三樹書房
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hakubutsushi
第2回  ライトバンの時代
2012.12.27

1.はじめに
 第1回で紹介した愛車スバル1300Gバンは、フラットフォアエンジンによるFFのメリットを生かした広い荷室空間が確保されていて、DIYやアウトドア活動に最適の1台だった。2分割の上下開きバックドアも実用的でよかった。しかし、バンに乗る20代後半の青年は周囲からおかしな奴だと見られ、同期入社の友人からは本気で心配された。

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【写真:01】スバル1000バンデラックス(1967) スペアタイヤは、前輪荷重を増やす目的でエンジンルームに搭載されたため、荷室フロアの地上高は390mm と、FRのカローラバン、コロナバンよりそれぞれ170、220mmも低かった。そのため荷室はあぐらをかいて座れる高さがあった。バックドアは、ふだんは上半分だけ開ければ事足りて、下を開けば荷物を積んでいても腰かけることができて本当に便利だった。

 今日ステーションワゴンを商用車だと言う人はもういないと思われるが、スバルレガシィ(1989)が火付け役となった"ワゴン"ブームが到来するまでは、れっきとしたステーションワゴンであっても"ライトバン"と同一視されて敬遠されていた。それは、日本では自家用自動車の普及初期の段階で乗用車よりライトバン(小型貨物自動車=4ナンバー)が大きな役割を果たした時代があったからだ。
 ライトバンは形態的にはステーションワゴンと同じだが、荷物積載能力を優先して設計されており、乗用車としての役割も果たしていた。日本では一般の勤労者が乗用車を買えるようになる以前、中小商工業者に小型トラックと小型ライトバンが売れていた。
 その期間は、初代トヨペットクラウンとダットサン110型が登場した1955(昭和30)年頃から、ダットサンサニーとトヨタカローラが登場して一気に自家用乗用車の普及が加速し始める1967(昭和42)年頃までが該当すると考えられる。ライトバンが普及した背景には税制の恩典があった。乗用車には15%の物品税が掛けられたが商用車は免除され、また毎年の自動車税も安かった。
 日本で乗用車が商用車の登録台数を上回ったのは1969(昭和44)年だ。しかし、この商用車には乗用車代わりに使われたライトバン(欧米では乗用車扱い)も含まれており、乗用車化への転換時期として鵜呑みにするわけにはいかない。欧米の尺度でみればもう少し早い時期になるはずだ。とはいえ、日本のモータリゼーションが商用車に先導されたことに変わりはなく欧米とは異質の環境下での自動車社会・文化が築かれてきた。1960年代のライトバンには今でも見られる乗用車から派生したもののほかに、現在では見られない小型トラックから派生したものがあった。また、時代を反映しているのは乗用車に先行して発売されたライトバンがあったことだ。

2.ライトバンとは
 ライトバンは法律的には道路運送車両法に定められた以下の要件(主要な内容のみ)を満たす車で、貨物自動車(4ナンバー登録)に分類される。①荷室フロア面積が1㎡(軽自動車は0.6㎡)以上 ②後席使用時、後席の面積より荷室面積の方が大きいこと ③後席使用時、後席乗員重量より荷室に積載できる重量のほうが大きいこと④開口部の縦横の有効長がそれぞれ80cm(軽自動車の縦は60cm)以上あること
 欧米では一般に後席を備えていれば乗用車とみなされるので日本のライトバンは欧米ではステーションワゴンになる。後席がなくてもリアドアに室内側からドアを開けるためのハンドルがあるだけで乗用車扱いされる国もあるくらいだ。ライトバンは単にバンとも呼ばれる。
 セダン派生のライトバンは商用車要件を満たすために、リアシートは簡素化されてセダンより前方に移動され、そして背もたれが立ち気味にセットされることが多かった。スバル1300Gバンの場合は、前席のスライド代も制限されていて、身長168cmの私にも窮屈だった。私は解体屋でセダンのシートレールを入手して交換した。
 ここではライトバンの時代の主要な車種の中から、ダットサンライトバンに代表されるボンネット型トラックベースのライトバンと、乗用車に先行して登場したライトバンを取り上げて紹介し、乗用車派生のライトバンや積載量が1トンを超えるライトバンは割愛する。ここに紹介する写真はすべて当時のカタログからのものである。

