三樹書房
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hakubutsushi
第13回 トヨタ博物館で仕事をして得られた面白い経験
2013.11.27

 このたび三樹書房のご厚意で『東京モーターショー トヨタ編 1954-1979』を執筆させていただくことができた。写真選定と写真探し、時代背景や展示車についての調査、原稿作成等、時間と根気の要る作業だったが、本で扱った期間の8割ほどが、自分が車に熱中していた時代と重なっていたため、楽しみながらやることができた。掲載した写真は、社内および自動車工業会の記録写真がほとんどで、1000点を超す中から、330点余りを使用した。中には1枚の写真を部分的に使用するために2点にしたものもある。
 記録写真にはこのほかに国産他社車の写真は当然のこと、モーターショーに展示された輸入車やクラシックカーの写真もあった。その中に意外な車の写真が2点あったので紹介させてもらいたい。それは私がトヨタ博物館で仕事をしていたから遭遇し、不思議な縁を感じたからである。2点ともシボレーである。

(1) 1929年型シボレー4ドアセダン
 1973(昭和48)年の東京モーターショーは20周年ということで、「くるまのあゆみ」と題した、車の発達過程をわかりやすく紹介する展示もなされた。トヨタからは1938年製AB型フェートン、1947年製AC型セダン、同年製トヨペットSA型セダンの3台が展示された(本に紹介)。その「くるまのあゆみ」展に展示された車の写真(日本自動車工業会)の中に下の写真があった。

1929シボレー4ドアセダン(20th東京モーターショー)_R.jpg【写真①】1929年型シボレー4ドアセダン 第20回東京モーターショー(1973年、自動車工業会)
 
 これは1929年型シボレー4ドアセダンである。別の写真を下に紹介する。これは今年(2013年)11月3日に豊田スタジアムの敷地で行われた名古屋クラシックカーミーティングで撮影したものだ。

1929シボレー4ドアセダン(名古屋CCM)a_R.jpg1929シボレー4ドアセダン(名古屋CCM)b_R.jpg【写真②③】1929年型シボレー4ドアセダン 名古屋クラシックカーミーティング(2013年11月、豊田市、筆者撮影)
 
 色が違って見えるがこの2台は同一の車である。
 実は私がこの車を見るのは2度目で、最初に見たのは2年前の2011年9月だった。ある日、一人の女性(Aさんとする)から博物館に電話がかかってきた。1929年型シボレーを寄贈したいという。父親(B氏とする)が亡くなり、生前営んでいた修理工場を整理することになったが、そこに父親が大事にしていたシボレーが保管されていて、廃車するに忍びなくて困っていたところ、知人からトヨタ博物館に寄贈してはとアドバイスを受けたという。そのシボレーは右ハンドルで、輸入車だというのでニュージーランドから来たものと思われた。トヨタ博物館には1931年に大阪で組み立てられたシボレーのフェートンがあるため、申し出に応えることはむずかしいと返事をした。Aさんは、どこか引き取って大事にしてくれるところがあるとありがたい、と本当に困っている様子だった。そうまで頼まれるとむげに断ることもできず、とりあえず車を見せてもらうことにした。

M自動車201309a_R.JPG【写真④】寄贈申し出のあった1929年型シボレー4ドアセダン(2011年9月、名古屋市、筆者撮影)
 
 2011年9月10日の午後、まだ残暑が厳しい中を教えてもらった名古屋市緑区の住所に出かけた。そして、他界されたB氏が生前自営しておられたM自動車の修理工場で1929年型シボレーと対面。娘さんであるAさんによると、父親のB氏はこの車を神戸の展示会で見てたいそう気に入り、入手して乗って帰って来られたという。時速20キロ以上では止まれないほどブレーキが効かなかったと話しておられたそうだ。ただ、登録を果たせないうちに亡くなられ、主を失ったシボレーはそのときの姿のまま修理工場を出ることはなかった。
 見た感じでは、ほこりを払い、磨いて少し整備するだけで展示できそうなコンディションに思えた。一緒に保管されていた資料の中に通関証明と、国際ナンバープレートがあった。1973年8月14日に通関しており、輸入者は伊藤忠商事。ということは、2か月半後に東京モーターショーに展示されたことになる。国際ナンバープレートの表示は「ACN33 RO ・・29」。ACNは名古屋ナンバーだが、なぜ国際プレートを必要としたのかわからない。

