三樹書房
トップページヘ
kawasakiw
第7回 メグロK1からカワサキK2へ、車体部継承と変化
2017.12. 1

 1964年の東京オリンピックの白バイ隊パレードは、明石から遠征した川崎航空機工業側のスタッフ達が横浜工場周辺に泊まり込みで、カワサキメグロ製作所が製品造りを終えた工場内でメグロ退職者とともに組み立てた、新車のK1Pが重責を果たした。
 計画のあったSOHCツインのエンジンから、結局はK1をカワサキ流儀にレベルアップしたK2の生産が1965年1月から明石工場にてスタートする。エンジンは川崎航空機工業(当時の社名)の4サイクル担当であった稲村暁一が担当し、それまでの白バイ時のウイークポイントを解決することになった。
 他方、車体設計側は多くのメグロ関係者が明石工場に移ったためか、ほとんど改良する必要がないと判断した。ただし設計図面の引き方がメグロとカワサキでは異なる(側面図について、カワサキKIS(カワサキ・インダストリアル・スタンダード) 方式は前が左側にくるが、メグロは逆)ために、すべて新規図面になった。
 ここでは前回のエンジン系に続き、車体関係部分を追ってゆくことにする。しかし主だった改良がない、といっても時流に合わせての設計変更がされていった。

1_th_IMGP7063.jpg

 メグロスタミナK1の車体は、単気筒=シングル系のシングルループまたエンジン下で2本パイプになるセミダブルクレードルから、セニアT型以来の2気筒=ツイン系伝統のダブルクレードルフレーム式とした。これは大きな重いエンジンを前・後・下から支えるためであった。

2_のコピー.jpg

 フレーム図比較。左がメグロK1、右がカワサキK2のパーツリストのものである。エンジンは英BSA的であるが、フレームはメグロ色の強いもので、タンク下部のレール下の補強パイプがBSAではステアリングヘッド上部に伸びるが、メグロは下部で剛性を高めている。またリアのフェンダーレール部も前側ダウンチューブが後部ショック取り付け部に達する方式で、英車でもトライアンフやアリエル式に近い。右のK2のシートレール左右にパイプが加わり剛性を向上せているのがわかる。

3_th_IMGP2792.jpg

 カワサキK2の外装は、カワサキデザインルームでリファインされた。カワサキブランド第一号車のカワサキペットM5、50ccは松下電器のデザイナーだった鶴岡英世との協力で完成、大阪デザインハウス賞を受賞している。メグロもKSスポーツ、アミカなどは由良令吉のデザインであり、両社ともにデザインを意識した製品造りをしていた。K2は前回で述べた三秋郁夫が担当したが、M5のクレイなど担当した古参であった。そのため、メグロ技術者達に敬意を払い、慎重に各部をデザインした。

4_th_26Scanのコピーのコピー.jpg

 メグロから移ったメンバーは21名ほど、車体設計の糠谷省三、小野田邦重、冨樫俊雄、宣伝の小林勝らがカワサキでも手腕を振う。K2の車体系ではメグロからカワサキへの生産移管という扱いであった。上はパーリストの比較で、左のK1と右のK2では、バッテリーの大型化により、ツールボックスが新調されたのがわかる。

5_th_IMGP2678_Rのコピー.jpg

 車体周りの細かい艤装、フレーム周りは小野田邦重らが担当した。ショックユニットなどはメグロ同様の萱場工業製を使うなど、多くが目黒製作所時代の部品メーカーに発注したとされる。

6_th_sIMGP3323のコピーのコピー.jpg

 カワサキとメグロ提携直後、カワサキのB7やペットM5はエンジン不調で、明石工場には返品車両の山となり、出荷車より返品が多い日もあったという。そこで「これが売れなければ二輪事業から撤退!」という命を受けたのが、2サイクル担当の松本博之だった。旧カワサキ車オーナーを訪ねクレームを聞いて完成させた125B8が大ヒットして、カワサキ立て直しに貢献した。このためK2のフラッシャーは流用、テールは円形デザインを踏襲することになる。

