第5回 「浮世四拾八手 ひいきをたのしみにみる手」溪斎英泉/「当世好物八契 三味線」溪斎英泉

9、浮世四拾八手 ひいきをたのしみにみる手 溪斎英泉 文政4~5年(1821~1822)

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 女髪結が、若い女性の島田髷を元結(もとゆい)で縛(しば)っているところで、元結の縛ったところにつばをつけて湿らせ、結び目が緩(ゆる)まないように力を込めている。元結は、紙を撚(よ)って紙縒(こより)のようにしたもの。紙縒と違うところは、紙に糊をつけたところであろう。なので、結び目をほどくときは鋏で切るしかなく、1回しか使えないところが難点かもしれない。使い回しができないのである。
 髪を結ってもらっているのは、遊女か芸者であろう。女髪結に贔屓(ひいき)といわれるのは、いつも髪を結うのを頼んでいるからであろう。一般庶民の娘には、それだけの余裕もないはずである。髪型は、前述したように、未婚女性の結う島田髷。両手に持っているのは、髷のところに掛ける手柄(てがら)であろう。この手柄を掛けると、島田髷でも「結綿(ゆいわた)」という名称になる。着物は蝶模様で、襦袢の襟なのか、梅に観世水(かんぜみず)が描かれている。
 左手の小指にからませ、右手でも元結を掴んでいる女髪結は、お歯黒をして薄い青眉である。たぶん子持ちであろう。髪型は既婚女性の結う丸髷。商売道具の髱寄(たぼよ)せという櫛を前髪に挿し、左の鬢の辺りに赤い飾り櫛を挿している。自分のお洒落にも気を使っているのか、よく見ると桜の花の両天簪(りょうてんかんざし)と琴柱形(ことじがた)の簪も挿している。着物は菖蒲の花模様。襦袢の襟は竜田川模様になっている。
 江戸時代の女性たちは、自分の髪は自分で結うのが当たりまえであったが、時代によっては、髪型が技巧的になり、自分では結えないような形もあった。その時は、身内のものとか、女髪結に頼まざるを得なかった。例えば、鈴木春信が描いた浮世絵に登場する鶺鴒髱(せきれいたぼ)〔髱が上に反り返った形〕や、喜多川歌麿が描いた燈籠鬢(とうろうびん)〔鬢が薄く透けて見えた〕などもそうであろう。美しくなるためには、人の手も借りなければならない。その分、費用も掛かるということである。
 若い娘は、出来上がっていく島田髷をじっと見ている。手柄を掛けて、簪を挿して出来上がるのを想像しているのかもしれない。


10、当世好物八契(とうせいこうぶつはつけい) 三味線(しゃみせん) 溪斎英泉  文政6年(1823)

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 左手で裏桜(うらざくら)模様のべっ甲簪を手に持ってじっと見ているのは、洗い髪の粋な三味線の師匠であろうか。風呂上りかもしれない。右手で持っているのは鏡箱で、櫛や櫛払い〔櫛の垢を取り去るのに用いる刷毛〕などが乗せてある。
 長く後ろで束ねた黒髪。結び目に見えるのは新藁(しんわら)かもしれない。湿った髪に元結を結ぶと、元結の糊が付いてしまうので、何本か束ねた新藁をつかうことがあった。前髪は短く切り、お歯黒をしている。ちなみに、高位の遊女はお歯黒をすることがあるが、基本的に芸者はお歯黒をしない。となると、新内節を語る三味線の師匠と考えられるのである。
 下唇は、文政6年頃に流行していた笹色紅をしている。これから、髪を結い上げて貰うのであろう。髪飾りは、手にもっているべっ甲の簪を使うのかもしれない。着物の模様は、裏梅鉢(うらうめばち)で、肩に掛かけている布は手拭である。この女性の好みなのか、それとも溪斎英泉の好みなのか、桜も梅も裏から見た花模様になっている。
 左上に見えているのは、三味線の撥(ばち)で、その下にあるのは撥袋であろう。なにやら書かれている書物は「鶴賀」という文字が見えている。新内節で有名だった初世鶴賀若狭掾のことかもしれない。また「浦里時次郎」と書かれているので、初世鶴賀若狭掾作詞・作曲した「明烏夢泡雪(あけからすゆめあわゆき)」の節が書かれてであろう。浦里時次郎の情話で、退廃的な郭模様を描写したものである。どんな声で新内を歌い、どんな三味線の音色だったのか、一度聞いてみたい気がする。


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