M自動車201309b_R.JPG【写真⑤】国産ナンバープレート
 
 国際ナンバーは、国内で登録されている車で外国に行くときに必要とするナンバーであるため、なぜ写真のナンバーがあるのかわからない。29は年式の下二桁と思われるので、このシボレー用と思われる。
 GMのウエブサイトに同社の海外展開のことについて「帝国の繁栄」の項で次のように紹介されている。「1920年代と1930年代は比較的小さな会社を吸収することによって拡大しながら海外にも進展していった。ヨーロッパで最初の工場はデンマークのコペンハーゲンで1923年に操業した。そしてアメリカ、カナダ以外の国で最初に組み立てられたのはシボレーのトラックで、1924年1月7日のことだった。さらに製造工場は1925年にアルゼンチンのブエノスアイレスで操業を始め、1926年にはオーストラリアとニュージーランドが続いた。」 ということはニュージーランドからきたB氏のシボレーはニュージーランドで生産されたものだ。
 私は引取り先を探すことにした。候補にあげたのは、日本自動車博物館、ヤナセ、日本GM、ツカハラミュージアムである。日本自動車博物館には電話をかけた。すると「同年式車を持っているので辞退したい」との返事だった。トヨタ博物館でも、同年式車どころか、近い年式のものを所蔵している場合、特別な理由がなければお断りすることが多いので仕方がない。日本自動車博物館の同年式シボレーはフェートン(幌型)で右ハンドルだが、これは大阪で組み立てられた車両である可能性が高く、日本の自動車史を語る貴重な車両の1台だ。ヤナセほかには以下の内容のメールで問い合わせた。

「1929年式シボレーを大切にされていた方が亡くなり、それを展示してもらえるところがあれば寄贈したい、という相談をご家族から受けました。当館ではすでに同年式車を展示しているためこちらでは不要です。展示やイベントに活用できると思われますが、いかがでしょうか。少し手を加えるだけで展示できそうなコンディションです。1974年にニュージーランドから輸入された車両で、登録は可能と思われます。」

 「1974年」は1973年の単純な間違いである。「同年式」は拡大解釈で近い年式のことを都合よく言ったものだ。ヤナセからは、同社の輸入車両でないこと、また1927~1939年がシボレー取り扱い中断期間だったことなどから厚意に沿えないとの返事がきた。1927~1939年はシボレーが大阪で組み立てられていた期間に該当する。ヤナセの回答で当時の自動車事情の一端がわかったのは収穫だった。日本GMはショールームがないこと、ツカハラミュージアムは保管スペースや整備工数・費用等の面で困難とのことからいずれも希望に沿えないとの回答だった。真摯に検討して回答してもらえた3社にお礼を伝えた。
 この結果をAさんに伝え、旧車専門誌等で引き取り先を探す方法があることを伝えて終わりにした。
 それから2年後の今年9月26日、Aさんから電話がきた。いよいよM自動車の敷地が整地されることになり、同月末までに修理工場の中を整理しなければならなくなったが、1929年型シボレーはまだそこに保管されたままだという。どこか引取ってくれるところはないだろうかとの再確認の電話だった。その話の中で、M自動車が営業していた頃つきあいのあった愛知郡東郷町の新和自動車にも相談したことを伝えられた。そこの経営者樋口さんは私も知っており、お世話になっている人なので、そこなら新しいオーナーを探してくれるかもしれないと思い、自分からも頼んでみると言って電話を切った。新和自動車に電話すると、嬉しいことに樋口さんはすでに引取ることを決めておられた。
 そして11月3日、新和自動車主催のイベントに出かけて再会したのが冒頭の写真である。まさか、そのイベントに来ているとはまったく予想していなかったので驚いた。埃が払われ、磨かれて、タイヤにもしっかり空気が入りシャンとした姿を見て感動した。イベントに招待された元所有者のご家族も大変喜んでおられたそうだ。
 樋口さんの話「引取って来たシボレーの室内は、ネズミが巣を作っていてひどい悪臭だった。消臭剤を使ったり、天日干ししたりして、イベント前にやっとにおいがとれた」。そして現在、修理用のキャブレターとラジエーターを手配中のシボレーは、今後、新和自動車のマスコットカーとして人々の目に触れる機会が増えることになった。

