三樹書房
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60s
第11回  CCCJコンクール・デレガンス
2012.9.27


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 第6回CCCJコンクール・デレガンス 1970年4月5日 芝・東京プリンス・ホテル駐車場

CCCJは言うまでもなく「クラシック・カー・クラブ・オブ・ジャパン」の略で、僕としては日本に於ける最も格式の高い、リーダー的な自動車愛好家集団だと思いつつ脇から眺めてきた。イベントがあったら見に行きたいと思っていたが部外者の僕にはなかなか情報は入ってこなかったので、あとから雑誌の記事で知って残念、というケースが多かった。記録によると、1963年から始まったようで第2回は1964年小金井の中大付属高校校庭、第3回は1965年池袋・西武パーキング屋上、第4/5回1967/68年高輪・プリンス・ホテル中庭で開催されている。今回取り上げたのは、その次に開かれたイベントで、この時は「コンクール・デレガンス&モンターギュ・トロフィー・ラン」のタイトルどおり、コンクールの他にラリー形式のパレード・ランが行われた。コースは東京タワー下の東京プリンスホテルをスタートし、品川-青山-神宮外苑-原宿-明治神宮参道-代々木-四谷-赤坂見附-三宅坂から内堀1周して六本木経由でゴール、全行程31キロを約1時間半で走破した。

<戦前・乗用車>

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1930 Ford Model A Tudor Sedan (USA)

1908年から20年間造られ続けた「T型」に代わって1928年から登場したのが「A型」で31年まで4年間に3回モデルチェンジした。写真の車は第2世代でトラックのようなバックミラーとスモールランプが雰囲気を壊しているが、それ以外は完璧に「オリジナル」を保っている。この年は左フロントフェンダーにスペアタイヤを装着しているものもあるが、この車は背中に背負っており、それもオリジナルである。フォードは「4ドア」の事を「Fordor」と呼んでおり、これはフォードと4ドアをかけた新造語でフォード以外では使えない。これと語呂合わせで2枚ドアは「Tudor」と呼ばれる事になった。


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1931 Packard Standard Eight 833 7-Passenger Sedan-Limousine(type465) (USA)

この年のパッカードのグレードは「スタンダード・エイト(826)(833)」と「デラックス・エイト(840)(845)」2種で、エンジンは8気筒のみ、ホイルベースは4種類用意されていた。形式名(833)の8は1924年から数えて第8世代目、下2桁33は(133)と読みホイルベースを示している。(133は何故か134.5インチである)写真の車は1930年型となっていたが「8」シリーズは30年8月発表され、モデルイヤーは1931年型となる。昭和6年と言えば車は特権階級のもので、重厚な雰囲気からもそれが伺える。既にスポーク・ホイルは採用されているがディスク・ホイルはこの車らしくて良い。ボディのバリエイションは多く(833)シリーズだけでも21種が用意されていた。


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1935 Mercedes Benz 130H 2dr Limousine (D)

メルセデス・ベンツが製造した数えきれない市販モデルの中で、リアエンジンは後にも先にも「130H」「170H」の2車だけだ。大衆車としては1931年の「170」が下限だったから1.3リッター、リアエンジンの車は新しい構想による大衆車を目指したものと思われるが、ヒトラーの音頭取りによる国民車「フォルクスワーゲン」との共通点も多く、フェルディナント・ポルシェの存在が大きく関係していたと想われる。写真の車は戦前から三井小石川家が所有しており、少し前まで現役のナンバー付きだったからコンディションは申し分ない。130Hは変り種の異端児かと思われるが意外なことに1934-36年の3年間で約4300台も造られており、メルセデス・ベンツ博物館やジンスハイム博物館(独)にも展示されてあった。
   


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<戦前のダットサン> 1938 Type17 Sedan/1937 Type16 Phaeton/1937 Type16 Roadster (J)

