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第4回 ハイエースvsキャラバン対決始まる
2021.12.01

 1970年代に入り、国産乗用車のモデル増&多様化と同様に、ワンボックス車の多様化がスタートした。トップメーカーのトヨタはハイエースでフルサイズバン&ワゴン系の市場をリードし、さらにボディサイズ別のラインナップの増加によって需要にあわせた購買層を獲得することに成功する。ハイエース、ライトエースの間を埋めるべくタウンエースを加え、軽規格の550ccによるボディ拡大に対応させ、ミニエースの販売を終了することになる。

 時代はより贅沢な車両を欲するようになってゆくが、まだ乗用車の普及は今日とは異なり、一般家庭ではカローラやサニークラスの乗用車が購入できる程度で、乗用車ベースのライトバンが商用車として知られたものの、ワンボックス系のキャブオーバー・バン(キャブバン)はあくまでも「トラック」的設計と判断されていた。

 しかしながらマツダのボンゴやトヨタのハイエースがもたらしたモダーン・デザインは、それまでのトラック然としたキャブバンの世界を一新させることに成功。トヨタは1972年10月からハイエースバンの後部スライドドアを左右に採用して便利さを強調してゆく。

 これを受けてフルサイズワンボックスの市場に1973年2月、ようやく日産も参入することになり、キャラバンを投入、大きな窓のゆったり感あふれたデザインが親近感を与えた。しかしトヨタは1973年9月より他社製品をリードすべく、需要の多い小型のライトエースバンにも後部の左右スライドドア車を加え、さらにハイルーフ仕様も加えて室内高1415mmを実現する。

 対する日産は1976年1月からプリンス店向けのホーミー投入に合わせて、キャラバンとともに排気量も排出ガス適合とした2000ccに変更してゆく。ホーミーの名称は、プリンス自動車工業が日産合併前に640系ホーマートラック、640系ホーマーバンとして販売した際に、マイクロバスは640系ホーミーとしたものに由来し、日産合併後もラインナップされたが、1970年から日産ホーミーと命名されていたモデルの後継車となっての登場だった。

 日産のラインナップ増大策に対し、トヨタはより多くの需要が見込めるハイエースとライトエースの中間に位置する新型車タウンエースを1976年10月に投入。その乗車ポジションはファミリー向けにふさわしく、トラックよりも乗用車然としており、乗用ワンボックスワゴンとして初ともなるフルフラット化シートを初採用しての登場となった。

 またハイエースはパワーアップ策として1800ccを加えたが、翌1977年2月にはフルモデルチェンジを実施して2眼ヘッドライトの新型ボディとし、バンに加え2000ccワゴンを新型車として投入。トヨタはフルサイズワンボックス車にもキャンピングカー的要素を盛り込み、ハイエースにもフルフラット化シートを実施する。

 それは、まさに高級乗用ワゴン時代への先駆けとする一方、しっかりと送迎車&マイクロバスの役割のコミューターも充実させたもので、新構想のワンボックス・ラインナップを確立したともいえたのである。

 1972年10月発売のハイエースの1974年10月版のカタログ。ラインナップは12R型1600cc、83psが主力だが、廉価版として3P型1345cc、70psも残され、トラック、バン、ワゴン、コミューターに、最長ボディの1および2ナンバー以外のモデルに設定するセールスの上手さをみせていった。

 全長4.3mのバン系には5ドア仕様が加えられ、バンでありながら乗用車感覚で乗降できることを広く理解させることに成功してゆく。

 ハイエースは10名乗りワゴン、12名乗りコミューター両車には3P型1345cc、70psで115km/hの街中用、12R型83psで130km/hの高速道路用をラインナップして細かい顧客対応をみせた。

 E20型キャラバンの乗用登録車、コーチ&マイクロバスカタログ表紙。ボディが隠れてしまっているが、窓の大きさを強調しているのかもしれない。運転してみると視界が良く高速道路での走行は楽だったが、エンジン出力とのバランスから100km/hまでが快適だった感があった。

 キャラバンの快適性を紹介している。1:ドアの曲面ガラス、2:灰皿数の多さ、3:スライドドア部のステップとランプ、4:事故の際の脱出に便利な脱着式後部中央部シート、5:回転チェーン装着式スペアタイヤ、6:開口巾の大きなスライドドア、7:ルームランプは2個、半ドア警告灯兼用、8:余裕ある室内、9:乗降しやすい前席、10:充分な換気方式の説明が並ぶ。

