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第1回 ワンボックス車出現まで:欧米編
2021.8.27

 ワンボックス車出現以前の歴史を考察すると、米国と欧州ではエンジンや車両の大きさなどの諸事情が異なり多少の差異がみられる。
 米国ではワンボックス形態車は戦前からみられ、たとえば東部シカゴでは1920年代の荷馬車を進化させ、立ち姿勢運転の4輪バンPac-Karが誕生している。後部に小型エンジンを持つRRで、前部からエンジン前まで床面がフラットまさに箱型トラックの形態であった。
 シカゴ発祥のシアーズが1890年から500ページ以上のカタログ通販をスタートさせたこともあり、当時の米国におけるワンボックス車の多くが、通販などの荷物配送のデリバリーバン主体で開発され地域的産業に近かった。その後、天才的デザイナーで「口紅から機関車まで」手がけたレイモンド・ローウィが1939年に、トラック専門のインターナショナル社向けにMETROというキャブオーバー車を手がけた。
 他方欧州における荷物移動の戦前の様子は、乗用車そのものの後部をハッチドア開閉式にして荷物を積めるよう工夫したり、ボディ後部を切り取り=改造して箱型荷台をつけて商用車とした例が多かった。アメリカの手法を参考に、ドイツのクエレが欧州17ヵ国向けに通販カタログを配布して、デリバリーバンが各社から出される。ただ欧州は乗車姿勢は乗用車にこだわり、乗用車の後部のみパネルバンにしたスタイルが1960年代まで続いてゆく。
 自動車形態的に通常の箱型乗用車=セダンが①エンジンルーム+②室内+③トランクルームと3箱(仏国は3volume )の順に並んでいるのに対して、1958年登場のピニン・ファリーナがデザインしたオースチンA40や、オースチン7(後のミニ)を発端に①エンジンルーム+②室内と2箱(仏国で2volume )に簡素化された2BOXボディが増えて後のVWゴルフなどの人気が高まる。この2BOX的考えは3BOX乗用車の屋根後部を伸ばしたバンやワゴンと進化し、これも2BOXと呼ばれる。
 そうした乗用車の動きに対してワンボックス=1箱(仏国で1volume )という表現が、具体的にあてはめられたのは1930年代の大型トラックや軍用車の一部がCOE=Cab-Over-Engine(エンジンの上にキャブが載る)セミキャブやフルキャブ車のバン型出現以降であるが、当初大衆向けではなかった。
 個人ユース用に誕生してワンボックスとして知られるようになるのは1961年登場のフォード・エコノラインやコルベア95バンなどの出現からとされている。当時のアメリカで大衆向けのコンパクトカーとして知られるようになったもので、乗用車ファルコンやコルベアのエンジンを搭載した商業車=トラックであった。もちろん、それ以前にも数多くのワンボックス車が生み出されたが、世界各国の自動車情報源である自動車専門雑誌は乗用車主体で商用車の紹介は極めて少なかった。
 他方でドイツのVW=フォルクス・ワーゲンが戦後、キャブオーバー型商用車に手がけるのが1949年、タイプ29と称されて翌年からタイプ2の名で量産された。バンからピックアップなど数種のボディが揃えられ世界中に普及してゆく。おそらくはタイプ2の手法を参考に、仏シトロエンやプジョー、独フォード、英ルーツなどが商業車のラインナップを揃え、バン型は窓を多くしてバスに流用できることから、必然的にワンボックス車を手がけたとみられる。
 また乗用車をベースに生み出されたワンボックス車の代表格はイタリアのフィアット600=RRの乗用車をベースに前側キャビンを拡大、3列シートを実現したムルティプラとされる。ボディ後半は乗用車と同じで、機構面でよく考えられていた。しかし小型で全高が低く乗降がしづらく、その後にエンジンスペース上に荷物を積めるようにボディ後部を角型にしたバン型を経て全く新しいボディになり、ボディフォルムはシボレーのようにした800ファミリー型へと進化してゆく。こうして考えるとワンボックス車は結局、VWタイプ2のような屋根の高いボックスフォルムが容積率的に合理的に思われてゆくことになる。
 だがデザイン改革しようとするデザイナーが、新しいワンボックスにトライした、1965年フランクフルトショーに展示されたグラス1304は、前側をウエッジスタイルにして注目された。デザインはイタリア人のピウ・マンズで、フィアット127を大ヒットさせたことで知られる。グラス社は前年にピエトロ・フルアに1300GTをデザインさせるなどスポーツクーペで成功、しかし翌年にBMW傘下入りの話がありウエッジスタイル社はオクラ入りとなってしまう。
 その後、1967年に米クライスラーが世界戦略に沿って、英ルーツグループと仏シムカ・マトラを買収、シムカ1100ピックアップ(米ダッジ1100)の人気が出て、後部を背の高いパネルボディにした、ハイトップやランチョが爆発的人気を得たことで、専用のライトバンP-18計画が立てられた。シムカ・マトラは欧州クライスラー撤退でプジョー・シトロエングループに売却、P-18はシムカ・マトラが権利を得た。しかしプジョー・シトロエンは量産の場合、生産設備がかかるため興味を示さず、なんとライバルのルノーにマトラの生産工場を含めて譲渡される。
 1984年にマトラがルノー18の部品を流用してエスパスが誕生、新しいワンボックスのフォルムは爆発的人気を得てゆき、そのデザインは世界のワンボックス車に多大なる影響を与えることとなり、2021年にヒュンデが同一フォルムのスターリアをデビューさせた。

