第16回 大型ミニバンブーム到来

2023年3月11日

前回の第15回で紹介した、1992年登場の北米専用車である日産クエスト/マーキュリー・ヴィレジャーは、1979年11月からフォードグループ入りしていたマツダが、フォード社のミニバン車を設計する余力がないと断ったために日産に持ち込まれて誕生した車両だった。北米市場向けのミニバンは、国産RVの先駆として、マツダがMPV(Multi Purpose Vehicle=マルチ・パーパス・ビ-クル=多目的車)の名称で1988 年9月投入。独自に新設計された国産大型ミニバンのパイオニア的存在となった。

マツダが独自で北米向けに開発、北米販売を開始したばかりだったので、MPVの競合車種を設計するわけにはゆかない……というのが本音だったかもしれない。もっとも日産は米国製クエストの生産を開始した1992年4月に続き、欧州製の日産セレナが1992年10月からスペイン・バルセレナの日産モトールイベリカ社の工場で現地生産を開始、欧州全域での販売がされた。部品の8割は現地調達、エンジンはすでに50万基の実績があった英国日産の工場から供給されたもので、この時点で日産のミニバン開発は、すでに力が入ったといえよう。

他方ホンダは、SUVジャンルのクルマをもっていなかったため、いすゞ自動車からビッグホーンの供給を受け「ホライゾン」の名で年間3000台、いすゞミューを「ジャズ」の名で年間2000台、また英ローバーとの合意でランドローバーを「クロスロード」の名を持たせ英国で生産、年間1200台、それぞれ販売予定を組んで市場投入していた。そうした事情もあり、ホンダはビッグホーン(米国名トゥルーパー)をアキュラSLXの名で北米販売していた。

しかしアメリカンホンダは「ミニバン製造新工場」立ち上げとともに、高級車レジェンドのV6エンジンを搭載した新型オデッセイを北米に送り込むことになった。しかし3列シートタイプのミニバンで、スタイルの良いデザインを生み出すことに日本側は困難視した。このため3列目シートを床下にできるアイデアを提唱、ミニバン必須のウォークスルーデザインも採用することになる。そしてRV車を持たなかったホンダは各工場に製造を打診、その結果、1975年に北米向け二輪車GL1000生産で知られた日本の埼玉狭山工場と米オハイオ州HAM=ホンダ・オブ・アメリカ・マニュファクチャリングが生産に賛同した。

ホンダによると「ODYSSEY:オデッセイは「長い冒険旅行」という意味。語源は古代ギリシャの長編叙事詩Odysseia(オデッセイア/主人公オデッセウスが体験する10年間の冒険物語)」からきたもの。ロング・ドライブでも、家族や仲間がみんな一緒に、快適に安全にワクワクドキドキの冒険旅行が楽しめる、そんな思いを込めて命名されたクリエイティブ・ムーバー(生活創造車)です。」と解説していた。いずれにせよホンダ製のRV車が誕生、日本国内で人気を得たのであった。もっとも、かつて「オデッセイ」はホンダのATV=4輪バギーとして1977年にFL250としてデビュー、1985年まで販売されていた車種でもあった。

オデッセイは国内外とも発売後の人気が高く、ホンダにRVを提供していたいすゞは「その恩恵にあずかられる」のでは!と、北米のみオアシスの名でオデッセイの双子車を1996年から市場投入。しかし、あまりにも“ホンダのイメージの強い”いすゞ車の出現に、アメリカでのオアシス人気はいまひとつだった。しかし、オデッセイとともにタクシー需要が生じ、いすゞ側は在庫を売り切って安堵したようだった。

そして1996年10月にトヨタのノアシリーズ=ライトエース+タウンエース+ダイハツデルタの投入でミニバンが一気に大衆化した感があった。話題になったエスティマ―グランビアなどの車幅が1.8mとワイドで、狭い道路の多い日本では使いづらい層もいて、小型車枠に収めてリスタートをすることになる。ノアシリーズをフル装備にして、月販もバンを含め1万台!の目標として売り上げ挽回する姿勢をみせた。