 コーチ&マイクロバスのシート配置とエンジンの組み合わせ例。コーチは1500ccで77ps、120km/h。マイクロバスはロングボディで1600ccで80ps、115km/h。ロングは右頁にあるキャンピングカーや救急車も受注生産した。コーチ&マイクロバスのシート配置とエンジンの組み合わせ例。コーチは1500ccで77ps、120km/h。マイクロバスはロングボディで1600ccで80ps、115km/h。ロングは右頁にあるキャンピングカーや救急車も受注生産した。

 全巾1560mmの新型ライトエース、両面スライド方式の5ドア車の追加で、右付け駐車も可能にして便利性を向上し、他社製品を圧倒的にリードしてゆく。

 バンとトラックは強制換気と熱線吸収ウインド付のスーパー、手動換気付のデラックス、換気装置はオプションのスタンダード。ワゴンはスーパーとデラックスのラインナップ。商用からレジャーまで楽しめた。

 細い路地の商店に横付けできる5ドアは、この頃から増えた一方通行商店街への対策ともいえ、素早い商品開発はトヨタならではのものといえた。

 ワゴンはレンタカー需要に対応させた9人乗り仕様と、2年車検対応の自家用車需要に対応させたもの。エンジンは全車カローラ用1166cc 3K、66ps/6000rpm、ワゴン135km/h、商用は総重量が多く125km/h。

 1976年1月にプリンス販売店用に生産のE20型ホーミー。E20初期型キャラバンの1500cc、1600ccが排出ガス適合に外れるためNAPS採用のH20型エンジンに換装された。それを契機に販売台数を増やすためにプリンス系販売店に供給が開始された。

 ホーミーの内容はキャラバンとほぼ同じ。プリンスファンはあえて日産プリンス店で購入していたわけで、拡販に結びつくことになる。2000cc採用で高速走行もなんのその、フロントウインドも大きいせいか、疲労もすくなく人気を得てゆくことになる。

 ホーミーの場合は当初は、商用=バンと乗用=マイクロバスのみのラインナップで、キャラバンのようなコーチの設定はなかった。

 ホーミー同様にエンジンを2リッターにした、1976年からのキャラバンの乗用コーチ&マイクロバスのカタログ表紙。砂漠越えの「キャラバン隊」のような、見張り役の双眼鏡を持つ女性隊員の様子を演出していた。

 日産おなじみだったNAPS=Nissan Anti Pollution System=日産排出ガス清浄化システム=のエンジンは一般的なEGR、酸化触媒などの対策を実施、パワーダウンが少ないとアピールされた。まだブレーキは前後ドラム式だった。

 カローラ店とオート店用に供給された1976年10月登場のタウンエース。デビュー時に乗用車感覚のキャブバンということでアピールしていたライトエースとハイエースの中間サイズであり、柔らかいボディデザインが特徴。これはバン・ワゴン併用の初期型カタログ。

 ワゴンカスタムにはフルフラットシート、前輪ディスクブレーキを装備。乗用車然としたステアリングのデザインを採用、8トラックテープのステレオはオプションだった。これがすぐにカセットに移行するわけで、クルマの音響も1970年代に一気にグレードアップしてゆく。TTC=Toyota Total Creen system採用の1600ccエンジンはバンのほうがパワーが高かった。

 タウンエースの開発や生産にトヨタ車体とともにタッチしたのがダイハツ工業。タウンエースの兄弟車としてデルタのワイドバン・ワゴンを自社ブランドで販売した。トヨタ車との大きな違いはヘッドライトカバー間にモールがないことぐらいだった。

 ダイハツ・デルタワイドワゴン・カスタムはラジアルタイヤを装備。さらによく見るとクロームのバンパー、ホイールにフルキャップが被せられているのが分かる。これはワゴンのデラックスとカスタムの標準装備でタウンエースも同様。イエローのカラーリング、インテリアもタウンエースと大きな変わりはない。

 デルタのワイドバンやワゴンのエンジン系もタウンエースと同じ、バンは商用車の50(1975)年排出ガス規制適合で93ps。ワゴンは乗用車の51(1976)年排出ガス規制で85psと差異があった。ダイハツのカタログはエンジン性能曲線、リアのリーフスプリング数などの図解がされ具体的にわかるようになっていた。

