第15回  「RV」のページが自動車ガイドブックに新設される

2023年2月12日

1995年の東京モーターショーの自動車ガイドブックに、RV(Recreational Vehicle)のページが追加された。RV先進国のアメリカ本国ではRVは細かく分類され、A=モーターホーム(トラックシャシーなどにキャビンを搭載、または大型スクールバスをベース)、B=キャンパーバン(アメリカでの大きなミニバンをキャンプ仕様にしたもの)、C=大型トラックシャシーをベースにホイールベースを伸ばし住宅並みのキャビンを積んだもの。さらにピックアップトラックの荷台にキャビンを載せたもの、牽引トレーラー式などが米国でみられた。

RVの元祖は自動車誕生以前の「幌馬車」とあるから、いわゆるキャビンがあることが必須となろうか。1980年代自動車ガイドブック乗用車ページの最後には、トヨタ改造のコースターからタウンエースなど、また浅草武シート社のキャラバンやコースターの改造キャンピングカー、またフランスベッド輸入のキャンパーもショーに展示されていたが、大きく普及することはなかった。

RVの元祖とされるVW(フォルクスワーゲン)バス改造のキャンパーは、1951年からウェストファリア社によってキャンピングカーに改造され、ほとんどが生活に余裕があった世界中の米国軍人達が購入したとされる。その人気は米国ポピュラーメカニクス 1955 年 7 月号の表紙と記事に掲載され、一気に人気が出る。VWとウェストファリア社は密接な関係にあったが、2001年にダイムラークライスラー傘下になったため、VWはフォルクスワーゲン コマーシャル ビークルズ (VWCV)を設立し、2003年にカリフォルニアと呼ぶキャンパーを生産。2005年にウェストファリア社がVW傘下となり、現在に至っている。スバルやマツダのルーフテント車達は、こうした時代の過渡期のクルマといえるが、メーカー技術者の本気度を感じさせてくれたモデル達といえるだろう。

自動車ガイドブックRVのページにはトヨタ・コースターのバス改良型などがみられたが、日本のハイエースクラスはアメリカでは最小サイズになる。こうしたこともあり、コースターをRVに仕立てようとしたトヨタの考えとは異なり、日産はミニバンを増やしてトヨタをリードしようとした。日産はミニバンのラルゴ・ハイウェイスターを1995年8月から販売、大人気を得てゆく。

1995年11月、運輸省は「自動車部品を装着した場合の構造変更検査時等における取扱いについて」を通達。部品の簡易装着に対する構造変更検査の緩和措置を実施。空気流を調整等するための部品ではエア・スホイラー類、手荷物等を運搬するための部品ではルーフ・ラック類、その他の部品ではサンルーフ、コンバーチブルトッフ、キャンパーシェル、窓フィルム、キャンピングカー用日除けなどが長さ±3cm、幅±2cm、高さ±4cm、車両重量±50〜100kgの場合は構造変更が不要となった。これは米政府からの用品類の輸入規制緩和要請で実施されたもので、当時は二輪・四輪ともに販売増加が見込まれ、販売各社が注目したものであった。

RV時代の先駆けとなった、最も初期のウェストファリア製テント付きのVWタイプ1バスの画像。米国ポピュラーメカニクスの 1955 年 7 月号の表紙に掲載され、記事も記載された。そのカラフルさが話題になりVWバス人気が一気に高まった。

軽自動車の5代目サンバーをベースにした、2代目ドミンゴは1994年6月発売。バンパー部を衝撃吸収方式にしたため、サンバーに対してバンパーが大きく増え、軽と差別化したのが特徴。旧ドミンゴのボディは4代目サンバーベースで、ボディ幅を+30mm拡大、4WDが1.0→1.2リッター、2WDは1.0リッターだった。生産台数の関係でエンジンはサンバーなみの4気筒新開発といかず、旧ドミンゴ同様の1.2リッター 3気筒を継承し、電子制御で燃料噴射化。また、サンバーのボディシェル流用で、全幅はサイドモール類の厚みで15mm拡大したものの、全幅は旧ドミンゴより15mm少ない数値に狭められた。