3.小型トラック派生のライトバン
 わが国で1トン積みボンネット型トラックの代表的な存在であった日産のダットサントラックが2002年8月をもって67年の歴史を閉じた。1955年のダットサン110型(ブルーバードの前身)以降しばらくは乗用車と連動する形で進化を続け、1997年に8代目の最終型となった。1960年代にはマツダ、ダイハツ、日野(後にトヨタ)からもダットサントラック対抗車種が登場したが、ダットサンの地位は揺るがなかった。
 そのダットサントラックには基本モデルのトラックのほかにダブルキャブ(2列シート)タイプとライトバンがあり、マツダ、ダイハツ、日野もトラックのほかにライトバンを用意した。同クラスにおいてトヨタ(コロナ)といすゞ(ヒルマンミンクス、ベレット)は乗用車の派生モデルで対抗した。トラック派生のライトバンは軽自動車の分野でもみられた。

(1)コニー360ライトバン(1960)
 1947年からヂァイアントという小型三輪トラックの生産を始めた名古屋の愛知機械工業が1960年1月から発売したのがコニー360トラックで、たちまち軽四輪のベストセラーになった。ライトバンは9月から発売。コニー360は、1959年3月に発売してパッとしなかったヂァイアントコニーという軽三輪トラックをべ-スに四輪にしたものだ。空冷水平対向2気筒エンジンをシート下に搭載する。

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【写真:02】コニー360ライトバン(1962)

(2)ダイハツ・ハイゼット・ライトバン(1961)
 ハイゼットはマツダB360と同様に軽商用車として専用設計された車種。トラックはマツダに数ヶ月先行したがライトバンは同時期に発売。ダイハツ初の乗用車フェローはハイゼットに遅れること5年の1966年にスリーボックススタイルで登場。

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【写真:03】ダイハツ・ハイゼット・ライトバン(1961)

(3)マツダB360ライトバン(1961)
 マツダ2番目の乗用車キャロル用のエンジン(360ccの小排気量ながら水冷4気筒!)をフロントに積んで商用車として設計されたのがB360。1961年2月からトラックを発売し、5月にライトバンを追加。1962年3月にデラックスモデルが登場。デラックスモデルの設定は他社も同様で、ライトバンが乗用車の役割も果たしていたことの表れといえる。4人乗り軽乗用車キャロルはR360同様リアエンジン方式を採用して1962年に登場する。

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【写真:04】マツダB360ライトバン(1963) メッキ部品、ホワイトサイドウォールタイヤのほかサイドとリアのカーテンまで装備するデラックス(写真)と簡素な仕様のスタンダードがあった。

(4)ダットサン1200ライトバン(1961)
1955年登場の110型乗用車はタクシー需要を考慮してトラック的なシャシーを採用し、トラックもそれを共用していた。1960年に乗り心地重視設計のブルーバードに生まれ変わったとき、ダットサントラックは積載本位の設計を踏襲し乗用車と完全に分離。そのトラックをべースにしたライトバンは、世代交代をしながら1970年ごろまで生産された。

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【写真:05】ダットサン1200ライトバン(1962) 当時のベストセラー、初代ブルーバードと共通のイメージを持つフロントスタイル。キャッチフレーズ「ブルーバードムードのニュースタイル」

(5)日野ブリスカライトバン(1962)
 日野自動車がルノー(フランス)と提携して得た経験から生まれた乗用車がコンテッサ900で1961年4月に発売。それと同時に小型トラック"ブリスカ"も登場。コンテッサのリアエンジンに対し、ブリスカは積載性を考慮しフロントエンジンを採用。ライトバンは翌年3月に追加。同じエンジンを使った前輪駆動のワンボックスバン"コンマース"がラインアップされたことは驚きだった。

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【写真:06】日野ブリスカライトバン(1963)

(6)マツダB1500バン(1962)
 B1500はトラックの需要が三輪から四輪に移る過程で登場した東洋工業として初のボンネットタイプ小型トラックで、1961年8月に「ハイウェイ時代の商用車」として発売。定員2名。4気筒1500ccエンジンは当時このクラスでは最大の60馬力を発生。バンは1年後に追加。トラック、バンともに前輪サスペンションまわりのトラブルが販売に悪影響した。

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【写真:07】マツダB1500バン(1963) 後席横のガラスはスライド開閉式。バックドアは、ガラスを下げてから下に開く。キャッチフレーズ「シャープに走る用途の広い自家用車です」