1997年6月から日産のフラッグシップ、フルサイズミニバンのキャラバン/ホーミーエルグランドが誕生。前車軸部へ搭載したエンジンでスペース的な制約がなくなった。キャラバン&ホーミーのV6をグレードアップした3300ccエンジンの動力性能と、車幅1.775mとトヨタ車よりわずかに狭く、デザインの成功か?幅が広く見えないことで人気沸騰!した。もっとも、その後は車幅1.8m超えが一般的になり、ユーザーも慣れてゆくことになる。

こうして3ナンバーミニバンが普及してゆくが、この後も5ナンバーから軽自動車に至るまで「ミニバン」フォルム車達が、続々と出現するのである。

1990年1月に日本に導入されたMPVは、マツダ・ルーチェに初採用されたV6エンジン車をベースにミニバンに仕立てたモデルで、当然ながらV6エンジンを搭載。表紙は1990年10月時のシート変更車のもの。シャシーは後輪駆動の大型車「広島のベンツ」の異名を持つマツダ929=ルーチェの5世代目をベースに開発、V6エンジン+4WDが可能なように製作された。しかし、エンジンの排気量と外形寸法が3ナンバー枠であったため、翌1991 年からマツダの高級ディーラーであるアンフィ二店のみの扱いになった。

ズッシリ重たい印象を与えた外観デザインが特徴。提携化にあるフォードのエアロスター・ミニバンのフォルムが、トヨタ・グランビア系にみられるフロントドアとサイドウインドが分離デザインなのに対し、マツダはシボレーアストロ的なオーソドックス・フォルムを持たせていた。V6エンジンの形式はフォードやシボレーとも共通していた。

マツダがこだわったのが後部ドアの造作だった。アメリカのミニバンが1990年代に先駆けて後部ドアにスライド式を採用したのに対し、MPVは後部左右にヒンジ式ドアを採用するこだわりをみせた。このためマツダ側では「ミニバン」ではなく「多目的高級乗用車」とした。このため当初はモノトーンカラー+本革シート車が355万円と高額、その後に2トーンカラー+ファブリックシート車を加え、価格も低く設定された。

1980年代のマツダ・ルーチェやボンゴにも通ずる……やや角ばったダッシュボ—ドを持つのが特徴。1991年に新登場する日本向けピックアップトラックの初代プロシードマービーにハンドルなどが流用されたりした。北米向けに設計されただけにシートなどの艤装類は大型サイズになっての登場だった。

室内幅の有利性を活かしたウォークスルー機構が特徴。前席中央の間から2列目の左側を経て、後席に行くことが可能。後部ドアは90度以上に開き乗降がスムーズにできると説明。エアコンも最低グレード以外に完備して快適性を得られた。右ページはディーラーオプションで、ルーフキャリアや自動車電話に、澤藤電気製エンゲル冷温蔵庫を設定。容量10リットルと今からみると少ないが、使用されるフロン12ガスは冷却能力で定評あったもので、今でも高額で取引されている製品である。

MPV搭載のエンジンは1986年にルーチェに搭載されたJF型吸気2バルブ+排気1バルブSOHC、60度V6、SOHC、1997cc、110psとターボ145psをベースにしたもの。3ナンバー車のルーチェ/MPV用にボアを74→90mmに拡大して2954ccとしたもので、SOHC、160psを発揮。4速ATは電子制御で、後輪にはアンチロックRW-ABS採用。ボディはセミボンネットスタイルのモノコック式として前方衝撃を重視、最小回転半径を5.4mに抑えていた。

ホンダが1994年10月から日本国内に投入したのがオデッセイで、3ナンバー登録車としてデビュー。「ホンダが培ってきた高性能セダンづくりの技術を活かし、ワンボックス・カーのスペース・ユーティリティとセダンの爽快な走りや快適な乗り心地、安全性能を高次元で両立。」と広報発表があり、まさにミニバンという表現を使ってのデビューだった。カタログにはアダムスファミリーが登場、これは映画「アダムスファミリー2」のタイアップ企画でCMにも起用された。「幸せづくり研究所。」と称して、このクルマなら幸せになれる……と強調していた。

