 
富士スピードウエイはレースだけでなく、その後「路上」から「イベント」へとカーハントの目的地が変わりつつあった僕にとって何回か足を運んだ場所だ。
(1) 1966年10月 あの「インディ500」が日本にやって来た。正式には「インディアナポリス・インターナショナル・チャンピオン・レース」、一般には「富士USAC200又は富士インディ200」と呼ばれたこのレースはプログラムには日本で最初のFIA公認の国際レースだと書いてあった。(写真1-1)
 (1-1a) 優勝  #43 1966 Lola-Ford T-90 (Jackie Stewart)  オフセットなし
  (1-1a) 優勝  #43 1966 Lola-Ford T-90 (Jackie Stewart)  オフセットなし
 (1-1b) 7位  #24 1966 Lola-Ford T-90 (Grahm Hill)  オフセットあり
  (1-1b) 7位  #24 1966 Lola-Ford T-90 (Grahm Hill)  オフセットあり
 (1-1c) 2位  #5 1966 Eagle-Ford (Bobby Unsre) オフセットなし
  (1-1c) 2位  #5 1966 Eagle-Ford (Bobby Unsre) オフセットなし
 (1-1d) 3位  #37 1966 Cecil-Ford (Arenie Knepper)
  (1-1d) 3位  #37 1966 Cecil-Ford (Arenie Knepper)
 当時インディ500を含むUSACのレースは一部の例外を除き時計の反対周りに単純な楕円コースを周回するため、それに合わせてボディが中心より左にオフセットされたり、オイルタンクの取り出し口が遠心力のかかる外側に付けられたりという改造が施された車もかなりあった。スタートはフライング・スタートでレース中はギアチェンジしないので、ほとんどの車が4速車のセカンドとトップ相当のギアしか持って居なかった。 (写真1-2)
 (1-2a) 4位  #53 1966 Huffaker-Offy (Gary Congton) オフセットあり
  (1-2a) 4位  #53 1966 Huffaker-Offy (Gary Congton) オフセットあり 
 (1-2b)5位  #94 1965 Gerhardt-Offy (Bill Cheeseburg)
  (1-2b)5位  #94 1965 Gerhardt-Offy (Bill Cheeseburg)
 (1-2c) 5位   #94 Gerhardt-Offy/18位  #34 1966 Lola-Ford
 (1-2c) 5位   #94 Gerhardt-Offy/18位  #34 1966 Lola-Ford  
 (1-2d) 9位   #93 Eisert-Chevy (Jerry Grant)
  (1-2d) 9位   #93 Eisert-Chevy (Jerry Grant)
 レースはUSACのレース通り富士スピードウエイとしては異例の左回りで、本来の第1、第2コーナーに当たる「須走落とし」を避けたショートカット・コースで行われた。これらの条件がもたらした結果は前日の予選で32台中10台が走行不能となってしまい僕が行った決勝レースでは、お目当てのジム・クラーク、マリオ・アンドレッティ、アル・アンサー、などを見ることが出来なかった。その原因はヘアピンを含む右回りカーブでは確実にオイル切れが起こり、コーナーの立ち上がりではもどかしく、ついローギアでエンジンを回しすぎたのではないかというケースも考えられる。コースの性格に全くマッチしていない車でのレースは実力が発揮されず、迫力に欠けたものだったと言うしかない(写真1-3)
 (1-3a) 8位 #39 1966 Watson-Offy (Bobby Grim) フロント・エンジン車
  (1-3a) 8位 #39 1966 Watson-Offy (Bobby Grim) フロント・エンジン車
 (1-3b)  8位  #39 1966 Watson-Offy (Bobby Grim)     戦前のGPカーを連想させる典型的なフロント・エンジン車
  (1-3b)  8位  #39 1966 Watson-Offy (Bobby Grim)     戦前のGPカーを連想させる典型的なフロント・エンジン車
  
 (1-3c) 11位 #74 1965 Watson-Offy  (Chack Hulse) フロント・エンジン車
  (1-3c) 11位 #74 1965 Watson-Offy  (Chack Hulse) フロント・エンジン車
 (1-3d)  13位 #42 1965 Offy-Roadster (J・ホランスワース)フロントにあるエンジンを80度傾斜させ重心を左によせている為、本来上向きの吸気口が横向きになっている。
  (1-3d)  13位 #42 1965 Offy-Roadster (J・ホランスワース)フロントにあるエンジンを80度傾斜させ重心を左によせている為、本来上向きの吸気口が横向きになっている。