ずらりと並んだ戦前のダットサン達で、写真を撮った1970年当時、既に車齢32~33年を経過しており「戦前の生き残り」と言ってもおかしくないベテランだが、それでも手前の3台はまだ現役のナンバー付きだ。それから早くも42年が過ぎ、僕とほぼ同い年の彼等も、僕と同様80近くなった筈だが、僕のように元気だろうか? 戦後酷使され、どんどん姿を消していったダットサン達も、ここまで生き延びると大切に保存される対象となって来ているので、元気で生き残って居てくれることを願うのみである。

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1948 Sunbeam Talbot Ten Sport Tourer (GB)

写真の車は戦後造られたものだが、実はこのモデルは1938年生まれで、殆ど変化なく戦後まで造られ続けたので戦前の仲間に入れた。バリエーションには「スポーツ・ツアラー」の他に「ドロップヘッド・クーペ」「スポーツサルーン」があり、いずれも魅力的だった。「テン」は1185ccのまま1948年に「80」となり、外見そっくり兄貴分の「2リッター」は1944ccのまま「90」となった。因みに、この車のエントリーはモーター・ジャーナリスト五十嵐平達氏。

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(参考)1938-48 Sunbeam Talbot Ten Drophead Coupe (GB)

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(参考)1939-48 Sunbeam Talbot 2Litre Sports Saloon (GB)

 <戦前・スポーツカー>

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1934 Invicta 4.5Litre S-type Sports Tourer (GB)
 

わが国で「インヴィクタ」の知名度は極めて低い。見たことがある人も殆どない。メーカー自体が1925年から35年までの短期間しか存在しなかった上、戦前僅か2台輸入されただけだった。しかし、写真の車はその中でも77台しか造られなかった高性能版の「Sタイプ」で、海外でも愛好者が多いらしく、7台も写真を撮っている。戦前京都にあったこの車は、昭和30年頃大阪毎日新聞社が宣伝用に奇妙な改造をしてしまったが、その後熱心な愛好家の手で復元作業が施され、撮影時点ではほぼオリジナルに戻っている。僕は以前この車の第1印象を「垢抜けない」と解説で書いてしまったが、イタリアのミッレミリアで写真を撮った時はなかなか「ハンサム」だと思って撮った。今較べて見れば殆ど変わりがないのに......。写真では判りにくいが、標準のタイヤ・サイズは19インチのところ、この車は21インチを履いており印象が微妙に変わったのだろうか。

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(参考)イタリアのミッレミリアで撮影した同じ形のインヴィクタ (GB)
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1937 Bugatti type 57 Vandoux (F)

ブガッティは僕の大好きな車で、殆どのモデルをカメラに収めている。それは、あらゆるブガッティを買い漁った「シュルンプコレクション」(現・フランス国立自動車博物館)に2度も通い詰めたお蔭だが。タイプ57にはノーマル・エンジンの「57」、これにスーパーチャージャーを付けた「57C」、ショート・シャシーに圧縮比を上げた高性能エンジン付き「57S」、それに「S.C.」を付けた「57SC」の4つのバリエーションがあった。これにカタログ・モデルとして「ヴァントー」(4ライト)、(2ライト)「ギャリビエ」「ステルヴィオ」「アタラント」「アトランティーク」と名付けられた素晴らしいボディーが用意されていた。もちろん有名コーチビルダーで特注した車もあったが、カタログ・モデルはそれを必要としないほど魅力的だった。写真の車は1960年登場し、戦後初めて日本に棲み付いたブガッティで、マルーン→マルーン/シルバーを経て、1967年頃ブルー/イエローに塗装された後で、現在もこのままの姿を見る事が出来る。 


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(参考) 1938 Bugatti Type57C Galibier Saloon(旧シュルンプ・コレクション)


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(参考)1938 Bugatti Type57SC Atalante(幕張オークション)

 

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(参考)1938 Bugattib Type57SC Atlantic (ウオルフスブルグVW博物館)
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       僕のいたずら書きした57SC クペ・アトランティーク

 

<戦後・乗用車>

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1948 Jaguar MkⅤ Drop Head Coupe (GB)
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1948 Jaguar MkⅤ Saloon (GB)