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1926年登場のPac-Karは4輪デリバリー馬車を動くようにしたもの。運転は立ってハンドルを握り、乗降とウォークスルーを素早くできるようにしている。リアに7PS程のエンジンを積み全幅は1.32mと、日本の軽自動車的ながら全高2m超えのボディを持つ。販売はサービスも兼ねエンジン故障の際は、後部からエンジン車輪一体モジュールを15分で交換できるように工夫されていた。販売&サービスは1941年までで3500台を生産、その後工場はジープ生産に切り替えられたが部品供給は戦後まで続き、数台が現存する。親会社はインディカーなど着手し出場もした。

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1939年仏シトロエン11Cの「コマーシャル=商用車」の例、後部トランクを上下に開閉できるようにしたモデル。人間の代わりにたくさんの荷物を積めるようにしたもの。家族向けから旅行、販売、救急車として活用できるとある。この頃の乗用車は高額で一般人の入手できるものではなく商店主などがオーナーで、欧州ではこうした貨客乗用車が数多くあった。

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1939年のルノーの広告。上は乗用車で「シートアレンジすれば荷物が積める」工夫がされたことがわかる。おそらくはワイン樽であろう。なお同年には下のような商用バンや重積載のキャブオーバートラックが量産されていたことがわかるが、通常は乗用車として使い、荷物のある場合のみ運転席以外は荷物スペースに転用できる工夫がされた。

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1939年のシトロエン製商用車が「カミオネッテ(バンの意味)TUB850kg積」前輪駆動車で車軸前にエンジンがある方式。後部荷室に荷物を存分に積むことができ右側片面スライドドア採用。1939年から生産されたが荷室の窓は幌で、実態は「トラックの屋根付き仕様」になっていた。時節柄、軍用車両もあった。

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1939年に剛健質実の米インターナショナル・ハーベスタ社が販売したデリバリー専用トラック。パネルバンスタイルだが曲面ボディに注目。名デザイナー、レイモンド・ローウィの作品。"メトロ"は地下鉄でなく大都市の意味合いで、都市の配送用ウォークスルーバンであった。乗用面は考えられてなく、あくまでもデリバリーバンを貫いた。

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「流線型の全鋼鉄製ボディ採用」とPR誌でアピール。椅子は運転席のみで車体中央前部にエンジンを持つ後輪駆動車。実際にはボディをぶつけないように大型ガードが装着されて供された。なお大柄で全高は2.4mをはるかに超え戦前は1941-42年、戦後は1946−1949年に生産、トラックマニアのコレクターズアイテムになっている。

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戦前のカミオネッテを発展させたのがシトロエンH/HZパネルバン。少数だがバス仕様も造られ、エールフランスやホテルの送迎用に使われた。独特のスタイルにファンも多く、昨今のセミキャブバンをHスタイルにできるカスタムキットも数多い。1947-1981年に生産、日本にも輸入されたが、全幅1.99mと広く1911cc、50PSで3速78km/hの性能では用途も限られ、ケータリング用に使われる程度だった。

