4mに拡大された。

だが、時代は排出ガス規制の真っ最中で、補機類などの装着でエンジン出力が低下したことなどを受けて1990年に全長3.3m、排気量660 ccに拡大、新規需要がみられた。

さらに1998年に、ボディの衝突剛性試験の実施にともない、全長3.4m×全幅1.48mに拡大されて現在に至っている。この新規格軽自動車は独自の文化を得てゆくが、ひとクラス上の自動車を目指すユーザー層をターゲットにした、“軽の上級車”として出現したのが、日本独自のミニバンともいわれるトールワゴンといえようか。

三菱のミニバン戦略は国産メーカーとしては最も古い部類で、1979年の第23回東京モーターショーに登場したコンセプトカーだったSSW(Super-Space-Wagon)とされ、デザイン的には初代ミラージュを大型ワゴンにしたような外観だった。だが、実際に量産化されたのは「シャリオ」として1983年2月に発売開始(第13回で紹介)、日産プレーリーが前年に発売されたためか急遽製品となった感があった。三菱はさらに、他社動向に関わらずシャリオを短くし、2列シート車に割り切ったコンパクトなボディのRVR(Recreation Vehicle Runner)を投入、発売初期には大人気となり他社ラインナップに多大なる影響を与えるなどして、トールワゴン型の先駆となる。

他方でトヨタが初めて製作したミ二バン、イプサムが1996年5月に登場。前年デビューのコロナ最終モデル、コロナプレミオをベースにしてデザイン面で他社にない特徴を盛り込んで登場する。さらにトヨタはカローラをベースにした「コンパクトMPV(Multi-Purpose Vehicle)=ミニバン」としてカローラスパシオを、1997年1月にデビューさせる。カローラより235mm全高を増したボディを架装、2および3列シート配置車を揃えた変幻自在なシートアレンジが特徴だった。

RVR&シャリオの戦略が他社の新型開発に大きなヒントを与え、トヨタはカローラスパシオとイプサム、ホンダはステップワゴンとS-MX、マツダはデミオとMPVやプレマシー、日産はキューブやプレサージュなどを生み、さらに他社ユーザー層に喰いこむべく、バリエーション豊かな新型車を投入してゆくのである。

三菱の販売網は紆余曲折を経て、カーブラザまたギャラン店に進化していった。RVRは当初カープラザ店扱いだったが、販売会社の統合政策で、どれも三菱自動車販売になった。これは1991年12月のカタログ。

RVRは2列シートゆえに“ミニバン”のジャンルでなく“トールワゴン”に分類されるであろうが、自動車ガイドブックではRV部門に掲載されていた。カタログの主要4ページ分を見ると、ページ順に左からスタイリング→ユーティリティ(スペース)→ドライビング(エンジン)→セーフティ(ブレーキ含む安全設計)の順に展開している。

シャリオの2代目はRVRの後部を伸ばしたようなデザインで、1991年5月に登場。このカタログは1993年12月発行で、クリスタルライトルーフが加えられた際のもの。エンジンは2.0-2.4リッターを搭載するが、この後に2.0リッターDOHCインタークーラーターボ220〜230psを搭載して注目された。

室内はRVRと同様のメーターダッシュだが、シートは充実の3列となっているのが大きな違いといえる。2列目シートがセパレートではなく定員は7名となる。シートの厚みにこだわったためか、3列目のシートを収納した後の後部荷室スペースは、少し段差があるように見える。

電動オープン式のクリスタルライトルーフ車が登場。前方は運転席上部チルトアップ+後部は電動スライド機構を装備。2.4リッターSOHC145ps、5MT車の価格は244.3万円。だがRVRのDOHCターボ230psがほぼ同じ価格帯で、購入者を迷わせた。右ページがラインナップで、ガソリン2000MXは197.8万円、ディーゼルターボ2000は210.4万円に設定されていた。