純戦後生まれのジャガーはこの「マークⅤ」からで、同時期に「XK120」も発表しているので、モダーンなスタイルも視野に入れつつ、あえてクラシック・スタイルを売りにしたと考えられる。ボディ・ラインは戦前のスタイルのままだが、それが何とも言えない曲線を見せている、と感じる顧客が当時はまだ沢山いたのだ。そのあと、マークⅦ、Ⅷ、Ⅸと1961年まで14年間もこのボディのまま売り続けられたから、このスタイルにこだわったのは正しかったと言えるだろう。僕もルーフからトランクへかけての曲線に魅力を感じる一人だ。エンジンは2.5リッターと3.5リッターの2種あるがエンブレムを見ない限り判らない。   


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1956 Rolls Royce Silver Wraith by H.J.Mulliner (GB)

ロールス・ロイスのシルバー・レイスと言えば、僕にとっては1957年製の皇室の御料車「皇8」が真っ先に頭に浮かぶ。写真の車は殆ど同じ頃、英国大使館で大使の公用車として使用されていた車で、引退後日本人所有となった1964年「品40-15」時代に有楽町付近で1度撮影している。ロールス・ロイスについて言えば1955年シルバー・クラウドが、既製品のファクトリー・ボディ付きを売り出すまでは、この手の高級車のボディはオーダー・メイドの特注が当然のステイタスだった。だから、ぼくのアルバムにある8種の「シルバー・レイス」についても「フーパー」「H.J.ミュリナー」「ツーリング」で架装されている。ヘッドライトはこの車の格式に相応しく「ルーカスP-100」と言われる大目玉付きが5台、普通の小型が2台、埋め込みが1台となっている。
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(参考) 1957 Rolls Royce Silver Wraith Hooper Limousine(皇8)
 皇室の御料車は派手にならないよう控えめに小型のヘッドライトを装着している。


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1953 Wolseley 4/44 4dr. Saloon (GB)

僕はこれと同じタイプのウーズレーを昭和30年頃 静岡市内で何度も見ている。それは右フロントに「NHK」の社旗をひらめかした放送局の車だった。1953-54年は外貨事情が良かったらしく大幅に輸入制限が緩和され、色々な小型ヨーロッパ車が次々と登場し僕のアルバムを埋めていった。このシリーズは後ろから見れば「MGマグネット」と見分けがつかないが、同じボディで「スポーティのMG」に対して「内装のウーズレー」と位置付けられていた。この当時のウーズレーの仲間は色々な組み合わせで造られたらしく前半と後半のバランスがいまいちしっくりこないものもあったが、写真の車は非常にバランスが良く上品な面構えをしている。グリルの中にある楕円形のエンブレムには仕掛けがあり、夜になると点灯する「行燈(あんどん)」仕様である。


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1953 Morris Minor MM 2dr. Saloon(GB)

モーリス社は低価格で大衆に車を提供する事を目指して1913年から製造を開始した。1929年ミニマム・クラスとして847ccの「マイナー」が誕生する。1935年からは918ccの「エイト・シリーズ」に引き継がれ、戦後もそのまま製造が続けられたが、1948年戦後型にモデル・チェンジした際「マイナー」が復活した。写真の車は1948-53年の初期モデルで、ヘッドライトが寄り目でグリル内にあるのが大きな特徴だ。モーリス・マイナーは街中で何台も撮っているが、いずれもヘッドライトがグリルの外にあるノーマル・タイプばかりで、初期型には1度も出会っていない。多分1953年以前のモデルは外貨事情で正規輸入されて居なかったのだろう。

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1950-51 Ford Taunus Spezial Limousine (D)

見た目は平凡だがこの車もかなり珍しい。1950年代のフォードは本家アメリカの他に「フランス」「イギリス」「ドイツ」でも製造されていたが、この頃になるとノックダウンではなく、本国の影響は受けつつも独自のモデルを開発していた。写真の車はイベントでの本人申告が1946年となっていたが、独フォードが戦後モデルを最初に発表したのは1948年からで、しかも写真の車のグリルは第2世代の1950-51年型である。イギリス・フォードはシリーズが多く、分類が大変だが、ドイツ・フォードの場合はすべてが「タウヌス」で括られ、後に続くモデルも排気量別に「12M」「15M」「17M」「20M」と単純明快で判り易い。