「低床・低全高で安定感があり、使い勝手の良さや走りの良さを感じさせる、新鮮なスタイリング。市街地でも高速道路でも、レジャーからビジネスまであらゆるシーンに似合う、知性的でアクティブなイメージに仕立て上げた。」とアピール、確かに低い車高は目立って新鮮な存在となった。

乗用車と同じフロントエンジン・レイアウトにより床を低くすることで、ワンボックス車のようなゆとりある空間を目指し、シートを3列配置。また、6人乗りと7人乗りの2つのシートタイプを設定した。 オデッセイのカタログ展開は「幸せづくりの研究」など、かなり異色の表現&企画で、従来のクルマが持つ気品や風格を、あえて持たせようとはしていない感のある内容だった。

FF車のラインナップと価格は、6/7人乗り最高級Lが245.5万円、Sが205.5万円、7人乗りのみBが179.5万円。4WDは各24万円高。6また7人乗りは同価格。環境問題が話題になる時代でオデッセイも樹脂パーツにリサイクル可能材料を採用(100g以上の部品に識別番号)、材料表示を実施した。

日産のセレナに1994年からFXリミテッドが加わる。10月には新型になり熱反射ミラーグラスの採用でエアコン効率のアップをはかった。1995年8月に運転席SRSエアバッグを標準化、1996年9月にFXリミテッドIIが加わりABS+ドアミラー+キーレスなどのリモコンシステムが標準化されてゆく。価格帯は2WDが225.2〜240.5万円、4WDが250.2〜265.5万円だった。

1996年4月、セレナに追加されたハイウェイスター。セレナFXをベースに、ラルゴで大ヒットしたハイウェイスター同様のエアロフォルムとホワイト&プラチナシルバーメタリックの2トーンカラー車に、オーテックジャパンが仕立てたもの。2WDガソリン5MTの最安車で229.2万円。最高額は4WDディーゼルターボ4速E-AT車の269.5万円であった。

1996年9月時のオーテックジャパンのキタキツネもベース車のFXにあわせて改善が刻々と加えられてゆく。フロントバンパーのグリルガード付は約9万円アップ。2WDガソリン5MTの最安車で227.4万円。最高額は4WDディーゼルターボ4速E-AT車の267.7万円で、ハイウェイスターより若千安価に設定されていた。

1996年10月発売のノアのライトエース版カタログ。セミキャブオーバー方式が、ライバル車日産セレナ系に遅れること約5年ということもあり、エンジンをキャビン前方に置いて登場。新搭載の2.0リッターDOHC16バルブ130psエンジン搭載で振動・騒音を低く抑え、クラストップレベルの静粛性を謳い、デュアルSRSエアバッグ+ABSを全車に標準化。5ナンバーで最高の性能を追求してデビューした。

ライトエースノアの最高峰モデルがV、ABS+デュアルSRSエアバッグ+クリアランス&バックソナー+パワーステアリング+チルトステアリング+マルチリフレクターヘッドランプ+電動リモコンミラー+パワーウインドゥ+電動式ドアロック+フロントシートアームレスト+リヤコンソールボックス+デュアルオートエアコン+カセット1体AM/FMラジオ+4スピーカー……など上級車も凌ぐほぼフル装備で登場。スペーシャスルーフの2WDで231.5万円、4WDが255.5万円だった。

左の中級グレードのGはABS+デュアルSRSエアバッグ+パワーステアリング+チルトステアリング+マルチリフレクターヘッドランプ+電動リモコンミラー+パワーウインドゥ+電動式ドアロック+リヤコンソールボックス+デュアルマニュアルエアコン+4スピーカー+プロジェクターフォグランプ……など装備。4AT標準ルーフ2WD195.5万円、4WDが219.5万円だった。右の廉価車LはABS+デュアルSRSエアバッグ+パワーステアリング+マルチリフレクターヘッドランプ+パワーウインドゥ+電動式ドアロック+デュアルマニュアルエアコン装備。5MT標準ルーフ2WD170.5万円、4WDが195.5万円だった。

他社に遅れをとっていたライトエース&タウンエースだけに、左ページではシートそのものを豪華にして、アレンジなども工夫していることをアピール。2+2+3の7人乗りはセンターウォークスルー方式。2+3+3の8人乗りは後部座席が隙間なくフラットになる。右ページはハンドル左に設けられたイージーコラムシフトやオプションなど説明していた。この頃から各社工夫してのインテリア小物設計がなされていたことがわかる。多くの部品が成形樹脂で自在な形状にできるようになったからだ。

