第24回 クルマの相互供給と各社のミニバン開発意欲

2025年5月31日

本稿で歴史を振り返る車種の形態は、古い表現ではキャブオーバー&ワンボックス、その後はミニバンとして知られてきて紹介してきたが、第24回にして、なんと……まだ20年前のことを取り上げていることになる。

ベース的には乗用車と商用車併用車体と、乗用車専門に開発された車両に大別できるなど様々であるが、需要としては乗用車専用でカーゴルームを持つ車両が主体に開発され、2000年代はじめの傾向は、まだ乗用車ベースのミニバンが主体だったといえようか。

ミニバン系の元祖ともされる日産プレーリーについて、日産自動車は「いまではとても身近な存在のミニバンだが、1982年8月に登場した初代プレーリーこそ、その元祖と称されるモデルだ。大人数で移動ができるクルマといえば、商用車から派生したワンボックスワゴンしかなかった。同様の利便性をもちながら乗用セダンのようなイメージでまとめられたプレーリーは、新しいジャンルを開拓する日産の意欲作だったのである」としている。プレーリーの販売は1982年からの初代が6年で5万台、1988年9月からの2代目が10年で11.8万台、1998年からの3代目が6年で15.1万台と続いた後に、2004年にラフェスタにバトンタッチ。ラフェスタは8年間で13.5万台が販売されたが、2代目はマツダからのOEMとなり、やがてはセレナに統合されることになる。

ミニバンの代名詞となった感のあったホンダ ステップワゴンの“大改革”が3代目のRG系といえる。初代RF系が1996年からの5年で47.6万台、2代目RF3系が2001年からの4年で27.8万台。3台目RG系が2005年5月からの4年で29.8万台とやや盛り返した。当初は低床になったスタイリングに賛否両論となるが、まずは受け入れられたことになるだろう。ただ、初代の人気を上回ることはできなかった。

マツダのプレマシーは初代が1999年、2代目が2005年、3代目が2010年に登場。2011年1月の、日産マツダOEM供給契約締結によりラフェスタ ハイウェイスターとして2011年6月から供給され、2018年3月まで販売されてゆく。またマツダMPVは1988年に北米専用で生産開始されたが1990年6月に日本でも販売、1999年に2代目にバトンタッチ、2006年2月から3代目になり2016年3月まで販売が続いた。

トヨタの動向は世界戦略コンパクト車ヤリスをベースにしたフェンカーゴの後継車として、2005年10月にラクティスを発売。リアドアが大きく開くためにジャンルとしてはコンパクトミニバンとなる。ただし装備面では16インチタイヤ、パドルシフトなど2.0リッタークラス並みにグレードを高めたため2005年10月に受注2.1万台を数える人気車となった。

スズキは完成車の相互供給に関する提携強化策を発表、その一環として普通自動車ラインナップ強化を目的に日産のミニバン、セレナの供給を受けることになり2007年1月22日、ランディとして国内販売、日産は三菱の軽商用車に続いて、スズキの一部軽乗用車を販売することになる。

その後、生活様式の変化もあり、街の商店街が消えつつあった。すでに大手コンビニエンスストアなど深夜営業があたり前となった。流通についてもヤマト運輸や郵便局などの全国的な配送業務の窓口が、深夜でも受けつけるコンビニ主体になってからは、これらの配送業務が都市間では2トン程度の商用パネルバン車に、街中では軽ライトバン車に移行する。他方でミニバンなどは個人ユースの需要が増えて、ますます個性的になってゆくのであった。

日産ラフェスタは、2004年9月に横浜市の大さん橋ホールにて当時の社長、カルロス・ゴーンにより先行公開された6車種の1つで、7人乗りミニバン。同時に公開された車種は、セドリック/グロリア後継とされた高級乗用車フーガなどであった。全車標準装備のガラス製パノラミックルーフが特徴で、他社製ミニバンが真似するほどであった。