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1952 Sunbeam Talbot 90 MkⅡ (GB)

「Talbot」の車名が付く車はフランスとイギリスに存在する。フランス車の場合は「タルボ・ラーゴ」などが知られている。イギリス車の場合でも「タルボ」とされている例もあるが、英語読みの「サンビーム・タルボット」が自然だと考える。写真の車は「戦前の乗用車」の項に(参考)として提示した「2Litre Sports Saloon」の後継モデルで、「タイプ90」は1948-50「90」、1950-52「90MkⅡ」、1952-54「90MkⅡA」と進化し、1954年MkⅢに代わる際には、車名から「タルボット」が無くなり、シリーズ名「90」もなくなって、ただの「サンビームMkⅢ」となってしまった。

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1957-60 BMW 502 3.2litere Super 4dr. Limousine

ライバルのメルセデスは1947年には早くも戦前型を基に乗用車「170V」の生産を再開した。一方、BMWの方は1948年単気筒250ccのモーターサイクルからスタートするも、乗用車はメルセデスに遅れること4年、1952年ようやく「501」の生産が始まった。501のボディはフェンダーを長く後ろに引いたややクラシカルなスタイルで戦前の焼き直しかと思えるが、シャシーもボディも全く新たに設計されたものである。しかし、これを見た幹部は気に入らず、別途ピニン・ファリナに依頼するも、戻ってきたのは既製品の「アルファ・ロメオ1900ベルリーナ」の楯をBMWのマスクに変えただけの平凡なものだった、というエピソードが残っている。結果的には元のデザインが採用され、やや古臭いデザインが重厚さを求めるこの車の性格に合っていたと言える。501のエンジンは重厚なボディからは想像つかないが、僅か1971cc だった。1955年ドイツの生産車初のV8エンジンOHV 2580cc を積んで「502」となり、1957年に更に3168cc と強化されたのが「502 3.2Liter Super」である。

<戦後・スポーツカー>
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1954 Porsche 356 Coupe (D)

前回、ポルシェ356Bの項で、初期のポルシェについて「低く地を這うような」と表現したが、写真の車などがそれだ。1948年オーストリアの片田舎グミュントで「356」は誕生したが、1950年までは準生産期で「グミュント時代」とよばれる。1950年シュツットガルトで最初の市販車「356」の生産を始め、以後1955-59「356A」、1960-63「356B」、1963-65「356C」と進化する。写真の車は最初の市販車「356」で、次のモデルが「356A」である所からアメリカなどでは「プレA」(Aの前)と称している。外見上一番の特徴は、フロント・グラスの中央に折れ目があることで、前モデルが2分割だった名残である。モデルは「1100」「1300」「1300S」「1500」「1500S」の5種があった。


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1953 MG TD (GB)

アイボリーに塗られ、見るからに写真写りの良さそうな「MG-TD」のオーナーは、あの大スター三船敏郎氏だ。非の打ちどころのない完璧なコンディションと、センスのいいアクセサリーはどこから撮っても写真になる。この日、都内のラリーには三船氏自身がドライブしたと雑誌にあったから、当日会場に居られたのだろうが、僕は写真に撮っていない。映画スターより車の写真を撮る方に夢中だった、と言うことだ。


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1948 MG TC (GB)

MGは1930年代初めからアルファベット順にタイプ名を付けていたから、戦後有名な「Tシリーズ」
もその一環で、1936年の「TA」1939年の「TB」を経て、戦後型「TC」は終戦直後から戦前のTBと殆ど同じもので再開した。後継モデル「TD」に較べると機構的には劣るが、見た目重視の僕にとっては、ラジエターがフロントアクスルより後方にあり、細身で大き目なスポークホイールなど、より伝統的な英国スタイルに魅力を感じる一人だ。TCは1945-49年に製造されたモデルで、時期的に正規輸入が出来ない期間だったから外国人登録経由によったものだろうか。TDが街中で比較的良く見られたのと反対に、滅多に見ることが出来ない車の一つだった。関東で可動車は1台しか無かったと聞いている。 