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ドイツの国民車VWのシャシーを流用して1949年に設計されたのがタイプ29、パネルバンやピックアップなど数多くのバリエーションを持つ。ドイツ車でもメルセデスベンツのバスなどはトヨタや三菱が参考にしたが、日本にはリアエンジン車がなくメーカーの参考車にはならず、さらに荷物を後部から積むには適さず1953年から輸入したヤナセはドイツ車マニアに向けて販売した。

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タイプ2の絶対的な人気車がマイクロバスデラックスだろう、天窓のあるルーフ、2トーンカラーの曲面ボディの美しさは今もって人気がある。バリエーション的にはルーフのトップ部を部屋にしたキャンパー仕様も製作された。日本では夏季用のクーラーが装着されている車両も多く出回っている。

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現アウディの出生メーカーとされるのがAuto-Union DKWで、これはVWタイプ2同様に1949年登場。エンジンは水冷2サイクル3気筒搭載の750kg積FF車でパネルバンとバス、ピックアップなど6種類が製作された。DKW製自動車群はデザインがいかにも「ドイツ車」然としており、日本に輸入されたのは乗用車それもサンプル程度だった。

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1951年のドイツ車ゴリアットGV800。DKW同様にエンジンは水冷2サイクル3気筒465cc、16ps搭載。後にメーカー統合でボルクワルト、ハンザ、ロイトのグループ入り。大きさは全長4.2m、全幅1.7mでトヨエース程度。外観フロント部分は日本のスバルサンバーの参考になったと思える程? よく似ている。

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1953年生まれのFK(FORD-KOLN)ドイツ・フォード製FK1000/1200。1961年よりタウナスの名がつく。シャシーレイアウトとしては米フォードのエコノライン同様に運転・助手席の間にエンジンが突き出す方式。製品ラインナップはほとんどVWタイプ2と同じだがFRのため後部から積み下ろしが可能だ。

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バン系はバスをはじめ消防車、救急車、作業車など多彩。後部スペースが自由にアレンジできるのが特徴。下部図解でエンジンシャシー系をみせ、運転席中央にエンジン補記類があるのがわかる。初代トヨエース以前の設計であるから仕方のないとことだろう。全長4.3mだが全幅は1740mmで、日本では中型扱いになることもあって、正規には輸入されていない。

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1956年登場のフィアット600ムルティプラ。今も同車名のモデルがラインナップされているが、これはミニバンスタイルである。画像上の600乗用車のルーフを前に伸ばして製作した6人乗りの乗用車でタクシーなどに利用されたという。画像下は荷物用のバンOMだが、荷室側面のドアは観音開きで後部も角ばっている。この形状からさらに変化してゆき、ボディは後述する850系と同じフォルムになってゆく。

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フィアット社はVWタイプ2のような新型キャビンの開発までは余裕がなかったものの、これ1台でファミリーカーや荷物用バンに使えると図示している。カタログなどは赤坂にあった日本自動車にゆけばあったが、まだ日本人向けには輸入はされていなかったようだ。まだ軽自動車も普及してない時代で価格設定もクラウン以上であった。

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仏ルノーのバン型トラック、上は1947年の大型バンで、戦前の軍用車ベースの2000ccFRキャブオーバー車。下は1959年登場のエスタフェテ(飛脚)でFF方式を採用。845-1108-1289ccと排気量アップされた。シトロエンHよりもスマートでバン以外にミニバス、オープンバス、かさ上げハイルーフバン、ピックアップなどが造られた。

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エスタフェテはルノー乗用車のRRリアエンジンを前後逆にしてFF前輪駆動にしたもの。後部荷室のフロアが低くできるのが特徴で、低いフロアを前から最後部まで続けることが可能。エンジンは車体前部を占めるため、大排気量を積むことができない。845cc車は、32psで600kg積み。

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1962年のプジョーD4B、原型は1898年創業のチェナード・ウォルカー社が1941年から生産した2サイクル720cc搭載のFF車D2だが、1947年にプジョー製1290ccエンジンを搭載。1955年にプジョー403用1468cc、45ps搭載のD4となり、1960年に55psに出力アップしたD4Bになる。全長4.43m、全幅1.84m全高2.11mとかなりの大型。デザイン的にレイモンド・ローウィのメトロに似ていた。1965年に角形フォルムのJ7にバトンタッチした。

