第6回「傾城江戸方格 う 水道橋 丁子屋内唐歌」渓斎英泉/「当世美人合 町藝香蝶楼国貞」歌川国貞 

11、傾城けいせい江戸方えどほうがく う 水道橋 丁子ちょうじ屋内やない唐歌からうた 渓斎英泉 文政12年(1818)頃

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 「傾城江戸方格」というシリーズ物の一枚で、いろは順で、ひらがながふられているらしい。「う」は水道橋になっている。水道橋は、小石川御門の東、本郷から稲荷小路(三崎町)へ渡す神田川に架かった橋で、少し下流に神田上水の懸樋かけひ(ふしを抜いた竹や中心部をくりぬいた木を地上に架設して水を通ずるとい)があった。因みに、現在、中央線水道橋駅東口の前の橋である。
 合わせ鏡で、襟足に手をやり、白粉化粧の出来具合を見ているのは、新吉原江戸町二丁目にあった丁子屋の遊女唐歌で、足元にあるのが、白粉の「美艶仙女香」である。たぶん、白粉で襟足を燕の尾のように整えたところであろうか。首を長く見せるのも美人の条件の一つである。
 また、松竹梅が描かれた鏡台は蒔絵であろうか、化粧道具の牡丹刷毛、白粉の容器が見えている。ただ、鏡台に架かっている柄鏡は、普通、同じ模様の柄鏡が付いていると思うが、ここでは、黒地に桜が描かれ、唐歌が左手で持っている柄鏡と合わせ鏡になっているのだろう。
 着ている着物は中着であろうか、黒地に丸雨龍まるあまりゅう瑞雲ずいうん、帯びには蝙蝠こうもりが描かれている。鏡台の松竹梅同様、吉祥模様になっている。唐歌は今、全盛の遊女なのであろう。これから、島田髷に鼈甲製の簪を6~7本挿して、着物を着替え、帯を締めて、更に打ち掛けを着て、座敷に出ていくのだろう。身繕いにも時間をかけ、自分をいかに美しく見せることができるか、これからが遊女にとっては真剣勝負である。

12、当世美人合とうせいびじんあわせ 町藝まちげい 香蝶楼国貞 歌川国貞 文政12年(1818)頃

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 女性の半身像を描いた揃物で10図あるといわれている。「町藝」とは芸者のことであろう。大きな潰し島田髷に鼈甲製の櫛。長い棒のように見えるのはこうがいで、かんざしは全部で4本挿している。前髪を挟んでいる簪は、前挿し。右の蕾みのように見える簪は、髷の根のところに挿している。その下にある簪は、「差し込み」といって、菊の花の部分が取り外しできるようになっている。そして、左の下のほうに斜めに挿してあるのは、銀の簪であろうか。下手すると落ちそうである。
 因みに、簪は基本的には、挿す場所が決まっていない。
 この芸者、右手に巻いた懐紙で化粧直しをしているのであろうか。左手には懐紙を巻いた懐紙入れが見えている。着物は大小の霰小紋あられこもんか。花を裏から描いた紋を白く描いて入れている。また、黒く見える模様は、花模様らしいが、どんな花なのか不明。
 そして、二枚重ねの中着なかぎの赤い襟には、麦を束ねたような模様が描かれ、どことなく洒落た感じで描かれている。
 考えみると、鏡も見ずに、慣れた手つきで化粧直しと思ったが、本格的なものではなく、そっと白粉を押える程度であろう。水で溶いた白粉を下手に直すと、白粉がまだらになることもある。
 右を向いて、何かをじっと見ているのは気になるが、仲間と話に夢中になっている、そんな一瞬かもしれない。
 上にある、扇形のこま絵には、桜の紋の入った着物と帯であろう、きちんと畳んである。当人のものか分らないが、なにかきっぱりとした芸者のように感じるのは、私一人であろうか。

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