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(参考)MG TCを見る三船敏郎氏(今回丹念に背景の人物を確認したら撮ったつもりは無かったが写っていた)


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(左)1952 MG TD /(右) 1951 MG TD (GB)

戦後発売されたにも拘らず「MG TD」は1930年代そのままのスタイルを保っていた。まだこのスタイルにノスタルジーを感じる(或いは中々良いと感じる)世代が相当あったという事だろう。その証拠には「シンガー」や「モーガン」も全く同じ路線を続けた。TDは1949-53年で約3万台も造られ大量にアメリカに輸出された戦後のヒット商品で、日本でもスポーツカーを見れば、子供は「エムジー」と叫んだものだ。しかし、TDにはオープン2シーターのみでハードトップやクーペはカタログに存在しなかった。一度だけとても良く出来た「ハードトップ」の写真を撮っているが、それは日英自動車セールスマネージャーのジョンソン氏が竹ノ内ボディに造らせたものという情報を最近手に入れた。同時期にMGでは「YA」と言うTDと同じエンジンの4ドア・サルーン出しているので、家族持ちやオープンが嫌な方は「こちらをどうぞ」という訳だ。

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(参考)MGの輸入元日英自動車のセールスマネージャー、ジョンソン氏が竹ノ内ボディに造らせたというMG-TD ハードトップ

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 (参考)MG TDのファミリー版「YA」シリーズ 4ドア・サルーン


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(右)1955 MG TF 1500 (GB) /(左)1950-51 Singer Nine Roadster (GB)

MGはTDのシャシー/エンジンに新しいボディを着せ替えて1953年「TF 1250」として発売した。1920年代から殆ど変化なく垂直に立っていたラジエターがここで初めて後傾しヘッドライトも半分フェンダーに埋め込まれ、時代の流れをほんの少々取り込んだ。当時流行のスタイルから見ればかなり保守的な変化だったにも拘わらず、クラシカルな良さを失ったと嘆く頭の固い(?)ファンもあったとか。1955年1466ccにボアアップし「TF 1500」が誕生したが、ボンネットサイドの「1500」のエンブレム以外に見分けがつかない。左の「シンガー」もMGと同じ方向性を採っていたメーカで、戦後も1930年代のスタイルを売りにした「ナイン」「SM1500」を1955年まで製造した。


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1952 Datsun Sport DC3 (J)

最初にこれを言ってしまうと幻滅だがこのスポーツカーの最高速度は70km/hだ。中身が860cc 20hpの実用乗用車のままだから当たり前だ。しかし、戦前、戦後を通じて全国産メーカーの中で「スポーツカー」を名乗った最初の車だ。しかも造られた1952年といえば日産は「スリフト」、トヨタはスーパーより前の「SF」の時代で、乗用車すらまだ軌道に乗っていない現状から生まれたものだ。だからこの時代背景を考えれば性能云々は二の次で、こんな車を作ろうとした意欲と情熱に敬意を表したい。


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次回は、国内のイベントで一番多く足を運んだ「TACS」の「筑波サーキット」と「新年ミーティング」からピックアップして、このシリーズの締め括りとする予定です。

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執筆者プロフィール

1934年(昭和9年)静岡生まれ。1953年県立静岡高等学校卒業後、金融機関に勤務。中学2年生の時に写真に興味を持ち、自動車の写真を撮り始めて以来独学で研究を重ね、1952年ライカタイプの「キヤノンⅢ型」を手始めに、「コンタックスⅡa」、「アサヒペンタックスAP型」など機種は変わっても一眼レフを愛用し、自動車ひとすじに50年あまり撮影しつづけている。撮影技術だけでなく機材や暗室処理にも関心を持ち、1953年(昭和28年)1月には戦後初の国産カラーフィルム「さくら天然色フィルム」(リバーサル)による作品を残している。著書に約1万3000余コマのモノクロフィルムからまとめた『60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ編】』『同【アメリカ車編】』『同【日本車・珍車編】』『浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録』(いずれも三樹書房)がある。

関連書籍
浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録
60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ車編】
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