ビッグ・コンパクトのキャッチフレースでアピールされた2代目ドミンゴ。新たにECVT(無段変速のオートマチック)が加わったため、発売初期の注目度は高く、スバルマニア達に愛用された。だが発売2年後の1996年8月に新規格軽の寸法が公開されると、車体の大きさがドミンゴよりさらに15mmも大きくなることが判明、生産減少せざるを得なくなり、新企画の軽自動車の登場から2ヵ月後の1998年12月に生産終了され、1999年1月まで在庫販売された。

RVブーム到来に対応して1996年4月に登場した、ドミンゴのキャンパーがアラジンである。ドミンゴベースの改造申請車で、ルーフトップというせりあがり式の高機能を持って登場、マニア達に大注目されたが、新規格軽の余波を受けて短命に終わる。生産は1961年からサンバーボディに着手、1973年からサンバーの一貫生産を実施していた、スバルの下請けでは最大手だった桐生工業。価格はキャンパー5MTが197.5万円、リフトアップルーフ5MTが149.8万円。ちなみに軽自動車ディアスIiの5MTサンサンルーフは152.1万円だった。

フォード・フリーダに採用されたオートフリートップ=ルーフテント形式は、VWバスのキットとして知られた存在で、タイプ1では「ドミンゴ・アラジン=並行開閉式を採用したが、タイプ2でマツダが採用したオートフリートップの逆=後部から開く形式を採用、タイプ3でマツダ・ボンゴフレンディとフォード・フリーダが採用した「前部から開く形式」を採用した。

VWキャンパーとは、窓部分のオープン形状を変えて制作した点でややオリジナリティを感じるが、この形式が普及してないことをみると、実用新案などの権利を持っているのかもしれない。VWキャンパーの多くはテント下部から円弧状に開くようにしている例が少なくない。その様子は海外のサイトで”VW camper”で検索すると発見できる。

左からフォード・フリーダのノーマルルーフのスタイルとシートアレンジ。2−3列シートはスライドレールマウントなので自在に前後移動が可能。安全上のため2列目をテーブルに利用する場合は「走行中ではなく停止時のくつろぎ時の使用」を勧めていた。

車体全体の透視図、俯瞰、ボディ剛性のコンピュータ解析図などで構成されたカタログページ。左は室内&シートアレンジだが、着座位置が意外に高いのがわかる。ワンボックスのボンゴ同様にエンジンがシート下にあるためで、フロアやシート座面が高くなっている。なお運転席のみのSRSエアバッグは、まだオプション設定であった。

長いホイールベースながら2WD/4WDともに回転半径5.5mmとあるのは、前輪付近にエンジンがないために操舵角が大きかったことが考えられる。通常は4WDのドライブシャフトの関係でタイヤの動きが少なくなる場合が多く、マツダの場合でもキャブオーバー・ボンゴ系4WDの回転半径は数値が大きくなったが、このクルマはそうではなかったようだ。

フォード・フリーダの当初ラインナップ。2WD 2500ディーゼルターボのオートフリートップXL-T4AT車が261.1万円。同ノーマルトップ5MT車が219.2万円。車両価格から換算するとフリートップ部のみは33.9万円高ということになる。他のミニバン系が小型車の車幅を超えていたのに対して、マツダはこのフリード/フレンディ系を小型車枠に抑えたことでMPVとの差別化をはかったようであった。

マツダ・ブランドのボンゴ・フレンディの発売1年後に登場した、全国4000台限定モデル。安全対策強化の運転席SRSエアバッグ+4W-ABS、電動リモコンミラーを装備。またキャンプ時に有効なプライバシーウインドー、ツインエアコンなど装備して登場して他社ライバル達に追いつけ追い越せの装備を盛り込んでの発売だった。

加えてオートフリートップ車に設定のなかったハイパースライドシートを特別採用。これにより室内がさらに自由にアレンジ可能にとなった。屋根上は大人2名が寝られるが、実際の登り降りは大変だったようだ。海外ではルーフトップを開くのはギャレー(キッチン)の換気や明かりとりなどのためで、屋根上に寝る例は意外に少ないようだ。なおギャレー装備はキャンピングカー扱いで8ナンバー登録が必要で、マツダもスバル同様に登録車を設定した。

