三樹書房
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第9回  マンガとクルマ(上)
2013.7.29

1.はじめに
 日本は今や世界に冠たるマンガ・アニメ大国である。マンガ・アニメは子ども向けから年齢・性別を問わず楽しめるものまで多種多様の作品が制作され、日本を代表する文化のひとつになっている。そのマンガやアニメの中で車がどのように扱われているかを、スーパーカーブームを生んだ「サーキットの狼」のような自動車マンガから、車とはあまり縁のない「ちびまるこちゃん」のようなファミリーマンガまで広くとりあげて紹介する。ひとこまだけでも車が描かれた作品を調査の対象としたのだが、その数は容易には把握できないほどあるため、今回調査したのは、車が存在感を持って描かれた、比較的知られている作品を中心とした約120作品である。本稿におけるマンガの分類は便宜的なもので、普遍性のあるものではない。ここでの分類は以下の4つとした。
(1)多くの実在の車が登場する人気マンガ
(2)内容が車中心の自動車マンガ
(3)架空の車が中心に登場するマンガ
(4)登場人物の愛車やあこがれの車が措かれたマンガ
今月は「自動車マンガの始まり」と「(1)多くの実在の車が登場する人気マンガ」についてご紹介する。後者についてはテキスト主体の説明であることをご容赦願いたい。

2.自動車マンガの始まり
 イギリスで1841年に創刊された週刊風刺漫画雑誌「週刊PUNCH」誌をめくると、個人用移動手段としての自動車は1896年7月25日号からマンガ(風刺画)に描かれている。トヨタ博物館では1年分が1冊に合本された「週刊PUNCH」誌(1841~1948年)を蔵書している。参考までに、フォードT型が登場した翌年の1909年に発行された「週刊PUNCH」誌を調べたところ、自動車が描かれたマンガは20点あった。1970年には1900~1970年に発行された「週刊PUNCH」誌から自動車の描かれたマンガを抜粋した「Motoring Through Punch」(ラッセル・ブロックバンク著)が出版された。
 日本ではわが国に初めて登場した自動車が当時のマンガ(風刺画)に描かれて残されている。それは当時在日中のフランス人画家によるものだった。じきに欧米から自動車の輸入が始まり、その広告用にイラストが使われたが、明治時代末期(1910年ごろ)には初めて日本人により自動車がマンガに描かれた。第二次世界大戦が終わると娯楽としてのマンガが多く描かれるようになり、その中には自動車が登場するものもあったが、一般におおざっぱな表現で、特定の車種をモデルにしたものは見られなかった。オートバイやジープ、輸入車が多いのが時代を反映している。日本の自動車マンガの始まりは、1960(昭和35)年の「少年No.1」(関谷ひさし作)といえよう。
 以下に「週刊PUNCH」誌に描かれたマンガの中から5点(1900~1960年代)の内容をテキストで、さらに日本のマンガ4点(明治末期~昭和27年)を紹介する。

2-1 THE PASSING OF THE HORSE(推定1900年代)
 自動車が登場すると、それまで交通の主役だった馬が不要になってきた。しかし、初期の自動車は信頼性が低かった。この作品は、自動車に載せて運ばれていた用済みらしき馬が、自動車が故障したためにそれを得意になって牽くという3コママンガで、タイトル中のPASSINGには"終わり"と"'通行"の意味があり、このマンガではかけことばとして使われていることがわかる。馬の表情が、車上では悲しげだが、自動車を牽くときはまだ馬も捨てたものではないだろうと言いたげな表情になっているのが面白い。

2-2 タイトルなし(勘違いを扱ったマンガ、1920年代)
初めて自動車に乗った老婦人が、手で右折の合図をする運転手に、「ほら、ちょっと、お若いの。手をハンドルから離さないで。雨が降り出したら私が教えるから」と話しかけている。老婦人は、運転手が右手を出したのは雨が降り出したのを確認するためだと勘違いしたのだ。
 現在でも自転車で使用される右折・左折・停止の手による合図は、ヨーロッパでは方向指示器が装備される前からあった。起源は不明だが、自転車が普及した19世紀末ではないかと推測される。

2-3 タイトルなし(最初の自動車ラジオマンガ、1930年代)
「ヘンリー、なぜクルマを離れるときラジオのスイッチを切っておかないの?」
 用事を終えた夫婦がクルマに戻ると、クルマは中から聞こえてくるラジオを聞いている人で取り囲まれている。ラジオが普及していなかった時代の様子がしのばれる。

