第6回 サンルーフ&水着モデル登場の時代へ

2022年2月18日

 サンルーフ車の始まりを世界的にみると、独の鍛冶屋からスタートしたトラゴット・ゴルディが折りたたみ式幌を開発、トラゴット・ゴルディ社となり事業は息子に継承された後、進化させた穴開き「サンシャイン・ルーフ」が1910年、米国で特許を取得したことでその普及が始まったとされる。

 これとは別に、1927年に英パイチリー社がデイムラー1927年式に採用したスライディングルーフなどがあり、1930年代に米ナッシュやその後にGMなどが採用した。

 サンルーフを最初に開拓したゴルディ製が自動車メーカーに採用されるのは主に戦後で、1950年代に自国のポルシェやVWに採用され米国に輸出された。その結果1960年代にスチュードベーカーやフォード社が純正採用するに至り、米国ゴルディ社はゴルディの息子の同級生ハインツ・プレヒターに代理店をまかせた結果、事業発展してASC=アメリカン・サンルーフ・カンパニーが立ち上がった。芸能人の愛車に装着され話題となり、サンダーバード、ムスタング、クーガーなどの純正採用となり、さらにガラスのムーンルーフなども成功。現在も会社は各種事業で盛業中であるが、サンルーフ事業自体はRockwell社が一時期各社に販売したものの、同社は宇宙航空事業に転換し、結局は元のASCがサンルーフを継承、カーナビやバックカメラなどと一緒に製造を継続しているようだ。

 日本の乗用車用としては、ワイパーブレードで知られるマルエヌが室内環境の快適化を目的に自動車用品として1957年のカーヒーター、1969年のカークーラーに続いて1972年に、米DAS社と共同開発したオープントップが日本初とされる。その当時は、筆者が自動車雑誌編集者になった頃であり、自動車マニア達の話題になったものだ。しかし後付け式で「愛車の屋根を切り裂くため雨天時には雨漏りしないか? 心配だ」が先に立ったようで、こうしたアフターマーケット用の後付け式は、雑誌広告などでは注目されたが、まだ乗用車を購入するのがやっと……の時代で価格的にみても、大きく普及はしなかったように記憶している。

 その結果、国産メーカーによる実質的な量産サンルーフ装着車の登場は、乗用車では1977年のセリカの手動サンルーフ、ワンボックスでは1979年10月登場のライトエースの最高級車ワゴンGXLに採用されたサンルーフといえようか? いずれもアイシン精機とされる。

 以降はニッサン車にも普及。また八千代工業製がホンダに採用されてゆく。1980年代からは室内の快適性を求めて対座シート、クーラーやエアコンなどが乗用車やワンボックス車達にも普及。他方でサンルーフはガラスルーフになり、開閉式が多くなっている。サンルーフ=夏に快適、というイメージから各社ともにPRのため、カタログなどには水着の若者を登場させているのは時代性といえようか。

 前回紹介したサニーキャブ、チェリーキャブがモノクロ画像でだったので、ここではニッサン・サニーキャブのカタログを紹介しよう。1969年8月に登場したがこのカタログは1975年1月のもので、1970年頃からダットサン名を廃してニッサンとする方針から車名変更となる……が、アジアや中南米向けに根強い「ダットサン信仰」があり、2012年以降はインド、南ア、インドネシア、ロシア、カザフスタン向け専用の乗用車やワゴンではダットサン名が復活している。

 乗用ワンボックスのコーチは、ボンネット部がないが現在のセミキャブ車と構造的には変わりない。乗員は2+3+3=8名乗りで、エンジンは初代サニーの1000cc、56ps、A10型をフロントシート下に搭載する。乗用ワンボックス車の生産も徐々に増えつつあった、そうした時代背景の中、メーカーもバンとトラックと同時に乗用ワンボックス車の企画・設計もすすめてゆくことになる。

 1977年1月のチェリー店(旧日産コニーまたは日産プリンス店)向けのカタログ。チェリーキャブとしてはモデル末期で、8人乗りのコーチKPC-21型はA12型1200cc、68ps、NAPSの採用で51年排出ガス適合車となり、1978年10月まで生産。チェリー&バイオレット・オースターなど商用バンもラインナップされた。

 ニッサンチェリーキャブコーチ。ボディの基本を変えずに9年間販売し続けられたのは、価格の安さがあったのだろう。ちなみに乗用車のチェリーは、英国では1980年代までダットサン系で、他にローレル、フェアレディZ系も同様、ニッサン車はサニーくらいだった。

