第13回 「青樓七小町 玉屋内 花紫 せきや てりは」喜多川歌麿/「扇持つ娘」 喜多川歌麿

 今回から、千葉市美術館所蔵の浮世絵版画から、江戸の化粧や髪型について解説したいと思います。

25、「青樓七小町 玉屋内 花紫 せきや てりは」喜多川歌麿 寛政6~7年頃(1794~1795)
 

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 大きな貝髷か、鼈甲の櫛、簪を挿しているのは、新吉原江戸町一丁目玉屋の遊女、花紫である。鬢のところを白い紐のようなもので縛っている。衣裳は、桜模様の中着と、網目模様の下着を着ている。たぶん正装前の姿であろう。天明から寛政頃に流行した燈籠鬢のところから、鼈甲製なのか、鬢挿しの先が少し見えている。そして、よく見ると前髪が短く切られている。このように短いと、普通は簪が挿せない。どこかで簪を止めているのかもしれない。端正な顔立ちの美人である。右手に筆を持って、筆の先を舐め、たぶん客に手紙を書くところだろう。花紫の左に書かれている「せきや、てりは」というのは、二名の禿かむろの名前である。


26、「扇持つ娘」喜多川歌麿 寛政9年頃(1797)
 

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 大きな島田髷を結っているのは、若い娘であろう、大きな鼈甲製の櫛を挿して、手に扇と小鞠を持っている。鬢は流行の燈篭鬢である。この娘の面白いところは、髷のところに、盛りだくさんに髪飾りをつけているところで、まず銀製の大きな牡丹をつけた両天びらびら簪を挿している。因みに、びらびら簪が流行し出したのは、たぶんこの絵の書かれた寛政頃からであろう。さらに髷には、赤、緑、などの布で縛ってある。それだけではない。髷の根元には水引のような細いひものようなものを束ねた髪飾りをつけ、白い丈長という細い紙も付けている。
 以前、この髪型の髪飾りが実際のところ付けられるものか、実験したことがある。その時は、かつらを使用したが、結髪師の人が、このように沢山の髪飾りは、無理がある、といっていた。つまり、飾りを挿すスペースがなかったのである。若い娘を表現しようとして、髪飾りを増やしていったのかもしれない。浮世絵に描かれた髪型や髪飾りの付け方など、時々実験をすると面白いかもしれない。

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