2-4「うちのとまったく同じナンバーのクルマが走っていくよ」(1950年代)
 クルマでピクニックに来た家族が、クルマを離れてお弁当を広げようとしている。そのとき走り去るクルマを見た子どもが言ったのがタイトルのことばだ。その瞬間は家族のだれもまだ自分たちのクルマが盗まれたことに気づいていない。数秒後のシーンを想像させるマンガだ。

2-5 ブロックパンク作(イギリス、1960年代)
 フランスをドライブしているイギリス人ドライバーのヒヤリ体験を描いた4コママンガ。イギリスは左側通行、フランスは逆であることを知っていればこのマンガの意味がわかる。最初のコマはフランスを走るイギリス人旅行者が運転するクルマ同士のすれ違い。両方ともイギリスを走っているときと同じ左側通行で問題なくすれ違う。2番目のコマではトラックが同じ車線を反対方向から走ってくる。3番目のコマでは、トラックは相手がイギリス人ドライバーであることを悟り、とっさに進路を譲って衝突を避ける。イギリス人ドライバーはまだ自分の非に気づかず、走り去るトラックに怒鳴る。そして4番目のコマでは、とある町の入り口にさしかかり、フランスを走っていることに気づいて慌てて右車線に移る。これは日本人が右側通行の国を運転するときにもありうることだ。

2-6 ビゴーの画集「極東にて」(1898年2月)
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 このマンガにその走行風景がスケッチされたフランス製ガソリン自動車パナール・ルヴァッソールは、日本初渡来の自動車である。いかめしい表情で運転している外国人と驚きの表情で見ている日本人の対比も面白い。
 ジョルジュ・ビゴー(フランス、画家・漫画家、1860-1927)が来日し滞在したのは、ガソリン自動車誕生以前の1883年からのため、ビゴー自身にもガソリン車を目にするのは初めてだったはずだ。ただ、フランスではすでに蒸気自動車が実用化されていたので日本人ほどの驚きはなかったと思われる。日本初渡来の自動車は、フランス人機械技師テブネが、日本で機械関係のビジネスの可能性を探るために持ち込んだものだった。

2-7 北澤楽天
 北澤楽天(1876-1955)は日本で最初の職業漫画家。『時事漫画』や『東京パック』等の新聞や雑誌を中心として、政治風刺漫画や風俗漫画の執筆で明治から昭和にかけて活躍した。楽天の作品は手塚治虫や長谷川町子に影響を与えたという。風俗漫画の中には自動車が描かれたものもある。

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 日本人が初めてマンガに描いたと思われるこの作品は、ホコトン車夫(無学な人力車夫)が、自動車に乗ったら暴走してしまい、最後は警察署に突っ込むというマンガ。『楽天漫画集大成 明治編』(昭和49年 北沢楽天顕彰会発行)より。この自動車は1910(明治43)年前後のものと推定される。

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 『楽天漫画集大成明治編』(昭和49年北沢楽天顕彰会発行)に掲載作品中に車が描かれた楽天のマンガは複数あるが、興味を引くのは、自動車と庶民の関係を、庶民側から(上の作品)と所有者側からそれぞれ描いた4コマ漫画で、大正10(1921)年に発行された『時事新報』13527号の付録に掲載された。これらを見ると、突然世の中に現れた自動車への庶民の感情は、日本も欧米と共通していたことがわかる。『楽天全集第二巻世態人情風俗漫画集』(昭和5年北沢楽天著アトリエ社発行)より。

2-8 巷の秋(二)市内遊覧自動車「探訪画趣」より
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 「探訪画趣」は、「東京朝日新聞」に掲載された岡本一平(1886-1948)の漫画作品の中から選ばれたものがまとめられた本で、大正3年(1914年)に出版された。画家・彫刻家岡本太郎の父である岡本一平は、世相風俗漫画家として知られ、"漫画漫文''と呼ばれる、漫画に軽妙な文章をつけた作品で一世を風靡した。
 「巷の秋(二)市内遊覧自動車」という題の漫画は1913(大正2)年9月10日の「東京朝日新聞」に掲載された。日本の自動車(2輪を含む)保有台数が900台に満たなかった当時に、市内遊覧自動車に乗って市内見物をしたときの様子が描かれている。座席部分だけしか描かれていないため、題を見なければ自動車とわかりにくい。描かれているのは当時乗用車の主流だったツーリング(またはフェートン)と呼ばれた2列シートのオープンカーだ。遊覧自動車にはもってこいの車体形式である。自動車に乗った感想がないのが残念。