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1960年、ヒルマンに代表されるルーツグループが手がけたコンマーFCバンをベースにした、キャンピングカーのキャラバン。コンマーはコマーシャルの略で商用車の意味。ヒルマンベースのエキスプレスバンもコンマーの名がつけられていた。デザイン的にどこかでみたことが......1959年登場のいすゞエルフの前部にソックリだが、英国側が参考にしたと考えるのが正解であろう。

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エンジンの位置がまったく説明されてないが、エルフ同様に運転席シート下であることで、開発時の参考にされたのは明白。従って欧州車としてはめずらしいレイアウト方式を採用。日本では昨今キャンピングカーが人気だが、欧米では60年も前に流行したことがわかる。米国ではクライスラー傘下になったのでダッジのバンとして販売、今もファンが多い。

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1960年代の米国コンパクトカーブームの落とし子が、1961年誕生の初代フォード・エコノラインのバスとバン。日本でいえば軽バン相当になるが、それでも相当に大柄で全長4.73m全幅1.9m全高1.95m、エンジンは直6の2.4リッター、エンジンが前2座シートの中央部にありメンテは容易。ただし直6ではエンジンの前後長がありすぎ、1962年にV6が搭載される。

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1961年同時期にデビューしたのがシボレー・コルベア95のバン、ピックアップ、ワゴンに相当するグリーンブライア。RRで大型強制冷却ファンを上部に持つ水平対向6気筒2.4リッター搭載。VWタイプ2より快適とされるが、車体後部はエンジンに占領され、ピックアップも後部床面はかさあげされた方式になっている。

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1964年デビューのフィアット850ファミリィ。1962年に600ムルティプラを改良した600OMバンの、ボディフォルムをさらに角形にした600Tをそのまま850にしたもの。1970年代まで生産され、コルベア95的なフォルムが豪華でいまだに人気があり、2眼のものも600/850に存在する。

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850ファミリィは、600ムルティプラの室内の狭さを解決するために背の高いボディにしたもの。RRのためFFのようには後部から荷物の出し入れはできないが、まずまずのスペースが確保できる。1976年に900バン系に、1980年から角2眼へッドランプになり、1985年までボディ的には大きな変更なく、約20年間にわたり生産された。

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1965年のドイツ・フランクフルト・ショーで公開されたグラス試作車。ピウ・マンズのデザインで進歩性が認められ、これをきっかけとしてフィアット127のデザインで大成功を収める。昨今息子さんがSNSで父親の功績をアピール、このグラスのイメージスケッチなども公開されている。

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1984年登場の初代エスパスは、旧欧州クライスラーの英国デザインセンターのファーガス・ポロックが担当、多彩なシートアレンジを持つ。開発はマトラ(MecanicAviationTRactionの略)社が行ない、生産も担当した。エスパスの4代目2003年以降はルノーの工場で生産移管、マトラは2001年にルノーアバンタイムにも着手、その後に元の航空宇宙産業分野に戻った。

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エスパスは2リッターエンジンFF車だが全幅1780mmと日本では3ナンバー枠になるため、正規輸入はされていない。日本製ワンボックスもエスパスに追いつき追い越せと鋭意、開発がされデザインフォルム的に似た面も多くなる。

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2021年登場のヒョンデ・スターリア、コンセプト的にはエスパスそのものといえるが、そのスタイルがマニア達には好評、しかし日本での乗用車販売計画はないようだ。同社は1967年にフォードと提携、1970年代に三菱と提携、近年WRCではトヨタとトップ争いをしている。

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執筆者プロフィール

1947年(昭和22年)東京生まれ。1965年より工業デザイン、設計業務と共に自動車専門誌編集者を経て今日に至る。現在、自動車、サイドカー、二輪車部品用品を設計する「OZハウス」代表も務める。1970年には毎日工業デザイン賞受賞。フリーランスとなってからは、二輪、四輪各誌へ執筆。二輪・三輪・四輪の技術および歴史などが得意分野で、複数の雑誌創刊にもかかわる。著書に『単車』『単車ホンダ』『単車カワサキ』(池田書店)、『気になるバイク』『チューニング&カスタムバイク』(ナツメ社)『国産二輪車物語』『日本の軽自動車』『国産三輪自動車の記録』『日本のトラック・バス』『スズキストーリー』『カワサキモーターサイクルズストーリー』』『カワサキ マッハ』『国産オートバイの光芒』『二輪車1908-1960』(三樹書房)など多数。最新刊に『カタログでたどる 日本の小型商用車』(三樹書房)がある。

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