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第6回 少年が目を奪われたカーデザインの節目"フラットデッキ"化
2013.4.27

 車のデザインに興味を持っている人は少なくないと思います。私もその一人で、私が車の世界に惹きこまれたのは、車種ごとに違い、モデルチェンジで一新されるデザインでした。車をウォッチするようになった1960(昭和35)年から10年間ほどは、国産車が大きく変貌していたときで、目を奪われていました。変貌の内容はフラットデッキスタイルの採用による乗用車の基本形の近代化で、私はその後今日までそれに匹敵する外観の変化を見たことはありません。それほど当時は衝撃的で印象的な変化でした。そこで、今回はカーデザインの節目となったフラットデッキ化について紹介したいと思います。

1.はじめに
トヨタ博物館の常設展示車の1台にマツダファミリアセダン(1966年、初代)があり、音声ガイドで、それは「フラットデッキ」タイプといわれるスタイルが特徴のひとつだったと紹介している。フラットデッキとは何か。なぜそれが特徴だったのか、そして日本ではどのように採用されていったのかを紹介する。なお、フラットデッキはフラットボンネットともいわれた。

2.戦後の自動車デザインの流れ
 第二次大戦後の自動車デザインの流れを見るといくつかの大きな変化や流行があった。最初の大きな変化はフラッシュサイド(スラブサイド)化で、2番目の大きな変化がフラットデッキ化、3番目がエアロダイナミック化だと言えよう。ここでの"大きな変化"とは、その変化により、以前のデザインを完全に時代遅れに見えさせる効果があったものを意味する。流行にはテールフィンやコークボトルライン、スラントノーズなどがあった。エアロダイナミック化で登場したウェッジシェイプは現在も続いている。

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【写真】フラッシュサイドスタイルの決定版ともいえる1949年型フォード(下)とその前年型フォード(上) フェンダーがボディと一体化し、ボディスタイルが単純なすっきりした形になった。

 実はフラッシュサイド化と次の大きな変化であるフラットデッキ化の間に、小さい割には見栄えにかなり影響する、見逃せない変化があった。それはボンネットの高さが低くなったことだ。戦後しばらくは、車を真横から見たとき、フェンダーの稜線より高かったボンネットは次第に低くなり、フェンダーと同じ高さになった。国産車では1955年に登場したトヨペットクラウンまでが高いボンネットのデザインだった。

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【写真】1958年型フォード 車幅が広がり、車高が低くなりボンネットの高さは低くなった。


 ボンネットがフェンダーより高いか、低いかで外観の印象は著しく異なり、前者は時代を感じさせるのに対し、後者は現在でも通用する。それは1950年代初期からスポーツカーに採用され始めて、やがてボンネットがフロントグリル上辺までなだらかに低くなるデザインが定着し、それはセダンのフラットデッキ化の影響はほとんど受けなかった。スバルが1995年に軽乗用車ヴィヴィオにノスタルジックな外観のビストロを追加し、レトロブームを起こしたが、そのときに用いられたのがこのデザインだった。

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【写真】フェラーリ195インター(1951)

 スポーツカーはクルマの運動性能を優先させて設計されることから適正な前後重量配分と低い重心高が重要となる。そのためエンジンはセダンより後ろ寄りに置かれ(FR車の場合)、車高はできるだけ低くされる。フェンダー部はタイヤとの関係で下げられないが、ボンネット部は下げられる。ボンネットが低く、フロントエンドが上下に薄いと空気抵抗が少なそうで視覚的にも速そうに見える。こういった理由からボンネットがフェンダーより低いデザインはFRスポーツカーの標準的な形になった。1981年に登場したデロリアンは、リアエンジンにもかかわらず高いフロントエンドのフラットデッキデザインを採用したため視覚的には空気抵抗が大きそうで速そうには見えなかった。


3.フラットデッキとは
 次の写真はトヨペットクラウンの初代と2代目だが、フロントボディ上面の違いを見ると、初代は左右フェンダーの峰や中央の一段と盛り上がったボンネットなど起伏があるのに対し、2代目は全体にフラットだ。このようなデザインがフラットデッキだ。

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【写真】トヨペットクラウン初代(1955、上)とフラットデッキスタイルを採用した2代目(1962、下)