2-9 新宝島
 「本文のページをめくって、僕は目のくらむような衝撃を感じた。
 見開きの右ページの上に"冒険の海へ"という小見出しがあって、その下の一コマに、鳥打帽を小粋にかぶった少年がオープンスポーツカーを右から左へ走らせている。
(中略)
 こんな漫画観たことない。二ページ、ただ車が走っているだけ。それなのに何故こんなに興奮させられるのだろう。まるで僕自身、このスポーツカーに乗って、波止場へ向かって疾走しているような生理的快感を憶える。」
(「 」部は『新宝島読本』から出発した少年たち 藤子不二雄Aより引用)
 宝の地図を拾った少年の冒険を描いたマンガで、酒井七馬が原作・構成を、手塚治虫が画を担当した作品。戦後の混乱期だった1947年に発売されたが、当時としては驚異的な40万部が売れたという。ストーリーの画期的な表現手法が藤子不二雄A、藤子・F・不二雄、石ノ森章太郎らに影響を与えたことでも知られる。少年が運転するのは戦前型スタイルのスポーツカーで、特定の車種を参考としたものではなく、描写も簡素。

3.多くの車が登場する人気マンガ
 自動車マンガ(内容が車中心)ではないが、実在の車種がたくさん登場するマンガがある。作品がテーマとしているのは日常生活であったり、事件であったり、生き様であったりするのだが、脇役として多種多様な自動車が登場する。登場人物に応じた車種を選んでいることが多い。
 この分野の筆頭は、登場する車種数や回数の多さで「こちら葛飾区亀有公園前派出所」だ。「名探偵コナン」では車に関連した作品もある。「デザイナー」ではスポーツカーの数車種が象徴的かつ印象的に使われている。海外の作品では「タンタンの冒険旅行」に多くの車が登場する。制作時期の古い「タンタンの冒険旅行」から紹介する。

3-1「タンタンの冒険旅行」
 少年ルポライターのタンタンと相棒の白い犬スノーウィが、さまざまな事件に巻き込まれながら世界を股に活躍する。ベルギーの漫画家エルジェ(本名ジョルジュ・ルミ1907-1983)によって1929(昭和4)年から1976(昭和51)年まで描かれた。これまでに日本を含む50カ国語以上に翻訳されて世界中で親しまれている。
 中国が舞台となり日本人が登場する『青い蓮』(1934-1935)では、満州事変の真相に近いことが描かれており驚かされる。また、アポロ11号で人類が月に足跡をしるすのは1969年のことだが、タンタンはそれより15年以上前に、『目指すは月』(1950-1952)・『月世界探検』(1952-1953)で月へ行っている。
≪登場する車≫
「タンタンの冒険旅行」には、一般の乗用車だけでなく、トラック、パトカー、救急車、消防自動車、レーシングカー、軍用車両などさまざまな自動車が登場する。その年式は1910年代から1960年代半ばにかけてとスパンが長い。乗用車は、小は二人乗りのバブルカーから大はテールフィンを生やしたアメリカ製セダンまで登場する。第3版で時代設定が現代化された『黒い島の秘密』(1930一1960年代)以外は、初版年に応じた年式の車種が登場する。世界各地が舞台となるので、それに合わせて登場する車も変わるのが楽しい。『ビーカー教授事件』では架空の国が舞台で架空の車種を登場させている。前述の『青い蓮』(1934-1935)では日本軍の装甲車が登場する。「燃える水の国」(初版1930年)には、アラブの首長が息子の6歳の誕生日に電動のブガッティタイプ52(1927-1930)を買い与えたところがあり、ブガッティタイプ52の購入者例として興味を引いた。
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ブガッティタイプ35とそのキッズ版のタイプ52(トヨタ博物館本館2階)

 少年ルポライタータンタンの年齢は、作者によれば14歳から17歳にかけてという設定だそうだ。したがってタンタンが運転するシーンはほとんどなく、いつも誰かが運転するクルマに乗せてもらっている。なお、マンガのシーンをミニチュアカーで再現したものが約70種類発売されている。
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トヨタ博物館本館1階に展示しているタンタンのミニチュアカー34点の一部。物語のシーンを実にうまく表現している。