 サニーおよびチェリーキャブの後継車が1978年11月発売のバネットで、乗用ワンボックスは「コーチ」の名を継承。9人乗りということで、水着モデルを9名並べて撮影された。左下はロングホイールベース(標準車:2075mm→2405mm)の3+2+2+3名の4列シートを採用していた。これは1979年7月のカタログ。1980年代を迎えるにあたり、ワンボックス乗用とライトバンを同じ設計にすることが各社の方針になってゆく。構造的にみて、エンジンのフロントシート下配置は変わりないが、トラックベースの車体=梯子型フレーム+架装式ボディから乗用車然とした“軽量”が特徴の一体モノコック式となってゆく。

 オプションをフル装備したバネット。165SR13ラジアルタイヤをアルミホイールに履く。ルーフキャリア、カリフォルニアタイプのミラーにサイドモール類など、いわゆる“バニング・パーツ”類で飾る。バンは1200ccA12型、コーチは1400ccA14型エンジンを搭載。

 バネット乗用コーチの最高級車GLのインテリア。ハンドルは3本スポークでスポーティ&高級感を演出。2&3列目シートでベッドがつくれることを、他車同様に女性をモデルにしてアピール。

 こちらはバネットの商用バンで、後部荷物室との間にパーティションバーがあり、荷崩れの際にも積み荷はシート側に落ちてこないよう工夫がされていた。当時は、価格の安いバンを購入してバーを外して“ワゴン感覚”にひたるオーナーも多かった。

 日本では排出ガス規制の黎明期、1970年代から1980年代にかけて東京の牛込柳町交差点での空気汚染が話題になった。商用車でも排出ガス規制クリアを謳っているのも当時の様子を反映している。エンジン技術的には、まだ大手の各社ともにOHVエンジンが主体で、乗用車のモデルチェンジも6〜10年のサイクルだった。

 1980年3月にバネット販売強化策として、ブルバード主体の日産店向けにダットサンバネットが加えられ、その際にチェリーバネットなどのカタログも一新された。表紙の登場人物をみてみると若者主体であることがわかるだろう。

 コーチのページは水着モデルをズラリ、とプールサイドに並べて9人乗りをアピール。標準ルーフはショートとロングボディ、ハイルーフはショートボディのみとした。

 バネットコーチの内容紹介部分は、既出のものと大きな変化はないが、フルフラットシートの女性をボディ端部に半身で寝転ばせて、シートを広く見せる工夫がされている。シートの配列も図を加え旧カタログより具体的にしている。

 ライバルをデリカ、ボンゴに想定したせいか……ライバル同様に前3名乗車として、室内の広さを強調しているのがわかる。ただしバネットの車幅は1600mmとしたため、男性3名掛は“キツイ”ところではあった。

 1979年10月発売の2代目ライトエース。「トヨタ製ワンボックスワゴンブーム躍進のモデル」と同社も自負しているモデルである。これは初期のハイルーフGXLサンルーフ仕様車をカタログの表紙としていた。

 クルマを「使いこなす時代が来た」とアピールするライトエース。185.70HR13のラジアルタイヤ、アルミホイールはオプションで、標準は165SR13、廉価車デラックスやスタンダード系は5.50-13だった。

 ライトエースのインテリアは、スポーティな3本スポークハンドルがワゴン系に装備され、フロアシフト=スポーティな印象を与えた。運転席からの眺めはGXLもスタンダードも大きな格差がなく、人気を確保できた。まだタコメーターのない時代だった。

 フルフラットになることで部屋のベッドを想わせる装備は、乗用ワンボックス車のあたりまえの装備となってゆく。商用ライトバンに近い装備のスタンダードも3列シートの定員8名だった。

 エンジンはなんと上級車のタウンエースにも搭載される1800cc、92psを搭載。全長4mクラスのワンボックス車のライバル、日産バネット系より幅を20mm拡大させてデビュー、車格の面ではタウンエースに近いワンボックスとなった。

 ライトエ−スワゴンのフルラインナップ。ライトバン然としたスタンダードから豪華車GXLまで揃う。標準ルーフ車での価格比較で、バンのデラックス5ドアが73.4万円なのに対し、ワゴンのスタンダードが93.1万円。GXLサンルーフは125万円だった。

 ライトエースから1年遅れて、ライバルの立場となったバネット系は1980年6月、サンルーフ車をラインナップに加えたコーチ系はエンジンを1500ccA15型に排気量アップして1800ccのライトエース勢に対抗する。バネットの販売価格帯は、エンジン排気量の違いがあって、ライトエースのほぼ20〜25万円安で設定され、一定の人気があった。

