三樹書房
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designhistory
第1回 自動車会社でのデザイナーの役割(前編)
2021.2. 1

■デザイナーの仕事は、メーカーとユーザーの懸け橋
自動車会社のデザイナーというのは、クルマのデザインをしていることは間違いないのだが、具体的にはどのような仕事をしているかはあまり知られていないのではないだろうか。私たち自動車デザイナーが普段あまり周知活動をやっていないことにも原因はあると思う。

自動車会社のデザイナーというのは、企業の一員であるので経営目標を達成するために、経営資源を最も効果的に活用し、プロセスを工夫し成果を上げることが求められる。単なる金儲けでもなければ、単なる慈善活動でもない。社会の一員として世の中で求められている活動をし、幸福な社会を構築し、そこで働く人々や家族の生活の保障をする。そのご褒美に報酬を頂く。これが企業活動のあるべき姿だと私は考えている。

まず車両開発のプロジェクトは、各部署がチームを組み、ボトムアップ、トップダウンの二つの方法で始められる。よくあるのがボトムアップで、担当スタッフとこれから実施するプロジェクトの目的、目標、責任や権限をお互いに確認して、プロジェクトが進行していく。

デザイン部はその中で、市場のニーズ、シーズを見極め、車両コンセプトを立案し、造形を提案し、承認されたらそれを商品化するための細部デザインを詰めていき、ユーザーの要望に応えられるような商品に仕上げていく。これが最も典型的な業務である。

また、商品企画部や世界中の販売店などからこんな商品が必要だとの要望からプロジェクトが始まることもある。

他には、ユーザーの求めているものがまだ表面化はしていないが、それを形にし、このようなクルマが今後市場で求められる可能性があるという仮説のもとに、提案する場合もある。それをモーターショーなどに出展して市場のニーズを確認し、「そうそうこんなクルマが欲しかった」というユーザーの声を導いて本格的なプロジェクトに結びつけることもある。

かたやトップダウンは、より大きなプロジェクトとして開発費用も莫大で、例えば、研究開発車として開発が始まったプリウスのようなプロジェクトはこれに当たる。商品企画部、原価計算部、企画、技術本部、生産技術部、品質保証、販売部、全ての部署が未知との遭遇である。もちろんデザインも未知の世界である。プリウス開発は、将来のエネルギー危機を睨んだ壮大なプロジェクトで、様々なパワーユニットを研究、実験している中からの選択である。どれもメリット、デメリットを持っているが、その中からこれしかないというパワーユニットを選ぶわけだから、その判断はとても難しいものだろう。

「燃費を倍にしろ」――。

このトップダウンの指示は、常識的に設計屋さん達が従来の延長線上でどれほどがんばってもできるものではない。そして着目されたのが、当時、研究が進んでいたハイブリッドエンジンであった。しかし、一般市販車として大量生産することがとてつもなく難しいという問題を抱えていた。

そして、我々デザイン部に課せられた任務は、エンジンだけでも重い塊なのに、そこにこれまた重いモーターを搭載し、ガソリンエンジンとモーターのいいとこ取りをして燃費を向上させるというコンセプトのために、車体は可能な限りコンパクトに、しかも、21世紀を担う中核のセダンをデザインすることであった。当時の中核になるセダンとは、3ボックス4ドアを意味する。当時は、8台目カローラは全長4,285mm、全幅1,690mm、全高1,385mmのサイズで、プリウスは全長4,275mm、全幅1,695mm、全高1,490mmと全長がおさえられた。

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8代目カローラ

この全長と全高で3ボックスは非常に難しかった。

もちろん世界中からアイデアが集められ大コンペになり、最終的には米国のキャルティーデザインのアイデアが採用された。しかし、その後をまとめるのも楽ではなかった。当時の私の仕事は、デザインマネージメントとして予定どおりにデザインを終了させることで、直接デザインをしたわけではなかったが、フロントフェンダー、リヤフェンダーも短くコンパクトな設計が求められ、特にリヤフェンダーなどは、大変高い位置から短く造形し、従来の3ボックスとは全く異なる形状を採用した。21世紀の進化型3ボックスとは、燃費向上のためにボディは空力特性の向上に注力し、「風にさからわない」空気の流れを強く意識するような低いフード先端・フロントフェンダーの造形表現で表そうとした。従来のセダンではあまりプライオリティーの高い開発条件にはならなかった。通常、当時の3ボックスセダンは、カローラサイズであってもそのクラスの3ボックスセダンとしての車格を意識した造形で、また、リヤも3ボックスとしての存在感を出すためにキャビンとリヤフェンダーがハッキリ区別のつく造形をしていた。