ワンボックスやセミキャブオーバー車主体だったトヨタ初のミニバンといえるのが、1996年5月に発売したイプサムだった。異形丸型4灯ヘッドランプと後部に曲面ガラスを採用して、他社製品との差別化を図っていた。カタログにイメージスケッチを配し、説明にも「新コンセプトファミリービークル」として発表。5ナンバー枠に収まるサイズの3列シート車として、トヨペット店、ビスタ店、大阪のみトヨタ店で販売され人気を得てゆく。

スケッチに続くページを開くと、内部のシート部分がわかるように展開され、その後の自動車メーカーのカタログ製作に大いなるヒントを与えた。カタログに写る3列目シートは子供用に感じられるが大人にも対応し、一家で自由な位置に座れるところを見せることで、主婦層にアピールした。「イプサムが本来のフェミリーカーのカタチ」と右下で説明していた。

シャシーは1996年1月にコロナの新型車として登場したコロナプレミオをベースに、全高を20cm程度高めボディだが、フロント周りの造型は似た雰囲気を感じる。新機構のGOAボディ、SRSエアバッグを標準化、“セダンの感覚と運転性”+“ワゴンのユーティリティ”+“ワンボックスのゆとりと空間”を盛り込んだとして……右の説明では大胆にも「ワンボックスワゴン」をアピ−ルしていた。

3列シートのインテリアを紹介している。2列目シートはヘッドレストが2個であるが一応は3人掛けで、シートベルトも3名分用意されている。しかし中央部に楽に座れるのは主に子供だろう。こうした手法が各メーカーともに一般的になっていた。

寸法図。フロントのステップ高300mm、シート高660mmと説明され、シートに座ったまま乗降が可能なことを示唆していた。加えてフロント席から後部にウォークスルーが可能なように歩行スペースを設けていた。これはベース車のコロナプレミオとの大きな違いで、こうした特徴を中央部で図示していた。

オデッセイ、CR-Vに続く、ホンダのクリエイティブムーバー(Creative Mover=生活創造車)の第3弾となるステップワゴンは、1996年5月発売。ホンダはミニバンでなく「1.5BOXライトミニバン」と表現していた。カタログはクレヨンによる文字と、クルマの写真を小さくレイアウトして、従来のカタログ=写真をたくさん+大きく……というイメージを一新したものだった。

ステップワゴンの名称は、1972年に発売されたホンダの軽商用ライトバン、ステップバンを想像させるものであった。カタログではセールスポイントであるシートアレンジを、写真とイラストで15通りも図示、特に3列目シートを左右に分離しハネあげる方式は、長尺物やバイクなどを積載可能として大人気となった。中央のエンジンとサスペンションの配置図も、機構を想像させるに充分。右のページでは、エンジンからはじまり4WDに至る各種機能が満載されていた。

左ページにはダッシュボード部、その右ページでは室内装備の機能・特徴を解説。さらに右ページではW、G、Nタイプのラインナップを並べ、最右ページでは6色のカラーリングを選択できることを紹介している。価格はWタイプの回転対座またはポップアップシート車が214.8万円。Gタイプの回転対座またはポップアップシート車が179.8万円、Nタイプのポップアップシート車が154.8万円で全車4AT、4WDは各22万円高に設定されていた。

1996年8月登場のマツダデミオは、当時のミニバンブームに対応すべくデビューした。身長2m超えのNBAバスケット選手スコッティ・ピッペンをCM起用して注目された。カタログは凝ったつくりで、このクラスの他社製品に多大なる影響を与えた。

デミオはコスト低減のためフォード・フェスティバのシャシーを母体に設計された。発売後、日本カーオブザイヤー特別賞、RJCカーオブザイヤーを受賞、当時のマツダの経営危機を救ったモデルでもある。評判が良いことからフォード販売のオートラマ店向けにはフェスティバ・ミニワゴンとして供給された。後部に自転車が積めることもセールスポイントになった。