3-2 デザイナー
 ー条ゆかりの少女マンガ作品で、集英社の『りぼん』に1974年2月号から12月号まで掲載された。それを原作としたMBS制作のテレビドラマが2005年10月3日から11月25日までTBS系列で放送された。作者によると、"当時小学生の読者が中心だった『りぼん』に大人の漫画を描きたくて描いた作品。タイトルの『デザイナー』は服のデザインというだけでなく、〝人が人をデザインする話〟という意味のデザイナーだった。(「ドラマ30『デザイナー』公式サイト」より)"
 孤児として育った亜美はトップモデルとして成功し、自分の母親がトップデザイナーであることを知る。亜美は、わが子を捨て仕事に生きる母親に激しいライバル心を燃やす。複雑な人間関係が絡み物語は意外な展開をしていく。
《登場する車≫
 作者が意図した"大人の漫画"はストーリーそのものだけで十分果たされているが、実在する車種を写実的に描くことでさらにその効果を高めている。登場人物の乗る車として10車種ほど、そしてコマの背景として20車種以上が登場する。クルマはタイトルバックやコマの背景に印象的に描かれている。それは一条ゆかりの友人弓月光が作画協力したといわれている。協力は作画だけでなく、登場人物にふさわしい車種を選ぶことも含まれていたようだ。トップファッションモデルのトヨタ2000GT、カメラマンのシトロエン2CV、青年実業家のエクスキャリバーやMGTCなど、登場人物の社会的地位や趣味をよく反映している。車選びについては海外の映画作品に通じるところがある。

3-3「こちら葛飾区亀有公園前派出所」
 亀有公園前派出所(架空の存在)に勤務する両津勘吉(りょうつかんきち)巡査長(通称両さん、以下両津)と、その同僚や周辺の人物が繰り広げる秋本治作のギャグマンガ。『週刊少年ジャンプ』(集英社)の1976年29号に読み切りとして掲載され、42号から連載が開始された。2011年に連載35周年を迎え、2013年には連載通算1800回を迎えた。36年以上にわたる長期連載だが、一度も休載していないことでも知られ、「少年誌の最長連載記録」のギネス記録の更新を続けている。単行本の発行部数は累計1億5,650万部にものぼる。子どもから大人まで幅広くフアンがいる。
≪登場する車≫
 車がストーリーの中心になった作品は数点しかないものの、車が登場しない作品は少ないほどよく登場する。登場車種数の多さでは断トツと思われる。誌面に描かれるのは実在する車種がほとんどだが、ゴム動力車や野菜のナスに車輪のついたクルマ、車体を伸ばしたランボルギーニカウンタックなどギャグ的な車も出てくる。実在する車種は、古いものから最新のものまで、軽三輪トラックからスーパーカーまで、さらに数台しか発売されなかった超希少車や1台きりのショーカー、はてはF1(公道で)まで登場する。大衆には無縁のスーパーカーがぞんざいに扱われて無残な姿になることも多く、痛快さもスーパー級である。
 登場車種の多さは中川巡査(以下中川)の所有車の多さが一番の理由である。クルマ好きの大人が気に入ったものは何でも手に入る境遇にいたらどうするか。その答えを見せてくれるのが中川だ。広大なガレージには国やブランド、車種、仕様を問わず膨大な数のクルマが納まっている。中川の好みはスポーツカーで、頻繁に登場するのはランボルギーニとフェラーリだ。しかし、スバル360のような古い国産軽自動車も持っており、庶民にも親しみを感じさせる。コレクションは市販車だけではない。中川はショーカーまで所有して普通に乗り回すのだ。読者はマニア度に応じた夢の車趣味を疑似体験できる。
 両津がオート三輪や軽自動車に、大原部長が1950~60年代の国産車に愛着を持っていることが、中川や秋本麗子巡査(以下麗子)のスーパーカー嗜好と対照をなしながらバランスをとっている。同時に大富豪の中川や麗子が両津の後輩として巡査をしていることも、この作品に親近感を持たせる一因となっている。
 乗る人数に応じて車を使い分けるのは当然としても、車体を伸ばして6輪の8枚ドア8人乗りにしたランボルギーニカウンタックや、横1列6人乗りのフェラーリF40などはギャグマンガならではである。いずれも代表的なスーパーカーだが、実在の車種の改造であるため、そんな車があったら、とつい想像させられてしまい、すべてが想像で描かれた車とは笑いも違ってくる。以下に印象的なシーンを抜粋して紹介する。
(1)1巻177頁 わたしは殺人犯...の巻
 中川はランボルギーニやフェラーリなどのスーパーカーでの登場が多いが、戦前のクラシックカー、1950年代末期のアメリカ車、1950~60年代の欧州製スポーツカー、ショーカー、レーシングカーそして国産軽自動車で登場することもあり、彼の自動車コレクションの全貌はつかめない。
 ショーカーで最初に登場したのがフェラーリ512Sピニンファリナだ。12気筒5リッターエンジン搭載のレーシングカーのシャシーにピニンファリナがデザインしたボディを載せる。キャノピーは前部を支点にして開く。作者は車に関する知識が広いだけでなく探くもあり、このようにユニークなドアの聞き方をマンガの中で紹介していて、たいていの読者には参考になってありがたい。
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フェラーリ512Sピニンファリナ(「カロッツェリアイタリアーナ'77」1977年7月19日 晴海国際見本市会場)