(2)	第4回 日本グランプリ (1967年5月3日)
昨年に続いて富士スピードウエイで開催された第4回日本グランプリは、ツーリングカー(15ラップ)、グランドツーリング・カー(20ラップ)、フォーミュラカー・レース(25ラップ)、グランプリ(60ラップ)の4レースが行われた。(写真2-1)
 (2-1a)   富士スピードウエイ・メインスタンド
    (2-1a)   富士スピードウエイ・メインスタンド
 (2-1b) グランド・ツーリングカー・レース  (#32 1967 Lotus Elan S3/ #41 1967 Datsun Fairlady 2000/ #46 1967 Datsun Fairlady 2000)
  (2-1b) グランド・ツーリングカー・レース  (#32 1967 Lotus Elan S3/ #41 1967 Datsun Fairlady 2000/ #46 1967 Datsun Fairlady 2000)
 (2-1c) グランド・ツーリングカー・レース   (#22 1967 Honda S800/ #52 1967 Datsun Fairlady 2000)
  (2-1c) グランド・ツーリングカー・レース   (#22 1967 Honda S800/ #52 1967 Datsun Fairlady 2000)
フォミュラカーは10台が出走したが海外から参加したロータス41(途中クラッシュ・リタイア)を除き、すべてが国産車で、国内のレベルは確実に向上した。(写真2-2)
 (2-2a) 3位  #9 1967 Arrow-Bellet (浅岡重輝)
  (2-2a) 3位  #9 1967 Arrow-Bellet (浅岡重輝)
 (2-2b) 2位 #11  Mitsubishi Colt F2A (益子治)
                 (2-2b) 2位 #11  Mitsubishi Colt F2A (益子治)
 (2-2c) 6位 #15  Rexol Special(Del-Bellet)/  8位 #6 1967 Rexol DSpecial(Del-Contessa)
  (2-2c) 6位 #15  Rexol Special(Del-Bellet)/  8位 #6 1967 Rexol DSpecial(Del-Contessa)
メイン・イベントのグランプリは昨年同様、ポルシェとニッサンの戦いとなり、「ポルシェ・カレラ6」が①⑤⑧位を占めて雪辱を果たし、「ニッサンR380A2」は②③④⑥に止まった。その他に「ローラT-70」が2台参加したが、これは全くの戦力外だった。(写真2-3)
 (2-3a) 第4回 日本グランプリ・スタート
  (2-3a) 第4回 日本グランプリ・スタート
 (2-3b)  優勝 #8 1967 Porsche 906 Carrera 6 (生沢徹)
   (2-3b)  優勝 #8 1967 Porsche 906 Carrera 6 (生沢徹)
 (2-3c) 2位 #10 1967 Nissan R380A-2 (高橋国光)
  (2-3c) 2位 #10 1967 Nissan R380A-2 (高橋国光)
 (2-3d) 7位 #14 1966 Lola T-70改 (R.クラーク)
  (2-3d) 7位 #14 1966 Lola T-70改 (R.クラーク) 
今回期待されたのに残念ながら出走出来なかった車があった。その1台は前回大活躍した「ダイハツP3」の後継車「ダイハツP5」で、混合レースの安全を図る目的で主催者が定めた標準タイム2分20秒という小排気量クラスにはかなり厳しい設定に対して、僅か0.6秒足りず涙を呑んだ。参考に別の機会に撮影した「P5」と掲載したが、P3(フロント・エンジン)の時に気になっていたドライバーの背後の空間にはエンジンが積まれ、ミッドシップ・エンジンに変貌していた。(写真2-4)
 (2-4a) 不出場  1967 Daihatsu P5
 (2-4a) 不出場  1967 Daihatsu P5
 
もう一台は当時としては最先端の「ヒノ・サムライ」と名付けられたアメリカ生まれの本格的レーシングカーで、「コンテッサ1300」ベースのこの車はピート・ブロックの設計になる極めてモダンなスタイルを持って居た。試走中に問題を発生し交換したオイルサンプが原因で、地上高が規定より2センチ低くなり車検が通らず、僕らの期待も空しく、ついにその姿を見ることは出来なかった。したがって、残念ながら僕のアルバムにその姿はない。
(3) 1976年3月 CCCJ(日本クラシックカークラブ)主催で、日ごろ全力で走る機会の少ない往年のスポーツカー達を思いっきり走らせる「ハイスピード・トライアル」がGC第1戦に合わせて開催された。
 (3-1a) 駐車場・1 1970-7 VW 1300S (見事な富士山は左に宝永山(こぶ)が見えるが、僕の育った静岡市の子供に富士山を書かせれば誰でも右側に描く)