デミオの“最大の特徴”は、当時流行のタワーパ−キングの車高制限を気にすることなく行動できる車高だった。これが受けて発売10ヵ月で生産10万台を突破し、他社の開発動向に影響を与えることになる。コンパクトなのに大きなワンボックス車に匹敵するかのような……大きな自転車などの荷物が積めることを具体的にカタログ図示、購入動機になったことであろう。

デミオの当初のラインナップ。最高峰GL-Xの5MTは144.6万円、GLの5MTは134.3万円でGLまではABS、タコメーターなどが標準装備。廉価車LXの5MTは105.3万円と軽乗用車なみの価格で、マツダの低価格戦略が成功したことになる。まだアルミホイールの設定がなく、アルミホイールを彷彿とさせるホイールキャップが装備された。

カローラスパシオは1997年1月登場。スパシオはイタリア語「Spazio(空間の意味)」からで、zをcに置き換えた造語。ライバル達よりボディサイズ大きくした、全高1620mm、全幅1690mmの小型車枠いっぱいのボディに1.6リッターDOHCエンジンを搭載。“新コンパクトMPV(Multi-Purpose-Vehicle、多目的乗用車)”として登場した。

ラインナップは、カタログ後半部分の各機構説明の左ページに、イラスト内に写真を入れて構成。左から2-2-2の6人乗り3列シートのGパッケージ、次が2-0-2の4人乗りで2トーンカラーはオプション。次が2-2-2の6人乗り3列シート車。右が2-0-2の4人乗り。価格は2列シート車が156.8〜168.8万円(税別)。3列シート車が164.8~176.8万円(税別)。全車4ATであった。

写真とイラストをミックスしたカタログは、ステップワゴンのカタログの影響とも思われる。シート高600mmは同じトヨタのミニバン、イプサムと同じに設定していた。メーターはデジタル式を採用し、燃費やタイヤの空気圧も把握できるようにしていた。画面は5.8インチながらカーナビゲーションが装備できるスペースが確保されていた。

1970年代のグラビアアイドル、アグネス・ラムのCMとともに、1996年8月に登場したパイザー。これは1997年9月のカタログ。左の円形部(カタログの裏表紙中央部)に2人の息子(双子)との3ショットが目立っていた。CM効果で初期の受注台数は多く、ダイハツ側を驚かせたという。ベースは2代目シャレードで、ダイハツではコンパーノのワゴン以来27年ぶりのワゴン型だった。写真はエアロカスタム。

豪華に見えるインテリアには、細かい工夫がこらされていた。後部シートは、左の写真を見るとアームレスト部にカップホルダーがあり、どうみても2座に見えるが、アームレストを跳ね上げることで3座も可能であった。右の写真では後部がフラットにできる様子が紹介され、キャンパーなどに流用可能なクルマでもあった。

左はダッシュ部の説明。シートポジションなどには具体的な寸法の明記がなく、購入動機となる情報が乏しいところは惜しいところである。カタログはホワイト&ブラック車ともに新登場の1600cc、115psのエアロカスタムを掲載、小さな文字の説明文にサンルーフはメーカーオプション、バンバー部分のフォグランプはディーラーオプションと記載されていた。価格は159.4万円で100psの1500CXは143.9万円、同1500CLが129.9万円だった。

1996年11月発売、ステップワゴン同様のクリエイティブムーバーの第4弾と銘打って登場したのが、ストリート・ムーバーX=S-MX(Street-Mover-X)でXは未知の表す。ホンダでは新ジャンルのパッセンジャーカーであるアピール、高い車高と短い全長、回転半径3,95mで取り回しの良さを強調していた。ローダウン仕様も揃えてのデビューで、ホンダクリオ店で販売された。