(2)7巻163ページ クリスマス戦争の巻
 「こち亀」に登場する車は実に多彩で、一切の制約がない。これはマンガならではのことで、理屈抜きに面白い。このタイトルバックのシーンは、歩道橋に、「国道6号線水戸街道」とあり、実在の場所のようだ。しかし、よく見ると、左向き車線の後方に月面車とF1カーのティレル、さらに右向き車線には運搬車を引く耕耘機が中央寄りの車線を走っている。同様のカットが、24巻「白バイ魂!の巻」にもあり、それにはゴム動力車、糸巻き車そして車輪のついたナス(野菜)まで走っている。
(3)9巻 84&85頁 アイドルポリスの巻
 中川は初期にはランボルギーニカウンタックでの登場が多かった。これは、「こち亀」がスタートした1976年はスーパーカーブームの真っただ中で、カウンタックはその代表的な存在だったことも影響していると思われる。描かれているカウンタックは当時のモデルLP400だったが、時代とともに新しいモデルに替えていった。F1のライセンスも持つという中川がカウンタックで町内一周のタイムアタックに挑戦している。時速300キロに達して興奮している中川と、そんな車の助手席でのんびり週刊誌を読んでいる両津の対比が面白い。
(4)10巻162貢 いとしのマイカー!の巻
 大原部長(両津の上司)が念願のマイカーを購入した。その車は現在ではその名前を聞いても知っている人が少ない日野ルノーだ。大原部長の場合、社会人になってあこがれた最初の車が4ドアセダンの日野ルノーだった。最新のファミリーカーではなく、かつてあこがれた車をわざわざ探して購入する気持ちに共感する人も少なくないのではなかろうか。しかし、大原部長の愛車となった日野ルノーは後日無惨なことになる。日野ルノーの実車はトヨタ博物館本館3階に常設展示されている。
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日野ルノー4CV(1961 カタログ)

(5)50巻 44&45頁 両さんのプレゼントの巻
 プラモデルづくりを趣味とする人の気持ちと、それがわからない人のやりとりが面白い。イタリア製の高級キットはポケール社製のものと推察されるが、かつてブガッティアトランティックはモデル化されていなかったので作者の希望がマンガに描かれたものと思われる。インターネットで調べたところ、現在イギリスでアマルガムという会社がブガッティアトランティツクの8分の1モデルカーを製作しており、その価格は4442ポンド、円に換算すると約666,300円(1ポンド=150円)! 両津が知ったら商売を始めるに違いない。
(6)70巻188&189頁 激走!模名古村三輪レース!!の巻
 作中では模名古に"もなご'とふりがながある。これはF1モナコGP、WRC(世界ラリー選手権)のモンテカルロラリーで有名なモナコ公国にあやかった名前だ。レース名は「チキチキマシン3輪バタバタレース」。チキチキは『チキチキマシン猛レース』からと思われるが、バタバタはその排気音から名付けられたかつてのオート三輪(3輪トラック)の別称だ。
 両津は、軽三輪車のマツダK360に600ccエンジンを搭載したT600を探し求めてそれでチャレンジする。この作品はマツダT600の存在を知っていたから生まれたのではなかろうか。ほかにも、当時"最大排気量"のダイハツCD110とか、三輪車で"初めて丸ハンドルを採用"したジャイアントとかも紹介されており、作者の知識が深いことがわかる。189頁下右のコマにはフジキャビンの姿が見える。フジキャビンはトヨタ博物館本館3階に実車を展示している。
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マツダT600(1961 カタログ) 軽三輪トラックのK360より荷台が32cm長く、積載量は200kg多い500kg。エンジンはK360の11馬力のほぼ2倍の20馬力。タイヤはホイール径が1インチ大きい13インチだが、サイズ以上に大きく見えて迫力がある。リアフェンダーのフレアーが後部へ長く吹き流されているのもT600の特徴。