(7)ダイハツ・ハイライン・ライトバン(1963)
 小型三輪トラックの分野でマツダと販売を競い合ったダイハツがマツダB1500に対抗して発売したのがハイライン。1962年に斬新なフラットデッキスタイルを採用してデビュー。当時のトラックとしてはかなり乗用車的雰囲気を持った車で、室内はベンチシート3人乗り。1年後に追加された2ドア6人乗りバンは、後席のサイドガラスを昇降式にしたのが特徴で、これは乗用車としての用途に配慮したもの。

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【写真:8】ダイハツ・ハイライン・ライトバン(1963) キャッチフレーズ「新しいファミリーカー」

4.乗用車に先行して登場したライトバン
 このグループの代表はダイハツコンパーノバンとマツダファミリアバンだ。ダイハツはコンパーノの開発に先立ち市場調査を実施し、従来のトラック、乗用車から派生したものでない、新しい感覚の800ccクラスのライトバン型が求められているとの結論を出したという。その理由を社史から引用する。「①お得意先への御用ききに乗用車を乗りつけることに気がねする ②休日には家族、従業員らとレジャーにつかう ③労働力不足の折りから、有能な従業員を雇い入れるためにも、トラックではない乗用車ムードの車を準備する必要がある。」 当時は乗用車を贅沢品と見る風潮があったことがうかがわれる。

(1)スズライト TL(1959)
 初代スズライトは1955年にセダン、ライトバン、ピックアップが同時に発表された。価格はセダン45万円(物品税15%込)・ライトバン38万円(物品税免除)。価格や税制上の恩典から1年半後にはライトバンのみとされた。2代目はライトバンだけでスタートし、乗用車仕様は3年後の1962年に追加された。初代、2代目とも前輪駆動で、その利点を活かして荷室フロアの地面からの高さを低くしているのが特徴。初代スズライトや他社の同種モデルとの大きな違いはボディ後部が荷室容積を稼げる角ばったデザインではなく乗用車に近いデザインであることだ。スズキは同様のコンセプトを持つアルトを1979年に低価格で売りだし"軽ボンバン"ブームを巻き起こした。

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【写真:09】スズライト TL(1959) バックドアは初代同様1枚横開き式。リアエンドが垂直ではないため斜め上に開く。床面地上高は425mmで、マツダの535mm、ダイハツの545mmより100mm以上低い。

(2)三菱360バン(1961)
 戦後初の三菱の本格的乗用車は、国民車構想を受けて開発された三菱500で1960年に発売された。翌年、中小商工業者向けとして、乗用車的感覚にあふれる車をねらったという360バンを発売。乗用車版のミニカはバンの1年後に登場。それには、全長3mながら当時の"乗用車"のスタイルに当然とされていたスリーボックススタイルが採用された。

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【写真:10】三菱360バン(1963) バックドアはスズライトと同じ1枚横開き式。この2車種をのぞく、コニー、ダイハツ、マツダは上下二分割式。三菱360には二人乗りで荷室横をスチールパネルにしたモデルもあった(写真右下)。

(3)ダイハツ・コンパーノ・バン(1963)
 ダイハツが当時の需要予測から導き出して開発した軽自動車と小型乗用車の中間に位置するサイズのイタリアンデザイン(ヴィニャーレ)によるライトバン。当初からセダンやトラックも念頭におかれていたのでフレーム付きシャシーを採用。乗用車ベルリーナは9ケ月遅れて登場。1964年にはオープンカーのスパイダーを、1965年にはトラックを追加。ワゴンモデルもあった。

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【写真:11】ダイハツコンパーノ・バン・デラックス(1963) バン・デラックスのキャッチフレーズ「新しいタイプのレジャーカー」

(4)マツダ・ファミリア・バン(1963)
 マツダも、平日は仕事に、そして休日は家族を乗せて出かけられるクルマの需要を見込んでライトバンを開発。外観の特徴はフラットデッキスタイル。ダイハツコンパーノと同様にライトバンが先行し、セダンは1年遅れて登場。シリーズにトラックやワゴンを追加したのもコンパーノと同じだが、スポーティモデルにはクーペを設定。

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【写真:12】マツダ・ファミリア・バン・デラックス(1963)

(5)ホンダL700(1965)
 ホンダ初の乗用車は二人乗りのスポーツカーS500で、1963年の発売。その2年後にダイハツコンパーノバン、マツダファミリアバンと同様のコンセプトのライトバンL700を発売。ホンダらしく高性能エンジン(DOHC)を搭載。ピックアップのP700も用意されたが、ライバルと大きく違ったのは乗用車版N800がモーターショーに参考出品されただけで発売されなかったことだ。

