2015年8月アーカイブ

 男女が出会って恋に落ちる......人間の営みの基本ですが、江戸時代も、現代と同じような恋愛模様が繰り広げられていました。
 しかし、今では絶対に受け入れられないと思われるのが、男性が女性をナンパするときの手法。
「つめられるたんびに娘そだつなり」
「こころみにつめって見ればむごん也」
つめる......、そう、「つねる」のです。タイプの女性を見つけたら、男性はその女性のお尻をつねって気を引いたそうです。叩くパターンもあったそうですが、どちらにせよ現代では軽犯罪の域。今自分で自分をつねってみましたが、お尻は脂肪が厚いので全然痛くないです。だからといってやっていいこととは思えません。しかし江戸時代では......
「憎くない娘他人につめられる」
「間ちがひでたたひた尻が封じて来」
間違って別の女性のお尻を叩いてしまっても、女性の方がその気になって手紙を送ってくることもあったり、この風習に対してまんざらではなかったようです。
 一方で文化系男子の口説きは、手紙を送ることでした。つねるよりもはるかに紳士的です。
「こわいもの見たし生娘封を切り」
「あたりをきっと見廻して文を出し」
周りに見られないようドキドキしながら封を開ける乙女心。
「恋の文臍といもじの間に置き」
 いもじとは腰巻きのこと。大事な恋文を下着に入れて隠し持っています。やはりメールと比べ手紙は直筆だったり物体として存在しているので、強いです。つい最近も片思いの相手に毎日40通手紙を渡し続けて結ばれた俳優がいましたが、言霊の力が発揮される手紙の力が、また見直される予感です。
 でも江戸時代の娘さんははっきりしていて、嫌いな相手からの手紙だったら、
「わがすかぬ男のふみは母に見せ」
「なげかへす文をおぼへて居なと取り」
お母さんに見せたり、投げつけたりと、にべもないです。 
 手紙以外でも、タイプでない男性に口説かれた女子は......
「わっちゃあいやよとこわ高に娘いひ」
「不承知な娘ひたいへしわをよせ」
と、露骨すぎる拒否反応。
「寄りなると是でつくよとむすめいい」  
と、針仕事中の女子は針で威嚇したり
「逃げしなに娘きせるでむごくぶち」
キセルで激しくぶってきたり、江戸の女子は気が強いです。
しかし男子の口説き方が、ぶたれても仕方ないくらいひどい場合も。
「くどきそびれてかんざしを又かりる」
「かんざしを借りかの穴をほる手だて」
当時、女子に声をかける口実として「耳の穴を掃除したいからかんざしをちょっと貸して」と頼む風習があったとか。かんざしで耳掃除......ゾワゾワします。ふつうに汚いし、現代ではありえません。言われたら瞬時に生理的にダメになります。江戸時代の女子は、好きな相手にならお尻をつねられても、かんざしを耳垢まみれにされても良いと言うのでしょうか。価値観がおかしいです。
 男女の駆け引きはまだ続きます。
「くどかれて娘は猫にものをいひ」
と、猫にそっと告白してみたり、
「よしなよとむすめ一寸ほどゆがみ」
口ではよしてと言いながら、体は男性の方に傾いていたり
「れて居てもれぬふりをしてられたがり」
惚れていてもそれを相手には見せないテクニックや、
「逢ふ度にこわがりながら逢ひたがり」
娘心に男性の本当の望みは何であるか察している様子など、恋愛初期のドキドキするシーンが川柳に描かれています。
「ばからしいいやとくらい方へにげ」
いやがりながらも、人気のない方へ自分から男性を導く女子の姿が目に浮かびます。
「とく心のむすめふふんと笑う也」
「文を書く娘は封を切らせる気」
と、それとなくOKだと相手に伝え、覚悟を決めます。
「今ふうはすてっぺんから寄りかかり」
「いじらせて見なとおへねへむすめいひ」
自分からしなだれかかったり、挑発する積極的な女子も。「おへねへ」は「手に負えない」の意です。
 男性側も、言葉巧みに女子を説得しようとします。
「いたひこたないとむすめをくどいて居」
「はらまないしかたがあるとくどく也」
痛くないから、避妊気をつけるから、とここは今と変わりません。
「毛にさわる迄は地女むづかしい」
「地女」は素人女(遊女ではなく)の意味。生々しい川柳です。
「今するかするかとこわくはづかしい」
「はづかしさかくごのまえにわりこまれ」
そしてついに男子は思いを遂げ、女子は処女喪失。
 処女が非処女になった場合、どのような変化があるのでしょうか。現代で言われている都市伝説が、非処女は足首がきゅっと締まっているとか、鼻の頭を押した時先が割れたら非処女、黒目と白目の境目が青いと処女で青くないと非処女、など。乳首が黒ずむ、という説は江戸時代にもメジャーでした。
「ませ娘歯よりも乳首を先へ染め」
 それ以外にも、
「生きものを喰って尻が平くなる」
「太棹を遣って娘の声変わり」
 江戸時代の人の鋭い観察によると、処女が非処女になった時の変化は、「声が少ししわがれる」「ふっくらしていたお尻が平らになる」など。
「初茸を喰ふと娘の声がさび」
初茸を切ると刃物がさびる、という現象を、男性器と娘の声にかけている名句です。
 一度性行為の気持ちよさを覚えてしまうと、病み付きになり、結果子どもができてしまうことも。
「白状をむすめはうばにしてもらい」
「根をおして聞けば娘は泣くばかり」
「しかられて娘はくしのはをかぞへ」
 思い詰めて家出してしまう女子もいました。
「しんじつな娘へのこを追って出る」
 妊娠して思い悩む女子もいれば、子どもをおろしたり、ビッチ系キャラと開き直って遊ぶ女子もいます。
 「あいきゃう娘そこからもここからも」
 長屋の壁や便所などに、色娘の名前が落書きされることもありました。
「雪隠に有る名のむすめすごいもの」 
 ちょっと前まで、ヤンキーのかわいい子の名前が街のベンチとかに彫られたり、この風習は続いていた気がします。すっかりネットに代替わりしましたが......。
 ビッチで名を馳せた娘さんは、それ相応の、芸者になったり隠居や僧侶のお妾におさまったり、色女としての人生をまっとうします。
 「御めかけに出たで近所のおだやかさ」
 江戸時代の男女はナンパしたり、されたり、恋愛離れとは無縁の刺激的な青春を送っていたようです。もう少し、異性への許容範囲を広げてみたら? とご先祖様に言われているようですが、かんざしで耳掃除だけは絶対に受け入れられません。