(7)76巻 46&47頁 古きを訪ね新しきを売る!?の巻
 中川・両津が乗っているのはレーシングカーのフェラーリP4スパイダー(1967)と思われる。P4にはそっくりのレプリカが存在するが、ここではマンガだから中川のP4は本物であろう。フェラーリP4は、1966年のルマン24時間レースでフォードGTMkⅡに連勝を阻まれたことから開発されたモデルだ。フォードが大排気量エンジンで勝利をもぎ取ったのに対し、フェラーリは限られた排気量から高性能を引き出す技術でがんばったが、勝つことはできなかった。当時のフェラーリのレーシングカーはボディデザインを老舗のカロッツェリア(車体製作架装会社)であるピニンファリナが担当しており、時代を超えた美しさを持つ。155巻『スーパーバイオリニスト両津!!の巻』で、中川が「また新車買っちゃったあ」と言っている車は、エンツォをベースにアメリカのフェラーリオーナーの注文でP4の現代版としてつくられたP4/5ピニンファリナという一品制作モデル。
(8)105巻 85頁 マル秘麗子フィギュア発売中!?の巻
 秋本家は関西随一の富豪という設定で、麗子の自動車コレクションは100台を超える。彼女はポルシェが好きで、運転の腕は中川に勝るとも劣らない。中川はパトロールにも自家用車を用いるが、麗子は同僚とミニパト(小型警ら車、ミニパトロールカーの略)に乗ることが多い。「こち亀」で活躍するミニパトは軽自動車が主で、なかでもマツダキャロル(2代目)とスズキKeiがよく登場する。麗子が亀有公園前派出所に赴任するとき乗ってきたのはホンダライフ(初代)のミニパトだった。タイトルバックに措かれているマツダ製オートザムAZ-1は実際にミニパトとして使用されたことはないと思われる。
(9)131巻 46&47頁 夢の未来カーの巻
 次世代のエネルギーによる車として、世界を股にかけて動きまわる絵崎教授が作ったのは、なんと自動車第1号のキュニヨーの砲車(蒸気車、1769年)にそっくりだ。その次のページにはダビンチのアイデアによる自走車にそっくりの車も登場する。さらにはゴム動力車として24巻に登場した糸巻き車まで出てくる。
 絵崎教授の専門分野は機械で、85巻では『絵崎教授の乱心の巻』で日米共同開発の安全カーを、86巻では『絵崎教授の洗車哲学!の巻』でユニークな洗車機を披露している。しかし、結果はいつも大騒動で終わる。機械を専門分野とするものの、英国車通を自称して購入したジャガーマークⅡについては何も語れず、まともに運転もできないが、それでも冷静な表情でうろたえないのがキャラクターだ。キュニョーの砲車とダビンチの自走車はトヨタ博物館本館2階に模型を常設展示している。
(10)144巻 66&68頁 心もオープン!の巻
 ダイハツから発売された軽自動車のスポーツカーであるコペンは何がすごいかを、軽自動車にも詳しい両津が熱く語る。中川はスバル360をコレクションに持つほどだからすぐに理解するが、ポルシェやマセラティ、マクラーレンF1などを乗りまわす麗子は、仕事で軽のミニパトに乗っていても"軽"についての知識はないようだ。参考までに、ダイハツはコペンのほかにこれまで軽の可能性を拡げる車種をいくつも出している。バギータイプのフェローバギィ(1970年)、ピラーレスのフェローマックスハードトップ(1971年)、3ボックススタイル4ドアピラードハードトップのオプティ(2代目、1998年)、ハイブリッド商用車のハイゼットカーゴ(2005年)、助手序側センターピラーレスのタント(2代目、2007年)などだ。