トヨタは車体設計を開発し、GOA(Global Outstanding Assessment)を1995年12月のスターレットから採用。衝突時のエネルギーを効果的に分散、アンダーボデー骨格と強固なキャビンにより、変形を最小限に抑えて乗員保護性能を高めた。車両同士を真正面ではなく、少しずらした位置で正面衝突させる「オフセット衝突試験」も実施、トヨタはTVCFで「GOAください」キャンペーンを展開して、世界トップレベルの安全性能をアピールした。

1996年10月発売のノアのタウンエース版カタログ。「家族のための、スタイリッシュミニバン誕生。」として、デザイン・スケッチを入れるなどして「スタイリッシュ」さ……を強調。ライトエースとは明確に異なる思考でカタログ創りが行なわれたことがわかる。ラインナップの呼称はライトエースとでは多少違い、グレードの低いSWとフィールドツアラーは共通だが、L→LD、G→スーパーエクストラ、最高峰のV→ロイヤルラウンジと異なっていた。

ライトエースノア、タウンエースノアともに価格は両車とも一緒、ライトエースはトヨタオート店、タウンエースはトヨタカローラ店で扱った。この見開きのように、ルーフ部分をぼかして室内部分を見せようとする手法は、この時代の流行となった感があり、日産もエルグランドに採用するが、トヨタの技法がより高いテクニックをみせていた。

タウンエースノアの機能解説はページ毎に区切って展開。左ページから表紙の「コンセプト(concept=考え方)ブック」の名称で構成、続いて「パッケージ」ではエンジン位置+乗降性+最小回転半径を、右ページ「ユーティリティ」では室内の広さを言及、ウォークスルー構造やシートアレンジを解説していた。

左から「インテリア」ではエアコン+カーナビゲーション+6スピーカーオーディオを、次の「エクステリア」ではフロントドアにUVカットガラス、スライドドアパワーウインド車を設定、ルーフも3タイプ揃えて対応していること、「セーフティ」ではGOAボディ+デュアルSRSエアバック+全席ELR付シートベルト採用をアピールするなど、細かく分類して説明。

さらにカタログを進むと、アクセサリーブック編となる。キャンプを想定したサイドタープやルーフキャリア、ボディ下部周辺のプロテクター類は圧巻の存在。フロントバンパープロテクタとリアアンダーステップは全長が変わるため「車検証の記載変更が必要との説明がされていた。

トヨタに1月遅れの1996年11月発売のダイハツにおけるノア系、デルタのカタログ。ダイハツ工業がノア系のワゴン・ライトバンの開発にも関与して2001年12月まで生産を担当したため、デルタのフルモデルチェンジ車として転用したもの。デルタのトラック系は1ナンバーの3トン車など中型もあったが、ワゴン系は5ナンバー車のみの生産に終始した。このカタログではシートアレンジ主体で展開されているが、ライトエースノアおよびタウンエースノアと同じ内容になっていた。

 

2トーンカラー車はライトエースノア、タウンエースノアのラインナップ車であるフィールドツアラーと、ほぼ同じ車種とみられる。ダイハツ車のカタログは、トヨタ車よりもページを少なくされているので、画像などがぎっしり詰まったレイアウトがされ、けっこうわかりやすくなっている感がある。ラインナップの下段にメカニズム(機構・エンジン)—セーフティ(安全対策)—イクップメント(装備)が簡潔に表現され……ひと目で把握できるようになっている。

1997年5月、「最高級新世代1BOX」の提案をコンセプトに開発、登場したのがエルグランド。圧倒的存在感を主張するスタイリングと快適で広々としたファーストクラスの移動空間を最大の特徴としている……と広報発表資料にある。カタログ表紙はミニバン独特の短いボンネット型に切り抜きされるという……日産ではめずらしい凝った製作方式を採用。販売店別にキャラバン、ホーミーの他にいすゞにも供給された。

