三樹書房
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第2回 海外のツーリングカー・レース その1
2019.3.27

かつて、ツーリングカー・レースはフォーミュラカーやスポーツカー・レースのつけ足しの前座イベントで行われていた。だが自動車の普及にともない1960年代、身近なツーリングカーの競走への関心が一気に高まった。1958年早くも英国でサルーンカー・チャンピオンシップが、'63年にヨーロッパでツーリングカー・チャレンジらがシリーズ戦を始める。レースの勝敗は車の販売に直結することから、自動車メーカーは高性能セダンの開発に鎬を削った。
とりわけ大量販売を狙う小型大衆車に名だたるチューナーが顔を並べたのが'60年代の特色だ。F1コンストラクターのクーパーがミニを、ロータスのチャップマンがフォード・コーティナを、カルロ・アバルトがフィアットを、チューン魔術師ゴルディーニがルノーを、ファミリーカーを一流のスポーツカーに仕立てたのだ。
外見は羊のように大人しく、中身は狼のように猛々しい車、「羊の皮を被った狼」とたとえられた群雄が割拠して、ツーリングカー・レースを一層面白くした。


■バイエルンの先鋒、フラットツインBMW

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1960年3月、まだ草深きニュルブルクリンクのコースにオートバイのエンジンをリアに載せた、小さなBMW700が運び込まれ、この年から'65年までの6年間、この車はドイツ国内とヨーロッパのインターナショナル・イベントで22回のクラス優勝を飾り、後に続くBMWのツーリングカー・レースの先鋒の役割を果たした。エンジンは有名なオートバイ用R69の水平対向2気筒をデチューンして、標準の30HPをCS(クーペスポーツ)はツイン・ソレックス・キャブで40HPにパワーアップ、ワークスのレース用はグループ1で46HP、グループ2は56HPに高めた。ボディはイタリアのミケロッティがデザインした美しいクーペで、重量わずか640kgと軽く、しばしば1Lや1.3Lカーを打ち負かすジャイアント・キラーであった。
この車のヴィジュアルな資料は少なく、やっと見つけたのが'61年モンザの6時間レースで優勝したワークスカーの写真で、イラストを再現することができた。

■バトル・オブ・ザ・ベイビー サーブ96スポーツ

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スウェーデンの航空機メーカー、スヴェンスカ・アエロプラン社が第二次大戦後自動車の製造をはじめ、1950年サーブ92を発表、'60年にスポーツ性を高めた96スポーツを市販した。車体は航空機のように構造そのものが応力を負うモノコックでドアやフェンダーなどはボルトで取り付け、空気力学を大幅にとり入れたデザインは突起のない流線形、ホイールはボディ内に隠して乱気流の発生を防ぐという独創的なスタイルであった。水冷3気筒2ストローク841ccエンジンは3基のソレックス・キャブで55hp発生、850kgの軽い車体を150km/hまで引張る。ラリーの活躍は有名だがレースでもBMW700やDKW、アバルト、ミニなど相手にポテンシャルの高さを見せ多くの戦果をあげた。レースの資料はラリーほど多くなくイラストは幸い'63年6月、マロリーパーク3時間が英誌ザ・モーターの主催であったため、同誌が詳しく報道していたため写真などビジュアルの資料を入手できた。

■スポーツ・サルーンのキング・オブ・キングズ スモール・ジャガー

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1952年、英国ではディリー・エクスプレス・トロフィーがはじめてスポーツカーとサルーンカーを分けてレースを行い、全長5mの巨大なジャガー・マークⅦが優勝。以来ジャガー・サルーンは常に先頭を走り他を圧倒した。'55年、コンパクトなモノコックボディのスモール・ジャガーが登場、エンジンは2.4L、さらに3.4Lと拡大し、'60年マークⅡに発展、3.8Lも加わる。これが'60年代レースの主役になる。3781cc、6気筒DOHCエンジンは223hpを発生し当時数少い200km/hを越える高速サルーンとなった。エントラントもエキップ・エンデバー、スピードウェル、P・ベイリー・チームなど、ドライバーにスターリング・モスをはじめロータスのコーリン・チャップマンまで錚々たるメンバーがレース、ラリー、ヒルクライムで戦いサルーンカーの頂点をきわめた。イラストはエンデヴァー・カーで室内は内張り、カーペットを外しウインドーガラスもリアとサイドはパースペックス製、巻き上げのメカもとり除くなど徹底的に軽量化されている。'62年ブランズハッチのレースで優勝したパークス/ブルマーの車。

■ヨーロッパを制覇した デトロイト産ポニー

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1962年、ヘンリー・フォードⅡ世は「今後あらゆるレースに参加する」と宣言。トータルパフォーマンスをキィワードに実用的イメージの強かったフォード車を軽快でエキサイティングなフォードへとイメージ・チェンジを計ろうとした。それは社運をかけて開発していたマスタングを成功させるためでもあった。'64年あらゆる部門のフォード車がレース界に進出するが、ツーリングカー部門を担ったマスタングは'64、'65年大成功を収めるのだ。歴史上初めてアメリカのセダンが英国とヨーロッパのツーリングカーレースを制覇した。だがレース経験の乏しいデトロイトは主に英国のアランマン・レーシングはじめドイツ、フランスのフォードを総動員して得た成果である。アランマンのチューニングはアメリカのロードカーが本来持っている特徴をすべからく改変し、フォーミュラーカーのような操縦性に仕立てたのである。イラストの赤いアランマン・マスタングは'64年ツールド・フランスの優勝車。

■クォドリフォリオのついたベルリーナ ジュリアTIスーパー

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アルファロメオ・ジュリア・TIが公開されたのは1962年6月、モンザ・アウトドローモである。ツーリングカーで初めて空力的コーダトロンカをもつ車にふさわしい発表の場であったがボクシーな4ドア・ベルリーナは車重約1トンもあった。2年後、910kgに軽量化したTIスーパーが市販され、これが多くのプライベートの手によってレースに登場するのだ。ウインドーガラスをアクリル製に換え、4灯式ヘッドライトは2灯に、リアシートはパッドのない形だけのものとし、エンジンはDOHC1570cc112hpでTIより20hpアップ、5段クロースレシオ・ギアには4種のファイナルを準備するなど1.6L級ライバルのロータスコルチナに対抗するモデルである。グループ2仕様は160hpを発生した。'64年からヨーロッパ・ツーリングカー・チャレンジに参戦、しかしワークスたるアウトデルタは創設されたばかりでジョリークラブなどのプライベートの手に委ねられた。アルファロメオが1.6L級の覇権を握るのはアウトデルタGTAがデビューする'66年まで待たなければならなかった。イラストはジョリークラブ車。

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執筆者プロフィール

1938年、大阪生まれ。広告代理店、チーフ・クリエイティブ・ディレクターを経て、1990年からフリーランスのイラストレーターとなる。車関係の著作に『羊の皮を被った狼たち』(二玄社)、『サーキットを駆ける狼たち』(二玄社)、『栄光に彩られたスポーツカーたち』『アルファロメオ レーシング ストーリー』(三樹書房)、自動車を題材にした 児童絵本に『出動119番』(講談社)、『ブルブルさんのあかいじどうしゃ』(福音館書店)、『のびるじどうしゃ』(福音館書店)などがある。東京都在住。

関連書籍
アルファロメオ レーシング ストーリー
栄光に彩られたスポーツカーたち
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