本稿で歴史を振り返る車種の形態は、古い表現ではキャブオーバー&ワンボックス、その後はミニバンとして知られてきて紹介してきたが、第24回にして、なんと……まだ20年前のことを取り上げていることになる。
ベース的には乗用車と商用車併用車体と、乗用車専門に開発された車両に大別できるなど様々であるが、需要としては乗用車専用でカーゴルームを持つ車両が主体に開発され、2000年代はじめの傾向は、まだ乗用車ベースのミニバンが主体だったといえようか。
ミニバン系の元祖ともされる日産プレーリーについて、日産自動車は「いまではとても身近な存在のミニバンだが、1982年8月に登場した初代プレーリーこそ、その元祖と称されるモデルだ。大人数で移動ができるクルマといえば、商用車から派生したワンボックスワゴンしかなかった。同様の利便性をもちながら乗用セダンのようなイメージでまとめられたプレーリーは、新しいジャンルを開拓する日産の意欲作だったのである」としている。プレーリーの販売は1982年からの初代が6年で5万台、1988年9月からの2代目が10年で11.8万台、1998年からの3代目が6年で15.1万台と続いた後に、2004年にラフェスタにバトンタッチ。ラフェスタは8年間で13.5万台が販売されたが、2代目はマツダからのOEMとなり、やがてはセレナに統合されることになる。
ミニバンの代名詞となった感のあったホンダ ステップワゴンの“大改革”が3代目のRG系といえる。初代RF系が1996年からの5年で47.6万台、2代目RF3系が2001年からの4年で27.8万台。3台目RG系が2005年5月からの4年で29.8万台とやや盛り返した。当初は低床になったスタイリングに賛否両論となるが、まずは受け入れられたことになるだろう。ただ、初代の人気を上回ることはできなかった。
マツダのプレマシーは初代が1999年、2代目が2005年、3代目が2010年に登場。2011年1月の、日産マツダOEM供給契約締結によりラフェスタ ハイウェイスターとして2011年6月から供給され、2018年3月まで販売されてゆく。またマツダMPVは1988年に北米専用で生産開始されたが1990年6月に日本でも販売、1999年に2代目にバトンタッチ、2006年2月から3代目になり2016年3月まで販売が続いた。
トヨタの動向は世界戦略コンパクト車ヤリスをベースにしたフェンカーゴの後継車として、2005年10月にラクティスを発売。リアドアが大きく開くためにジャンルとしてはコンパクトミニバンとなる。ただし装備面では16インチタイヤ、パドルシフトなど2.0リッタークラス並みにグレードを高めたため2005年10月に受注2.1万台を数える人気車となった。
スズキは完成車の相互供給に関する提携強化策を発表、その一環として普通自動車ラインナップ強化を目的に日産のミニバン、セレナの供給を受けることになり2007年1月22日、ランディとして国内販売、日産は三菱の軽商用車に続いて、スズキの一部軽乗用車を販売することになる。
その後、生活様式の変化もあり、街の商店街が消えつつあった。すでに大手コンビニエンスストアなど深夜営業があたり前となった。流通についてもヤマト運輸や郵便局などの全国的な配送業務の窓口が、深夜でも受けつけるコンビニ主体になってからは、これらの配送業務が都市間では2トン程度の商用パネルバン車に、街中では軽ライトバン車に移行する。他方でミニバンなどは個人ユースの需要が増えて、ますます個性的になってゆくのであった。



































