2016年1月アーカイブ

17、「美艶仙女香びえんせんじょこう」溪斎英泉 文化12年~天保13年

第9回1 美艶仙女香式部刷毛太田記念美術館蔵.jpg

 切り前髪に大きな潰し島田に結っているのは、若い芸者であろう。文化・文政頃に流行った笹色紅色(紅花から作った紅を濃く塗ると、緑色になったもの)をしている。右手には南天模様の懐中鏡を持ち、左手には「志きぶ」と書かれた刷毛を使って白粉を延ばしている。この「志きぶ」というのは、『浪華百事談』(幕末~明治にかけて書かれたもの)によると、山城国の福岡式部という筆の老舗が浪華で質のよい白粉刷毛を作り、全国的に有名になった、とある。
 右上のこま絵に描かれているのは、杯洗と白粉の美艶仙女香である。美艶仙女香というのは、寛政頃活躍した歌舞伎の名女形だった瀬川菊之丞の俳名「仙女」から名付けたもので、京橋南伝馬町三丁目の稲荷新町にあった坂本氏から発売されたものである。こま絵の左に「美艶仙女香といふ 坂本氏のせいする白粉の名高きに美人によせて 白粉の花の香のある美人かな 東西菴南北」と書かれている。この東西菴南北というのは、通称を朝倉力蔵といい、戯作者であり木版彫師で、浮世絵なども描いたという。今でいうマルチタレントである。
 描かれている芸者は、菊の花のついた簪を何本か挿し、長い笄も挿している。着物は八重裏桜の紋が描かれ、帯びには唐鐶木瓜の模様が見えている。色の白いのが美人とされた時代である。そのためには、白粉を丹念に延ばし、色白に見せるのも芸者にとっては仕事の一部である。洗練されて粋なさま、つまり婀娜な姿である。

18、「今風化粧鏡 房楊枝ふさようじ」五渡亭国貞 文政6年(1823)

第9回の2 今風化粧鏡 太田記念美術館蔵.jpg

 タイトルにある「房楊枝」とは、江戸時代の歯ブラシのこと。潰し島田に赤い櫛を挿しているのは、粋筋の女性であろうか。左手に持っているのは、赤く色がついた紅入べにいり歯磨きで、今まさに歯を磨こうとしているところだろう。この紅入り歯磨き、文政6年頃にも結構使われていたのか、五渡亭国貞だけでなく、同時代の浮世絵師・溪斎英泉も紅入り歯磨きを使っている女性を描いている。人気があったのかもしれない。また、房楊枝に使われているのは柳の木で、棒状にしたものを叩いて房状にした。使い込んでぼろぼろなったら、そのところを切って、また房状にし、短くなるまで使ったのである。
この女性の着ている着物には桜が描かれ、中着も白抜きの桜である。ついている紋は二つ斜め雁金かりがねというのだろうか。「今風化粧鏡」のシリーズは10枚の揃いで、いずれも、柄鏡の中に化粧する女性を描いている。「眉そり」「びんかき」「あわせ鏡」「かねつけ」「牡丹刷毛ぼたんばけ」「こうがいさし」「眉かくし」「眉毛ぬき」そしてこの「房楊枝」であろう。あと1点あるはずだが、個人的にはまだ調査していない。
因みに、当時の鏡は銅と錫の合金製で、表面を磨いた上に錫アマルガム(錫と水銀の合金)を塗っていた。塗りたてはガラス鏡と同じくらいよく見えていたが、長く使うと曇って映りが悪くなるので、鏡研職人が定期的に家々を回って磨き直していた。

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くわしくは、ポーラ文化研究所ホームページ 

※収録画像は太田記念美術館所蔵。無断使用・転載を禁じます。

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 いよいよ婚礼の日になりました。花嫁は輿や駕龍に乗せられ、近親者一同と婿の家に向かいます。この「輿入れ」は、花嫁の体調によってずれることもあるようです。現代ではタイミング悪く生理になってしまっても決行するようですが、江戸時代は血の穢れの思想があったからか日にちを延ばしていました。
「折悪いお客嫁入り七日延べ」
「仲人へ四五日のばすひくい声」
 そしてお嫁入りの日になると、お化粧や衣装を着るのに時間がかかっていました。これは今も同じでしょうか。
「一生に一度我が顔見ちがへる」
当時は普段は基本ノーメイクでした。ただ婚礼時のフルメイクを頂点として、その後お歯黒、引眉でホラーな顔になってしまいますが......。
「いびられに行くに立派な支度なり」
江戸時代も嫁姑問題は深刻だったようです。立派な支度であればあるほど姑の神経を逆撫でしそうです。
「富士額雪でうづまる恥しさ」
綿帽子がおおいかぶさる様子です。
「一生にめでたき内をはき出され」
出戻りにならないように、掃き出されるように実家を出た娘。
「下女が荷を油単をかけて数に入れ」
下女が荷物を箪笥用のカバーで包んでくれました。裕福な家は、嫁入りに下女も一緒について来てくれます。しかしその場合、下女の嫁入りはどうなるのか気になります......。
「我がうちへはじめて這入る恥しさ」
そして新郎の家に到着です。それにしても「恥ずかしい」という感情を詠んだ句がこれまでにもかなり出てきていて、日本人は恥の概念が強いことをつくづく実感します。