『新しい自動車のメカニズム』(誠文堂新光社、1967年刊)には、「アメリカでは車の前後(主に後)に突出た部分をデックということがある。船の甲板のデッキと同じ言葉である」とあるが、筆者が最近の資料で調べた範囲では、車のフロントボディ上面を英語でそのように表現している例は見あたらなかった。フォードマスタングが登場したとき(1964)、そのプロポーションが"ロングノーズショートデッキ"と表現されたように、後部トランクの上面はデッキと呼ばれることがわかる。これはそこに荷物を載せることもあるからだと推測される。ここでは便宜的にボンネット/トランクにかかわらずデッキと呼ぶことにする。フラットデッキ化はアメリカが一足早かったが、そのデザインの統一された-般的な呼び方はなかったようだ。
 フラットデッキ化で外観が一変して見えたのは、フラットデッキ化と同時に、それまでフロントグリルより一段と高いところにあったヘッドランプがフロントグリル内に取り込まれたことも大きく影響している。
 フラッシュサイド化がそうであったようにフラットデッキ化も必然だったと言えよう。アメリカでは1950年代後半以降、車高は低く、車幅は広くされていった。一方、購買意欲を刺激するためにデザインの進化が競われた。フラットデッキはそれにともなって生まれたデザインだった。

4.欧米・日本でのフラットデッキ化の時期
 アメリカでは1958年に1959年モデルとして登場したシボレーインパラとポンティアックの2車種が火付け役となり、その後2年間でほとんどの車種がフラットデッキスタイルになった。これは同時にテールフィンをひそめさせる効果もあった。

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【写真】 シボレーインパラ(1959年型)

 ヨーロッパではアメリカに3年ほど遅れて、BMW1500(ドイツ)、ボクスホールビクター、同VX4/90(イギリス)、NSUプリンツ(ドイツ)などがフラットデッキスタイルで登場し、それは徐々に広がっていった。主要メーカーの中でフラットデッキスタイルを採用するのが最も遅かったのはダイムラーベンツ社だった(Sクラスで1971年)。
 日本では事象だけ見れば意外に早く、1960年に三菱500が採用している。これは後で説明するが、必ずしも新しいデザインとしてフラットデッキを採用したものではなかったようだ。新デザインの採用という意味でのトップランナーはくろがねノーバ(1960)、トヨペットスタウト(1960)、いすゞエルフイン(1961)、三菱360ライトバン(1961)、ダイハツハイライン(1962)などで、いずれも商用車だった。しかしその印象を決定付けたのは、1962年秋に登場したトヨペットクラウン(2代目)、プリンスグロリア(2代目)、同スカイライン(初代のマイナーチェンジ)だった。国産車のフラットデッキ化について以下に時系列で紹介する。対象は乗用車(セダン)とし、時期的に早かった前述の商用車も一部入れる。

5.日本でのフラットデッキ化
①1960年4月 三菱500(新登場)
 三菱500誕生のきっかけは1955年に発表された国民車構想だった。その要件中"車両価格25万円以下"は非現実的だったが、コストを下げる最大限の努力がなされ、その結果採用されたのが非常にシンプルなデザインだった。当時一般的だった乗用車のデザインをそのまま小型化することは開発面でも、製造面でもコスト的に不利だったことは容易に想像できる。三菱500のデザインが新規さを意図したものでなかったことは、2年後にコルト600に代わったときにわかった。コルト600は当時の主流だった従来型のデザインを採用したのだ。よく観察するとヘッドランプの位置を高くしていることがわかる。

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【写真】 三菱500(1961)と三菱コルト600(1962)

②1961年4月 三菱360ライトバン(新登場)
 これは完全なフラットデッキスタイルだ。軽自動車の枠(全幅1300mm以下)の中ではむしろフラットデッキの方が合理的だったために採用されたものと思われる。翌年10月、乗用車版のミニカが3ボックススタイルで登場した。

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【写真】三菱360(1961)

