三樹書房
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60s
第6回 自動車ショーの会場にて
2012.4.27

 「第1回全日本自動車ショー」が開催されたのは昭和29年(1954)の事で、場所は日比谷公園、乗用車の展示は17台だった、とあるが当時は自動車に関する出版物は少なく僕の知っている月刊誌でその頃からあったのは「モーターファン」しかなく、手元の資料からでは出展車の詳細は判らない。(因みに「モーターマガジン」は1955年、カーグラフィック」は1962年の創刊)

 1953-54年にかけては外貨事情が良かった為か、小型欧州車が数多く街で見られたが、国産乗用車の世界は未だ黎明期だった。トヨタは「トヨペット・スーパー」、プリンスは「AISHⅡ~Ⅲ」、日産は「ダットサンDB6,コンバーDS6、オースチンA40」、三菱は「ヘンリーJ」、いすゞは「ヒルマン・ミンクス」、日野自動車は「ルノー4CV」、オオタは「PH-1」と乗用車メーカーは7社、内4社は外国車のノックダウンで技術習得中の発展途上国だったのだ。

 モーターショーはその後、第5回「後楽園競輪場」を経て第6回(1959)からは「晴海・貿易センター」で開催され、僕が初めて行ったのもこの年からだった。

(写真1・2)1959年11月 第6回 晴海会場風景

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(写真3)1962 スバル・スポーツ360 プロトタイプ(第8回)

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(写真4)1962 トヨペット・スポーツ・Xプロトタイプ(第8回)16.jpg

(写真5)1969 いすゞ・ベレット 1600MXプロトタイプ(第15回)
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 日比谷公園からスタートした「全日本自動車ショー」は第6回から第27回まで22回28年間(21回からは隔年開催)東京晴海の貿易センターを中心に開催された後、1989年からは千葉の幕張メッセに移り、2011年から再び東京へ戻ってビッグサイトで開かれることになった。第11回(1964)からは輸入車も参加して「東京モーターショー」と名前を変え今日に至った。この年乗用車部門の輸入車には「トライアンフ」が5種参加したのみで、他にジープとシュタイアがトラック部門に参加したらしいが、僕はこれらを見ていない。

 それとは別に外国車によるショーの歴史は1960年5月14~15の2日に江ノ島の東急レストハウス前広場で開かれた「第1回外車ショー」からスタートした。「晴海」や「神宮絵画館前」は借りる事が出来ず、止む無く東京から距離を置いた江ノ島での開催となった。米14、英19、西独9、仏3、チェコ1、濠1、計6か国、47台が集められメルセデスベンツ300SLまで揃えられていたが、残念ながら僕は見ていない。
 第2回 東京オートショー(一般には「外車ショー」と呼ばれていた)は、ようやく東京・晴海の貿易センターで1961年6月24~26の3日間開かれた。参加国は前回に伊、スウェーデンを加えた8か国となり計74台が展示された。

(写真6)第2回 東京オートショー 晴海・貿易センター(1961年6月)
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(写真7)1961 NSU・シュポート・プリンツ (第2回)
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 第3回は前回から7か月後の1962年1月12日から、今度は千駄ヶ谷の東京都立体育館で開かれることになった。2年後の東京オリンピックで体操競技の会場となったあの体育館である。クラシックカーを主体にしたパレードがあり、僕の目は「ロータス・エリート」に釘づけとなった。


(写真8)体育館会場内部(第3回)
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(写真9)1962 ロータス・エリート(第3回)
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 第4回も千駄ヶ谷の体育館が会場となって1963年1月に開催された。次回の第5回は同じ年の11月に「1964年型」として晴海の貿易センターで開かれ、その後は国産車と合同開催となる直前の1969年(第11回)まで会場は変わらなかった。1964年から東京モーターショーに輸入車も参加した事にはなっているが、或る雑誌に「渋々門戸を開放し」「おっかなびっくり参加した」とあったようにお互いにあまり積極的ではなかったようで、その後も1969年11月の第11回までは「外車ショー」は別途開催されていたのだ。


(写真10)1968 ポルシェ910 カレラ10(第9回)
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(写真11)1962 コルベアー・モンツァSS プロトタイプ(第9回)04.jpg
(写真12)1962 フォード・マスタングⅠ プロトタイプ(第9回)03.jpg
(写真13)1955 メルセデス・ベンツ 300SLR クーペ(第9回)02-a.jpg
(写真14)1968 エクスカリバーⅡ SSK(第9回)
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(写真15)1965 マーサー・コブラ(銅材料使用実験車)(第10回)
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 その他、僕のパソコンには「東京レーシングカー・ショー」(1968~70年・3回分)、「後楽園遊園地・スポーツカー・ショー」(196年)、「二子玉川園・輸入外車ショー」(1962年)、「ヤナセ・ベンツ・モーター・ショー」(1959・64・69年・3回分)「西武自動車ショー」(1969年)など、小規模なショーも記録されているが、残念ながらスペースが足りない。

 僕の基本的な行動パターンは、会場に着いたらまず駐車場を徹底的にチェックすることから始まる。そのあと第2の目的である会場へ向かう。駐車場は大事な目的の一つで、これは路上駐車が禁止される前からずっと心がけているカーハントの極意だと思っている。「人の集るところ珍車あり」は僕のモットーであり、願いでもある。しかし近頃は街中で胸をときめかすような車になかなかお目にかからない。個性的な車が少なくなったのか、年のせいで僕のアンテナの感性が鈍くなってきたのか・・・。
 (わたくし事ですが、長年慣れ親しんだ来たパソコン「WindoesXP」が起ち上がれない「寝たきり老人」状態になってしまい、慣れない「7」に四苦八苦している状態です)

 次回は「レース場から」(鈴鹿サーキット、富士スピードウエイ、筑波サーキット)を予定しています。

 


                                

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執筆者プロフィール

1934年(昭和9年)静岡生まれ。1953年県立静岡高等学校卒業後、金融機関に勤務。中学2年生の時に写真に興味を持ち、自動車の写真を撮り始めて以来独学で研究を重ね、1952年ライカタイプの「キヤノンⅢ型」を手始めに、「コンタックスⅡa」、「アサヒペンタックスAP型」など機種は変わっても一眼レフを愛用し、自動車ひとすじに50年あまり撮影しつづけている。撮影技術だけでなく機材や暗室処理にも関心を持ち、1953年(昭和28年)1月には戦後初の国産カラーフィルム「さくら天然色フィルム」(リバーサル)による作品を残している。著書に約1万3000余コマのモノクロフィルムからまとめた『60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ編】』『同【アメリカ車編】』『同【日本車・珍車編】』『浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録』(いずれも三樹書房)がある。

関連書籍
浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録
60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ車編】
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