今思えば、世界で初めてガソリン自動車が誕生して100年以上が過ぎ、世界的に地球温暖化が大きな問題となり自動車メーカーとしてCO2削減が急務という大きな変革期に、量産ハイブリッドで世界に向けて新しい価値観を創造し、完成させられたことは素晴らしいトップの判断であった。 

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初代プリウス

このように、ボトムアップであろうが、トップダウンであろうが、どちらにしても、メーカーの開発能力とユーザーの「こんなクルマが欲しかった」を結ぶ役目がデザインの重要な仕事であり、何があっても必ずプロジェクトを成功させることしかない。
 
プリウスのように高い目標が与えられた時、企画部署、設計部、生産部、販売関係の部署などと、自分たちの思考したデザインの方向がいかに正しいか、これから進もうとしている方向が世界のトレンドをリードしているかを伝え、理解を求める必要がある。全く未知の世界で、誰もこれが正しいと言える人はいない。ハイブリッドシステムもそうだったが、すべてプロの実績と経験、未来を予測する仮説のもとに自分たちを信じて邁進するしかない。設計、生産も、新しいトライをするが、過去の実績に基づいていなければ話にならない。もちろん、デザインも全くゼロから生まれるわけではない、過去の様々な経験が物を言うし、その企業の実力もある。他社でできたからうちでもできるとは限らないし、その逆もある。

プリウスの開発は、私がトヨタ時代で経験した最も激烈な変化の経験であった。こんな大きな変化は初だったが、新人の時代から毎日がチャレンジの日々であった、やることなすこと初めてのことばかりで、10年くらいは振り返るゆとりもない生活を送っていた。

そのなかで私が学んだことは、ユーザーに「これが欲しかった」と言ってもらうことが重要だということである。ユーザーからそのような反応をもらった時、企業内でデザインをしている者にとって、その役割を果たせたと言っていいのだと思う。デザインは、単に好きなように絵を描いてモノづくりをしているのではなく、現在の問題点を解決したり、社会や環境の変化や新しい課題について解決策を提案したり、人々の生活や社会をより良く、豊かにしていくものである。

この連載では、私の経験をもとに、自動車デザイナーの仕事や役割、新旧の日本車のデザインについても語っていきたい。

写真:トヨタ株式会社

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執筆者プロフィール

木村 徹(きむらとおる)
1951年1月17日、奈良県生まれ。武蔵野美術大学を卒業し、1973年トヨタ自動車工業株式会社に入社。
米CALTY DESIGN RESEARCH,INC.に3年間出向の後、トヨタ自動車株式会社の外形デザイン室に所属。
ハリアーなどの制作チームに参加し、アルテッツァ、IS2000 などでは、グッドデザイン賞、ゴールデンマーカー賞、日本カーオブザイヤーなど、受賞多数。愛知万博のトヨタパビリオンで公開されたi-unitのデザインもチームでまとめた。
同社デザイン部長を経て、2005年4月から国立大学法人名古屋工業大学大学院教授として、インダストリアルデザイン、デザインマネージメントなどの教鞭を執る。
2012年4月から川崎重工業株式会社モーターサイクル&エンジンカンパニーのチーフ・リエゾン・オフィサーを務める。その他、グッドデザイン賞審査員、(社)自動車技術会デザイン部門委員会委員(自動車技術会フェローエンジニア)、日本デザイン学会評議員、日本自動車殿堂審査員(特定非営利活動法人)、愛知県能力開発審議委員会委員長、中部経済産業局技術審査委員会委員長、豊田市景観基本計画策定有識者会議委員など過去、公職多数。
現在は、名古屋芸術大学、静岡文化芸術大学、名古屋工業大学で非常勤講師として教鞭を執る。

木村デザイン研究所

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