③1960-1962年小型トラック
 当時、自動車需要はタクシーや商用車(ライトバンや小型トラック)が大きなウェイトを占めていた。ライトバンは主に、普段は仕事に、休日にはプライベ-トにという使われ方をした。従ってその頃は小型トラックをべ-スにしたライトバンを用意することが一般的で、ここで紹介する中のダイハツハイラインもトラックの発売から1年後にはライトバンを追加した。その広告を見てもわかるのだが純粋の商用車としてではなく、プライべ-ト使用、すなわち乗用車を意識して外観をデザインしている。ダイハツが、アメリカで瞬く間に乗用車のデザインとして一般化したフラットデッキをハイラインに採用したことは自然なことだった。しかもハイラインはフラットデッキをさらに強調する効果のあるシボレーコルベアタイプのキャラクターラインを採用した。

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【写真】 ダイハツハイライン(1962)

 コルベアはシボレーが1960年型として新規開発したコンパクトカーで、リアエンジン駆動方式とボディを一周するキャラクターラインを持ったデザインを2大特徴とした。そのデザインは後で出てくるプリンスグロリアやマツダファミリアも採用した。
 "フラットデッキ"デザインを大々的にアピールしたのはダイハツハイラインが最初のようだが、前に触れたようにハイライン以前にもフラットデッキデザインで登場した小型トラックがあった。くろがねノーバー(1960)、トヨペットスタウト(1960)、いすゞエルフィン(1961)、日野ブリスカ(1961)、コニーグッピー(1961)などだ。

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【写真】くろがねノーバー(左) いすゞエルフィン(右)

④1962年10月 トヨペットクラウン(モデルチェンジ)
 1955年1月に発売された初代クラウンは当時のアメリカ車を参考にデザインされた。途中2度のマイナーチェンジを受けたが、フェンダーよりボンネットが高い典型的な1950年代半ばのデザインのままだった。そして1962年10月に2代目となったクラウンは外観を一新し、フラットデッキスタイルとなった。(写真は3項で紹介)

⑤1962年10月 プリンスグロリア(モデルチェンジ)、同スカイライン(マイナーチェンジ)
 プリンススカイラインは1957年に、クラウンよりその分新しいアメリカンスタイルで登場し、1960年にはマイナーチェンジで国産乗用車初の4灯式ヘッドランプやテールフィンを採用し豪華さを増した。1959年には同じボディに1900ccエンジンを積んだグロリアを登場させた。それには専用デザインのサイドモールが採用されたが、スカイラインとの差はさほど出せなかった。そして1962年10月、グロリアが先行してモデルチェンジを受けて独立した車種となった。このときフラットデッキスタイルが採用された。そのため2代目は"フラットデッキのグロリア"とも呼ばれている。

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【写真】プリンスグロリア初代(上)と2代目(下)

 一方、スカイラインの方は従来のボディをマイナーチェンジし、フロント部だけをフラットデッキ化した。そして1963年のモデルチェンジで、ボディサイズが小型化されて、グロリアとの関係が明確になった。
車のデザインは全体でまとまりのあるものにするのが普通であり、フラットデッキの採用に際しては前だけでなくバランス上後ろも同様に行われたが、移行期には前だけ先行する例があった。スカイラインのマイナーチェンジはそのケースで、後部はテールフィンのままだった。

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【写真】 プリンススカイライン1957(上)、1962(下)

⑥1963年6月 三菱コルト1000(新登場)
 国民車構想がきっかけで登場した500はコルト600(マイナーチェンジ)、コルト800(モデルチェンジ)へと発展した。その上のクラスに投入されたのがボクシーな4ドアセダンの1000で、後に1500が追加された。そのフロントデザインは、フロントグリルの中にヘッドランプを配するという点はフラットデッキ化とともに流行し始めていたことで新鮮だったが、グリル上辺はヘッドランプの内側が低くされていて完全なフラットデッキではなかった。そして約5年後に受けた2回目のマイナーチェンジで完全なフラットデッキになった。リアデッキは初めからフラットだったため、フロントデッキのフラット化で全体のまとまりが不自然になることはなかったものの、個性は薄れた。

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【写真】 三菱コルト1000の1963年型(上)と1968年型(下)

