三樹書房
トップページヘ
design
第3回 カロッツェリア「ピニンファリナ」を考察する
2019.8.30

ピニンファリナはイタリアの‟カロッツェリア"と呼ばれる独立したデザイン会社である。 "カロッツェリア"とはイタリア語で馬車や自動車のボディをデザイン&製造する業者のことで、英語では"コーチビルダー"が同意語になる。
かつて、イタリアで創出されるカーデザインは、多くのカロッツェリアがしのぎを削っていた。前回紹介したジウジアーロが在籍していた「ギア」社、「イタルデザイン」を始め、「ベルトーネ」、「ザガート」、「ミケロッティ」、「IDEA」等々。その中で、1930年設立された「ピニンファリナ」は、イタリア最大のカロッツェリアとして君臨し光り輝いていた。
創出した素晴らしいデザインは数知れず......。
最も有名なのは、1960年代からのフェラーリやアルファロメオへ提供したスポーツカーのデザインだろう。日本の、いわゆる"スーパーカー世代"の憧れのデザイン会社であった。
「ピニンファリナ」がイタリア最大のカロッツェリアとして君臨したのは、デザインばかりではなく、設計や特殊なオープンカーの屋根の開閉に係わる製造設備までもを、得意分野として持っていたことが理由としてあげられる。風洞実験設備も、カロッツェリアとしては、唯一稼働させていたほど、大きな自動車メーカーに引けを取らない設備と人員を抱えて活動をしていた。スポーツカーの流麗なデザインは、空気抵抗力学を風洞実験で裏付けして出す能力や知見が備わっていたからであろう。かつて日本でも『速いものは美しい』という広告コピーがあったが、速く走れるだけではなく、美しさも求めるというイタリアの気質(その意味では「速いものは美しくなければいけない」と言い換えることができるかもしれない)を、ピニンファリナはデザインで表現していたのだ。カタチだけではない、機能(空力)を武器として形に意味を持たせたデザイン活動を行っていたからこそ、誰をも魅了するカーデザインが生み出されたのだと私は確信する。
日本では、古くは1963年に日産が、2代目のブルーバード(410型)のデザインや、1965年の2代目セドリック(130型)のデザインを委託した。

ishii03-01.jpg
ブルーバード410型(左)とセドリック130型(右)

410型ブルーバードは当時欧州で流行したテール下がりの空力デザインが、日本では不評で人気は出なかった。セドリック130型も同様に、サイドのキャラクターラインからテールに向かって下がるデザインであったので、翌年、翌々年もテールランプを2度にわたって変更するなど、改善を実施した。日本は当時、米国の豊かな生活や文化にあこがれを持っていた。そこに、欧州の‟無駄を省いたデザイン"を提案したことは、失敗であったと思わざるを得ない。
ジウジアーロのデザインに対して、ピニンファリナが日本車をデザインした中で、成功事例は少ない。これは、日本の自動車メーカーや顧客の当時のニーズと、ピニンファリナらしさを崩さないデザイン姿勢とのずれにも、その原因があると思われる。
しかしホンダは例外で、前述のオープンカーの特殊車両の生産工場を持っていて、世界中のメーカーから依頼されるオープンカーの改造設計や生産も行っていたピニンファリナに、初代CITYのカブリオレ(オープンカー)のソフトトップの車両改造と、ルーフのキャンバストップの格納設計デザインから生産まで委託した。CITYカブリオレのサイドには、ピニンファリナマークが装着されている。その後、1985年にはコンセプトカー『HP-X』の共同制作を依頼して独創的なホンダデザインを出展した。1995年には、コンセプトカー『Argento Vivo』で HONDA初のフロントエンジンリヤドライブレイアウトの車両を創出した。シャープで流麗な造形を、金属と木目を生かした素材で見事にデザインしていた。
三菱も『パジェロピニン』(欧州仕様)を、ピニンファリナの工場で生産していた。