 1977年3月のH20系ハイエースワゴンのカタログ。バンやトラック系も含め旧来のOHVを廃してSOHCエンジンを搭載。フロントデザインは共通で1808ccで95psを標準とし、ワゴン系は2000ccで100ps。ドアの三角窓の廃止はトヨタで最も遅い部類で、助手席のパワーウインドーがオプションで設定されたが、運転席側は故障時を考慮してか設定されなかった。

 ワゴン9人乗りはフルフラットシートを採用。送迎用と思われる10人乗りスタンダードを除きラジアルタイヤ、フロント・ディスクブレーキをオプション設定(カスタムはディスクブレーキを標準装備)。コミューターは1808ccだが、ワゴンは高速道路用に配慮した2リッターエンジン搭載するなど新設計機能が満載であった。

 くつろぎの空間、としたカスタムにはルーフ部のクーラーをオプション、温水式リアヒーターを標準装備。ステレオはカセット式に進化、各種装備品は当時の流行品で占められ、フロントのハイバックシートはスポーツカー的な要素を与えていた。

 トヨタは救急車をクラウンベースのロングシャシーに大型トラック用の6気筒ガソリンエンジンを積んだ特殊車両で対応していたが、ハイエースコミューターのシャシーに100psエンジンを搭載して、ストレッチャーを含む2ベッド仕様にしてスペースを有効に確保していた。

 1977年5月登場のスーパーロングホイールベースと命名された輸出仕様。日本では旧来通りのコミューターと呼ばれた。小型車枠を超えた全長4990mm、5列シートの15人乗り。廉価版1600ccと普通版2000ccのラインナップだった。

 国産各メーカーが小型車にディーゼルエンジンを搭載するようになるのは、第二次オイルショックによりガソリン価格が上昇した1978年頃からだった。レギュラーは1972年まではリッター50円だったが、1975年以降のオイルショック後は100~120~180円となり、ガソリンの3分の2とされる軽油を燃料とするディーゼル車の需要が一気に増加したからである。日産ディーゼル設計のセドリック2164cc、65psエンジンを搭載、価格が15万円程アップした。

 トヨタのライトエースお株をとったわけではないだろうが、日産はなんとキャラバンのハイルーフと5ドア仕様を投入、フルサイズキャブバン市場をリードしようとした。大型車同様に1ナンバーになるが、普通免許で運転でき市場を得てゆく。

 ガソリン&ディーゼルのキャラバン・フルラインナップだが、ボディ全長と全幅は小型車規格で、駐車場を考慮しての設計だったように思える。

 1978年10月発売の新型タウンエース・ワゴン。表紙は旧来通りの普通ルーフ車を掲載し、中を開けると新型ハイルーフハイルーフが姿をみせる工夫がされていた。

 ハイルーフに加えて最上級モデルのカスタムエクストラ(ラジアルタイヤ標準装備)にサンルーフが標準装備され、量産車ではトヨタがサンルーフに先鞭をつけたともいえる。価格はハイエースコミューター1600スーパーロングやカリーナなどとほぼ同じであった。

 カスタムエクストラのインテリア、フルファブリックのシートはワンタッチ操作のリクライニングシートでフルフラットにできるなど充実そのもの。カスタム以上に採用の3本スポークステアリングもGTらしさにあふれていた。

 ラインナップは4車種だが、装備的にカスタム以上の購入を想定して演出されていた。ワゴンのエンジンは1600cc、93psから排気量アップしてコロナ、セリカ、カリーナ1800に搭載の1770ccOHVながら92psの高トルク重視のエンジンを搭載。この後には3速ATやキャンパースペックのキャニオンなどが誕生する。

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執筆者プロフィール

1947年(昭和22年)東京生まれ。1965年より工業デザイン、設計業務と共に自動車専門誌編集者を経て今日に至る。現在、自動車、サイドカー、二輪車部品用品を設計する「OZハウス」代表も務める。1970年には毎日工業デザイン賞受賞。フリーランスとなってからは、二輪、四輪各誌へ執筆。二輪・三輪・四輪の技術および歴史などが得意分野で、複数の雑誌創刊にもかかわる。著書に『単車』『単車ホンダ』『単車カワサキ』(池田書店)、『気になるバイク』『チューニング&カスタムバイク』(ナツメ社)『国産二輪車物語』『日本の軽自動車』『国産三輪自動車の記録』『日本のトラック・バス』『スズキストーリー』『カワサキモーターサイクルズストーリー』』『カワサキ マッハ』『国産オートバイの光芒』『二輪車1908-1960』(三樹書房)など多数。最新刊に『カタログでたどる 日本の小型商用車』(三樹書房)がある。

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