⑦1963年9月 ダットサンブルーバード(モデルチェンジ)
 ダットサンブルーバードは1959年8月に登場し、小型車市場で好評を博しベストセラーとなった。それに対抗するトヨペットコロナはライバルとはなりえず、ブルーバードは独走を続けた。ところが、1963年9月にブルーバードがモデルチェンジして2代目になると様相は一変した。それは、イタリアンカロッツェリアの巨匠ピニンファリナがデザインした、フラットデッキに4灯式ヘッドランプという最新のデザインになったものの、後ろ下がりの印象が強いボディデザインは市場にあまり受け入れられず販売に悪影響した。そして、翌年モデルチェンジしたライバルのトヨペットコロナにあっさりと抜かれてしまった。

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【写真】 ダットサンブルーバード1961(上)、1963(下)

⑧1963年10月 マツダファミリアバン(新登場)
 日本では一般のサラリーマンが乗用車を買えるようになる前、中小企業経営者や商店主などに小型商用車(トラックとライトバン)が売れていた。ライトバンは形態的にはステーションワゴンと同じだが荷物積載能力を優先して設計されたもので、休日には乗用車としての役割も果たしていた。ダイハツとマツダは乗用車に先行してライトバンを発売した。先に出たダイハツコンパーノは従来型のデザインだったが、マツダはフラットデッキスタイルを採用した。それは同時に、ダイハツハイラインやプリンスグロリアと同様にシボレーコルベアタイプのキャラクターラインで強調されていた。
 少し不思議なのは、ダイハツは小型トラックのハイラインではフラットデッキを採用しながら、その後に出したコンパーノにそれを採用しなかったことだ。その理由として考えられるのは、コンパーノのデザインがイタリアのデザイナー、ヴィニヤーレに委託されたことで、当時イタリア車ではまだフラットデッキはほとんど見られなかった。

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⑨1963年11月 いすゞベレット(新登場)
 いすゞがヒルマンミンクス(イギリス)の国産化を経て独自開発した乗用車はベレルで1962年4月に登場した。そのデザインは従来型に属するもので、ヒルマンミンクスよりは新しかったが、それも同年10月にトヨペットクラウンやプリンスグロリアがフラットデッキスタイルによるモデルチェンジで登場するまでだった。しかし1963年11月に発売した、ブルーバード・コロナクラスのベレットは同クラスでダットサンルーバードに次いでフラットデッキスタイルを採用したこと、そしてクラス初の後輪独立懸架を採用したことで新鮮さを際立てた。

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⑩1964年7月 三菱デボネア(新登場)
 三菱の最高級車デボネアは、元GMのデザイナーだったブレツナーがデザインを担当し、当時の典型的なアメリカンスタイルで登場した。そしてこの基本デザインのままで1986年まで生産された。

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⑪1964年9月 トヨペットコロナ(モデルチェンジ)
 コロナの3代目へのモデルチェンジは、ライバルのブルーバードにちょうど1年遅れて行われ、ブルーバードと同様に4灯式ヘッドランプとフラットデッキが採用された。前述したように、ブルーバードはイタリアのデザイナーによる後ろ下がりの印象が強いデザインだったことからあまり受け入れられなかったが、コロナの方はアローラインと呼ぶ直線を基調としたデザインが好評で、販売ではライバルのブルーバードを抜きトップセラーとなった。

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【写真】トヨペットコロナ2代目(1960、上)と3代目(1964、下)

⑫1964年9月 日野コンテッサ1300(モデルチェンジ)
 日野はルノー4CV(フランス)の国産化を果たした後、同じリアエンジンリアドライブ方式を持った新型車コンテッサ900を独自に開発し1961年4月に発売した。そのデザインは当然1947年に生まれたルノー4CVよりはるかに新しく当時主流のものだった。その特徴は、リアエンジンであることから、グリルが前ではなく後ろにあったことだ。約3年半後、コンテッサ900はモデルチェンジで大型化されてコンテッサ1300になった。そのデザインはイタリアのカーデザイナー、ミケロッティに委託され、コンテッサ1300はフラットデッキスタイルにミケロッティ流のキャラクターラインや処理を持つ外観となった。コンテッサ1300も900同様リアエンジン方式だったためグリルは後部だった。
 なお、1965年から67年にかけてイタリアやベルギーで開かれた国際自動車エレガンスコンクールで名誉大賞を受賞したコンテッサ1300クーペの優雅なスタイリングは、トリネーゼ(トリノ風)スタイルと称された(トリノはカーデザインのメッカ)。