3-4 名探偵コナン
 「名探偵コナン」は小学館の『週刊少年サンデー』に1994年から連載されている青山剛昌の推理マンガ。1996年から放映されているアニメは、マンガを原作としたものだけでなくオリジナルの作品もある。
 高校2年生の探偵が謎の組織によって体を小さくされ、小学1年生の姿で、数々の難解な事件を解決していく。江戸川コナン、毛利小五郎など登場人物の名前には、内外の著名推理作家(江戸川乱歩、コナン・ドイル)や作品中の人物(明智小五郎)の名前に由来するものが多い。
 主人公のコナンこと工藤新一は、巧妙に仕組まれたトリックを見破る能力にすぐれているだけでなく、博識でもあり、車については周囲を驚かせる知識を披露する場面がある。
《登場する車≫
 ストーリーの中で車が主要な役割を果たす作品は少なく、数えるほどしかない。その中のひとつ、「スーパーカーの罠」はアニメしかない作品だが、戦後の有名な内外のクルマが5台出てくる。ジャガーXK120(1948-1954、イギリス)、メルセデスベンツ300SL(1955-1957、ドイツ)、トヨタ200OGT(1967-1970)、キャデラックエルドラド(1953、アメリカ)、そしてデイーノ206GT(1968-1969、イタリア)。
 これらは、とある山のホテルで、そこのオーナーが館内につくったヒストリツクカーコレクションの展示ホールに並べられていたものだった。それを見つけたコナンは目を輝かせ、博識ぶりを発揮する。キャデラックについては年式まで知っているかと思えば、デイーノ206GTについてはうんちくまで語る。以下にコナンのセリフを紹介する。
 コナン「これ、ジャガーXK120だよ。長く伸びたノーズとこのきれいにカーブしたフェンダーが特徴で、猛獣のジャガーみたいでしょ。今でも多くのジャガーコレクターのあこがれなんだ。それから、これはメルセデスベンツ300SLガルウィング。ガルウィングって、かもめの翼のことなんだ。ドアを開けた姿が、かもめが翼を広げたように見えるでしょ。キャデラック・エルドラド。53年のコンバーティブルだよ。最高にパワフルで究極のアメリカンモデルと言われたクルマなんだ。500台ちょっとの限定生産であっという間にショールームから消えちゃったんだ。今じゃコレクターの間でエルドラド伝説が伝わっているほどなんだって。」
 ボーイ「そのスペースには社長ご自慢のフェラーリ・ディーノを飾ることになっています。」
 コナン「え? フェラーリ・ディーノって、まさか206GTってことはないよね?」
 ボーイ「そのまさか、でございます。」
 コナン「すげー! 152台しか生産されなくて、今手に入れようと思っても不可能に近いんだ。ディーノっていうのはフェラーリの創始者、エンツォ・フェラーリの一人息子、アルフレディーノの愛称でね、彼は24歳で亡くなったんだけど、生前、開発に携わったエンジンがこのクルマに搭載されているんだ。それでエンツォ・フェラーリは愛する息子の名前をブランド名として残したんだよ。」
 厳密には、デイーノはフェラーリ・デイーノではなく、フェラーリを冠さず単にデイーノとされた。またエンツォ・フェラーリの息子の愛称は単にディーノで、名前がアルフレードだった。
 なお、発明家で少年探偵団の引率役として登場する阿笠博士の愛車フォルクスワーゲン(ビートル)は作品のテーマを問わずよく出てくる。阿笠は、"ミステリーの女王"と呼ばれた推理作家アガサ・クリスティーに由来する。

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以下の3項目については次回紹介します。
(2)内容が車中心の自動車マンガ
(3)架空の車が中心に登場するマンガ 
(4)登場人物の愛車やあこがれの車が描かれたマンガ

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執筆者プロフィール

1949年(昭和24年)鹿児島生まれ。1972年鹿児島大学工学部卒業後、トヨタ自動車工業(当時)に入社。海外部で輸出向けトヨタ車の仕様企画、発売準備、販売促進等に従事。1988-1992年ベルギー駐在。欧州の自動車動向・ディーラー調査等に従事。帰国後4年間海外企画部在籍後、1996年にトヨタ博物館に異動。翌年学芸員資格取得。小学5年生(1960年)以来の車ファン。マイカー1号はホンダN360S。モーターサイクリストでもある。1960年代の車種・メカニズム・歴史・模型などの分野が得意。トヨタ博物館で携わった企画展は「フォードT型」「こどもの世界」「モータースポーツの世界」「太田隆司のペーパーアート」「夢をえがいたアメリカ車広告アート」「プラモデルとスロットカー」「世界の名車」「マンガとクルマ」「浅井貞彦写真展」など。

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