続いて、婚礼のシーンです。婚礼で花嫁の手伝いをする侍女郎に、式の前に高盛(高く盛った強飯)を出してもらいますが、花嫁は胸が一杯で箸を付けられません。
「鼻につかへる飯をくふ恥しさ」
「毒断てのよふに花嫁手はつけず」
婚礼の場では、着なれぬ装束に綿帽子で足もとしか見えず、侍女郎に介助してもらいながら着席すると、肝心の花婿も裃くらいしか視界に入りません。
「かう向きなさいと花嫁をすはらせ」
「裃の音ばかり聞く綿帽子」
 夫婦愛についてのおめでたい「高砂」の謡も聞こえてきます。
「高砂をちっとずつ聞く恥しさ」
「蝶々の酒を露ほど嫁は呑み」
雄の蝶と雌の蝶に扮した童子が酒を注ぐ、という幻想的な風習があったようです。
「盃もなめてさすのは恥しい」
それでも、微量しか飲めない花嫁。三三九度のあとはお色直しがあったり忙しいです。白無垢を脱いで色模様の小袖に着替えます。
「雪解けして嫁に花咲く色直し」
「花嫁をひやとかん酒の間へ出し」
お色直しで出てくるのは、蛤の吸い物が出て冷酒が一巡した頃でした。さすが日本人、昔から段取りがきっちりしています。
「色直し迄は仲人禁酒なり」
お色直しのあとは、仲人もリラックスしてお酒が飲めます。花嫁は最後まで帰れません。
「嫁へさすまではろれつがまわる也」
「花嫁はみなひらくまでつぼんでゐ」
「寝る暇をちっと残してひらく也」
「帰る」は婚礼の忌み言葉なので「ひらく」と風流に表現。ここから「おひらき」という言葉が来ているんですね。仲人が「さあ、おひらき」と宴をしめくくり、あとはドキドキの初夜......床入りです。
「十度び目の盃事がしんの事」
床盃とは、新郎新婦が初夜に盃を交わす風習。婚礼の三三九度の盃事からずっと飲み続けです。大事な初夜なのに酔っぱらっていたしても良いのでしょうか。
「十粒程ゆづけを喰って御とこ入」
空腹の場合は軽く食事してから床入りします。やはり少しは体力が残っていないと......。盃事が済むと、待女郎が新夫婦を寝床に連れていきます。侍女郎は秘密を遵守してくれるのでしょうか。興味津々な気もします。
 初夜の前には「雀形」模様の屏風を布団のまわりに立てかけ、プライベート空間が作られました。
 「仲人は屏風を立てて壱つぶち」
 がんばって、と鼓舞する仲人。まだいたんですか、仲人......。
「仲人は雀を出すがいとま乞」
「片仮名のサの字にしてひらく侍女郎」
二人が長枕にサの字に寝たところを確認し、侍女郎も帰ります。いよいよ二人きりに。
「さし引きのこり二人寝るはづかしさ」
「顔二つはじめてならぶはづかしさ」
お互い慣れていなくて、結局何もしないまま終わることも。
「手廻しをせぬとしはぐる新まくら」
「とろとろとすると花嫁おこされる」
疲れ切った花嫁がやっと眠りについたと思ったらもう朝です。今日からは娘ではなく大人の女としての生活がスタートします。
「一生にたった一と朝おもはゆき」
「そのあしたおきどに困る嫁の顔」
初夜の翌日の気恥ずかしさが表れている句。現代で初夜が夫と初体験、という人はいるのでしょうか。
「七十五日いきのびるはづかしさ」
初物を食べると七十五日生き延びるという説がありました。お互い処女、童貞だった場合寿命が延びるという特典が。貞淑に生きて来た人徳です。
「女初て花開くあるきつき」
「愛想に嫁は一口なぶられる」
初体験のあとは歩き方が違うと言われ、一挙一動を観察されたり、どうだったかと聞かれたり、花嫁の試練は続きます。婚礼までは恥ずかしいことばかりでしたが、いずれ羞恥心もあまり感じないタフな熟女になっていくのでしょう。

第16回婚礼の段取りedo16.jpg