第11回江戸のナンパ術edo11 .jpg

11、傾城けいせい江戸方えどほうがく う 水道橋 丁子ちょうじ屋内やない唐歌からうた 渓斎英泉 文政12年(1818)頃

第6回 11.jpg

 「傾城江戸方格」というシリーズ物の一枚で、いろは順で、ひらがながふられているらしい。「う」は水道橋になっている。水道橋は、小石川御門の東、本郷から稲荷小路(三崎町)へ渡す神田川に架かった橋で、少し下流に神田上水の懸樋かけひ(ふしを抜いた竹や中心部をくりぬいた木を地上に架設して水を通ずるとい)があった。因みに、現在、中央線水道橋駅東口の前の橋である。
 合わせ鏡で、襟足に手をやり、白粉化粧の出来具合を見ているのは、新吉原江戸町二丁目にあった丁子屋の遊女唐歌で、足元にあるのが、白粉の「美艶仙女香」である。たぶん、白粉で襟足を燕の尾のように整えたところであろうか。首を長く見せるのも美人の条件の一つである。
 また、松竹梅が描かれた鏡台は蒔絵であろうか、化粧道具の牡丹刷毛、白粉の容器が見えている。ただ、鏡台に架かっている柄鏡は、普通、同じ模様の柄鏡が付いていると思うが、ここでは、黒地に桜が描かれ、唐歌が左手で持っている柄鏡と合わせ鏡になっているのだろう。
 着ている着物は中着であろうか、黒地に丸雨龍まるあまりゅう瑞雲ずいうん、帯びには蝙蝠こうもりが描かれている。鏡台の松竹梅同様、吉祥模様になっている。唐歌は今、全盛の遊女なのであろう。これから、島田髷に鼈甲製の簪を6~7本挿して、着物を着替え、帯を締めて、更に打ち掛けを着て、座敷に出ていくのだろう。身繕いにも時間をかけ、自分をいかに美しく見せることができるか、これからが遊女にとっては真剣勝負である。

12、当世美人合とうせいびじんあわせ 町藝まちげい 香蝶楼国貞 歌川国貞 文政12年(1818)頃

第6回 12.jpg
 女性の半身像を描いた揃物で10図あるといわれている。「町藝」とは芸者のことであろう。大きな潰し島田髷に鼈甲製の櫛。長い棒のように見えるのはこうがいで、かんざしは全部で4本挿している。前髪を挟んでいる簪は、前挿し。右の蕾みのように見える簪は、髷の根のところに挿している。その下にある簪は、「差し込み」といって、菊の花の部分が取り外しできるようになっている。そして、左の下のほうに斜めに挿してあるのは、銀の簪であろうか。下手すると落ちそうである。
 因みに、簪は基本的には、挿す場所が決まっていない。
 この芸者、右手に巻いた懐紙で化粧直しをしているのであろうか。左手には懐紙を巻いた懐紙入れが見えている。着物は大小の霰小紋あられこもんか。花を裏から描いた紋を白く描いて入れている。また、黒く見える模様は、花模様らしいが、どんな花なのか不明。
 そして、二枚重ねの中着なかぎの赤い襟には、麦を束ねたような模様が描かれ、どことなく洒落た感じで描かれている。
 考えみると、鏡も見ずに、慣れた手つきで化粧直しと思ったが、本格的なものではなく、そっと白粉を押える程度であろう。水で溶いた白粉を下手に直すと、白粉がまだらになることもある。
 右を向いて、何かをじっと見ているのは気になるが、仲間と話に夢中になっている、そんな一瞬かもしれない。
 上にある、扇形のこま絵には、桜の紋の入った着物と帯であろう、きちんと畳んである。当人のものか分らないが、なにかきっぱりとした芸者のように感じるのは、私一人であろうか。

※収録画像は太田記念美術館所蔵。無断使用・転載を禁じます。

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