7_th_IMGP2616.jpg

 だが重量車開発は1960年代、どこもやっていなかったためか、大きいヘッドランプはメグロしかなく、K2にもMW(メグロ・ワークス)入りのレンズなどをそのまま流用、リム部はカワサキらしさを出すためツバなしにした。ただし白バイ用には外観的にK1Pと揃えるためツバ付きのK1のまま流用された。またカワサキファンむけに設定した250SGもツバ付きで生産された。

8_th_24Scanのコピー.jpg

 パーツリストでのヘッドランプ、ワイヤーハーネス、ワイヤー、ヒューズボックスなど各部比較。左のK1、右のK2ともに、全く同じであることがわかる。もっともK1からK2までのモデルチェンジ移行期間は、わずかに5年ほど、K1誕生からK2終焉までが、わずかに7年という短命であった。

9_th_メーターのコピー.jpg

 メーター比較、左がK1で140km/h、右がK2で180km/hスケール。「えっ!」と思う人もいるだろう。K1の最高速度は150ないし155km/h、実測で156km/hを、当時の試乗記で計測している。であるのに140km/hというのは、まだ高速道路もなく、必要なかった、という理由である。白バイ仕様では、地方によってガソリンのオクタン価が低いと判断してパワーを落として出荷したほどである。なおK2とほぼ同時期に登場した250SGのメーターも140km/hスケールであった。

10_th_IMGP2850.jpg

 メグロ車のフラッシャー(方向指示器)ランプは、1958年のSOHC系250F、125E3型から装備。当初円筒型レンズだったが、K1以降水滴型になり、以降発売の全車に共通装備品となった。K2は前にも説明したようにメッキ板を巻いて、前後にレンズを持つ簡易なB8用が装備された。

11_th_25Scanのコピー.jpg

 灯火類のパーツリスト比較、左がK1、右がK2である。K1用はメグロの共通部品だったが、カワサキK2になって重量車の振動対策の点で苦慮したのがテールランプだった。新鮮さも欲しいということもあり、バイクの常識を打ち破る円形デザインを採用した。もっとも新規開発では金型のコストが掛かるため、小型自動車に参入したばかりの、スカイライン1500と似たリア・フォルムを持つ三菱コルト1000用を流用したようだが、ビス数がコルト3、カワサキ2本で金型は全く同じではないようだ。

12_th_sIMGP7023のコピー.jpg

 テールランプ比較、左がメグロK1のいわゆる英ルーカススタイル、右がカワサキの円形スタイルで、当時は大きすぎて違和感を与えたが、1966年以降、スーパーカブに始まる北米輸出用モデルのランプ類が大型化して、気にならなくなる。K1用テールはカワサキ250SGに継承され、1969年まで続いてゆく。

13_th_IMGP2812th_.jpg

 二輪車の顔とも言われるのがガソリンタンク。上がK1、下がK2でほとんど同じ形状を踏襲。わずかにタンクマーク中央が「MW」から「川」をデザインしたものに変わっている。ニーグリップ部は両車ともにメグロマーク入り。タンクキャップはメグロ色をなくしたカワサキタイプとなった。

14_th_Scan 4のコピー.jpg

 タンク部分のパーツリスト比較で左がK1、右がK2。タンク本体、燃料キャップ、燃料コック、下部左右貫通ホースの方式など、結構変わっていることがわかる。担当デザイナーによると、時流により変わっているわけだが、そこはメグロの品格に敬意を払うことに努力した、と語ってくれた。

15_th_sIMGP2653のコピーのコピーth_.jpg

 燃料タンク下部の様子、上がメグロK1で前にガソリン貫通パイプ、その後部にガソリンタンクスクリューが見える。メグロ方式は一見して凝った設計であるが、部品点数が多くガスケット部からの燃料漏れが考えられる。下のカワサキK2は簡易なガソリンホースとバンドの組み合わせで、1950年代の小排気量車に見られた手法。ホースの弾性劣化がない限り、振動にも強い方式といえよう。

16_th_フェンダー.jpg

 フロントフェンダー形状もイメージ的には大きく変わっていないが、左のメグロK1に対して、右のカワサキK2では下部フェンダーステーが左右一体のU型クロームメッキステー採用で取り付け部を強化、多少豪華にして部品点数の減少にも貢献させていることがわかる。