カタログを開くと、エルグランドの大きな画像が飛び込んでくる仕組みになっていた。黒い部分は表紙切り抜きのカットされた部分で、遊びにも全力でトライする……そうしたキャッチフレースもあって、爆発的人気を誇り目標の3倍!を受注。生産担当の日産車体湘南工場は休日出勤による増産体制を敷いた。

エルグランドの車名は英語で「THE」を表わすスペイン語の「EL」+偉大な意味の「GRAND」を組み合わせた造語で、最高級新世代1BOXにふさわしい格調の高さ表現したと日産は発表。5つの開発テーマのうち「上質で豊かな広がりを持つくつろぎの空間」「広くゆとりある快適な室内空間」を目標に、これまでにないミニバンとしたことがわかる。ダッシュパネルやシートなどは高級車シーマ的な感じが盛り込まれていた。

左から「パワフル」=ガソリンはVG33E型のV6、3.3リッター170ps、ディーゼルはQD32ETi型直4、3.2リッターインタークーラーターボ150psのエンジンと4速フルレンジE-AT車の設定。中央の「パフォマンス」=オールモード4×4は、舗装路から雪道までの走りを確実にする3種の走行モードが切替可能。右の「セーフティ」では1)インフォメーションセーフティ=ウインドーやミラーでの視界確保、2)コントロールセーフティ=ABSなどで危険回避など詳細に解説。


 

続いて「セーフティII」では、3)インパクトセーフティ解説の前面衝突実験車の実写画像をみせて、その安全性を強調。のボディをクラッチシャブル+セーフティ……2つのゾーンで衝撃を軽減して乗員を守ることが「ゾーンボディコンセプト」と解説。「衝撃吸収ボディと高強度キャビンを実現。さらに前後ドアにはサイドドアビームを採用して側面からの衝撃に対するドアの強度を高めています。」とあり、SRSエアバッグ+シートべルトにも言及している。右は大きなカットボディを用いてシートアレンジを紹介したもので、購買動機を喚起していた。

当初のラインナップはX-V-Jの3車種。発売1ヵ月の6月19日で16,741台、内訳は4WDが55%を占めた。グレード的に最高級X(2WD:ガソリン349.8/ディーゼル359.8万円、4WD:同379.8/同389.8万円)が2.5割、Xより60万円安の中間モデルVが7割、Xより24.3万安の廉価車Jが0.5割。30〜40歳代のファミリー層を中心に支持されたと発表された。

1997年7月、いすゞからファーゴフィリーが発売された。いすゞから日産はアトラス20/30系の供給を1995年から受け、逆にキャラバン系をファーゴとしてOEM供給。これが継続されて新開発エルグランドはファーゴフィリーの名で販売されることになる。フロントグリル部分の中央モールがなく「ISUZU」のエンブレムが貼られているのが大きな違いといえる。

セレナにハイウェイスターが設定されたため、1997年10月に上級車ラルゴにもハイウェイスターツ—リングが追加された。フロントマスクを一新して丸目4灯ハロゲンヘッドランプにレベルアップ。カタログは流行の金箔押しロゴで飾った豪華仕様で、カタログ画面もハーレーダビッドソンFLHのレアな1967年型を組み合わせ、FLHのニックネームである「キング・オブ・ザ・ハイウェイ」と同格であることをアピールしていた。

この頃から安全対策が重要なセールスポイントのひとつになったため、各社設計陣が新機構に変換する作業に追われていた。ラルゴも1996年10月にマルチスライドシート(M)車を設定後、1997年1月にハイウェイスターMおよびグランドスターMを加え、さらに1997年10月ハイウェイスターツ—リングにデュアルSRSエアバッグを、11月にラルゴ全車に同様のデュアルSRSエアバッグ、ABSなどを採用。カラーリングも6→8色に増加して月販3000台をめざした。

ラルゴ搭載エンジンはガソリンがデビュー以来のKA24DE型、DOHC、2388cc、145psで変化はなかった。ディーゼルはセレナと同ベースながらパワーアップされたCD20ETi、SOHC、1973ccで、100psからマイコン制御+大型インタークーラー装備で105psを発揮。エンジンがシート下にあるため、限定されたスペースへの搭載を前提に改良されていた。

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