日産自動車として初めてルノー・メガーヌ(欧州Cセグメント)と共通の、日産Cプラットフォームを採用。リバティと同様に後部両側スライドドアを持つ。ガソリン給油口はリバティが左側なのに対し、ラフェスタはルノー車プラットフォーム同様に右側にある。ラフェスタは、商品デザイン部門における2005年度グッドデザイン賞を受賞している。
ラフェスタのルーツは1982年登場のプレーリーともいえよう。初代ラフェスタはカルロス・ゴーンの指揮下で自動車一貫生産から車体工場になった九州工場(後の日産自動車九州)が担当。ただし、2011年からの2代目ラフェスタ ハイウェイスターは、マツダ宇品第2工場で生産されるプレマシーのOEM=共通車種となる。
日産自動車としては初めてルノー・メガーヌと共通の日産Cプラットフォームを採用したものの、機能部品をはじめ、サスペンションは他のCプラットフォーム車と共通ながら、ショックアブソーバーの設計など、セットアップは日産で独自に実施された。
型式はB30(4WDはNB30)型で、当初は20S、20M、PLAYFUL(プレイフル)の3種がラインナップ。加えてオーテックジャパンによる「ライダー」や、福祉車両「ライフケアビークル」として「アンシャンテ 助手席スライドアップシート車」も同時に発表された。
「ミニバンの空間のゆとり」と「セダンの走り」を高い次元で併せ持たせる……次世代のユーティリティ価値(Nextユーティリティ)をミニバンにおいて実現することを目指し、「使って、過ごして、走って楽しい“FUN-derful Mover(ファンダフル・ムーバー)”」をコンセプトに開発された3代目の新型ステップワゴン。低床・低重心プラットフォームを採用して2005年5月に登場した。
先代と比べ、従来同等の室内高を保ったまま60mm低床化、40mm低重心化を実施。そして75mm低全高化、全長45mm短縮などを図ることで、室内空間のゆとりを保ちながらボディサイズをコンパクト化し、運転時の扱いやすさを向上させたという。
ホンダ独自の低床・低重心プラットフォームを新開発。徹底した低床設計で全高を低減。エンジンルームのショートノーズ化により、従来モデルと同等の室内長2,800mmを確保しながら全長を短縮。サイドビューの立体的なキャラクターラインは、後方にむかって幅が広がりハイライト部分を際立たせることで、走りのよさを感じさせる狙いをもつと説明されている。
「広い空間、運転のしやすさ」「ゆとりの室内空間と扱いやすいボディサイズを両立」「ステップに段差を設けないワンステップフロアで、お子様やお年寄りでも乗り降りしやすく、また2列目シートの足元スペースを広くとることも可能」……は事実であろうが、そのように感じ取れない既存ユーザーもいたようである。
2列目/3列目シートを格納することで、荷室長1,675mm、荷室容量で最大1,541リットルの大容量ラゲッジスペースが現れる。2列目シートには、対座モードが可能な回転機構付6:4分割チップアップ&スライドシートをG・L/S/LSパッケージ、24Zにメーカーオプションで設定していた。
3次元形状の大型ヘッドライトと、押し出しの強いフロントグリルと組み合わせることで立体的な面構成目指したフロントビューが特徴。切り詰められたノーズとロングホイールベースにより、室内空間の広さをアピールする狙いがあるという。
マツダ プレマシーは、マツダの新世代商品群の中で、2005年2月よりミニバン市場に投入された商品である。2006年4月には日本と欧州の衝突安全性能評価で、ミニバンとして初の日本と欧州での最高ランクを獲得。さらに自動車技術会より「浅原賞技術功労賞」「技術開発賞」受賞した。2007年には直噴エンジンを搭載している。
マツダのブランドメッセージであるZoom-Zoom=ブーブーというクルマの走行音を表す英語の子供言葉……には「『子供の時に感じた動くことへの感動』を忘れない人間の集団でありたい」との願いが込められてるという。プレマシーではこれをさらに深化させ「革新的なパッケージングコンセプトを採用、乗員全員がコミュニケーションを楽しみ」「マツダ車共通の運転する楽しみ、優れた取り回し性能」「快適な移動を可能にする室内空間」を実現したという。