(2) 1932年型シボレーロードスター
 写真①で1929年型シボレー4ドアセダンの隣に写っているオープンカーの写真である。

1932シボレーロードスター(20th東京モーターショー)_R.jpg【写真⑥】1932年型シボレーロードスター 第20回東京モーターショー (1973年、自動車工業会)
 
 これは1932年型シボレーロードスターだ。
 現在トヨタ博物館で開催中の企画展、小林彰太郎フォトーカイブ展「昭和の日本 自動車見聞録」の展示準備をしていたとき、私は並行してモーターショーの本の原稿も書いていた。そしてその両方にこの車の写真が現れて驚かされた。
小林彰太郎フォトアーカイブス展_R.JPG【写真⑦】トヨタ博物館の企画展「昭和の日本 自動車見聞録」より (2013年11月、筆者撮影)
 
 小林先生の書かれたキャプションには、「所有者は神谷正彦氏(元いすゞエンジニア)。」とだけしかない。この写真がいつ撮影されたものか小林先生に確認できないままになってしまった。ナンバープレートは両方とも登録番号ではなく年式の数字を表示したものが付いている。もしかしたら同じ頃に撮影されたものかもしれない。写真の"右ハンドル"のロードスターは輸入車なのか、それとも大阪で組み立てられたものなのか興味がわく。トヨタ博物館には同年式のアメリカ製4ドアセダンが常設展示されている。アメリカの大衆車がクロームメッキ部品を多用して高級化を始めたころの車である。1932年型シボレーロードスターは、戦前のアメリカ車で私の好きな1台だ。写真の車はその後どうしたのであろう。

 下の写真はHubley製1932年型シボレーロードスターの組立キットだ。トヨタ博物館でプラモデル&スロットカー展を実施したとき、展示したプラモデルを組み立てて所有しておられた方からいただいた。パッケージに縮尺は表示されていない。幅を測って計算したら1/20だとわかった。ボディとシャシーは金属製、タイヤはゴム製、残りはプラスチック製。数年前に金属部品のバリをていねいに取り除いたままでその後は進んでいない。来年6月以降、とりかかれるかもしれない。

1932シボレーロードスター組立キット_R.JPG【写真⑧】Hubley製1932年型シボレーロードスターの組立キット

 トヨタ博物館では、自動車を通して多くの人や車との出会いがあり、歴史との触れ合いがある。ここでは初めての本の執筆に関連した不思議な縁について紹介させてもらった。

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執筆者プロフィール

1949年(昭和24年)鹿児島生まれ。1972年鹿児島大学工学部卒業後、トヨタ自動車工業(当時)に入社。海外部で輸出向けトヨタ車の仕様企画、発売準備、販売促進等に従事。1988-1992年ベルギー駐在。欧州の自動車動向・ディーラー調査等に従事。帰国後4年間海外企画部在籍後、1996年にトヨタ博物館に異動。翌年学芸員資格取得。小学5年生(1960年)以来の車ファン。マイカー1号はホンダN360S。モーターサイクリストでもある。1960年代の車種・メカニズム・歴史・模型などの分野が得意。トヨタ博物館で携わった企画展は「フォードT型」「こどもの世界」「モータースポーツの世界」「太田隆司のペーパーアート」「夢をえがいたアメリカ車広告アート」「プラモデルとスロットカー」「世界の名車」「マンガとクルマ」「浅井貞彦写真展」など。

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