ishii03-02.jpg
CITYカブリオレ

ピニンファリナも、ジウジアーロのイタルデザイン同様に、自動車以外のプロダクトデザインを数多く創出している。
ヨットなどの船舶や、電車、トラック、バスなどの公共交通機関のトランスポーター、トラクターやフォークリフトなどの働く車両、オートバイ、時計、靴、洋服やネクタイや財布などの小物まで幅が広い活動をしていた。2006年に地元イタリアで開催された冬季トリノオリンピックでは、国家を代表して、聖火台やトーチのデザインも実施した。イタリアを代表するカロッツェリアであった。
しかしながら現在は、2015年12月にインドのマヒンドラグループ傘下となり、その子会社として活動を行っている。
スーパーカー少年だった1970年代、イタルデザインとともにピニンファリナを崇拝していた私たち世代には、残念な時代の流れである。
その背景には、自動車デザインの主役がカロッツリアから、インハウスデザインに移ってきたことがあげられる。現在、フェラーリのデザインもインハウスであり、歴史上あれほど多くの傑作デザインを創出したピニンファリナは、ほとんど名前が出てこない。
また、インハウスデザイナーが有名(スターデザイナー)になるケースも多くみられる。メーカーのクルマ造りが変わってきており、これには第一話で書いた、『ブランド戦略のためのデザイン』が大きく影響している。デザインのアウトソーシングは、時には秀逸な尖ったデザインが創造される場合があるが、ブランドデザインの統一感からは大きく離れてしまう。また、メーカーはクルマ造りに於いて、デザインだけ優先するのではなく、パッケージの大きな開発や、視界性能や空力性能に至るまで、顧客へ提供する価値として、その独自性を商品に織り込む必要がある。これらの性能開発はデザイン開発と並行に推進されるためにデザインだけ切り離すことが出来ない現実がある。独自のメカニズムを熟知しており、更には市場ニーズ=顧客価値を理解してスタイリングデザインが想像できるインハウスデザイナーが重要になってきたと言える。
これらの開発の仕組みやプロセスが、社外のデザイン会社、特にカロッツェリアには逆風になったと考える。カロッツェリアなりの独自性を伴ったデザインは、メーカーラインナップの中では異端児的な商品として出さなければならず、カロッツェリアが、メーカーの上位に位置するブランドになる必要も出てきてしまった。
この流れの中で、古くはギアがFORDの傘下になったり、少し前では、イタルデザインがVW傘下になったりしているのであろう。そして、2015年にはインドの自動車会社のマヒンドラグループに、ピニンファリナも傘下に収められてしまった。

最後に、ピニンファリナに在籍した著名なデザイナーを挙げておこう。(敬称略)
レオナルド・フィオラバンティ:1938年1月31日生まれ(ジウジアーロ、ガンディーニと同年)イタリア人のカーデザイナー。70~80年代のスーパーカーが最も輝いていた時代、流麗で美しいフェラーリの傑作車をデザインした。フェラーリと言えば......で頭に浮かぶデザインは彼の秀作が多い。365GT4 BB、ディノ206GT、デイトナ、308GTB、288GTO、F40などがそれである。
エンリコ・フミア:1948年生まれ。イタリア人のカーデザイナー。1976年にピニンファリナに入社。美しいセダンアルファロメオ164を世に出した。初めてのフロントエンジンフロント駆動(FF)のアルファスパイダー/GTVを担当。1991年に、ランチアに移籍後、イプシロン、リブラを手掛けた。2002年に独立。現在はエンリコ・フミアデザインで活躍。個性際立ったデザインを創出するデザイナーである。
パオロ・マルティン:ディノ206コンペティツィオーネ、シグマF1、512モデューロ等のコンセプトカーを得意とした(量産車ではランチアモンテカルロもデザインした)
ケン・奥山(奥山清行氏):1959年生まれ。山形県出身。GMとポルシェで活躍後に、ピニンファリナに入社。エンツォフェラーリを手掛け、日本人で初めてフェラーリをデザイン。マセラティクワトロポルテもピニンファリナ時代の作品。2007年に独立後、故郷に山形に、KEN OKUYAMA DESIGNを設立。2008年に初の市販車K.07を発表。ヤンマートラクターなどの農業製品や、四季島などの電車のデザイン、メガネ、南部鉄瓶などのプロダクト製品など幅広く活躍。

そうそうたるメンバーが名を連ねるピニンファリナ。1960年代から2000年代にかけ、数々の才能あるデザイナーたちによって、時代の先端であり今でも人気で語り継がれるカーデザインが生み出されていた。

このページのトップヘ
BACK NUMBER
執筆者プロフィール

1962年(昭和37年)、埼玉県生まれ。
富士重工業株式会社(現在のSUBARU)に入社、デザイン部配属。1991~94年、SRDカリフォルニアスタジオに駐在し、帰国後3代目レガシィのエクステリアデザインリーダー、2代目インプレッサのデザイン開発リーダーを務め、2001年~2007年は先行開発主査、量産車主査を歴任。2011年商品開発企画部部長兼務デザイン担当部長(先行開発責任者)となり、2013年デザイン部長就任。2014年のジュネーブショーカー『SUBARU VIZIV‐IIコンセプト』から、SUBARUのデザインフィロソフィ『DYNAMIC×SOLID(躍動感と塊感の融合)』を発表した。
三樹書房『SUBARU DESIGN』(著者:御堀直嗣)は、石井が御堀のインタビューを受けてまとめられたもので、本書に記載されている450点の写真については、石井が厳選して、それぞれの写真に自らコメントを書いている。

関連書籍
スバル デザイン
トップページヘ