特別バージョンのプレマシーのカスタマイズモデル「ブライトスタイリッシュ」が2006年1月のオートサロン2006でデビュー。1年前の東京オートサロン2005で公開された全周エアダムのエアロ・フォルムそのままで登場。ボディカラーは、スノーフレイクホワイトパールマイカおよびブリリアントブラックの2色で、“両極カラー”を実現した市販モデルとして注目された。
インテリアは定番の本革巻ステアリング&シフトノブに、オーディオレス設定としてるが、ショップオプションオーディオ対応センターパネル+4スピーカーを用意。スポーツサウンドマフラーや、オプションではマツダスピード製スポーツスプリングセットに205ワイドの17インチ偏平タイヤ(2WD)を装備するなど、存在感が際立つように演出されての登場だった。
2005年10月に発売した新型コンパクトカーがトヨタ ラクティスで、ファンカーゴの後継モデル。トヨタにおける世界戦略車で、CMソングはビートルズの「A Hard Day’s Night」。最初の1ヵ月間の販売台数は、目標台数の3倍にあたる約2万1000台を受注、目標を大きく上回った。
ラクティス(Ractis)の名称は、「アクティブな走りと広い室内空間をあわせ持つクルマ」の意味をもつ……英語の頭文字を組み合せた造語。順に「Run=走る」「ACTIvity=活動的、積極的に色々なところにでかけたくなるクルマ」。そして「Space=室内空間、荷室空間」の要素を兼ね備えたクルマとして誕生した、という意味が込められていた。
ファンカーゴからの変更点は、コラムシフトからインパネシフトへ、さらにメーターをセンターレイアウトから運転席前への変更が挙げられる。大型ガラスルーフであるパノラマルーフが設定され、コンパクトカーには珍しい大径16インチタイヤを装備していた。開発期間は9ヵ月半でトヨタ車では最短記録。当初は日本国内専用だったが、2009年10月より中華圏の香港およびマカオでも販売された。
ラクティスはミニバンのシルエットを持つ5人乗りのボディを持つが、全高1640mm(2WD)はファンカーゴより40mmも低い。このためリヤシートはファンカーゴ最大の特徴だったリトラクタブルシートから、シートバックを倒した状態でシートクッションごと前方へ倒し込んで床面に収納、自転車が収まるフル・フラットフロアのスペースがつくれるように工夫された。
日本のミニバン市場を切り拓いたともいえるMPVの3代目は、全幅1850mm、クラス最長2950mmのロングホイールベースで、ルーミーなミニバンらしい、伸びやかなプロポーションで2006年に登場。「単にスタイリッシュ」ではなく。新開発MZR 2.3L DISIターボエンジン採用するなど、高い動力性能や操縦性を訴求し、「スポーツカーの発想でミニバンを革新した『次世代ピープルムーバー』」であるとされた。スポーティパッケージは215/60R17タイヤを装着する。
2005年5月末にフルモデルチェンジした日産セレナは、ルノーと共通の日産Cプラットフォームを用いた。このモデル系からリヤブレーキが従来からディスクブレーキに近代化された。サスペンションはフロントがストラット、リヤは2WD(FF)がトーションビーム、4WDはマルチリンクとなる。
「SHIFT_ capacity 1BOX」、1BOXの可能性をシフトする……を強調した3代目日産セレナ(C25型)。そのシフトレバーは競合車種と同様、インパネ式に変更された。ここでは上級車ハイウェイスターを中心にエクステリア&インテリア系を紹介して、独自性を主調していた。
このクラスのホイールベースは2,800mm台に達していたが、セレナはクラス最長の2,860mmでデビューした。人気のあったライバル車のステップワゴンが低床化して従来のユーザーに違和感を与えたためか、ミニバン人気がセレナに集まるようになってゆく。「BIG」なキャビン、サイドウインドウ、カーゴの表現で大きさを強調していた。
搭載エンジンは2.0LのDOHC 4気筒MR20DE型となる。エクストロニックCVTとの組み合わせにより「鋭い応答性となめらかな加速、低燃費を実現」して平成22年度燃費基準+5%を達成。なお給油口は再び車体の右側に変更された。