見開きページをつないでみると前後左右の写真が載せられているのがわかる。S-MXの最大の特徴は、運転席側が幅の大きな1枚ドア+助手席側が2枚ドアで乗降しやすく設計されていることである。ステップワゴンと同時開発であろうことはデザインからも感じられるが、S-MXはより若者向きな感じを与えた。右側の写真では4色のカラーリングも紹介するなど、新鮮な紹介をしていた。

安全設計は必須のアイテムで、SRSエアバッグは標準装備化された時代になりつつあった。シートを倒して“本当のフルフラット”になるのもマニア受けしたであろう。後席カップホルダー部のデザインなども、今日であればキャンパー達への購入動機となるかもしれない。

軽自動車開発メーカーならではの、後部ラゲッジスペースの紹介方法……イーゼルなどの大きな品が収納できるように演出。マウンテンバイクも積めるとして、タイダウンフックも4カ所に設置していたのは、バイクメーカーならではといえる。加えて各社でも流行のきざしのあったローダウン+エアロモデルも同時デビュー。ラインアップは3タイプで2WDが164.8万円、4WDが186.8万円、LOWDOWNは2WDのみで194.8万円だった。

世界中の自動車メーカーが1990年代に開発したのが「直噴」エンジンだった。三菱はGDI(Gasoline-Direct-Injection)のネーミングで4G93型エンジンにはじまり、各車に採用した。この直噴エンジンを搭載した新型GDI-RVRは1997年11月に登場。シャリオをベースにする手法は初代と同じである。

新型RVRのデザインは前後ともに「オーバーフェンダー」的なふくらみを持たせて、スポーティな印象といえる。標準型は買い物からレジャーまで何でも対応するために開発された。上からの写真を使用した右側のページは、シートアレンジによって得られる積載性を予感させるような演出であった。

カタログを開いていくと、積載スペースの多様な様子が図示されていた。特筆すべきは4人乗り車の2列目シートが1150mmも前後にスライドできることで“荷物が自在に積めた”ことで、また5人乗り車の2列目シートは完全取り外し可能で、後部スペースの全長が1570mmも得られたことであろう。

1997年10月の東京モーターショーに参考出品され、「新時代のニューベーシックCompact-Utility-Day-Tripper」がコンセプトであるキューブを1998年2月に発売。“ロングルーフ&トールボディ”のスタイルが注目された。カタログを開くと、「アソブ、ハコブ、キューブ。」「走って楽しい、使って便利。僕らの新・遊び道具。」「全長2750mm、全高1625mmのコンパクトでハイトなワゴン=CUBE=キューブ誕生」のコピーが目立っていた。

さらにカタログのページをめくると、写真を用いた“3面図”的な表現がされていた。上段に寸法、下段にエンジン・ミッション、タイヤサイズなど明記していたが、着座位置などの細かい寸法表示はカタログ内に発見できなかった。しかしながら、このような雰囲気を示すことが、購入動機に結びついたのであろう。

室内解説部分。コンパクトボディで大きな室内を持ち、ダッシュボードからシートに至るまで……クラスの標準を超えた感のあるブラック仕上げを採用したことをアピール。中央部のシート説明では「座るのにちょうどよい高さ」とある。カラーリングはブラック、ゴールド、レッド、ホワイトの4色。1998年12月から翌年3月まで、東京モーターショーに参考出品されたイエロー車をオ−テックジャパンが受注販売した。

左右ページでラインナップを紹介。X-S-F各モデルにCVTおよび4ATがラインナップしていた。4AT車の税別価格はXが141.8万円、Sが124.8万円、Fが114.8万円で、CVT仕様は各2.3万円高に設定された。

キューブの応援車としてキューブ・ライダーも受注販売。Sをベースに専用バンパーやグリル、サイド&リアのプロテクターなど装備、オプションにアルミホイール、フジツボ製マフラーなどがオプション設定された。こうしたこともありキューブは人気が出て、発売10ヵ月で今はなき村山工場で生産累計10万台を達成した。

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