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【写真】日野コンテッサ900(上)と1300(下)

⑬1965年9月 ホンダL700
 ホンダが1965年に発売したL700というライトバンはホンダ初のフラットデッキスタイルだった。その秋のモーターショーにはセダン版のN800を発表したが発売には至らなかった。

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⑭1965年10月 スズライトフロンテ(マイナーチェンジ)
 スズライトフロンテは行きつ戻りつした例だ。初代は国民車構想が発表された1955年にFF(前輪駆動)で登場した。1959年にモデルチェンジして2代目になったときはバン(商用車)が先行し、乗用車版は1962年に登場した。そのマイナーチェンジでフロントボディがフラットデッキ化された。写真で見てわかるように、マイナーチェンジでのフラットデッキ化は全体のまとまりにおいて若干無理が感じられる。

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【写真】スズライトフロンテ1963(上)と1967(下)

 スズライトフロンテと同様の現代化を施した例にミニがある。1969年に登場したクラブマンだ。フラットデッキ化されて角張ったフロント周りは、ボディ全体の丸みとの調和が悪かったようで、批判する声が聞かれた。

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【写真】モーリスミニ(上)と同クラブマン(下)ともに1970年型

 なおスズライトフロンテは、1967年6月には駆動方式をFFからRRに変えると同時に、デザインは当時アメリカで流行していたコークボトルラインを採用し、フロントボディはフラットデッキではなくなった。そして1970年11月のモデルチェンジではまたフラットデッキになった。

⑮1965年12月 スズキフロンテ800(新)
 スズキ初の小型乗用車は2ドアセダンで、戦後の国産小型乗用車として初めてFFを採用した。デザインは形状的には完全なフラットデッキだが、視覚的には従来型のイメージを持たせたもので、グリルの上辺は左右のヘッドランプ上端を結ぶラインより一段低い位置にあった。同様のデザインはスバル1000でも採用された。

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1966年以降の車種についてはこれまで紹介した車種と内容的には重複するため車名のみの紹介とする。
1966年4月 ダットサンサニー(新登場)
1966年5月 スバル1000(新登場)
1966年8月 マツダルーチェ(新登場)
1966年9月 ダイハツフェロー(新登場)
1966年11月 トヨタカローラ(新登場)
1968年9月 ニッサンセドリック(マイナーチェンジ)
1969年4月 パブリカ(モデルチェンジ)
1969年4月 ダイハツコンソルテ(コンパーノの後継車でパブリカとボディを共用)
1969年8月 スバルR2(スバル360の後継車)
1971年6月 ホンダライフ(N360の後継車)

6.リアデッキ
 フロントのフラットデッキ化と同時にリアデッキもフラットにされた。それまでは縦長のテールランプが一般的だったが、フラットデッキ化に伴い丸や横長が多くなった。

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【写真】トヨペットコロナ2代目(左)と3代目(右)

7.おわりに
 フラットデッキスタイルの採用はマクロな視点で見れば自動車の形を、箱を組み合わせた単純な構成にした。そしてそれ以降、少なくともセダンに関しては基本的な形に変化はなく今日に至っている。ということは、1960年代のフラットデッキ化でセダンの基本形が完成していたということになる。

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執筆者プロフィール

1949年(昭和24年)鹿児島生まれ。1972年鹿児島大学工学部卒業後、トヨタ自動車工業(当時)に入社。海外部で輸出向けトヨタ車の仕様企画、発売準備、販売促進等に従事。1988-1992年ベルギー駐在。欧州の自動車動向・ディーラー調査等に従事。帰国後4年間海外企画部在籍後、1996年にトヨタ博物館に異動。翌年学芸員資格取得。小学5年生(1960年)以来の車ファン。マイカー1号はホンダN360S。モーターサイクリストでもある。1960年代の車種・メカニズム・歴史・模型などの分野が得意。トヨタ博物館で携わった企画展は「フォードT型」「こどもの世界」「モータースポーツの世界」「太田隆司のペーパーアート」「夢をえがいたアメリカ車広告アート」「プラモデルとスロットカー」「世界の名車」「マンガとクルマ」「浅井貞彦写真展」など。

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