 ダットサンバネットのラインナップ。自家用乗用車として設定された標準およびハイルーフ両SGL車のヘッドランプは、まだ高額だった角形4灯ヘッドランプ、スポーティなハンドル等が装備された。ライバルのライトエースはカタログ値で車幅25mm、室内幅10mm広かった。

 チェリーバネットコーチのカタログ表紙と見開アピール部分、ダットサンバネットと同様に海岸での撮影だが、違う場所に見えるように撮影されている。「本格バニング時代の幕開けを告げるワンボックス乗用車」とコピーに記され、「バニング」「ワンボックス」の表現を普及させるべき方向性が見受けられた。

 新型バネットワゴン系の特徴はサンルーフに加え、いちはやく採用された2列目の回転対座シートだった。最高級SGLグレードのみの設定だったが、ワンボックス乗用車の先駆といえ画期的だった。設計は生産担当の愛知機械工業とされる。

 タウンエースの1980年10月のカタログ。1978年10月のマイナーチェンジでサンルーフが採用されたものの、あまり強調されておらず、ようやく大きくアピールした。おそらくはライトエースとともに本格的な生産体制が整ったのだろう。この後1980年12月にはワゴンのみ3AT、5MTに加えてスイング式対座シートを最高級グレード車に投入、角目2灯ヘッドライトなど装備してバネット勢に対抗することになる。

 タウンエースワゴンは1年中遊べるクルマ「PLAYING WAGON」としてアピールした。しかし顧客としては、このカタログを観て2ヵ月後にマイナーチェンジされるとは思ってなかったろう。従って多少は値引きされて販売されたのかもしれない。

 フラット化可能なシートは1978年以来変わっていない。メーターダッシュが一新されたが計器類の配置に大きな変化はない。クーラーが装着されているのが分かるが、まだオプションで後付けの汎用然とした、おそらくはデンソーであろう製品が装着されている。まだ夏は窓を開けて走る時代だった。

 搭載エンジンはOHVの13T-U型、1800cc、92psでライバルの日産車勢を圧倒的にリードし、ライトエースにも搭載されたため、タウンエースとライトエースの価格的差異は数千円となり、選択肢的には車両の寸法程度になった。

 1980年8月にE20系からE23にモデルチェンジ、角2眼ヘッドライトと独立バンパースタイルで登場した新型キャラバン。これは最高級グレードのSGLがカタログ表紙の11月時点のカタログで、電動サンルーフと回転対座シートがセールスポイント。なお他のグレードは丸4眼ヘッドライトを採用する。

 カタログ3ページ分を割いて展開した日産ワンボックスお得意の回転対座シート。SGL系のみの装備だが、キャラバンの購入予定者に大いなる夢を与えた。家庭向け自家用の乗用コーチ9人乗り系はGLとSGL系のみで、まだ選択肢は少なかった。

 いよいよ前エアコン後クーラーの快適装備が設定されたが、SGLでもオプション設定だった。送迎バス、レンタカー需要に対応してハイルーフの15人乗りマイクロバス仕様にもオプション設定された。また右ページでは視野の高さを強調、クラス唯一の左ドア部のサイドウインドウも特徴的といえ、パワーステアリングの設定も先駆だった。

 搭載エンジンはいずれも直列4気筒、ガソリンエンジンは、SOHCのZ20型をSGL、GL、DXロングGLに、OHVのH20型はマイクロバスに、ディーゼルエンジンはOHVの改良型SD22型を商用、乗用のキャラバンほぼ全車に設定された。ミッションは、コーチのガソリン車=4速MTと3速AT、ディーゼルは低回転で使用できる5速オーバートップMTと3速AT、15名乗りマイクロバス用のガソリン車は4MT、ディーゼル車は5速オーバートップMTが組み合わされた。

 1980年8月のキャラバンと同時デビューの日産プリンス店向けのホーミー。ラインナップはキャラバンとほぼ同じである。表紙は英文のスペック紹介とともに外国人が起用された。

 メーターダッシュ部分もキャラバンと変わらない。右下のコーチ10人乗りデラックスのみ廉価設定のためだろうか、メーターパネルがシルバー地からダッシュ色になっている。エアコンやクーラー系はオプションで、標準装備を求める需要も少ないとみていたのだろう。ここでは謳っていないが、サンルーフなどとともに積極的にその機能を、中央ページで展開していた。

 1980年代のワンボックス車達の幕開けは、快適&豪華装備の各社の戦いとなるのであった。

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