17_th_21Scanのコピー.jpg

 フェンダーのパーツリスト比較、左はK1で右がK2。ステー部分を一体式強化ステーにして、組み立て時の工数軽減をはかりつつ、振動対策をしているのが特徴。バーチカル(直列)ツイン(2気筒)車の振動がハンパでないのは、2サイクル主体のカワサキ設計陣には信じがたいものだったようだが、メグロ出身設計者にとっては「あたりまえ」のものだった。

18_th_IMGP2818のコピーのコピー.jpg

 リアスイングアーム部分とブレーキとワイヤー作動、リアステップなどの比較。上がメグロK1、下がカワサキK2。大きな変化はみられないが、スイングアーム部を左右方向に貫通するシャフトがK1の溶接式に対して、カワサキK2ではセレーション加工の角度調整式に進化。またブレーキドラムは新設計、モナカ合わせのマフラーは同じ形状だが、後部タンデムステップはK1のプレス鋼板製に対し、K2はラバー式ステップを採用している。

19_th_23Scanのコピー.jpg

 パーツリスト比較にみる車体のミッションハンガー部や、ステップ、ブレーキペダル部品類。左がメグロK1、右がカワサキK2でブレーキ部貫通シャフトはセレーション加工にして別体化したが、これは部品の製作工数軽減と、生産ラインで組み立てしやすく、自在に調整をできるようにしたものである。

20_th_IMGP2687のコピー.jpg

 ハンドル部に大きな変化はない。需要の多くが白バイであり、1950年代から乗車姿勢を上半身まっすぐに立った、いわゆる乗馬姿勢の「殿様乗り」を満たすためでもある。基本的なハンドル幅=全幅は90cmでモトクロッサー並みであるのがわかる。

21_th_sIMGP2758のコピーのコピー.jpg

 ブレーキドラム経は前後180mm径ライニング幅35mmで共通。シングルリーディングリンク方式は設計年次が1959年頃のため、重量車としては一般的サイズ。ただホンダCB92登場で高速車は200mmのダブルリーディングがあたりまえとなり、K2の高速車とされる650W1は、カワサキ車初の大径ブレーキ採用車となってゆく。左のK1ではブレーキワイヤーが垂直式で、右のK2ではワイヤーが水平に長めのワイヤーを装着しているが、これはフロントフォーク作動時にワイヤー遊びに余裕を持たせて、レバー操作を軽くできるようにしたものと考えられる。

22_th_sIMGP7057のコピー.jpg

 バックミラーもK1の伝統ある円形方式に対し、同じ方式をカワサキでも採用したが、K2になると社外品との差別化によりカワサキ旗マークの刻印が施されたのが特徴といえよう。こうして国産最大排気量を誇ったメグロ及びカワサキの500cc車は、多くのマニア達に愛用され続けて、今日も元気で走っている。

このページのトップヘ
BACK NUMBER
執筆者プロフィール

1947年(昭和22年)東京生まれ。1965年より工業デザイン、設計業務と共に自動車専門誌編集者を経て今日に至る。現在、自動車、サイドカー、二輪車部品用品を設計する「OZハウス」代表も務める。1970年には毎日工業デザイン賞受賞。フリーランスとなってからは、二輪、四輪各誌へ執筆。二輪・三輪・四輪の技術および歴史などが得意分野で、複数の雑誌創刊にもかかわる。著書に『単車』『単車ホンダ』『単車カワサキ』(池田書店)、『気になるバイク』『チューニング&カスタムバイク』(ナツメ社)『国産二輪車物語』『日本の軽自動車』『国産三輪自動車の記録』『日本のトラック・バス』『スズキストーリー』『カワサキモーターサイクルズストーリー』』『カワサキ マッハ』『国産オートバイの光芒』『二輪車1908-1960』(三樹書房)など多数。最新刊に『カタログでたどる 日本の小型商用車』(三樹書房)がある。

関連書籍
カタログでたどる 日本の小型商用車
カワサキ マッハ 技術者が語る―2サイクル3気筒車の開発史
トップページヘ