第7回 江戸時代の月経観

 日本人の体型は江戸時代から著しく変化しましたが、第二次性徴の時期は変わらないのに生命の神秘を感じます。『絵入女重宝記』という元禄時代に書かれた女子の作法についての啓蒙本にも、
「それ女は十四さいよりはじめて経水通じ、男は十六さいより始て精水通ずと医書に見へたり」とあります。
 経水という表現がなかなか風流です。当時の書物では「月水」とも称されていました。「生理」「メンス」「あれ」という表現よりも女子力が高くなりそうなスピリチュアルな呼び名です。
 江戸時代のことわざには「十三ぱっかり毛十六」というものがあり、女子が十三歳くらいで性器が成熟し、初潮が訪れ、十六歳で発毛する、という変化を表しているそうです。
 川柳にも、
「十三と十六ただの年でなし」
「めっきりとおいどのひらくお十三」(おいど=お尻)
など、ひめやかな作品が。川柳はさり気ない性教育になっていたのでしょうか。
「十六の春からひえをまいたやう」
人体も自然の一部......発芽の季節です。
「琴ではわれる三味線ではえるなり」
琴は十三弦で十三歳、三味線は三弦を足して十六歳、という年齢をほのめかしている小粋な句もありました。
「時候たがへず十六の春ははへ」
「十六でむすめは道具ぞろいなり」
「道具」という表現が妙にエロいです......。
「十六になると文福茶釜なり」
タヌキが化けていた文福茶釜に毛が生えた、という 昔話とかけています。
「十七ではえぬを母は苦労がり」
江戸時代の人は発毛具合をことさらに気にしていたようです。
 さらに重要なのが初潮です。生理のことは「お客」とも表現していました。
「お客とは女の枕詞なり」
「はじめてのお客娘はまごまごし」 
 とにかくわずらわしいとかネガティブなイメージが強い生理も「お客」と呼ぶだけで少しポジティブに受け止められそうです。お赤飯をたいて祝うのは昔も今も同じでした。ただよく考えたら生理で赤いご飯というのは若干エグいです。
「娘のお客御馳走に赤の飯」
「初めてのお客に赤の飯を焚き」
「兄はわけ知らずに祝ふあづき飯」
「小豆めしだまって喰やとふるまわれ」
性に関する情報が今のように氾濫していなかったので、兄や弟は何も知らず無邪気に赤飯を食べていたようです。
 当時使われていたふんどし状の月経帯は、馬の腹帯に似ていたので生理のことは「新馬」とも呼ばれていました。
「初花といふ新馬に娘乗り」
「乗り初めに駒の手綱を母伝授」
「姫君の御乗出し十三四から」
  はじめての時、怪我で出血したのかと焦る娘さんもいました。
「初花にたばこをつけて大さわぎ」
「すでの事むすめたばこを付けるとこ」
止血には煙草をこすりつけると良い、という民間伝承が。でも、一回経験すると慣れて対処できるようになります。
「初午に乗ると娘もうまくなり」
 ちなみに、生理用品は、浅草紙という再生紙をあてがい、馬の腹帯状の月経帯を付けていたそうです。細かくたたんだ布や紙を詰めるという方法も。心もとない感じですが、当時の女性は量が少なく下腹部の筋力が強いため、厠でゆるめて排泄できたという説があります。今のように下着で締め付けていないし、食べ物や大気に有毒な物質も含まれていないので、健康的なロハス生活できっと生理も軽かったのだと思います。
 そして神仏への畏敬の念や穢れの観念から、生理中はお参りしない、という風習も。
「初午で娘稲荷へ詣られず」
「いわく有る娘鳥居の外を行き」
 現代人は構わず生理中でも神社にお参りしていますが、ちょっと前までは禁忌でした。過度の穢れ意識は必要ないですが、神様的には少し抵抗あるのかもしれません。日本の国力を復興させるためにも今後心の隅で気をつけたいです。

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