   (3-1a) 駐車場・1 1970-7 VW 1300S (見事な富士山は左に宝永山(こぶ)が見えるが、僕の育った静岡市の子供に富士山を書かせれば誰でも右側に描く)
   (3-1b)  駐車場・2 1974 Lotus Elite S1 4-Seater
 (3-1b)  駐車場・2 1974 Lotus Elite S1 4-Seater
 (3-1d)  駐車場・3 1965-70 Rolls Royce Silver Shadow
  (3-1d)  駐車場・3 1965-70 Rolls Royce Silver Shadow
 (3-1d)  駐車場・4  1964-66 Honda S600 Coupe (AS285C)
  (3-1d)  駐車場・4  1964-66 Honda S600 Coupe (AS285C)
レースではなかったので結果は別として、これだけの長丁場を文字通り「ハイスピード」で走ったのは現役時代以来何十年振りだったろう。1920~30年代のスポーツカーが「老骨に鞭打って」サーキットに登場し、何台かにトラブルが発生したが大部分は思ったより静かに走りきった。
 (3-2a) #6 1925 Bugatti T22 Brescia
 (3-2a) #6 1925 Bugatti T22 Brescia
 (3-2b)   1937 Morgan Super Sport
  (3-2b)   1937 Morgan Super Sport
 (3-2c)   1929 MG M-Type
  (3-2c)   1929 MG M-Type
 (3-3a) (前から)#14 MG Mtype,#17 1932 MG J2,#18 MG TA,#21 1928 Riley 9 Brooklands,#20 Morgan SS
 (3-3a) (前から)#14 MG Mtype,#17 1932 MG J2,#18 MG TA,#21 1928 Riley 9 Brooklands,#20 Morgan SS
 (3-3b) (右から)#15 1932 MG J2, #16 1934 MG PA, #12 1934 SS-1, #11 1938 Jaguar SS100,#22 1933 Bugatti T49, #10 1938 Jaguar SS100, #9 Bugatti T57
  (3-3b) (右から)#15 1932 MG J2, #16 1934 MG PA, #12 1934 SS-1, #11 1938 Jaguar SS100,#22 1933 Bugatti T49, #10 1938 Jaguar SS100, #9 Bugatti T57
 (3-3c) イベントが終わって日光・今市へ帰るトランスポーター(1926 Bugatti T37,1931 Alfa Romeo 8C 2300)
  (3-3c) イベントが終わって日光・今市へ帰るトランスポーター(1926 Bugatti T37,1931 Alfa Romeo 8C 2300)
(4)僕としてはクラシックカーのイベントを見に行ったのだが、本当のこの日のメインイベントは「グループ7」仕様のスポーツカーによる「富士グランチャン・シリーズ 第1戦」で、日本を代表するドライバーの23台がエントリーしていた。
 (4-1a) グランチャン・スタート ① #19 星野一義/ ② #2 高橋国光/ ③ #3 高原敬武/ ④ #37 生沢徹
   (4-1a) グランチャン・スタート ① #19 星野一義/ ② #2 高橋国光/ ③ #3 高原敬武/ ④ #37 生沢徹
 (4-1b)  #19  14位  1974 マーチ74S/BMW (星野一義)電気系統トラブルで35ラップ・リタイア
  (4-1b)  #19  14位  1974 マーチ74S/BMW (星野一義)電気系統トラブルで35ラップ・リタイア
 (4-1c)#18 7位 1975 マーチ75S/BMW (鮒子田寛)
   (4-1c)#18 7位 1975 マーチ75S/BMW (鮒子田寛)
 (4-1d) #50 10位 1976 シェブロンB23/ ハートBDA (米山二郎)
  (4-1d) #50 10位 1976 シェブロンB23/ ハートBDA (米山二郎)
 
 (4-1e) #22 DNF  1976 ローラT290/ マツダ12A (赤池卓)10ラップ目ガードレールに激突、事故でリタイア
   (4-1e) #22 DNF  1976 ローラT290/ マツダ12A (赤池卓)10ラップ目ガードレールに激突、事故でリタイア
 富士スピードウエイは今回で終了の予定でしたが、残る「SCCJ25周年」「20thTACSミーティング」があまりにもネタが有りすぎるので、次回は「(続々)富士スピードウエイ」をカラーでお送りする予定です。ご期待ください。
 新宿ー御殿場間 小田急特急"あさぎり"
  新宿ー御殿場間 小田急特急"あさぎり"