1995年8月登場のラルゴ・ハイウェイスター。3ナンバー車ということで豪華なイメージがあり、0-100km/hまで9秒台を誇ったためか、ミニバンでの人気を独占していった感がある。車高を低く演出するエアロパーツ群はいかにも“走りそう”な印象を与えた。SRSエアバッグは、この時代の日産車に共通の運転席のみの装備だった。

1995年8月発売のキャラバン、ホーミーのマイナーチェンジモデルのカタログ表紙。この年の日産車共通の「運転席のみにSRSエアバッグ装備」がカタログ主要部に記載されての登場となった。

カタログ内の特別仕様、オーテックジャパンのフウライボウは、新登場のGTクルーズSフラネタルーフがベースになり継続。前後のメッキパイプガードがかなり大げさになっている。車体寸法は小型車枠超えで、オーテックジャパン扱いの「1995年11月からの規制緩和=指定部品装備の持ち込み車検車」となる。タイヤがリブパターンで一般道重視となっていた不思議な車両でもあった。

ファーゴのワンボックス商用車はまずまずの成功だったが、ワンボックス乗用車に乗るのは、熱心ないすゞファンに絞られていた感があり、台数は伸びなかった。いすゞと日産は1994年に提携した後に、1995年8月からキャラバン・ホーミー系をいすゞ・ファーゴとしてOEM供給してゆく。ただし日産の最高峰V6搭載のコーチ車は、高額のためかいすゞには供給されなかった。

キャラバン・コーチGTリミテッドは、GTクルーズSをベースとしたモデルで、2WD2700ディーゼルターボが 285.8万円。ハイエースが3000ディーゼルで300万超えなので、そのあたりの購買層をタ−ゲットにしたと考えられる。

1995年8月時の1996年型欧州向けトヨタ・ハイエースの窓無しパネルバン+ウインド式グラスバン+乗用コミューター+乗用ワゴンのカタログ。フロントマスクは日本国内向けの異形ヘッドライトのマスクをベースに角形2灯式ヘッドランプをもたせたもの。欧州規格のヘッドライト交換を前提に生産されていた車種といえよう。

輸出仕様だけにシンプルな造りになっているが、フロントシート前席部は日本向けとは異なり、完全独立の3名のシートが設置されている。もっともフロアシフトなので中央の人はシフトレバー基部にあたらないよう座る必要がある。左ハンドルなっている以外は日本向けバンと大きく変わらない。右はコミューターで、バス的な装備になっている。

左はコミューターの詳細で12人乗り標準型、15人乗りロングと同ハイルーフ仕様などがあり、搭載エンジンはガソリン2リッターSOHC、1RZ型の4気筒2バレルキャブの74kW(100ps)と2.4リッターSOHC、2RZの4気筒2バレルキャブの85kW(115ps)。ディーゼルは2.4リッターSOHC、2Lの4気筒の60kW(81ps)および2.8リッターSOHC、3Lの4気筒の60kW(81ps)低速トルク型を搭載して輸出された。

RVで注目されたのがトヨタのミニバン、グランビアだった。安全対策も本格的になったのが1990年代中頃といえ、キャブオーバースタイルからボンネット・ノーズを設けたミニバン・フォルムに変化してゆく。トヨタは欧州向けハイエースを、ワンボックスに加えてミニバンスタイルにしたHX10を投入した。

エンジンは前輪付近に配置したが、キャブ後部はハイエース然としたフォルムでイメージを残していた。サイズ的にはエスティマと同等で、トヨタは「堂々として安定感のある」とした。だがエスティマ同様に、まだ日本では不慣れなサイズで、幅を狭めたレジアスを投入してゆくことになる。

三菱のデリカ・スペースギアとほぼ同様の構造だが、解説に「1BOXのイメージを変える[卓越した走行性能]。」とある。イメージスケッチを見ると、ハイエースをミニバンにしたことがよくわかる。ABSを全車に標準装備という点ではグランビアの購入動機になるであろう。

乗降方法はまず380mm高のステップに足を乗せ、520mmのフロアに行きつけると……説明。またシートアレンジについて再度解説、前席より2+2+3=7人乗りと、2+3+3=8人乗りについてのアレンジ解説をしていた。