車体カラーは標準がブルーとレッドおよびホワイト系、ハイウェイスター系も含めシルバー、アイアン、ブラック、ホワイトパールを揃え、ハイウェイスターのみのカシス系を揃える豊富なサービスぶりで、ラフェスタに迫るおしゃれな存在になってゆく。
グレード体系は20S、20G、20RS、20RXの4グレードに整理。グレードにより異なるフロントグリルとなり、20Sと20Gはメッキ処理を施したワイドですっきりとしたデザインに、20RSと20RXはバンパーやフードとスムージングしたボディ同色のデザインとなった。
オーテックジャパン扱いのカスタムカー「ライダー」もフルモデルチェンジされてゆく。スモークメッキのフロントグリル、専用チューニングのサスペンション、ブラック基調のインテリアを採用するなど……オーナー感がより昂ぶるように演出して……よりスポーティー感を高めた。
スズキは2006年6月、日産との「完成車の相互供給」提携を強化。普通自動車のラインナップ強化をはかり、日産セレナの供給を受け、2007年1月に日本国内向けのスズキ ランディとして発売。初代から3代目までは日産自動車供給だったが、2022年発売の4代目はトヨタからの供給となった。
ランディの前身は2001年5月登場のエブリイの普通登録車のエブリイランディや、他に海外提携先の現地生産車などに例がみられた。日本向けのエブリイランディは2005年7月生産終了。8月までの在庫分販売。軽のエブリイのモデルチェンジとともに販売終了となった。
「完成車の相互供給」はスズキ MRワゴンが日産モコ、ワゴンRが日産オッティとして販売された。2007年の自動車ガイドブックを見ると、日産は270万円台のセレナハイウェイスターのみの掲載だったのに対し、スズキは220〜230万円台のランディが掲載された。ややランディに割安感を与えるように配慮されたのだろうか。
2008年5月登場の新型コンパクトミニバンがホンダ フリード。「“フリーライフ・クリエイション”をコンセプトにHonda独自の低床・低重心技術を採用し、街中で取り回しの良いコンパクトなボディながら、大人3列すべてで快適に座れるゆとりの室内空間を実現」したという。1.5リッター車ホンダ モビリオの後継モデルとして登場した。
「乗る人すべてが快適で使いやすく、日常から休日の様々なシーンで、ライフスタイルに合わせて自在に使いこなせる新しい価値を持つミニバンを目指し開発」された。7人乗り仕様に加え、排気量1.5Lのコンパクトミニバンクラス初となる8人乗り仕様、さらに同クラストップレベルとなる荷室空間を持つ5人乗り仕様の3タイプが設定された。
車名の「FREED」は、Freedom(自由)からの造語という。「常識や定石にとらわれることなく、どこまでも自由な発想で追い求めたクルマ、またFree(自由な)+do(行動をする)という意味合いを込めたネーミング」とホンダは説明している。当時このクラスにはユニークなライバル車が多く、他社に対抗した形での登場であった。
同クラスのミニバン系がスタイリッツシュになってきたため、ホンダ側も工夫を凝らしたパッケージングが必須となったのか、使い勝手面で工夫を凝らし、自在なアレンジができることをアピール。2-2-3名の7座、2-3-3名の8座に加え2-3名の5座は「フレックス」と称し2座1.4m、5座1.0mほどの荷室スペースが確保できるようにしていた。
モビリオとは異なり……エアロスタイルをアピール。エアダムスカート系の前後バンパー類、サイドシル、ウインドウを含むテールゲートなどのスポイラー類を装備。FFはCVT、4WDは5ATと組み合わされる。エアロの組み合わせにより、若いユーザー層を狙っていたことがわかる。
FLEXの上級モデルには後部電動スライドドア車を設定。廉価モデルは2WDで税込163.8万円、4WDは税込189万円。2WDと4WDでは駆動ギア比の関係からか、タイヤサイドが異なる。最終ページはジエット機からF1まで、ホンダ活躍の場面を展開している。
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