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【写真:13】ホンダL700(1965) キャッチフレーズ「高速時代のライトバン」

5.近年の動き
 同一車種のラインアップ内にステーションワゴンとライトバンを持つ車種では1990年代に入り二つの大きな動きが見られた。ひとつは、べ-スとなるセダンからの独立で、もうひとつはステーションワゴンとライトバンの分離だ。
 セダンからの独立化を最初にやったのは三菱で、モデルチェンジを機にそれまでミラージュ/ランサーシリーズの1メンバーだったステーションワゴンとライトバンに"リベロ"という専用の車名を与えて別の車種にした(1992年5月)。その後この方法は日産とトヨタにも採用された。ニッサンはサニーベースのステーションワゴンとライトバンを"アベニール"として独立させ、トヨタはコロナべ-スのステーションワゴンとライトバンを"カルディナ"として独立させた。セダンとステーションワゴン/ライトバンを分離したのは、セダンと同じサイクルでのモデルチェンジは台数比が低いステーションワゴン/ライトバンにとってコスト的に不利だからだ。実はこういった動きになる前に、ステーションワゴン/ライトバンのモデルチェンジをセダン系と離すことも車種によっては行われていた。
 ふたつめの動きの具体例はトヨタが2002年に登場させたプロポックスとサクシードだ。これらは従来のカローラ/スプリンター/カルディナのライトバンの後継者で、全く専用のボディを持つことが特記される。すなわち、車名を変えただけの分離ではなく、ライトバンの機能を優先させて開発されたのだ。特記事項はもうひとつあり、プロポックスとサクシードにはステーションワゴンモデルが用意されている。これは市場でステーションワゴンの需要が大きいため、より多くの車種を持って様々なニーズに応えるためだ。また、最近の乗用車派生のステーションワゴンにはスタイルを優先しているものもあり、積載本位のステーションワゴンを求めるユーザーにはライトバンとして設計されたボディのステーションワゴンの方が適しているからであろう。

6.おわりに
 かつてライトバンは、実質的にはステーションワゴンとして使用されながら、法的に商用車扱いされたために本格的なモータリゼーションの進展期にはステーションワゴンはライトバン視されて敬遠された。やがてアウトドアライフ指向が高まりを見せ、さらに様々なライフスタイルが現れ、価値観の多様化が進むとステーションワゴンやSUVが人気を呼び、今ではライトバンべ-スのステーションワゴンでさえ受け入れられる時代になった。そして昨今は従来の分類に属さない"クロスオーバー"と称されるどっちつかずの車種も登場しており、まさに多種多様の形態・性格のクルマが供給されている。やがて淘汰されるものもあると思われるが、機能を重視した合理的な設計のステーションワゴンは標準的な車種のひとつになって欲しいと願う。それには上下二分割のバックドアが付いているといい。

※国産自動車諸元表:運輸省自動車局監修社団法人自動車技術会発行
≪参考文献≫
1.『1920-1970東洋工業五十年史一沿革編-』
2.ダイハツ工業株式会社『六十年史』
3.鈴木自動車工業株式会社『70年史』
4.『三菱自動車工業株式会社史』(1993年)
5.『日野自動車工業40年史』
6.日本自動車工業会『日本自動車産業史』(1988)
7.小関和夫『日本の軽自動車』(2000)
8.八重洲出版『ニッポンのクルマ20世紀』(2000)

《本稿は2003年度トヨタ博物館紀要に掲載した原稿をベースに、使用写真を若干変更したものである》

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執筆者プロフィール

1949年(昭和24年)鹿児島生まれ。1972年鹿児島大学工学部卒業後、トヨタ自動車工業(当時)に入社。海外部で輸出向けトヨタ車の仕様企画、発売準備、販売促進等に従事。1988-1992年ベルギー駐在。欧州の自動車動向・ディーラー調査等に従事。帰国後4年間海外企画部在籍後、1996年にトヨタ博物館に異動。翌年学芸員資格取得。小学5年生(1960年)以来の車ファン。マイカー1号はホンダN360S。モーターサイクリストでもある。1960年代の車種・メカニズム・歴史・模型などの分野が得意。トヨタ博物館で携わった企画展は「フォードT型」「こどもの世界」「モータースポーツの世界」「太田隆司のペーパーアート」「夢をえがいたアメリカ車広告アート」「プラモデルとスロットカー」「世界の名車」「マンガとクルマ」「浅井貞彦写真展」など。

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