この頃のトヨタ車の自慢がデュアルSRSエアバッグを標準化したこと。さらにメーカーオプションながらもGPSナビを用意。アルミホイールなどの選択肢をもたせたこともあってか、価格は2WD2.7Qが312.7万円、2WD2.7Gが268.5万円で同じ車格のエスティマやハイエースに揃えた価格設定でのデビューだった。

米国向けの専用車を日本に持ち込んだのが日産だった。フォードが提携関係にあったマツダにミニバン開発を持ちかけたものの、設計思想が合わずマツダが独自でMPVを販売。このためフォードが開発費を出し、北米日産製V6エンジンを使ったミニバンの企画を日産車体に持ちかけ、フォードの工場で組立てたのが日産クエストとマーキューリー・ヴィレジャーとして生み出された。

さすがに北米日産設計車だけあって、国内向け日産車にはまだ導入されていなかったデュアルSRSエアバッグを標準装備し、シートなどもアメリカ車然としている感がある。ハンドル部左右に車速スイッチ、オーディオ音量スイッチ、後部電源ソケット、リモコン・ドアロックシステムなど装備していた。

日産の北米帰りの船に乗せられ1994年4月から日本で販売されたが、1998年末までの4年あまりでの販売台数400台ほどであった。理由はエスティマやグランビアよりワイドで車幅が1.87mもあり、狭い日本では持て余す大きさに問題があったようだ。しかしオプションは当時としては充実しており、カーゴキャリア、フロントマスク、専用車体カバーなど用意されていた。

1996年6月時のデリカ・スペースギアでは、運転&助手席SRSエアバッグが4WDのロイヤルエクシード、2WDはGを除く全車に標準装備されていた。2WD車の販売に力を入れようとしたことがわかる。

1996年8月発売のマイナーチェンジ版ハイエース。デュアルSRSエアバッグとABSを全車に標準装備して登場した。表紙は金箔押しの豪華仕様で、輸出仕様の銀箔押しと対比してトヨタの自信の程が窺えた。俯瞰した室内は豪華そのもので、購入動機を増加させる要因を与えていた。

実際に使用する際のポイントを細かく説明していた、インテリア関連のページ。スーパーカスタムG以上のトリプルムーンルーフ、全車採用のオーバーデュアルヘッドエアコンは圧巻だった。左側シートは最高級車スーパーカスタムのアンテロープ色、右側は2番目の高級車スーパーカスタムGのブルーイッシュグレー色、外装カラーリングはグレードにより選択肢が異なっていた。

トヨタの安全対策のページ。ABSとエアバッグに加えてバックソナーは当時の流行で、近接音波ソナーはメーカーオプションだった。後部席向けのオーバーヘッドのテレビは5.7インチ液晶。他に運転席部に1996年4月実施のVICS対応トヨタボイスナビゲーションシステムがディーラーオプションとして設定された。ただし対応地域は東京-神奈川-埼玉-千葉県と東名名神の高速道路のみだった。安全対策上で運転中は操作しないようと注意書きがあるのは今日も同様。キーレスドアロックやパワー・ウインドーもデラックス以外は標準装備。

エンジンは、主軸のディーゼルターボ主体の3リッターSOHC、1KZ-TE型の4気筒EFIターボの130ps。ガソリンは2.4リッターSOHC、2RZ-E型の120psを搭載。走行特性で有効なのがフルタイム4WDで、タイヤが空転した場合に駆動力を分散してぬかるみなどから脱出できるように工夫されていた。またTEMSサスはアンチロール、アンチバウンジング機構で安定した走りを実現してくれるよう工夫がこらされていた。

ハイエースのラインナップ、左ページの最高峰スーパーカスタムリミテッド2WD・3000ディーゼルターボ車は349.7万円、中央ページのスーパーカスタムG・2WD・3000ディーゼルターボ・エクセレントパッケージ車は311.6万円。なおルーフトップをボンゴ・フレンディのように開閉式にしたハイエース4WDクルージングキャビンXが限定製作され479.2万円で発売された。

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